134話
人の善性を強く信じるエリカであっても、はい分かりました、とユストゥスの言葉を信じるというのは難しい話だった。
そもそもとしてユストゥス自身が自分の言葉を信じてもらおうとは微塵も思っていないだろう。でなければわざわざここまで怪しげな言い回しはしないはずだ、とエリカは考える。
信じるか、拒絶するか。どちらを選択するにしても良い方向に事が進む根拠はない。
ただ一つだけ、この場で考え得る最善に繋がる可能性は見えている。それは今ここでユストゥスを拘束してしまうことだ。
首謀者であるユストゥスを捕らえれば一先ず事件は止まるだろうし、ハロルドが生きているならこれ以上の危険がその身を襲うこともなくなるはずだ。
本来ならエリカとしては交渉や話し合いで歩み寄れる手段や相互理解を深める方法を模索したいところだ。だが状況が逼迫していることに加え、これ以上ユストゥスを自由にさせてしまえばさらにどれほどの被害が引き起こされるのか想像もつかない。
「……申し訳ありませんが、貴方を信じることは難しいです」
「そうか、それは残念だ」
エリカの返答は想定通りのものだったのだろう。その声色は全く残念がってはおらず、依然として浮かべている笑みはエリカを嘲笑っているようにも見えた。
そんな彼から視線を外さず、なんとか隙を突いて取り押さえることができないかだろうか、とその好機を伺う。恐らくライナーやフィンセントもそう考えているだろう。
三対一、そして三人ともが腕に覚えがあるという圧倒的にエリカ達が有利な状況。
だというのにユストゥスは警戒する素振りさえ見せていない。彼ならば今の状況も、相手が何を考えているのかも分かり切っているはずだ。
だというのにここまで余裕なのは――
「ああ、人を潜ませているということはないよ。そんなことをする必要がないからね」
なんでもないことのようにユストゥスはそう告げる。エリカ達の狙いも、今何を考えているのかも全て筒抜けだ、と言わんばかりに。
そして実際に扉を開いてエリカ達をこの中に招き入れたのはユストゥス本人である。つまりそうしても問題ないという保証が彼にはあるということだ。
「おれ達を相手にしても勝てるって言いたいのかよ!」
「いいや。戦闘であればボクは成す術なく負けるだろうな」
「はあ……?」
あまりにも呆気ないその物言いに、気炎を吐いていたライナーも気勢を削がれる。
戦えば負ける。それでいて護衛も罠も必要としない。ユストゥスの言葉は支離滅裂にしか聞こえなかったのであろう。
そしてそれはエリカとしても同様ではあった。
「だが、ここで“ボク”が捕らわれようと殺されようと、それはボクにとって大した問題ではない」
「……自分の命をそこまで軽視できる理由は貴方の計画とやらに関係するのですか?」
「その様子だとハロルドに何か聞かされたかな?彼には詳細な話をしていないが、やはりボクの計画を知っていると見てよさそうだ」
「ええ、なかなかに興味深い話でしたよ。とはいえ私ではフロイント博士の真意は測れませんが」
「面白いことを言う。大抵の人間は自分の感情や欲求すら正しく認識できていないのだから、他人の真意を理解することなど叶わないよ」
「存外、哲学的な思想をお持ちなのですね」
「好みではないかね?元より科学の根底には哲学が息づいているものさ。まあ……」
不意にユストゥスの顔から笑みが消える。
「時間を引き延ばすための無駄話としてはちょうどいい内容だっただろう?」
光の柱を挟むように立った、高さ一メートルほどの二本の四角柱。その内の片方にユストゥスがそれに触れた瞬間、エリカ達の足元に大きな魔法陣が出現する。
「これは……⁉」
魔法陣が輝きを増す。危険だと頭で判断するよりも早く反射的に体が動き出し魔法陣の範囲外に飛びすさろうとするが、あと一歩間に合わない。
エリカの視界が一瞬で白く塗り潰される。不思議と眩しさは感じないが、目を開けていても視界がないというのは戦闘において致命的である。
これは魔法か、それとも罠の類いか。そのどちらにせよこの規模であれば致命傷になりかねない。そう思い、衝撃に備えて身構える。
「……?」
しかし数秒が経過しても何も起こらず、徐々に光が収まっていく。
特に何事もなく視界を取り戻すと、先ほどまでとは全く異なる場所に立っていることに気付いた。石造りが基本だった遺跡内とは違い壁や地面に境目は見られない。
