戻れない理由
32
「私は貴族の生活に興味はありませんし、死の危険がある場所で暮らす気もありません」
ローザのその言葉に、母親を自称する女性は険しい顔をする。
「何を言っているの?ローザ」
「馬車を止めて下さい。街に帰ります」
「馬鹿な事を言うのではないわ。それは無理よ」
「無理ではありません。これくらいの距離でしたら、私は歩いて帰れます」
周辺の調査をしながらではないなら、走って帰れば直ぐだ。
「帰ってどうするの?」
「どうするって、今まで通りダメルと暮らします」
「駄目に決まっているでしょう?年頃の侯爵令嬢が平民の男と暮らすなんて」
「駄目も何も、今朝までダメルと一緒に暮らしていたのですから」
「それはダメルが父親だと思っていたからでしょう?赤の他人の男と暮らすなんて許す筈がないじゃない」
「その赤の他人と今朝まで暮らしていたのですから、何の問題もないではないですか」
「馬鹿な事を言うのではないわよ。いい?あなたとダメルは血が繋がっていないの。そんな男女が一緒に暮らすなんて、平民だって結婚しない限りあり得ないわ。ダメルはそんな事もローザに教えていないの?」
「私とダメルが本当に血が繋がっていないとしても、たとえ親子ではないとしても、私達は家族です。ダメルはこれまで私を育ててくれたのです。一緒に暮らして駄目な事がある筈はありません」
女性は深く息を吐いた。
「分かっていないわね。由緒あるバラローズ侯爵があなたを娘だと認めたのよ?そのあなたが帰って来ないとなったら、ダメルは貴族令嬢の誘拐犯として処刑されるわ」
「え?!何故ですか?!今朝まで一緒に暮らしていたのですよ?!」
「それはローザとダメルがローザの出自を知らなかったからでしょう?」
「ダメルが?ダメルも私が貴族の娘だと思っているのですか?」
「今頃は知っている筈よ」
「自分の娘ではないと?」
「これまでは自分の娘だと思っていたから、ダメルはローザを育てたのだもの。血が繋がっていないと分かれば、ローザを追い出すか、ローザにいやらしい目を向けるか、どちらかしかないわ」
「ダメルが私にいやらしい目なんか!」
「だってローザは私にそっくりじゃないの。ダメルがそう言う気を起こさないなんて、却っておかしいわ」
「そんな・・・」
「逆に今までダメルにいたずらされたりしなかったの?」
「そんな訳!」
ローザは顔を赤くして怒りを表すが、女性はそれを去なす様に言葉を続ける。
「言っときますけれど、御主人様に本当に娘だと認められる為には純潔かどうかを確認されるけれど、それは大丈夫でしょうね?」
「純潔かって、そんな」
「相手がダメル以外でも駄目よ?大丈夫よね?わざわざ連れて帰って違ったりしたら、大問題よ?」
「・・・これまで放っておいたのに」
「だから、ローザが娘である事を御主人様が許したのだから、事情が変わったの。御主人様の娘でなければ、あなたが誰と結婚しようがしなかろうが、バラローズ侯爵家には関係ないのですもの」
「でももし私がもう結婚していたら」
「そうしたら国際問題になったわね」
「え?」
「ローザを誘拐したダメルが勝手に侯爵令嬢を結婚させて傷物にしたのだから、ダメルもローザの結婚相手もその家族も、皆処刑されるだけでは済まなくて、国同士の補償問題になる筈だもの」
「・・・なんで?」
「何でも何も、それだけバラローズ侯爵家には力があるし、この国に対しても影響力があるって事よ」
「そんな・・・」
「どうなの?純潔なのよね?」
ローザが項垂れるのを女性は肯いたと受け取った。
「侯爵令嬢の地位を手に入れるのだから、ダメルの事など気にしては駄目よ。分かったわね?」
ローザは目を強く閉じる。
「でも、ダメルは私をこれまで育ててくれたのよ?」
「だからなに?」
ローザは目を見開いた。
「その様な事を言えば、ダメルに付け込まれるわよ?」
ローザは女性を睨む。
「分かっていない様だから言っておくけれど、ローザの行動次第でダメルなんか簡単に死ぬのよ?それが貴族と平民の差なの」
ローザの目が徐々に大きく開いてゆく。
「確かに一緒に暮らしていたから情が湧いているのかも知れないけれど、御主人様の前でダメルの名を出したりしたら、次の日にはダメルの首が届けられるかも知れない」
ローザの目は更に大きく開いた。
「貴族に生まれるって言う事はそう言う事よ。そう言う覚悟で平民とは付き合って行かなければならないの」
ローザの瞳が潤み、項垂れると共に閉じた目蓋からは涙が零れた。
「私、ダメルに、何も言わずに、出て来て」
ローザは不意に顔を上げた。
「お願い、お母様。馬車を街に戻して」
「戻してどうするのよ」
「せめてダメルに、これまで育てて貰ったお礼を言わせて」
「その様な事、駄目に決まっているでしょう?」
「御主人様の前では絶対にダメルの事は口にしないから」
「それは私の為ではなくて、ローザとダメルの為でしかないわ」
「でも、確りと侯爵令嬢になれる様に努力もします」
「それは当然の事よ。自分の為なのだもの」
「・・・街でのお母様の事、御主人様には内緒にするから」
「・・・なんですって?」
「だからお願いします、お母様」
「私を脅す積もり?証拠があるの?」
「一目ダメルに会って、一言お礼を言うだけだから」
女性はふうっと息を吐き、体に入っていた力を抜いた。
「ローザがダメルなんかをどう思っているのか分からないけれど」
ローザの表情が明るくなる。
「では?お母様?」
「でも駄目よ」
「何故?一目会うだけで良いから」
「あの街に帰せる訳はないでしょう?」
「何故なの?ここからならまだそれ程遠くないでしょう?」
「距離の問題ではないでしょう?何故私があなたを急いで連れ出したと思っているのよ」
「え?・・・何故って?」
「あの様な騒動が起こっている所に、侯爵令嬢になるローザを置いておける訳がないでしょう?」
「え?あの様な騒動って?」
「なに?知らないの?」
「何があったの?」
「あれ程の騒ぎなのに、聞こえなかったの?」
「だから何があったの?」
「領主が領兵を派遣して、暴動を鎮圧していたじゃない」
「暴動?あの街で?」
「そうよ。本当に知らなかったのね」
「暴動って、何故?」
「知らないわよ。冒険者と住民が揉めたらしいけれど」
「それで暴動に?」
「なんでも冒険者が子供を殴ったとか蹴ったとか」
「え?冒険者が?」
「ええ。それで子供の親がなんかしたのではない?それで皆が暴れて、怪我した代官が領主に兵士の派遣を要請して、住民も冒険者も領兵を攻撃してしまったとかなんとからしいけれど、本当に知らないのね」
「私、依頼で、ダメルと街の外に調査に出ていたから」
「そうなの。どちらにしても、あの街には戻らないから。巻き込まれたら大変ですもの。それこそ国際問題になりますからね」
城門が閉まっていた理由がそれだったのかとローザは納得した。北区に多かったのも街の警備兵ではなくて、領兵だったのかも知れないとも思う。
冒険者が関わっているのなら、暴動が起こったのは南区の筈だ。ダメルが向かったのも南区だ。
北区の外門は昨日には開いていたのだし、ダメルが南区に向かったのなら、西区と南区の間の内門も開いていた筈だ。詰まりもう暴動は収まっているか、そうではなくても沈静に向かっている筈に違いない。
ローザは両手で顔を押さえてその様に、ダメルが無事である事を必死に自分に言い聞かせた。
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