第一話 判定不能
私には、スキルがある。
大げさに言えばそういうことになる。正確に言うと、相手の言葉が嘘かどうかわかる、という能力だ。
いつからそうなのかは覚えていない。気づいたら、人の言葉に色みたいなものがついて見えるようになっていた。本当のことを言っているときは透明で、嘘のときは少し濁る。曖昧なときはその中間になる。
説明すると便利そうに聞こえる。
実際は全然便利じゃなかった。
小学生のとき、友達が「宿題やってきた」と言ったのが嘘だとわかった。中学のとき、好きな人が「好きな人はいない」と言ったのが嘘だとわかった。先生が「全員平等に見ている」と言ったのが嘘だとわかった。
全部わかった。
全部わかって、何かいいことがあったかというと、何もなかった。わかるだけで、どうにもならない。傷つくだけで、得るものがない。
だから今は、人と距離を置いて生きている。
必要なことだけ話して、必要以上に関わらない。嘘が見えなければ傷つかない。そういう生活をしていたら、気づいたら高校二年生になっていた。
天城ひかり、十七歳。人間関係に疲れた系ぼっち。
自分でそう思っている。
その日の朝、私はいつも通り窓際の席に座って、いつも通り外を見ていた。
隣の席は空いている。去年まで誰かが座っていたけど、今年の席替えで隣が空席になった。それが案外悪くなかった。誰かが隣にいると、喋りかけられる可能性が生まれる。喋りかけられると、言葉が来る。言葉が来ると、判定が動く。それが疲れる。
だから空席は好きだ。
ホームルームが始まる前の教室は、いつも通りうるさかった。私は窓の外を見ながら、今日の昼ごはんを何にするかを考えていた。
そのとき、椅子を引く音がした。
隣の席だ。
振り返ると、知らない女の子が座っていた。
いや、知らないわけじゃない。知っている。クラス全員の顔と名前くらいは把握している。
一ノ瀬凛だ。
長い髪で、顔が整っていて、クラスの中心にいるタイプの子だ。いつも誰かに囲まれていて、笑っていて、完璧という言葉が似合う。私とは対極にいる人間だと思っていた。
「天城さん、隣いい?」
笑顔で言った。
「空いてるけど、いつもそこに座ってなくない?」
「今日から座ろうかなって」
「そう」
特に深い意味もなさそうだったから、私は窓の外に視線を戻した。
しばらくして、横から声がかかった。
「ねえ、天城さん」
「なに」
「私、ひかりのこと好きだよ」
反射的に判定が動いた。
透明になるか、濁るか。
どちらにもならなかった。
私は振り返った。
一ノ瀬凛は、にこっと笑っていた。屈託のない、いつもの完璧な笑顔だ。
「……なんて?」
「好きだよって言った」
もう一回判定した。
また、どちらでもなかった。
嘘じゃない。でも本当でもない。そういう感覚だ。今まで一度もなかった反応だった。
「いきなり何を言い出すの」
「いきなりじゃないよ。去年からずっと気になってたんだよね」
「気になってた」
「うん。天城さん、いつも一人でいるじゃん。なんか、気になって」
判定。
また判定不能だった。
私はしばらく一ノ瀬凛の顔を見た。笑っている。本当に笑っているように見える。嘘をついているようには見えない。でも、スキルが反応しない。
変だ。
十七年間、こんなことは一度もなかった。
「なんで私に言うの」
「好きだから言った」
「また判定不能だ」
「え?」
声に出ていた。
一ノ瀬凛が少し首を傾げた。
「判定不能って何?」
「なんでもない、独り言」
「なんか面白いこと言った?」
「言ってない」
私は前を向いた。
ホームルームが始まる時間だ。先生が入ってきて、出席を取り始めた。
その間も、判定不能という感覚が頭に残っていた。
嘘でも本当でもない。十七年間で初めての反応。
一ノ瀬凛が何者なのか、少しだけ気になった。
昼休みになった。
私はいつも通り一人で弁当を食べようとしていた。
椅子を引いたら、隣に一ノ瀬凛が来た。