白を基調とした空間はクラストオーブと戦った場所を思い起こさせるが、こちらは輝くというよりも柔らかさのある色味をしている。エリカ自身に建築様式の造詣があるわけではないが、それでもこの場所が自分の知り得ない異質な空間であるように感じられた。
「あ、あれ?どこだよここ⁉」
「移動……というより転移か?そんな魔法は聞いたこともないが……」
幸いなことにライナーとフィンセントも無事なようだった。三人揃って不可思議な現象に困惑するが、そうしてばかりもいられない。
「二人とも、体に怪我や異常はありませんか?」
「え?いや、なんともないけど……」
「私も大丈夫だ」
「怪我や異常もないとなると、本当にただどこかへ転移させられたということでしょうか?」
「状況的にはその可能性が高いだろうな」
「だとしたら、ここはどこなんだ?」
周囲を見渡してみても人の姿はなく、誰かがいたという痕跡すら感じられないほど無機質な空間。それはどこかユストゥスの雰囲気に通じるものがあった。
唯一目につくものといえば先ほどユストゥスが触っていたのと同じようなもの四角柱がポツンと立っているだけだ。これに触れば元の場所に戻れるかもしれないと思いユストゥスがしていたように触れてみる。
「何も起きませんね……」
「まあフロイント博士が仕組んだことならそう簡単に戻れるようにはなっていないのだろうな」
嫌な信頼感ではあるが非常に納得できる言葉だった。
そしてそうである以上、この場所がどこなのか探る手立てはここになさそうである。まずはこの部屋から出て、早急に自分達の位置を把握した方がいいだろう。そう提案しようとしたその時だった。
部屋全体が微かに揺れ始める。その揺れはどんどんと大きくなり、すぐに立っていることも難しくなるほどに激しくなっていった。
「うお、なんだ⁉地震か⁉」
「いえ、これは地震の揺れ方では……!」
立っていることもままならず片膝をつく。
激しく不規則な揺れ。そして何かが崩れているかのような轟音。まるで天変地異でも起きているのではと錯覚してしまうほどだ。
身を屈めて耐え、それらが収まってようやく身動きが取れるようになったのは数分後のことだった。
「……止んだか。しかし今の揺れはいったい……?」
「一先ずここを出ましょう。外に出れば何が起きたのか分かるかもしれません」
幸いにもこの部屋には扉が存在せず、出入り口の向こうには廊下らしきものも見えている。それを辿っていけばこの施設の外に出ることは可能だろう。
そう思い部屋から出るとそこはやはり廊下のようであった。しかしその廊下は驚くほど長く、その先は目視できない。相当大きな建造物なのだということは分かる。
「お、あそこに窓がある!あれなら外の様子が分かるんじゃないか?」
ライナーが指を差した先には直径一メートルほどの丸窓が設置されていた。
我先にとその窓に駆け寄ったライナーは、窓の外を見て驚きの声を上げる。
「う、嘘だろ⁉なんだよこれ!」
エリカとフィンセントも何事かと窓の外を覗き見る。そしてライナーが叫んだ理由も理解できた。
「空を……飛んでいる……?」
窓の外の景色は空船に乗っている時のように一面の青空だった。眼下には厚い雲があり、少なくともそれだけの高度にいることは確かだ。
そして今自分がいるのがなんらかの乗り物の内部であった場合、その大きさは空船の比などではないだろう。それほどの大きさの物が飛んでいるという、俄かには信じられないような事態。
何よりもこれではここからの脱出すら難しくなってしまう。せめて現在地の把握だけでもできないかと思い改めて外の景色に注視すると、ちょうどそのタイミングで足元の雲が晴れ陸地の姿が現れる。
そしてその光景を見て、今度こそエリカは愕然とした。
「そんな……」
エリカが目にしたのは無残にも崩れ去った山々と、めくり上がって砂埃を噴き上げる大地。
バーストンの崩落跡など比べ物にすらならない、巨大な大穴がそこには刻まれていたのだった。
◇
無機質な空間の中でくり広げられる剣戟。それは終始ハロルドが有利に進めていた。
洗脳されているらしい騎士団員一人ひとりの動きは洗練されているもののハロルドを追い詰めるようなレベルには達していない。その上で連携に至ってはお粗末なもので、はっきり言って各自がただバラバラに攻撃を仕掛けてきているだけだった。
そして何より大きいのはコーディーが未だにユストゥスの傍に控えていることだ。今の状態でも普段の実力を発揮できるのであればハロルドとしても苦戦を強いられるだろう。
(ユストゥスだってそれは分かってるはず……何が狙いなんだ?)
