第4話 「通報は止めて下さい。事案ではないのです」
教えられた道を通り、稲豊が辿り着いたのは街外れ。
城下町から弾き出されるかのように佇むその場所は、名を『非人街』という。
そこは活気ある広場とは対照的に、陰鬱な雰囲気の漂う、街というより小さ目の集落であった。
舗装されていない道には街灯も無く、夜になれば足元さえ窺えない。
建物はその全てが木造建築。ちらほらと紛れも無い人間の姿が稲豊の瞳に映るが、その表情は誰もかれもが曇り模様だった。
情報と宿が欲しい稲豊に、声をかけるのすら躊躇させる力がここには存在している。活気のある城下町とは、何もかもが違っていた。
「…………何なんだよ」
先ほどのオークの態度から“人間の扱い”を危惧していた稲豊は、予想が的中したことに軽い舌打ちを見せた。
しかし、いつまで沈んでいても仕方はない。
非人街の一角に土で作られた階段を見つけた稲豊は、とりあえず腰を下ろし、合唱する腹の虫の要求に応えた。
「どうすっかなぁ…………」
干し肉を頬張りながら、これからの振る舞いについて思考を巡らす。
元の世界に帰る方法に見当がつかない現在。
大切なのはそれが見つかるまで『生き抜く』ということ。
その為には、衣・食・住が必要不可欠。
この世界の人間と会うことで光明を得ようとした稲豊は、“生活”の難しさを改めて思い知った気がした。
「はぁ…………あ、意外と美味い」
ため息ばかり出るなかで、唯一の救いは干し肉が予想外に美味だったこと。
空腹が最高の調味料とは良く言ったものだ、と稲豊は頷いて感心を示した。
「――――――――ん?」
ぼんやりと眼前の情景を眺めていた稲豊は、そんなおり“あるもの”に気付く。
日々の仕事に勤しんでいる非人街の住人たちが、彼の前を横切る際にふいに働き者の足を止め、視線を浴びせかけるのだ。そして我に返ったかのように顔を戻すと、足早に通り過ぎていく。稲豊の数える限りでは、それがすでに五回は発生していた。
「まさか」
最初は余所者を怪しんでいるのかとハラハラした稲豊だったが、それが違うことに気付くのにそう時間はかからなかった。なぜなら、感じるその視線は稲豊の顔にではなく、手に持っている“干し肉”に注がれていたからである。そう考えて見てみるば、住民の顔が物欲し気に見えないこともない。
「この集落では、これがご馳走だとでも言うのか……」
なら譲れば良かった。
そんな風に考えたところで、干し肉はもうほとんど残っていない。
住民と打ち解ける機会を逃したことに、稲豊は軽く舌打ちをする。
重い気分で遠くの空を見れば、まるで少年の気持ちを代弁するかのごとく――――夕日がその姿を沈ませようとしていた。
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夜の非人街。
その集落の端っこに、ひっそりと佇む廃屋の姿があった。
室内は煤や埃にまみれ、そこかしこに蜘蛛の巣が張っている。もう何年も、この家の主は戻っていないことが窺いしれた。
そんな誰もいないはずの廃屋の隅で、灯る小さな光。
それにぶつけられるように放たれたのは、ひどく陰鬱な声である。
「……腹減ったぁ」
携帯電話から漏れた光が闇に浮かび上がらせるのは、少し汚れたコックコートを羽織り、シャツとズボン一枚になった少年の姿だ。
声かけが失敗に終わった稲豊は、廃屋で一夜を明かす苦渋の決断をした。
昼は暑すぎて過ごし難いほどではなかったが、夜は若干肌寒い。「春の気温に近いな」と、稲豊は他人事に元の世界を振り返った。
「俺って――――コミュ症だったのか……?」
どこか疲れた様子の住民らへの声かけを躊躇した結果が、現在の埃に塗れた稲豊だ。少年は「明日は絶対に声をかけよう!」と声に出して自身に誓い、その夜は空腹と戦いながら眠りについた。
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――――翌日。
【一軒目】
「こんにちは。俺を養って下さい」
「嫌です」
撃沈。
【二軒目】
「何でもします。家に置いて下さい」
「ん? いま何でもって言った?」
「やっぱり忘れて下さい」
男の瞳が怪しく輝いたので、稲豊の方から辞退する。
【三軒目】
「よくぞ日頃から頑張って働いてくれた。褒美としてこの俺を養う権利をやろう!」
「いりません」
取り付く島もなし。
稲豊は手当たり次第に声をかけて周ったが、どこも余裕が無いという理由で断られる。心が折れた少年は、小川でひとり啜り泣いた。
「俺は要らない子だったのか……」
異世界に飛ばされた作品の主人公たちは、何故ああも自然に溶け込むことができたのか?
