遭遇
南区に向けて歩いていると、前から馬車がやって来る。
この西区を走る馬車をローザは初めて見た。それだけでも警戒を強める事態だけれど、その馬車が北区で見掛ける馬車よりも高級そうに見える事はただ事ではない。領主が派遣する代官が使う馬車よりも高級な馬車なら、乗っているのが誰であっても近寄らないに限る。
本来なら気配を消して遣り過す状況ではあったのだけれど、馬車が西区を走るのに驚いて、その馬車が高級そうな事に更に驚いていたローザは、気配を消すタイミングを失っていた。今から気配を消したら、馬車に乗る誰かに余計な疑いを持たれる。
そう考えてローザは、馬車の進路を邪魔しない様に道から少し外れた位置に移動して、馬車が通り過ぎるのを大人しく待つ事にした。
馬車はローザの脇を無事に通り過ぎたのだけれど、その少し先で止まる。
ローザは危険を感じ、馬車が止まった事に気付かない振りをする事に決めて南区に向けて歩き出した。
ただし背後の気配は窺う。もしかしたら馬車に乗っているのは、家を攻撃した何者かの関係者かも知れない。
馬車のドアが開く音がする。
「ローザ?」
女性の声で名前が呼ばれ、ローザは思わず足を止めてしまった。
確かに自分の名前だけれど、聞き覚えのない声だし、女性からこの様な語調で呼び掛けられる覚えはない。
自分はローザではないのだとして、知らない振りで通す選択が一番良いとローザは思った。しかし既に足を止めてしまっている。ここからまた歩き出すのは不自然だ。
ローザは仕方なく振り向く事にする。まだローザではない振りが出来なくなった訳ではない。
ローザが振り向くと、馬車の横には見知った様な女性が立っていた。
髪の色は違うけれど、ローザにはその女性が自分の様に見える。
「ローザなのね?」
女性はスカートを摘んで裾を持ち上げ、小走りする様にローザに近付く。ただしその足は遅い。
ローザは女性が近付いて来る間、自分はどうするべきか悩んだ。
これならローザが走れば簡単に逃げられる。馬車を転回させて追って来るにしても、魔法で補助すればローザの方が先に南区に辿り着くだろう。そうすれば路地を進めば馬車は簡単に撒ける。
しかし女性は途中でローザに近付くのを諦めた。
「ローザ。馬車に乗って」
そう言うと女性は振り返り、馬車に向かって歩き出す。そしてローザを振り向いた。
「早く」
そう言うと女性はまた馬車を向き、歩き始める。
取り敢えず、ローザは女性の後に続いた。
女性が馬車の脇に着いて振り向くと、ローザは直ぐ側まで来ている。
女性はそのまま馬車に乗り込んだ。馬車のドアからローザは中を覗く。
「早く乗りなさい」
女性のその命令口調も気になるけれど、それよりもローザはローザが言う事をきくと女性が思っている様な態度の方が気になった。
「急いで」
普段命令する事に慣れている様だ。馬車には紋章が付いていないけれど、それなりの権力を持っているだろう事も分かる。
ローザにはふと、ダメルの顔が浮かんだ。
馬車は南区の方から来た。もしかしたら。
「ダメルの知り合いの方ですか?」
「知り合い?ええ、そうよ」
「ダメルに何かあったのですか?」
「それは後で説明するわ。今は早くこの街を離れるわよ」
「ダメルは無事なのですか?」
「問題ないから早く乗りなさい。少しでも遅れれば大変な事になるし、細かい説明は移動しながらするわ」
ローザは馬車のドアを確認する。頑丈そうだけれど壊せなくはなさそうだ。
馬車の中に一歩踏み入れるが、ローザが腰に差している剣もナイフも咎められない。
ローザは馬車の中に入ってドアを閉めた。二人きりの馬車の中で、危険な立場にいるのはローザではなく女性の方だ。
直ぐに馬車が動き出し、ローザは座席に座ろうとした。
「こちらに座りなさい」
