第二話 判定不能の正体
翌朝、凛は本当に来た。
当たり前みたいに隣の椅子を引いて、当たり前みたいに座って、当たり前みたいにこちらを向いた。
「おはよう、ひかり」
「おはよう」
判定。
判定不能。
おはようという挨拶でさえ、凛からだと判定が出ない。昨日からずっとそうだ。本当でも嘘でもない、そういう色をしている。
変だな、と思いながら、私は教科書を出した。
「ひかり、朝ごはん食べてきた?」
「食べてきた」
「何食べたの」
「トースト」
「自分で焼いたの?」
「自分で焼いた」
「えらい」
「別にえらくない」
「えらいって。私、朝はお母さんに作ってもらってるから」
判定。
本当だった。
また、普通の話題になると透明な反応が来る。でも感情が乗った言葉になると判定不能になる。この差は何だろう。
「凛って、毎朝何時に起きるの」
「七時。ひかりは?」
「六時半」
「早いね」
「遅いと思う」
「十分早いよ。私、七時に起きて準備に一時間かかるから、毎日ギリギリなんだよね」
判定。
本当だった。
「それ、何に時間かかってるの」
「髪。ロングだから乾かすだけで時間かかって」
「切れば」
「切りたくない」
「なんで」
凛が少し間を置いてから、笑顔のまま言った。
「誰かに好きって言ってもらったことあるから」
判定。
判定不能。
また来た。
誰かに好きって言われた髪型だから切りたくない。その話の、感情が乗った部分だけ判定が出ない。
「その誰かって誰」
「内緒」
判定。
これは本当だった。内緒にするつもりがある、という意味で本当らしい。
「凛、聞いていい」
「どうぞ」
「昨日から気になってたんだけど」
「うん」
「凛の言葉、普通の話題のときは判定が出るのに、気持ちの話になると出なくなる」
また口から出ていた。
凛が首を傾げた。
「判定って何?」
「なんでもない、また独り言」
「二日連続で変な独り言言うね」
「癖」
「個性的な癖だね」
凛がくすっと笑った。
私は少し考えた。
言うべきかどうか、迷った。スキルのことは今まで誰にも言ったことがない。言っても信じてもらえないか、気持ち悪がられるかのどちらかだと思っていたから。
でも凛は、わからない。どう反応するかが読めない。
それが少し、面白かった。
「凛、秘密にできる?」
「秘密?」
「私のこと」
「できるよ」
判定。
本当だった。
珍しく透明な反応だ。
「私ね、人の嘘がわかる」
凛が少し目を丸くした。
「嘘がわかる?」
「うん。相手の言葉が本当か嘘か、なんとなく見えるんだよね」
「なんとなく、って」
「感覚的に。透明か濁ってるか、みたいな」
凛はしばらく私を見ていた。
「それ、大変じゃない?」
「大変だよ」
「だから一人でいるの?」
判定。
これは本当だった。凛が本当に心配して聞いているらしい。
「まあ、そういうこと」
「でも私のことは判定できてないんでしょ、さっきの独り言からすると」
鋭い。
私は少し驚いた。
「なんでわかったの」
「判定って言葉、私の言葉に対してしか使ってないから」
「……そうだね」
「私が特別ってこと?」
にやっと笑いながら言った。
「特別というより、判定不能、というか」
「判定不能! なんか強そう」
「強くない。わからないってだけで」
凛が少し考えてから言った。
「私の言葉がなんで判定不能なんだろうね」
「私も知りたい」
「一緒に考える?」
「考えてどうなるかわからないけど」
「考えること自体が楽しいじゃん」
判定。
判定不能だった。
考えること自体が楽しい。それが本当かどうか、わからない。
「凛って、楽しいことが好きなの」
「好きだよ」
「判定不能」
「また言ってる」
「ごめん」
「謝らなくていいよ。面白いから」
判定。
判定不能。
面白いから、という感情の言葉は全部判定不能になる。法則が少し見えてきた気がした。
ホームルームが始まって、しばらく先生の話を聞いた。
その間も、頭の片隅で考えていた。
感情の言葉だけ判定不能になる。事実の話は普通に判定が出る。その差は何か。
嘘をついていないから透明にならない。でも本当でもないから透明にもならない。
どういう状態なんだろう。
授業が始まった。
現代文だった。先生が教科書を読み上げている間、私はノートを取りながら横目で凛を見た。
凛はちゃんと授業を聞いていた。ノートを取る字が丸くてきれいだ。たまに消しゴムで消して、書き直している。
ふと、凛が私の方を向いた。
目が合った。
凛がにこっと笑った。
私は前を向いた。
なんだったんだ今の。
昼休みになった。
また凛が来た。今日は友達を連れていた。
「ひかり、友達も一緒にいい?」
「別に」
「やったー。ひかり、この子たちは佐藤もえと田中なつ。同じクラスだよ」
「知ってる、顔は」
佐藤もえと田中なつが少し面白そうな顔をした。
「凛から聞いてたよ、天城さんのこと」
「何を聞いたの」
「面白い子がいるって」
判定。
本当だった。
「私、面白くないけど」
「いや絶対面白いって」
「なんで」
「凛がそう言うから」
また凛の話に戻った。
四人で弁当を食べた。
もえとなつはよく喋る子たちで、次々と話題を出してきた。私はほとんど聞いていたけど、たまに話を振られると短く答えた。
その間も、凛の言葉だけをずっと判定していた。
事実の話は透明。感情の話は判定不能。
法則はそうだけど、もう一段階深い何かがある気がした。
昼休みの終わりに、もえとなつが「また明日ねー」と言って去っていった。
