第7話
書きたいのに、何も思いつかない。
一行書いて、斜線で消す。もう一行書いて、また消す。三日たっても、四ページ目は消した線で埋まっているだけだった。
その日の夕方、スマホが鳴った。
出ると、聞き覚えのある、妙に明るい男の声がした。
「お世話になっております、駅前不動産の田中です。お祖父様のお家の件なんですが」
佐伯は、少し姿勢を正した。脇腹に響いた。
「空き家のままですと、草木の管理ですとか、ご近所からのご相談ですとか、いろいろ出てまいりますので。そろそろ、売却か解体か、お考えはまとまりましたでしょうか」
「……すみません。まだです」
「承知しました。また改めてご連絡いたしますね」
じいちゃんの家のことは、半年間、なるべく考えないようにしてきた。片付けのときも、業者に言われるまま家具を運び出しただけだった。
ふと、縁側のことを思い出した。
あの縁側で、よく将棋を指したな。じいちゃんは負けそうになると、「透、麦茶持ってきてくれ」と言った。台所から戻ってくると、なぜか盤の上の駒が一つ動いていた。指摘すると、「最初からそこだった」と言い張った。
佐伯は、ノートの余白にそれを書いた。
書いてから、なんでこんなことを書いたんだろうと思ったけれど、不思議とすらすら手が進んだ。
二十歳の夏、二人でこっそり酒を仕込んだこと。押し入れで寝かせておいたら、夜中に瓶が破裂して、二人でぞうきんを持って走り回ったこと。
晩年、じいちゃんは同じ話を何度も繰り返すようになったこと。さっき聞いたばかりのことを、また聞いてくる。電話をかけてきたことを忘れて、五分後にまたかけてくる。それでも、将棋を指すと、ずるだけは昔と同じだったこと。
気が付くと、左手のがたがたの字で、一ページが埋まっていた。
小説の続きは、一行も進んでいなかったけど。
自分の思い出なら、すらすら書けるんだな。
佐伯は、埋まったページを見下ろして、少しだけ笑った。
「……一回、見に行くか」
︙
︙
次の朝、佐伯はじいちゃんの家に向かった。
バスで三十分。杖をついて乗り降りするだけで、ひと仕事である。停留所から家までの坂道を、休み休み上った。
門を開けると、不動産屋の言うとおり、庭は草だらけになっていた。
玄関の鍵を回してドアを開けると、家の中は、ほこりと、少しかびの匂いがした。家具はほとんど運び出してあって、畳の上に日焼けの跡だけが四角く残っている。
縁側に出ると、板が少しきしんだ。
ここに、いつも将棋盤があった。
そういえば、あの盤はどうしたんだろう。片付けのときに見た覚えがなかった。業者が持っていったのか、どこかにしまってあるのか。
佐伯は、家の中を探し始めた。
押し入れの中。茶の間の戸棚。仏壇の引き出し。
出てくるのは、使いかけのマッチと、新聞の束と、古いCDばかり。
ばあちゃんとの交際時代の文通も出てきた。
けれど将棋盤は、どこにも見つからない。
「あっ、いた!」
いきなり大きな声がして、佐伯は肩をびくりとさせた。