あまりにもあんまりな現実に、稲豊はある仮定を思い付いた。
「――――もしかして主人公じゃなくて……俺はただのモブキャラなのでは?」
さらに絶望し、やる気を根こそぎ刈り取られる稲豊。
しかし腹の虫のオーケストラは、止むことなく大音量で演奏を続けるのである。
そんな途方に暮れる稲豊の背中を――二度ほど何かが触れた。
「うお!? 何だぁ?」
想像していなかった“何か”の接触に、稲豊は勢い良く飛びのいて、その何かを探るため視線を動かす。するとそこにいたのは、
「――――ん」
ひとりの人間の少女であった。
年齢は小学校の低学年。年季の入った服とその汚れ具合から、稲豊は黒髪少女がこの集落の子供であると当たりをつけた。小さな鼻の中腹まで伸びた前髪で、両目は稲豊からは窺えない。
「お、おお……どうした? お兄さんに何か用事かな?」
稲豊は優しい表情を意識して声をかける。
『事案』の二文字が彼の脳裏をよぎったが、食べ物が貰えるなら逮捕されても良いかな? と、少しでも考えた自分に、稲豊は嫌気すら感じた。
「――――ん」
言葉にならない声をだし、少女は小さな右手をゆっくりと差しだした。
その手の中にあるのは、薄茶色をした野菜。稲豊の世界のサツマイモに似た形をしている。
「……え?」
驚きの表情を浮かべた稲豊は、少女の手と顔を交互に見る。
少女の表情は彼からは見えないが、はにかんでいる様子に感じられた。
「――――ん」
恥ずかしさに耐えられなくなった少女は、野菜を地面に置くと小川から走り去って行った。
「……人生捨てたもんじゃ無いな。ありがたやありがたや~!」
幼女に食べ物を恵んで貰う。
本来なら情けないことだが、いまの稲豊にそんな余裕は存在しない。
走り去った少女の方角に手を合わせ、神棚を拝むように熱心な祈りを捧げた。
「さて、見た感じ芋っぽいな」
祈りを終えた稲豊は、次に少女の置いていった野菜をまじまじと眺める。
少年の手に収まるぐらいの小さな芋だ。見た目は太ったさつまいもで、折ってみれば中身は白い。「百聞は一見に如かず」、稲豊はとりあえず舐めてみた。
「ふむふむ、茹でた芋か」
彼の固有スキルにより、それが茹でた物であると理解できる。
そして同時に、芋が粗悪品であることも舌から伝わってきた。
「売り物にならない傷んだ芋かね? まぁ、今は腹に入れば御の字だな」
今度は芋を一口ほおばり、咀嚼する。
「まぁ……舐めた時から分かっちゃいたけど」
彼が不満をこぼすのも仕方がない。
それだけ、酷い味の芋だったからである。
ぼそぼそと崩れる不快な食感に、舌にダイレクトに伝わる苦味。
お世辞にも美味と呼べる味ではなく、元の世界の芋とは似ても似つかぬ味である。
まるで炭でも食べているかのよう――稲豊の頭にはそんな感想さえ浮かんだ。
「ぷはっ」
砂糖や塩を振りかけたうえ、飲み込むのに小川の水を必要としたが、稲豊はなんとか芋を嚥下する。美味しくはなかったが、好意で貰った物に違いはない。人の優しさに飢えていた稲豊には、肉厚のステーキにも勝る食べ物に感じられた。
「これで今日動けるだけの栄養は補給は完了した! 今度は向こうから攻めるか」
意識して方針を口に出した稲豊は、勢いをつけて腰を上げ、まだ声をかけていない家へと足を向ける。 残念ながらこの日は空振りで終わり、また昨日の廃屋で過ごす事になるのだが――――
このときの稲豊は、
薄々勘付いていた。