女性は向かいではなく、自分の隣に座る様にローザに命じる。
ローザが座席の端に腰を下ろすと、女性は座り直してローザとの距離を縮めた。そして女性はローザの片手を掬い上げる。ローザはもう一方の手でナイフを掴める様に用意しながらも、女性に手を握られるままにした。
「本当に、髪と瞳の色は御主人様にそっくりだけれど、それ以外は私にそっくりね」
女性はうっとりとも言える表情でローザを見る。
確かに近くで見ると、髪だけではなくて瞳の色もローザとは違っていた。
御主人様が誰なのかも気になるけれど、先ずは女性の正体をローザは確認する事にする。
「御認識の通り、わたくしはローザで御座いますが、あなたはどなたでしょうか?」
「まあ?ダメルったらローザに鏡を買う甲斐性もないの?」
ダメルが馬鹿にされてローザはむっとするけれど、顔に出したら危ないかも知れないと考えて表情は変えない。それに危ないとしたら自分より、ダメルの方な気がローザにはしていた。
「鏡でしたら家に御座います」
「それならローザが私にそっくりな事は分かるでしょう?」
それは分かるが、ローザは女性が誰かを尋ねているのだ。
「あなたはかなりわたくしに似ていると思います」
ローザはローザが女性に似ているとではなく、敢えて女性がローザに似ていると言い換えた。
「まだ分からないの?」
「何がでしょうか?」
「私の正体よ」
「あなたはどなたなのでしょう?」
「まあ、やだ。これほど私に似ているのに、こんなに察しが悪いなんて」
馬鹿にされる事には慣れているローザは、このままとぼけようかと思い始める。
「よほどダメルの教育が悪かったのね」
これにはローザはカチンと来た。
「ダメルは精一杯の教育と愛情をわたくしに注いでくれました。わたくしには父親しかおりませんので、普通の子より劣るところがあるといたしましたら、それはダメルの所為では御座いません」
「そう・・・まあ、ダメルとしては良くやった方ね。褒めて上げても良いわ」
全然褒めては聞こえない女性の言葉に、ローザの感情は凪ぐ。
この人がたとえ誰でも、自分はダメルに育てられて良かったとローザは思った。
「ところでわたくしをどこに連れて行くのですか?」
「えっ?ちょっと待って」
ローザが話題を変えた事に、女性は焦る。自分が誰なのかローザが理解しないまま、自己紹介の機会を逃したからだ。
「馬車は北区に向かっている様ですね」
「え?ええ。街道に出るのだけれど」
「何をする為にですか?」
「何をって、ローザを御主人様のところに連れて行く為だけれど」
「わたくしは冒険者登録をしておりませんから、依頼を受けたりは出来ません」
「え?依頼?」
「はい。わたくしもダメルを手伝う事は御座いますが、御依頼でしたらわたくしではなく、ダメルに伝えて下さい」
「依頼じゃないわよ」
「どちらにしましても、詳細はダメルから聞きます。どの様な話であっても先ずはダメルを通して下さい」
「ダメルには伝えてあるわ」
「・・・え?」
「ダメルにはローザを引き取る事を伝えてあります」
「ダメルは?ダメルはなんと?」
「ダメルがなんと言おうと関係ないわ。ダメルには何の権利もないのだから」
「権利?何の権利ですか?」
「あなたに関する権利よ、ローザ」
「私に関する?」
「そう。御主人様と私の娘であるあなたに対して、他人のダメルには何の権利もない。それはこの国の法律でも同じでしょう?」
確かに自分と女性とは良く似ている。ローザも女性が自分の実の母親なのだろうとは思っていた。
しかし自分の父親はダメルだと思っている。
ローザに取って、目の前の女性がずっと会えなかった自分の母親である事よりも、ずっと自分を育ててくれていたダメルが自分の父親ではないとの話の方が、衝撃だったし受け入れる事が出来なかった。
35




