4話 私の光
「太陽の娘」は、かつて王侯貴族や大ブルジョワが住んでいた邸宅を改造した建物を利用している。煌びやかなシャンデリアの下、サロンのソファに腰掛けたヴァイオレットの隣にアンジェリカは座った。
「こんなところで油売ってないで、仕事に戻ったらどう。アンジェリカ」
「つれないわね〜、リトル・レディ? あたしは売れっ子だから、必死にお客取らなくても大丈夫なの」
アンジェリカはにこにこと笑いながら、ヴァイオレットの鼻を指先でちょんっと揶揄うように触った。その余裕そうな態度に、ヴァイオレットは少し怒りが湧いていた。
「リトル・レディはやめて。孤児だから正確な年齢はわからないけど、私はきっともう十八くらいだから!」
ヴァイオレットは悔しくてハンドバッグをぎゅっと握りしめた。ランドルフからは何事にも学びがないものはない、娼婦を見て男のいなし方を学べと言われている。酒場で口説かれた時、一人だったらどうかわすのかを身につけさせたいのだろう。
きっとヴァイオレットが「あの人のナンパに応じた方が良かったかもしれない」と言ったのを怒っているのかもしれない。いつもリトル・レディと呼びかけられるけど、あのナンパ男だけはヴァイオレットをレディ扱いしてくれたから。
「早く大人になりたいって思ってるうちはまだ子供なのよ」
アンジェリカは笑いながら真っ赤なルージュが引かれた唇に煙草を咥えた。煙草に赤色が移る。その扇状的な色がヴァイオレットにも似合うようになるのはいつだろうと考えた。
「そこのあなた、ヴァイオレットが来てるってサー・ランドルフに伝えてあげて。きっと今日はガブリエラが担当してるわ」
アンジェリカは給仕の男にそう声をかける。給仕の男は「よろしいのですか」と尋ねるがアンジェリカは煙草に火をつけながら「いいのよ」と答える。
「私がもっと背が高くて、筋肉があったらランドルフ様の役に立てるのに」
ヴァイオレットはアンジェリカを見上げた。彼女はすらりと背が高く胸はたわわに実っているのに腰は細い。名前が上がったガブリエラもヴァイオレットより背が高い。ランドルフが選ぶ女は皆、白金髪で色白という特徴があった。
「あはは! ヴァイオレットちゃん? あなたみたいなおこちゃまでは、ランドルフの欲求は満たしてあげられないと思うわよ」
アンジェリカは思い出したように笑う。
「だってあなた、ここが何する場所か詳しく知らないでしょう。だって…うふふ」
アンジェリカはきっとヴァイオレットがここに初めて来た時のことを思い出したのだろう。初めてヴァイオレットが「太陽の娘」に来たとき、女を買うということがどういうことか知らなかった。
アンジェリカはここは「男女が愛を交わす場所」と教えてくれた。ヴァイオレットにとって愛とはどこか異国のような遠い匂いがする。
「愛を交わすって、書類に血判をするって思ってるでしょう」
「…仕方がないじゃない。ランドルフ様は詳しく教えてくれなかった」
ヴァイオレットは今でも詳しくは知らない。でも、ランドルフに娼婦たちがしなだれかかるのを見ているのは気分の良いものじゃない。アンジェリカ曰く、ランドルフは紳士的で気前よく金を払ってくれるからみんな大好きらしい。それが余計にヴァイオレットの心を荒立てさせた。
アンジェリカはヴァイオレットの髪に急に顔を近づける。
「花の香りをさせたお嬢さんは、ランドルフに大事に大事にされているのね。娼婦を買うのはあなたにさせられないことをするためよ」
「私はランドルフ様にされたくないことなんてない。なんでもしたいし、命令して欲しいのに」
アンジェリカが咥えていた煙草の灰がぽとりと落ちた。
「いい女の秘訣はね、振り回されるより振りまわすのよ? ランドルフに見合う女になりたいなら、受け身じゃなくて行動しなきゃ。犬には首輪をつけるものよ」
アンジェリカはウインクをして、立ち上がると給仕に灰皿を掃除するように言いつけて、去っていった。入れ替わるようにラフなシャツ姿のランドルフがやって来た。
