第7話 「そんなバカな……!?」
小川の隅に置いたままになっていた鞄を拾いあげ、なにが作れるのかを考える。
「…………さっき貰った芋もどきはあるけど」
いやダメだ……と稲豊は頭を振った。
あれほど弱っている少女が、飲み込みにくい芋を口にできるとは思えない。潰して食べやすくしたところで、確実に喉に詰まるだろう。
しかしそれを言ってしまえば、いまの少女に食べられる食材があるとは思えない。それはこの世界だからという意味ではなく、衰弱した少女が口にできるものなど、元の世界にだってあるかどうか怪しいものだった。
「スープなら……!?」
固形が無理なら液体。
そして、大きな具を入れるのはご法度。
具の入ってない、或いはそれを取り除いたスープに限定するほかなかった。
「問題はどんなスープにするかだな……」
芋もどきは問題外。
強烈な苦味をなんとかしないと、スープとて飲めた物ではないだろう。『この世界の人間なら或いは』と考えた稲豊だが、日常で啜ってるスープに、劇的な効果があるとはどうしても思えなかった。
時間があれば食用の草を集めることも可能だろうが、いまは一刻の猶予もない。
「考えろ考えろ…………考えろ俺!!」
早くて美味、そして簡単に用意できるスープ料理。
「カップラーメン! って馬鹿か俺は!! そんな物はこの世界にない。それになんでラーメンなんだよ! そこはカップスープ…………っ!?」
稲豊はそこまで口にして、てハッと面をあげた。
なにかが記憶の奥底を刺激する。再び脳細胞を総動員した稲豊は、さらに深く深く熟考した。
「カップラーメンとカップスープ……ふたつの共通点はなんだ? それは当然、お湯を注いでかんた……んに…………!」
ある。
「ある! ある!! あるッ!!」
稲豊は突然、叫び声をあげた。
そして叫ぶと同時に、稲豊は風になる。
気怠さなど吹き飛ばし、干し肉の入っていたタッパーに小川の水を入れると、いままで出したことのない速度で母娘の家へ戻った。
「どうした?」
戻った途端に、初老の男から怪訝な顔で見つめられる。
息を切らす稲豊は、傍から見れば異様に見えなくもなかった。
「奥さんスミマセン! 厨房を借ります!」
「…………厨房?」
首を捻る男の脇を抜け、稲豊は玄関のとなりの厨房に走った。
机の上で鞄を開き、父のくれた『最強味噌』を手に取る。
「頼むぜ、親父!」
稲豊は小さな鍋を見つけると、その中に小川の水を流し込んだ。
『自分に何ができるのか?』
導き出した答えは、家を出る前に父から押し付けられた味噌を使うことだった。思い出すまでその存在を完全に忘れていたのだから、まったくもって救えない。
これをもっと早く思い出せていれば、ある程度の栄養は補給できていたはず。稲豊は自分のバカさ加減に呆れた。さらにそれを生死の境を彷徨っている者に飲ませようというのだから、まったくもって救えない。
しかし、稲豊はまるでなにかに導かれているような感覚で、料理を開始した。
「火……おっさん! 火はどうやって点ける?」
もちろんこの家に、家電製品やガスコンロはない。
だが外で火を起こしている形跡はどこにもなかった。
稲豊にとって不思議なのは、石で造られた台所だ。
元の世界で言うならコンロの位置に、拳大の穴がぽかんと口を開けている。なんの為の穴なのか首を傾げる稲豊だったが、その謎はあっさりと明かされた。
「火の起こし方も知らんのか? こうだ」
初老の男は棚にある籠から赤い石の欠片を取り出すと、それを躊躇なく謎の穴に投げ入れた。すると穴から、指先ほどの炎が顔を覗かせる。欠片が穴の奥で弾け、火を放っているのだ。
「よっしゃ!」
水の入った鍋を火にかける。
本来なら出汁を取りたいところだが、生憎そんな食材も時間もない。
ただ味噌を湯に溶くだけの味噌汁……もとい味噌湯。それがいまの稲豊にできる、全力の料理だった。