殺す気はないと言いつつこちらの不意を突いて攻撃してくる可能性も考慮して、複数人の騎士団員と戦闘をこなしながらもユストゥスとコーディーへの警戒は一切緩めない。
襲いくる剣を弾き飛ばし、その腹部に剣の柄を強く叩きつける。ハロルドが行っているのは、洞窟内でのフィンセントやハリソン邸の屋上でウェントス達の洗脳を解除するために行ったのと同様の行為だ。
原理は未だに不明だが、ユストゥスの作ったこの剣に魔力を流し込み能力を発動させた状態で、それを対象者に接触させればどういうわけか洗脳を解除するメカニズムが発生するらしい。
もちろん剣の能力を使うということは自身の命を削ることに直結する。だからこそ使用は最小限に留めねばならず、力の差がある団員達を相手にしても普段より丁寧に戦う必要があるため戦闘が長引いていた。
だがそれでも残りはコーディーを含めなければ三人。人数が減れば減るだけ戦いやすくなってきている。
(けど、さすがに体が重いな……)
二~三日意識を失っていたとしたら、当然その間に食事は摂っていない。
ましてや拘束される前、バーストンで大量のモンスターを相手にしていたこともあって、いかにハロルドといえど疲労困憊の色は隠せなかった。残りの騎士団ならどうとでもなるが、コーディーにも対処しなければいけないとなるとかなり厳しいだろう。
となればこの場を切り抜けるためには剣の能力に頼らざるを得なくなるかもしれない。
(やっぱりこの剣の力を使わせるのが目的なのか?)
わざわざこの剣で戦わせるように仕向けてきたのだからそう考えるのが妥当だ。ただ、ユストゥスは利用価値がある内はハロルドを殺す気はないと言っていた。
ならば剣の能力を使わせることには矛盾が生じる。
ユストゥスの言葉に矛盾がないと仮定するなら“剣の能力を使っても文字通りの意味では死なない”のかもしれない。そしてすでにハロルドの中にはそれに関する仮説が立っていた。
この剣が吸収しているのは使用者の魔力ではなく、アストラル体なのだとしたら。
そう考えればこの剣を使っても死ぬことはない。だが、アストラル体を失うということは自我、自意識を失うことに等しい。そうなれば命は有っても生きているとは言えないだろう。
もしこの仮説が正しいのだとすればやはりおいそれと使うことは躊躇われる。しかしその一方で、アストラル体が吸収されているのだとしても今のところは意識面に異常は感じられない。
自分が何者であるか、何をしようとしているのかははっきりと分かっている。ならばこの仮説は見当はずれなのか、と考えれば考えるほど思考はどつぼに嵌っていく。
「っ!なんだ!?」
そんな思考を遮るように部屋全体が激しく揺れ始めた。尋常ではない揺れ方に、ハロルドはすぐさま原因に思い当たる。
(まさか空中要塞が浮上し始めたのか?このタイミングで……!)
原作において空中要塞が浮上するのはゲームのほぼほぼ最終盤近くである。だが、エルから定期的に届いていた旅の進行状況からすればライナー達はまだトラヴィス近辺にいるはずで、それは時系列的にようやく終盤に入った辺りだ。
さすがに自分が一週間以上も意識不明だったとは考えにくく、となれば明確にイベントが早まったことになる。しかも致命的なことに主人公パーティーが不在の形で、である。
チッ、と思わず大きな舌打ちが漏れる。原作乖離は常に恐れていた展開だが、これはその中でも最悪の部類だ。
どうするか、と思案したいところだがまずは目の前のことを片付けなければならない。
突然の大きな揺れは当然ながら対峙していた騎士団員達にも影響を及ぼしていた。ただでさえまともな連携を取れていなかったところにこれほどの揺れが加われば、それはこれ以上ないほど大きな隙になる。
激しい揺れを意に介することもなく、ハロルドはたった一歩の踏み込みで相手との間合いを潰す。不安定な足元でハロルドのスピードに対処する力量は彼らにはなかった。
短い間隔で打撃音が三度響く。それはハロルドが剣の柄で騎士団員を殴打した音だった。
一瞬の間を置いて三人が揃って崩れ落ちる。これでコーディー以外の騎士団員の洗脳は解けたはずである。そして肝心のコーディーの姿はユストゥスと共にすでにこの場から消えていた。
視界の端では捉えていたが、ハロルドが揺れに気付いたのとほぼ同時にコーディーがユストゥスを小脇に抱えてどこかに向かっていったのだ。傍から見ると滑稽な姿ではあったものの、幼いサラの肉体やユストゥス本人の身体能力などたかが知れていると考えればあの形が効率的ではあるのだろう。
衝動的に追いかけたいところではあったが、その気持ちをグッと堪えて冷静に考える。ここが本当に空中要塞で、それが浮上したとなればハロルドとしても優先順位を変えなければいけない。最悪の場合、原作とは異なりバッドエンドを迎えてしまう公算がかなり大きくなるだろう。
「まったく、手こずらせてくれる……」




