新しい名前
ローザの母親を自称する女性は馬車を追加で一台手配させ、ローザをそちらの馬車に乗せた。
ローザがまた馬車に酔ったら嫌だと思っただけではなく、暗い顔をして話し掛けてもろくに反応をしないローザと同じ空間にいるのが堪えられなかったからでもある。
宿での食事も別々に取った。もちろん宿の部屋も別々である。
ローザは街に戻る事もダメルに会う事も諦めた。
ローザはお姫様ごっこの中で、近隣諸国の事もダメルから習っている。そして今向かっているピオニー王国の事も知っていた。
ピオニー王国は国王の力がとても強く、それを支える上位貴族もかなりの権力を持っている。
女性が御主人様と呼んでいるバラローズ侯爵も有力貴族の一人だ。合法に見せ掛けて、簡単にダメルの命を消す事が出来るだろう。
ローザはダメルが、街の代官や領兵を避けていた事を思い出していた。
実力のある冒険者達だって権力者を警戒するのだ。底辺冒険者のダメルなら、逃げる事さえ出来ずに捕らえられてしまうだろう。
ダメルの為を思うなら、ダメルに接触したり様子を調べたりしてはならないし、女性の言う通り、名前が出る事も危険なのかも知れない。
そう思うとローザの胸は痛む。
しかし馬車の中に一人きりでも、ローザはダメルの名を口にしなかった。
馬車に一人きりになった事で、ローザは女性の魔力に当てられる事がなくなった。
それなので防御魔法を弱めて、周囲の状況を確認しようとしたけれど、そこでふとローザは気付く。
女性は男爵家の出身だと言っていた。
ピオニー王国に限らないけれど、貴族と言うのは上位ほど魔力が強い筈だ。
つまり侯爵だと言う御主人様は、女性の何倍もの魔力を持っている可能性が高い。
そう思い至ってローザは、馬車に黙って乗っている以外に何もする事がない移動中に、防御魔法の強化を試みる事にした。
防御魔法を強化するのは、息を止めるのに似ている。吸った息を吐かずに我慢する感覚だ。魔力はローザの体内で常に作り出されているから、それを体の表面に押し止める事が出来れば良い。理屈は簡単だ。
草原で魔獣を狩る時には気配を隠す為に、魔力を漏らさない様にする必要がある。草原ではダンジョンとは違い、人を襲う為に魔獣の方から近付いて来る事がまずないから、狩りをする為には気配を消して魔獣に近付かなければならない。
ローザの防御魔法も気配を隠す面ではとても使える。しかしダメルと比較するとどうしても、ローザは自分の魔力の漏れが気になっていた。どうしてもダメルの様に、ローザには検知できない程度の魔力漏れに抑える事が出来ない。
それなのでローザはダメルの真似をして常時、寝ている間でさえも、防御魔法を使い続けられる様にはなっていた。
気配を消す為の魔力漏れに付いては納得出来ていないけれど、防御魔法としてはそれなりに出来ているとローザは思っていた。
しかし女性より強い魔力に耐えられるのかに付いては分からない。だが耐えられなかったからと、御主人様の前で戻す訳にはいかない。
ローザは自分の魔力を漏らさない為ではなく、人の魔力を通さない事に目的を置いて、防御魔法の訓練に取り組んだ。
それはダメルの事から意識を逸らせる役にも立っていた。
女性との会話がほとんどなかったので気付かなかったが、ローザはいつの間にかピオニー王国に入っていた。
言葉も風習もそれ程違わない為、ピオニー王国を初めて訪れたローザもコミュニケーションに困る事はまずない。
そして気付いたらピオニー王国の王都で、王城の中に入り、その一角にある広い敷地の中に馬車は進んでいた。
敷地の中にひっそりと建つ邸の前で馬車が止まる。
馬車のドアが外から開かれ、ローザは馬車から一歩降りた。
邸のドアも開かれていて、その前で女性がローザを振り返っている。
「御主人様に連絡を取るから、ローザはそれまで休んでいなさい」
そう言うと女性は邸の中に入って行った。
「御案内します」
ローザに近寄って来た使用人が、頭を下げながら手で邸のドアを指し示す。
ローザは小さく肯いて、その使用人の後に付いて邸の中に足を踏み入れた。
風呂に入れられ着替えもされて、宛がわれた部屋で夕食を一人で食べて、夜着に着替えさせられてその夜はそのまま就寝となる。
次の日は起きて顔を洗われて、着替えさせられて髪を整えられて薄く化粧もされて、部屋で朝食を一人で食べて、着替えさせられて、昼食を一人で食べて、着替えさせられて、夕食を一人で食べて、風呂に入れられて夜着に着替えさせられて、そして就寝となった。
次の日以降も同じで、着替えるのと食べるのと風呂に入る以外は、ローザは防御魔法の訓練をしていた。
そしてローザが何をしにここに来たのかを気にしなくなった頃に、御主人様からの喚び出しがあった。
使用人に連れられて邸の中を進むと、廊下にローザの母親を自称する女性が立っていた。
