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7話 失敗作

 弦楽器の音色が響く。ダンスホールの中心はワルツを踊るものたち、その周りは軽食やおしゃべりを楽しむ者たちに分かれている。


 ヴァイオレットはソフィアの近くを離れないようにしていた。ソフィアは今、仮面をつけた知り合いと避暑地のテニスの話で盛り上がっていた。


 「レディ、私と一曲お相手願えませんか」


 白い仮面をつけた男がヴァイオレットの前に手を差し出す。


 「いいじゃない、()()()()。壁の花になってるなんてつまらないわ」


 仮面で素性を隠しているのでソフィアはヴァイオレットのことを偽名で呼んだ。


 「()()()様、私がここにいる理由をお忘れですか。私があなたから離れて踊りに興じていたら、大目玉喰らいます」


 ヴァイオレットは会場を警備しているランドルフに視線を向けた。ソフィアもつられるようにランドルフを見る。仮面に隠れていない口元がにやりと笑った。


 「私の護衛はあなた一人だけじゃないのよ。それに、ダンスをお断りし続けていたら、逆に目立つわ」


 ソフィアは耳元で囁いて、ぐいぐいとヴァイオレットの背中を押して、ダンスに誘うために差し出された男の手を取らせようとしてくる。


 ソフィアはヴァイオレットの孤児であり女でありながら軍人として生きる境遇に同情して、少しでも女らしく華やかな世界を見せてあげようとしているように思う。別にヴァイオレットはそんなことは望んでいないのに。


 ヴァイオレットに与えられたのは大きな銃だが、それで幸せだと思っていた。


 「私も踊りたかったから近くで一緒に踊りましょうよ」


 ソフィアには警護の問題から、あまり動き回らないようにどう言われているというのに。ヴァイオレットは止めようとしたが、ソフィアは近くにいた男に「私と踊りませんか?」と誘ってホールの中央に躍り出た。


 ヴァイオレットは仕方がなく男の手を取り、踊っている間もソフィアの近くを維持した。周りながら、ソフィアと視線が合う。ソフィアはヴァイオレットと見つけると満面の笑みを浮かべた。


 仮面の下がランドルフだったらどれほど良かっただろう。引き寄せられたコルセットで締めた腰に添えられた手の感触は、ランドルフほど甘くなかった。


 ヴァイオレットは刺すようなランドルフの視線を肌で感じていた。たぶん、この曲が終わったら怒られる。護衛がダンスに興じるなと言われるはずだ。でも見られていることに心の臓が破裂な高揚感がある。


 しかし、ランドルフに教養の一環として叩き込まれた踊りの技術が役に立つとは思わなかった。少しだけランドルフとの思い出に触れられて嬉しかった。


 曲が終わると、ヴァイオレットはソフィアの元へ戻ろうとしたが、踊った男が腕を掴んで引き留めた。


 「レディ、私と少し休憩しませんか」


 「一曲しか踊っていないので、疲れていませんが」


 ワルツは激しい振り付けなどもないし、普段から訓練で体力をつけていたヴァイオレットは息の一つも上がってはいなかった。相手の男も、別に疲れているわけではなさそうだ。


 「ちょっと君、飲み物を」


 男はそばにいた給仕からワインを貰うと、グラスを傾けてヴァイオレットに中身を掛けた。ソフィアから借りたドレスに赤いワインの染みが広がっていく。


 「何を…?」


 ヴァイオレットが混乱していると、男はわざとらしく笑った。


 「申し訳ない、レディ。私の手が滑ってしまってドレスに染みが。すぐに着替えねばなりませんね。休憩室までご案内いたしましょう」


 ヴァイオレットはこの男の手を捻って抜け出そうかと考えたが、フィッツジェラルド家の夜会に招待されているなら偉い貴族のはずだ。怪我でもさせてしまったらどうしようという思考が邪魔をした。


 ヴァイオレットは力加減を調節するのが苦手なので、骨を折ってしまうかもしれない。ここでそんな騒ぎを起こせばランドルフの「目立つな」という命令にも背いてしまうし、ソフィアの顔も潰してしまう。


 「離してください」


 もっとアンジェリカを見て話術だけで解決する方法を学んでおくべきだったと後悔した。


 「怖がらないで。私はあなたの仮面の奥に隠された素肌を知りたいだけなのです」


 男はヴァイオレットが骨を折ってしまうと考えているのを知らないので、大人しくしているヴァイオレットを無理矢理引っ張り、ダンスホールから連れ出した。


 休憩室へ続く廊下は人が少なく、ヴァイオレットは辺りを見渡してここでなら、多少手荒なことをしても騒ぎにならないのではないかと確認していた。早くソフィアの元へ戻らなければという焦りがあった。


 「いい加減、離さないと──」


 ヴァイオレットが最後の警告をしようとしたときだった。大理石の床に軍靴がこつこつと鳴り響く。振り返ると、そこにはランドルフがいた。


 「失礼。そちらのレディが困っているように見えますが」


 地を這うような低い声だった。落ち着いているが、落雷のような激しさを裏に隠しているようにも聞こえる。きっと声の圧に凄みを足して相手を威圧できるように調整しているのだろう。


 「あ…いえ、失礼します」


 無理矢理連れてきたという後ろぐらい事情を見透かされたのかと思ったのか、男は慌てて逃げるように立ち去った。


 「ヴァイオレット、持ち場を離れるな。あれくらい躱せるようになれ。部屋に連れ込まれるところだった」


 ランドルフは静かな怒りをヴァイオレットに向けた。先程は男に向けられていたから心底安心していたが、それが自分に向くとなると背筋がぞわりとする。


 「申し訳ありません。会場で騒ぎになったら、ソフィアさんの迷惑になると思って。人目につかない所で処理しようとしました」


 ヴァイオレットの言い訳に、ランドルフの瞳がぎらりと光る。熱が上がったことを示していた。ランドルフは敵と対峙したとき、興奮するように瞳孔が開くことがある。今がその瞬間だった。ヴァイオレットはランドルフを怒らせてしまったのだ。


 「次はもっと上手くやります。…私を見捨てないでください」


 本当は「嫌いにならないでください」と言いたかった。しかし、ランドルフがアルビノの女が嫌いと知ってしまったから嫌いにならないでほしいと願うのは無理だろう。


 わずかな希望に縋るのならば、ランドルフは今まで嫌いなはずのアルビノの女であるヴァイオレットを育てそばに置き続けた。


 嫌いという感情を上回るメリットを提示しなければならない。ヴァイオレットが有能であることを証明し続ければ、「気に入らないが、道具としては優秀」と認めて使い続けてくれるはずだ。


 「お前は俺の最高傑作だ。期待を裏切ってくれるなよ」


 最高傑作という言葉に、今のところは価値を証明できているのだと安心する。だけど、これから先に新たな最高傑作が現れないとも限らない。

 

 今は情報部第二課は発足したばかりで人員が少ないが、これから成果を出していけば人員は増えるだろう。ランドルフの唯一の女の部下というアイデンティティも奪われるかもしれない。


 それならば、大好きになってもらえないなら大嫌いになってほしいと願ったように。ヴァイオレットはランドルフの失敗作になりたい。彼を困らせて、四六時中、ヴァイオレットのことしか考えられないようにしたい。頭の中を占領したい。


 ランドルフはプライドが高いから、二度と同じ失敗はしない。ヴァイオレットが失敗作になったら、その経験を活かすだろう。失敗作になったら唯一になれる。そんな気がした。

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