水の温度が上がってきたのを確認し、味噌の入ったプラスチック容器の蓋を開ける。少しだけ舐めて成分を確かめれば、願ったりな出汁も一緒のタイプだった。稲豊は父の仕事ぶりに感謝すると同時に、自身の体に父の力が流れ込んでくるような錯覚を覚えた。
「最強味噌なんだよな? だったら……子供ひとりぐらい救ってくれよ!」
祈るような気持ちで、トングに乗せた味噌を菜箸で溶かしていく。
あとは沸騰する直前に器に移すだけ。正直なところ、コレは料理と呼ぶのも痴がましい作品である。手抜き以外の何物でもないだろう。
過去に父が作った料理を『手抜きだ』となじったこともある。
悔しく、情けなく、みっともない。でもいまは、これが最善なのだ。
「良い匂いだな」
誰かの声で、稲豊はとうとつに現実に戻される。
振り返ると、初老の男とその息子が並び立っていた。奥からは、タルトの母の視線も感じる。
「あ、ああ……。いまできた」
完成した味噌湯を深めの皿に移し、木のスプーンと一緒に少女の前に運ぶ。母親は心ここに在らずといった様子で、虚ろな目で成り行きを見守っていた。
ベッドの上の少女へと、視線を落とす稲豊。
耳を澄ませても、もうその声は聞こえない。
「………………なにやってんだろうな……俺」
この行動になんの意味があるのか?
自問自答しながら、稲豊はスプーンの中の味噌湯に息をかけた。
そして少女の小さい口内に、温くなった味噌湯を流し込む。
ふと『まるでなにかの儀式のようだ』と、稲豊は思った。
微かにだが、喉は動いた気がしないでもない。
もう一度、冷ました味噌湯を少女の口に運ぶ。茶色の液体が、口の端からひとつこぼれた。それは口唇から流れた、少女の涙のようにも見える。
「…………うぅ……」
少女の母が顔を両手で覆い、嗚咽を漏らす。
男たちは沈痛な面持ちで、その光景を眺めていた。
『頼む…………たのむたのむ!!』
稲豊は必死の表情で、奇跡を願った。
そして再び少女に味噌湯を飲ませ、表情を確認しようとその前髪を掻きあげる。
そのときだった――――――
「…………うおうっ!?」
稲豊は思わず、素っ頓狂な声をあげた。
なぜなら少女の髪を掻きあげたときに、キラリと光る小さな双眸が、稲豊の両目を力強く捉えていたからである。
思考が凍りつき、連動して身体も動かなくなる。
そんな稲豊の反応も意に介さず、少女は何事もなかったように上半身を起こし、言った。
「いまのおかわりっ!」
少女の発した声は、先刻まで死にかけていた者とは思えない、溌剌としたものだった。稲豊を含めた周囲の者は目を皿のように丸くし、時間が経過したいまでも動けない。そんな大人たちの姿を不思議に思ったのか、少女は愛らしい仕草で小首を傾げる。
その数秒後――――――
「タルトォ!!」
母が小さな体を力強く抱きしめた。
少女は困惑しながらも、少し嬉しそうにはにかむ。
「お、おい兄ちゃん! あんたなに飲ましたんだ!?」
「奇跡だ!!」
初老の男と息子が稲豊を囲み、矢継ぎ早に状況の説明を求める。
だが説明できない。できるはずがない。稲豊にだって、良く分かっていないのだから。唯一、分かることは、“なにが”その奇跡を起こしたかだけだ。
「………………まさか」
そんな言葉を吐きながら、稲豊は左手に持つ皿の中の液体に目を落とす。味噌湯は波紋を起こし、湯気を立ち昇らせていた。なぜか無性に食欲をそそられる。ゴクリと喉を鳴らした稲豊は、茶色の液体を口に運んだ。
「んなっ!?」
味噌湯を飲み下した瞬間、腹の内側から爆発的な力の奔流が巻き起こる。全身に力が漲り、肌のツヤさえ息を吹き返す。ここ数日の倦怠感や脱力感が、すべて霧散するのを稲豊は感じた。生まれて初めての感覚で、いまならフルマラソンでもできるような気さえする。
再び味噌湯へと視線を落とした稲豊は――――――
「最強すぎるだろ……」
そう呟くのだった。