女性の魔力で自分の防御魔法が揺れるのが分かるけれど、それより多い魔力が女性の傍のドアから漏れ出ていた。防御魔法はそちらの魔力も通さないけれど、揺らされるのでやはり酔ってしまう予感がローザはしていた。
女性とは久し振りだけれど、何と言葉を掛けたら良いのか分からなかったローザは、取り敢えず近くまで行って立ち止まり、会釈だけをする。
「今から御主人様にお目に掛かりますけれど、くれぐれも失礼のない様に」
何が失礼に当たるのか分からないけれど、ここでその様な事を言っても始まらない。
ローザをここに連れて来るのにも、この数日ローザがこの邸に滞在するのにも、それなりの経費が掛かっているだろうし、それを直ぐに無駄にするとは思えない。ドアから漏れ出ている魔力からも殺意はなさそうに思えるし、いきなり殺されたりはしないだろう。
そう考えてローザは肯く。
「はい」
「よろしい。では参りましょう」
女性がそう言うと、傍に付いていた使用人がドアをノックする。ドアが開けられて、女性に続いてローザも中に入った。
部屋の中では男性が一人立っている。
「お待たせ致しました、御主人様」
そう言って頭を下げる女性の礼の取り方が、ダメルに教わった通りである事を確認して、その隣でローザも男性に対して礼を取った。
「お前がローザか。顔を上げろ」
「はい」
顔を上げたローザに男性が近付く。
「ほう。確かに私と同じ髪と瞳の色だな」
男性はローザの目を覗き込みながらそう言った。
「それに容姿も確かに似ている。少し幼さが残る様だが、まあ仕方ない。充分だろう」
「ありがとうございます」
女性が言ったのが何に対するお礼なのか、ローザには分からない。けれど男性が満足そうなので、ローザも会釈をしておいた。
「教育係を手配しておく」
「ありがとうございます」
これは分かったので、ローザも頭を下げる。
「ありがとうございます」
「お前は今日からロザリーゼだ」
「ありがとうございます」
女性が少し高い声でお礼を言う。取り敢えずローザもまた頭を下げた。
「ありがとうございます」
「ロザリーゼ・ロッソ・バラローズを名乗れ」
「え?」
ローザはまた頭を下げようとしたけれど、女性は震える声の一音に続け、お礼ではなく疑問を口にする。
「よろしいのですか?」
「ああ。この髪と瞳だ。ロッソを名乗れ」
「ありがとうございます!」
女性が先程より高い声でお礼言って、勢い良く頭を下げた。一拍遅れたのに同じ勢いもおかしいかと思って、ローザはこれまでと同じ様に頭を下げる。
「ありがとうございます」
声もこれまでと揃えたけれど、女性の後だと低くなってしまった様にローザは自分で感じた。
男性はふっと笑いを漏らす。
「平民に育てられた割には落ち着いているな。良い態度だ」
そう言うと男性はローザの肩に手を置いた。その手を防御魔法で弾いてしまわない様に、ローザは細かくコントロールをする。
「教育のレベルが達したら喚ぶから、確りと学ぶ様に」
「はい」
ローザが頭を下げながら返事をすると男性は一つ肯いて、部屋のドアに向けて歩いた。
ローザは女性と並んで頭を下げてその後ろ姿を送る。
男性が退室してドアが閉まると、女性は上体を勢い良く起こし、ローザの両肩を掴んでローザの上半身を起こさせた。
「良かったじゃない!ロッソよ!ロッソ!ロッソを名乗って良いなんて!」
その声が廊下に漏れないか気になったし、女性のテンションの高さに付いて行けなかったし、女性がこれ程喜ぶ姿も見た事がなかったので、ローザの気持ちは退いていた。
しかしどうもロッソと言うのは髪と目の色の事を言う様だとはローザも気付いている。確かに男性はローザと髪と瞳の色が同じに見えた。
そして女性の様子から、一つの推測を思い付く。
「跡取り様もロッソを名乗っているのですか?」
「もちろんよ!だって跡取りなのですもの」
「跡取りだからなのですか?わたくしと同じ髪や瞳の色ではなく?」
「もちろん跡取り様も御主人様と同じに決まっているでしょう?だってロッソなのよ?だから跡取りなのだし」
「そうですか」
ローザは女性に微笑むと、退室のチャンスを窺った。
「二人ともロッソなんて凄いわ!」
そう言うと女性はふらふらと窓に向かう。
「では、わたくしは失礼致します」
女性に聞こえるか聞こえないかの声でローザはそう言うと、素早く部屋から出た。
廊下に出てドアが閉まる直前に、女性が正妻に言及する言葉が聞こえたので、やはり正妻が産んだ娘達はロッソを名乗っていないのだな、とローザは思う。
その日の夕食を女性から誘われたけれど、男性と会って緊張した事を持ち出して、食欲がない事を理由に、ローザは女性の誘いを断った。
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