凛が私の横に残った。
「ひかり、今日どうだった?」
「何が」
「みんなと一緒に食べて」
「疲れなかった、意外と」
「それよかった」
判定。
判定不能。
「凛の友達、嘘つかない子たちだね」
「そうなの?」
「全部透明だった。正直な子たちだと思う」
「へえ。ひかりのスキルで見ると、人柄がわかるんだね」
「まあ、そういうこと」
凛が少し考えてから言った。
「私は判定不能だから、人柄がわからないってこと?」
「そうなる」
「怖い?」
「怖くはない。わからないだけで」
「わからないのに関わってるんだ」
「判定不能だから気になる、という感じ」
凛が少し目を細めた。
「それって、興味があるってこと?」
「そうなるかな」
「うれしい」
判定。
判定不能。
うれしい、という感情がまたわからなかった。
私は少し考えてから言った。
「凛、一個聞いていい」
「どうぞ」
「本音を隠すことってある?」
凛の顔が、一瞬だけ変わった。
昨日の昼ごはんのときも同じだった。一瞬だけ、何かが揺れる。
「隠す?」
「言葉と気持ちが違うこと、あるかなって」
「みんなそういうことあるんじゃない?」
「判定不能の理由が、そのへんにある気がして」
凛はしばらく私を見ていた。
笑顔は崩れていない。でも、目の奥で何か考えているのがわかった。
「ひかりって、鋭いね」
「スキルのせいで観察癖がついてるから」
「そっか」
凛が少し視線を外した。
「本音と嘘が混ざってたら、判定不能になるの?」
「たぶんそう。今まで経験したことなかったから確証はないけど」
「本音と嘘が混ざる、か」
凛が静かに繰り返した。
その声が、いつもより少しだけトーンが低かった。
「凛?」
「なんでもない」
判定。
本当じゃなかった。
初めてだった。凛の言葉で、嘘の濁りが出たのは。
なんでもなくはないのだ。
私は追いかけて聞こうとして、やめた。今は違う気がした。
「午後の授業行こう」
「うん」
並んで教室に向かいながら、私は考えた。
本音と嘘が混ざっている状態。それが凛の判定不能の正体だとしたら、凛は自分の気持ちを自分でも整
理できていないのかもしれない。
好き、という言葉が判定不能なのも、そういうことかもしれない。
嘘をついているわけじゃない。でも、ちゃんとした本音でもない。その中間にいる。
放課後になった。
帰り支度をしていたら、凛が来た。
「ひかり、少し寄り道しない?」
「どこに」
「駅前のクレープ屋。新しくできたとこ」
「甘いものあまり食べないけど」
「一回食べてみてよ。おいしいから」
判定。
これは本当だった。
「……わかった」
二人で学校を出た。
駅まで歩きながら、凛がずっと喋った。今日の授業が難しかったとか、体育で転んだとか、もえが面白いことを言ったとか。
私はほとんど聞いていた。
でも、嫌じゃなかった。
凛の話は、事実の部分は全部透明で、感情の部分は全部判定不能だった。だから、聞いていても疲れない。全部見えてしまう相手の話を聞くのは疲れる。でも凛の場合は、全部は見えない。
その加減が、なんか、ちょうどよかった。
クレープ屋に着いた。小さな店で、外にメニューが貼ってあった。
「ひかり、何にする?」
「シンプルなのでいい。苺のやつ」
「私はチョコバナナにしよう」
二つ買って、店の前のベンチに並んで座った。
クレープを食べながら、凛が言った。
「ひかりって、意外とついてきてくれるんだね」
「意外と、って何」
「もっと断られると思ってた」
「断る理由がなかったから」
「そっか」
凛がチョコバナナのクレープを食べながら、少し空を見た。
「ひかり、私のこと嫌いじゃない?」
判定。
判定不能だった。
また感情の言葉だ。
「嫌いじゃない」
「本当に?」
「スキル的に嘘はつかないようにしてる」
「なんで」
「嘘をついてもバレるから、他の人に。自分がつくのも変な気がして」
凛が少し笑った。
「じゃあひかりの言葉は全部本当なんだ」
「そうなる」
「いいな、それ」
判定。
判定不能。
いいな、という言葉がまたわからなかった。
「凛は、嘘つくの?」
少し間があった。
「つくよ。みんなそうじゃない?」
「まあそうだけど」
「ひかりにはつかない方がいいかな、スキルあるから」
「つかなくていいよ、どうせわかるから」
「判定不能は?」
「それはわかんない」
凛がまた少し笑った。
「それだけ特別ってこと?」
「さっきも言ったけど、そういうわけじゃない」
「でもひかりが判定できないのは私だけなんでしょ」
「今のところは」
「じゃあ特別じゃん」
判定不能。
またそうだった。
私はクレープの残りを食べながら、横の凛を見た。
夕方の光が長く伸びていて、凛の髪が少し光っていた。きれいだな、と思った。
思ってから、少し驚いた。
人をきれいだと思ったのは久しぶりだ。スキルのせいで人に近づかなくなって、そういうことを感じる機会がなかった。
「凛」
「なに?」
「今日、ありがとう」
「何が?」
「クレープ、おいしかった」
凛が少し目を丸くした。
それからにっこり笑った。いつもの完璧な笑顔とは少し違う、もう少し素に近い感じの笑顔だった。
「また来ようよ、二人で」
判定。
判定不能。
また、わからない。
でも今日は、わからないことがそんなに気にならなかった。
わからないから一緒にいたい、という気持ちが少しずつ育っている気がして、私はそれを否定しなかった。




