第6話
退院して三日目で、やることがなくなった。
テレビは昼のワイドショーばかりで、スマホのゲームは二日で飽きた。
外に出るのは、一日一回、近所のコンビニへの買い出しだけだった。杖をついてアパートの階段を下り、いつもなら三分の道を十五分かけて歩く。弁当とお茶を買って、また十五分かけて戻る。それで一日の大仕事が終わってしまう。
佐伯は部屋を見回した。
書棚が目に入った。入居したときに買った安いカラーボックスで、本が縦にも横にも突っ込まれ、上には郵便物とレシートが積もっている。五年間、一度も整理したことがなかった。
「……やるか」
杖を壁に立てかけ、カラーボックスの前に足を投げ出して腰を下ろした。
左手で、一冊ずつ引き抜いていく。
一段目は、読み終わった漫画と、買っただけで開いていないビジネス書。
二段目の奥からは、『行政書士 合格への道』が出てきた。就職して二年目に買ったものだ。付箋が貼ってあるのは、最初の三十ページまでだった。
一番下の段には、祖母の家を片付けたときに引き取ってきた本が、段ボールから出したまま突っ込んであった。
『宇宙飛行士になるには』。小学二年生のとき、本気で宇宙に行くつもりだった。
『恐竜大図鑑』。表紙が取れかけている。ティラノサウルスのページにだけ、鉛筆で「ぼくがはっくつする」と書いてあった。
佐伯は図鑑を膝に置いて、少し笑った。
宇宙飛行士も、恐竜の発掘も、いつからか口にしなくなった。あきらめた覚えはない。ただ、気が付いたら夢ではなくなっていた。
代わりに目指すようになったのは、公務員試験と、行政書士の資格だった。安定しているから。手当がつくかもしれないから。どれもまっとうで、どれも夢と呼ぶほどのものではなかった。
図鑑を戻そうとして、手が滑った。一番下の段の本がまとめて傾き、雪崩のように膝の上へ崩れてきた。
「あ」
散らばった本に手を伸ばすと、脇腹に響いた。佐伯は座ったまま、左手で一冊ずつ引き寄せた。
その中に、一冊だけ本ではないものが混じっていた。
大学ノートだった。表紙は色あせて、角が丸くなっている。
「……なんだこれ」
表紙には何も書いていない。首をかしげながら開くと、見覚えのある字がびっしり並んでいた。
自分の字だった。
一行目を読んで、思い出した。
「……あー」
そうだった。大学二年の夏、小説を書こうとしたことがあった。最初の数日だけ夢中で書いて、それから、バイトが忙しくなって、試験があって、気が付いたら開かなくなっていた。就職して家を出るときも、ノートのことはすっかり忘れていた。
ページをめくると、三ページ目の途中で、文章はぷつりと止まっていた。その先は、最後のページまで真っ白だった。
佐伯は、1ページ目から読み返した。
びっくりするほど下手で恥ずかしくなった。
それなのに、読み進めるうちに、頭の奥から次々に思い出してきた。
読みながら、佐伯は小さくつぶやいていた。
「……で、ここであいつが出てきて。こっちは夜の場面で。最後は――」
そこで、言葉が続かなかった。
最後は、どうするつもりだったんだっけ。
佐伯は、しばらく口を半開きにしたまま、ノートを見つめていた。
時間だけは、一か月半ある。
「……暇だしな」
佐伯は書棚の上のペン立てから、ボールペンを一本抜き取った。