「ランドルフ様、イーグル少佐が報告したいことがあるそうです。支部に戻りましょう」
エイドリアンが電話などで話を済ませてしまわず、直接会って話したいのは、暗号解読班にいた頃の癖から盗聴されることを防ぎたいからだろう。
ランドルフはヴァイオレットを見ると深くため息を吐いた。髪を整髪料で固めていないのか、いつもより少し幼い印象を受ける。
「ヴァイオレット、煙草の臭いがする。香水を振り直せ。こんな銘柄の煙草の臭いがする貴族令嬢がどこにいる。プライベートでも気を抜くな」
ランドルフは少し苛立っているように見えた。
「さっきまでアンジェリカが吸っていたから…」
ヴァイオレットはハンドバッグから携帯用の香水瓶を取り出し身に振りかけて匂いを纏う。ランドルフはヴァイオレットの前でも気にせず煙草を吸うのに…とちょっとだけ理不尽を感じた。
外に出ると、日は沈みきっていて瓦斯灯が街を照らしていた。ランドルフは歩きながら、葉巻に火をつけている。
「それ、美味しいですか」
ヴァイオレットは尋ねる。ランドルフもエイドリアンも、そして女であるアンジェリカも煙草を吸っている。ヴァイオレットの周りの大人たちは皆、喫煙者だった。それを吸えば大人になれるのだろうか。
「いや、不味い。お前はキャンディでも舐めておけ」
ランドルフはポケットから棒付きキャンディを取り出して、ヴァイオレットに投げて寄越す。ランドルフはヴァイオレットに言うことを聞かせるために、ご褒美に甘いものを用意することが多かった。
ランドルフはヴァイオレットが貴族令嬢に見えるように香りにまで気を使っている。煙草などの匂いがつくことをあまり良しとしない。ヴァイオレットにはフルーツなどを多く摂取させ体臭を甘くさせるようにしている。
「不味いのに、どうして吸うんですか」
ヴァイオレットはキャンディを舐めながら尋ねる。キャンディを舐めるということは、まんまとランドルフの策にはまっている気がしなくもなかったが、甘いものには逆らえなかった。
「大切な人がいない世界で長生きしないためだ」
ランドルフはそう言って煙を吐き出す。ランドルフは孤独なのだろうか。本当に「大切な人」がいないのだろうか。ヴァイオレットは「私がいるのに!」と叫びたくなった。
ランドルフがヴァイオレットを拾ったのに。ランドルフがヴァイオレットに生きる意味を与えてくれたのに。ヴァイオレットはこの人の慰めにも生きる理由にもなれていなかった自分の身を呪った。
ヴァイオレットがアンジェリカみたいに大人で豊満な体つきだったら、ランドルフは長生きしないためという厭世的な思想を捨ててくれるのだろうか。
ヴァイオレットはランドルフの手から煙草を抜き取った。掏摸だった時に身につけた技だ。あの時はランドルフから財布を取ることは叶わなかったが、ランドルフが警戒していなかったというのもあるが、今は煙草を抜き取れるほどに成長した。
ヴァイオレットは煙草を吸ってみる。
「おい、何をしている」
ランドルフはヴァイオレットがとった行動に一瞬だけ驚いたように目を見開いたが、すぐに煙草を取り返そうとした。
「けほっ…けほっ」
ヴァイオレットは盛大に咽せた。ランドルフはまるでその姿を予想していたかのようにため息を吐く。
「貴族令嬢は煙草の臭いをさせないと言ったばかりだろう」
ランドルフはヴァイオレットから煙草を取り上げる。そしてまたヴァイオレットが吸うような真似をしないように煙草の火を消してしまった。
「私のために生きてください」
ヴァイオレットはランドルフの口に煙草の代わりにキャンディを突っ込んだ。ランドルフは少し驚いたようだが、素直にキャンディを舐めてくれた。
「私があなたの生きる理由になってみせます」
ヴァイオレットはランドルフのエメラルドの隻眼を見つめた。ランドルフがヴァイオレットの生きる意味になってくれたように、ヴァイオレットもランドルフの生きる意味になりたかった。
「そうか。せいぜい頑張ってくれ」
ランドルフは呆れたように呟いた。
「だが、俺はアルビノの女が嫌いだ」




