第2話 「ヒロイン登場!」
稲豊が異世界で目を覚ました頃――――――
一台の猪車が王都を目指し、舗装された道をひた走っていた。
大猪が牽いているのは、定員四名のキャビン。
豪華な装飾が施されたキャビンの中では、ひとりの美しい少女が椅子に腰かけていた。
少女は切れ長の瞳で外の景色を眺めながら、絹糸のように輝く白色の前髪をかき上げる。そのどこか洗練された仕草は、高貴な身分を彷彿とさせた。
「……………………ハァ……」
少女が今日、何度目かのため息を漏らしたとき、御者台の方からダンディな男の声が聞こえた。
「ルートミリアお嬢様、もうすぐ王都です」
「うむ、わかっておる」
ルートミリアと呼ばれた少女は、難しい顔で頭上を見上げた。
しかし、なにかがある訳ではない。ただキャビンの絢爛な天井が見えるだけだ。
「大丈夫……。きっと、大丈夫じゃ」
自分に言い聞かせるように、ルートミリアは呟く。
だが不安は解消されるどころか、より色濃くなるばかりだった。
そんな悶々とした時間をしばらく過ごしていると、猪車がおもむろに減速を始める。やがて完全に停車し、外から先ほどの男の話し声が聞こえた。
「これが通行証でございます」
「…………確認いたしました。どうぞ、お通りください」
鉄扉の開く重低音が響き、猪車が再び動き始める。
王都の中へ進入したのだ。
少女は再び窓の方へ顔を向け、複雑な顔で街の景色を眺めていた。
そのとき、猪車が大通りに差し掛かる。
「…………む?」
ルートミリアの緋色の瞳に、奇妙な少年の姿が映り込んだ。
見慣れぬ黒い服を着た少年は、呆けた顔で辺りを見渡していた。
しかし一瞬のことだったので、それ以上のことはわからない。
「どうかいたしましたか?」
御者台から、また声が聞こえる。
ルートミリアは少し考えたのち、「何でもない」と頭を振った。
「変わった人間がおったからの、目に止まっただけじゃ」
「そうですか」
再び沈黙に席を譲ったキャビンの中で、ルートミリアはいまの大通りの方へ視線を向けていた。どういう訳か、先ほどの少年が頭から離れない。
どうしてそんなにあの人間が気になるのか?
ルートミリアがその理由を知るのは、しばらくあとのことだった。
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「…………ぷはぁ~! あ~~、生き返った」
大通りで面を食らってから、三十分後。
稲豊は街外れで見つけた小川で、乾ききった喉を潤していた。
この場所の通貨を持っていない彼にとって、飲水を確保できたのは非常に大きい。
「塩分がやたら少ないけど、飲める水で助かった」
得体のしれない場所の水だ。
警戒から、稲豊は最初ほんの少しだけ口に含んで確認をしてみた。
そして、『飲み込んでも問題はないだろう』と彼は判断したのだ。
そう確信できる理由が、稲豊にはあった。
「さすが俺の自慢の【神の舌】。異世界でも、さっそく活躍してくれたな」
物心がついたときには、身につけていた特異な能力。
稲豊は自身の舌で触れた物のことを、こと細かく分析することができた。
毒の有無や、鮮度の良し悪し。どんな成分が、どのくらいの割合で構築されているのか。ひと舐めしただけで、すべてを理解できた。
だからこの小川の水が飲水として使えるかどうか知ることも、稲豊にとっては造作もない。
「さて、落ち着いたところで状況を整理しよう」
頭も喉も冷えた稲豊は、土手の雑草のうえに腰を下ろし、いまの自分が置かれた状況について思考を巡らす。とはいえ、すでに稲豊は現状についての『ある仮定』を組み上げてあり、そしてそれは正解だった。
この場所に来てから、闇雲に水を探していたわけではない。
稲豊が欲していた情報は、もう手に入れている。
すなわち、この“世界”の情報についてだ。
「異世界転生…………いや転移? 呼び方なんてどうでもいいけど、どうやらここは地球じゃあないみたい……だな。何で日本語で会話できているのかは、ちょっと分かんねぇけど……」
どこを探しても、電柱や信号機などの文明の利器は存在しない。
移動手段は徒歩か、大きな猪が牽く猪車のみ。
そしてそれを操る御者も乗客も、人ならざる魔物ばかり。
「もしかしたら、あの門番も人間じゃなかったのかもな……」
門番が人であると疑いもしなかった稲豊だが、この街の様子を知ればその自信もなくなってしまう。そう感じるほどに、人間の姿を見掛けることはなかった。
稲豊の心に、孤独という名の魔物が歩み寄ってくる。
『この世界に、はたして人間はいるのだろうか?』
稲豊は思い出す。
創作の世界にもし入れたなら、どうするか?
友人とそんな空想を語った経験を。
異世界への転移、想像はできても体験は不可能。
だからこそ、もし異世界転移ができたら最高に楽しいに違いない。
「そう考えた時期もあったっけ……。現実に起きてみれば、将来への不安と心配しかねぇ。どんなにダメな女神でもいいから、ついてきて欲しかったよ」
稲豊は自らの不運を呪った。
「本当だったらいま頃は学校にいて、部活で大活躍って予定だったのに…………。現実はどうよ? 家も無ければ宿を取る金も無い。そのうえ頼りになる人間どころか、そもそも人間がいねぇ…………」
毒づきながら、稲豊は自身の頬を強くつねった。
しかし痛みが広がるばかりで、いくら待てどもこの悪夢から目覚める気配はない。
「いやいや、辛い状況だからこそポジティブに行こう! ここで足踏みしてても意味はねぇ。男なら前進あるのみ! もしかしたら、親切な宿の主人が泊めてくれるかもしれないしな!」
無理矢理に前向きに考えた稲豊は、どこにあるかも分からない宿を目指して駆け出した。急いで泊まれる場所を見つけなければ、野宿になってしまう。
「こんなモンスターばかりの街で、それだけは嫌だ!」
そんな不安が脳裏をよぎり、稲豊は街を歩き回る。
しかし看板の文字が読めない稲豊にとって、宿探しは至難の業だった。
日が傾くに連れ、焦燥感が強くなっていく。
遂には稲豊は、いつの間にか裏路地のような場所に迷い込んでいた。
「ここはちょっとやばめな雰囲気の場所だな……。こんなところに宿があるはずもねぇし、急いで抜けちまおう」
そんな考えで、駆け足になる稲豊。
しかし次の瞬間、稲豊は走ったことを後悔した。
「ひでぶッ!?」
なぜなら建物の隙間から飛び出してきた物体が、容赦なく稲豊を跳ね飛ばしたからだ。




