第3話
女神が病室に現れたのは、入院して五日目の夜だった。
消灯時間を過ぎて、廊下の明かりだけがドアの隙間から差し込んでいた。佐伯がうとうとしかけたとき、ベッド脇のパイプ椅子に誰かが座っている気配がした。
目を開けると、あのときの女神が、ファイルを抱えてこちらを見ていた。
「こんばんは、佐伯透さん。先日はどうも」
「……は?」
佐伯は、二、三度まばたきをした。
見間違いではなかった。夢でもなさそうだった。脇腹がちゃんと痛かった。
「……なんでいるんですか」
「理由の欄です」
女神は、ファイルから一枚の紙を取り出し、佐伯の目の前に突き出した。
転生辞退者報告書、と書いてある。女神の細い指が、その一か所をとんとんと叩いた。
理由の欄だけが、空白だった。その上に、赤いペンで大きく「再提出」と書かれていた。
「空欄のまま出したら、上司に突き返されました。『辞退の理由も聞けないのか』と」
「……女神にも、上司っているんですね」
「え? ええ、まあ。課長が」
「課長」
「その上に部長も」
「部長」
佐伯は、赤ペンの「再提出」をしげしげと眺めた。市役所でも、毎週のように見る字の形だった。
「……大変ですね、女神も」
「そういう話ではなくてですね」
女神は咳払いをして、報告書を引っ込めた。
「ですので、理由をお聞かせいただくまで、こちらに通わせていただきます」
「……しつこいなあ」
佐伯は枕に頭を沈めて、深いため息をついた。
「存じております」
女神がにこりと笑ったとき、ドアが静かに開いた。
懐中電灯の明かりが、床をすべってくる。夜勤の看護師の見回りだった。
佐伯は思わず身を固くした。パイプ椅子には、女神が堂々と座っている。どう説明すればいいのか、まったくわからなかった。
看護師は女神の目の前を通り過ぎ、点滴の残りを確かめ、佐伯の顔をのぞき込んだ。
「佐伯さん、眠れませんか?」
「……いえ。大丈夫です」
「何かあったら、ナースコールしてくださいね」
看護師はそれだけ言って、出ていった。パイプ椅子のほうは、一度も見なかった。
ドアが閉まると、女神が言った。
「私の姿は、佐伯さんにしか見えておりませんので」
「先に言ってください」
「申し訳ございません」
女神は、ちっとも申し訳なさそうではない顔で言った。
「寝ます」
佐伯は布団を頭までかぶった。
布団越しに、ペンを走らせるカリカリという音が聞こえてきた。
女神が、ぶつぶつと何か言いながら書き込んでいる。
「……対象者、就寝のため……聴取中断……明晩、再訪予定……と」
明日も来るらしかった。