「一緒に食べよ」
「友達いるんじゃないの」
「今日はひかりと食べたい」
判定。
また判定不能だった。
さすがにおかしい。今日だけで何回目だ。
「なんで私のこと名前で呼ぶの」
「だってひかりって呼んだら振り向いてくれるから」
「今振り向いてないけど」
「今は振り向いた」
気づいたら向いていた。
一ノ瀬凛がにやっと笑った。小悪魔的な笑い方だ。
「……凛って呼んでいい?」
「呼んで呼んで」
「凛」
「なに?」
「さっきから何回も好きとか言ってるけど、本当に私のこと好きなの」
直球で聞いた。
凛は少し目を細めてから、言った。
「好きだよ」
判定。
判定不能。
私はため息をついた。
「……わかった、一緒に食べよう」
「やった」
凛が自分の弁当を持ってきて、隣に座った。
きれいな弁当だった。色が揃っていて、盛り付けが丁寧だ。
「手作り?」
「お母さんが作ってくれた。ひかりは?」
「自分で作った」
「えっ、自分で作れるの! すごい」
「すごくないけど」
「すごいよ。私、料理全然できないから」
判定。
本当だった。
久しぶりに透明な反応が来た。料理ができない、という部分は本当らしい。
変だな、と思った。
料理の話は本当で、好きという言葉は判定不能。同じ口から出てくるのに、なんで違う反応になるんだろう。
「ひかりって、なんで一人でいるの」
凛が聞いてきた。
「一人の方が楽だから」
「友達いないの?」
「いない」
「なんで」
「人と関わると疲れる」
凛が少し考えてから言った。
「私と関わっても疲れる?」
判定。
また判定不能だった。
でも、質問自体は普通だ。傷つけようとして聞いているわけじゃない。それはわかった。
「まだわからない」
「正直だね」
「嘘をつく方が面倒だから」
「ひかり、なんか面白いね」
「面白くない」
「面白い。好きだわ」
判定。
判定不能。
また。
私は弁当のおかずを口に入れながら、横目で凛を見た。
本当に楽しそうに食べている。ニコニコしていて、こちらをちらちら見てくる。
「凛」
「なに?」
「一個聞いていい」
「どうぞ」
「今日、最初に好きって言ったとき、本当に思って言った?」
凛が少し、食べる手を止めた。
一瞬だった。すぐにまた笑顔になった。
「思って言ったよ」
判定。
判定不能。
また同じだ。
私はしばらく凛の横顔を見た。笑っている。でもさっき一瞬だけ手が止まった。何かがあった。
「……変な子だね、凛」
「変?」
「普通じゃない、という意味で」
「ひかりも普通じゃないと思うけど」
「そうだけど」
凛がくすっと笑った。
「お互いさまじゃん」
それには判定がなかった。言葉じゃなくて笑い声だったからだと思う。
昼休みが終わって、午後の授業が始まった。
私は授業を聞きながら、今日のことをずっと考えていた。
十七年間、スキルが判定不能を出したことはなかった。本当か嘘か、必ずどちらかだった。それが今日、一日で何回も判定不能になった。
全部、一ノ瀬凛の言葉だった。
嘘じゃない。でも本当でもない。そういう言葉を、凛は当たり前みたいに喋っている。
何かが、ある。
普通じゃない何かが。
放課後になった。
私が帰ろうとしていたら、後ろから声がかかった。
「ひかり、明日も隣座っていい?」
凛だった。
「空席だから好きにすれば」
「好きにするね」
「うん」
私は歩き始めた。
後ろから凛の「またね」が聞こえた。
判定。
判定不能。
私は少し立ち止まった。
振り返らなかった。
でも、歩きながら考えた。
今まで、人の言葉が判定不能になったことはなかった。だから今まで、人に興味を持てなかった。全部わかってしまうから、知りたいという気持ちが生まれなかった。
でも凛は、わからない。
わからないから、少し、知りたいと思っている。
それが何かはまだわからない。
ただ、明日また隣に来ると言っていた。
来るんだろうな、と思った。
そしてなぜか、それが嫌じゃなかった。




