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23話 赦し

 「お前は俺がどれだけ醜い感情を抱いているか、知らないだろう」


 そう語るランドルフの表情は暗かった。声に覇気はなく、怯えのようなものがあった。ヴァイオレットは彼の背後に撃鉄の上がったピストルや散らばった錠剤が見えた気がした。まるで今にも死にそうなほど追い詰められているように見える。


 「ランドルフ様に向けられる感情なら、どんなものでも嬉しいです」


 ランドルフはヴァイオレットの言葉を慰めと受け取ったのだろう。しかし、ヴァイオレットは本気だった。大好きになってもらえないなら、大嫌いになってほしいと願った。愛されないのなら、憎んで欲しかった。ランドルフが無関心になることが一番耐えられない。


 「私はランドルフ様のどんなに醜い感情も受け止めます」


 ありのままのランドルフを見たかった。たとえ、どんなに醜い感情でもヴァイオレットに向けて欲しかった。


 「真っ当に生き直そうとお前を利用した。親になろうとしてなれなかった」


 ランドルフは懺悔しているようだった。初めてランドルフと出会ったとき、彼は髭を剃るのも億劫なようで手入れをしていなかった。しかし、ヴァイオレットと出会ってからはちゃんと剃って手入れをしている。それが真っ当に生き直そうとした最初の一歩だったのかもしれない。


 「自分がまともな人間じゃないとわかっているのに、お前を手放せなかった。お前に余計な虫がつかないように、お前が魅力的になるのを阻んだ」


 フィッツジェラルド家の夜会でヴァイオレットがつけた真紅のルージュを拭った時のことを言っているのだろう。娼婦みたいに目立つから、任務の都合上落としたのだとばかり思っていた。


 思えばランドルフは酒場でナンパを追い返してくれたし、部屋に連れ込まれそうになった時も助けに来てくれた。

 

 「お前を娘としても、妹としても見ることができなかった。お前は俺から離れて、どんどん女になる」


 ランドルフがヴァイオレットを女として見ていたことがわかってヴァイオレットは嬉しくなった。体がかーっと熱くなり指先まで熱が籠る。


 エイドリアンはヴァイオレットはランドルフにとって壊してはいけない聖域だと言った。女に成長して魅力的になっていくヴァイオレットを見て見ぬふりをしたかったはずなのに、目が離せなかったのかもしれない。知らないうちにランドルフの感情を独占していたことが飛びが上がるほど嬉しい。


 「私はランドルフ様のそばを離れません」


 ランドルフはヴァイオレットを「手放せなかった」と言った。つまり少なくとも一度は手放した方が良いと考えたのだろうか。


 ランドルフの娘にも、妹にもなりたくない。ただのヴァイオレットとして、王女の称号も関係のないところで、唯一になりたい。


 「私は、ランドルフ様を愛しています」


 贖罪で縛っても満たされないことは痛いほどわかっていた。


 「それは、雛の刷り込みだ。俺がお前に愛だと思って感じているのは庇護欲、支配欲、贖罪、依存、独占欲、そして執着だ。俺はお前に相応しくない」


 ランドルフの色々な感情を独占していたのだと知るのと同時に、愛が愛だけで完璧であることはあり得るのだろうかと疑問が湧いた。愛の中には色々なものが内包されているはずである。


 ランドルフはヴァイオレットが物分かりの悪い生徒であるかのように、ゆっくり丁寧に語った。ヴァイオレットを諦めさせようと、説得しようとしている。自分が愛を告白したのに、すぐに雛の刷り込みだと拒絶するランドルフに腹立たしさを感じた。


 「雛の刷り込みなんかじゃありません! 私があなたを欲しい、愛してるんだから、相応しいか否かなんて関係ありません!」


 どうしてわかってくれないんだろうと悔しくて唇を噛み締める。


 「どうして俺が第二課に移ったか知っているか」


 「…よく知りません」


 ヴァイオレットの答えにランドルフは自嘲のように深いため息を吐いた。そして眼帯を上から押さえる。古傷が痛み出したのを見て、それは戦時中のことだとわかった。


 「表向きは捕虜に対する人道的な問題があったとされているが、俺の部隊は原住民を虐殺したんだ」


 ランドルフは目を覆ってしまった。まるで見たくないというように。それは目の前にいるヴァイオレットのことではなく、眼裏に広がる記憶なのだろう。目を覆っても無駄なのに、そうしなくては落ち着かないようだった。


 ランドルフの部隊はジャングルの奥地に住む原住民の村に駐屯したらしい。部下の一人が原住民の女に手を出した。その報復として原住民たちは部隊に襲いかかり、やむ負えず部隊は火炎放射器で村ごと焼いた。


 「仕方がなかった…というのは、ただの言い訳だ」


 ランドルフは目を覆っていた手を外して、ようやくヴァイオレットをまっすぐ見つめた。


 「ヴァイオレット、お前を見ていると戦場で撒いた暴力が、少女の形になって返ってきたと感じる」


 ヴァイオレットはランドルフにとって、エリザベスの傷や戦場での傷を抉る象徴だったのかもしれない。それでもランドルフがヴァイオレットを育てたのは自分で自分を罰していたのだろう。


 だから、ランドルフは贖罪としてヴァイオレットを受けいれた。彼に対して酷いことをしてしまったのだと改めて感じた。ランドルフを贖罪で縛るのは自己満足でしかなかったのだ。贖罪で縛るのには限界がある。


 「世界があなたを赦さなくても、わたしはあなたを赦します」


 ヴァイオレットは背伸びをしてランドルフの眼帯をそっと撫でた。戦争犯罪のことだけではなく、エリザベスのことに関しても、ヴァイオレットを女として見てしまっていたことも、ランドルフにまつわるもの全て。もうランドルフを贖罪でヴァイオレットに縛り付けることはできない。


 「わたしを離さないで」


 ヴァイオレットはランドルフに抱きついた。ランドルフの体が震えたのがわかった。ヴァイオレットがこれほどランドルフに近づいて、触れたのは初めてだった。今まで頭を撫でられたこともないのだから。


 ランドルフはぎこちなくヴァイオレットを抱きしめ返してくれた。それがヴァイオレットを受け入れてくれたのだと示していた。


 眼帯も手袋も外してくれる。ランドルフの素顔には痛々しい傷が残っていたが、ヴァイオレットはそれごと愛そうと傷にキスをした。


 それが引き金となったのだろう。ランドルフはヴァイオレットの後頭部を支えるように掴むと、箍が外れたように唇にキスをした。貪られるような蹂躙されるような激しいものだった。


 アンジェリカが教えてくれたものとは全然違う、アダムとしたキスとも全然違う。ヴァイオレットは混乱してランドルフのなされるがままにしていた。


 苦しい、息ができない。舌はこんなに熱かったのかと驚いた。しかし、それを上回るほど嬉しさで満たされていた。白く浮かび上がる月は、欠けることがないかのようだ。


 ランドルフはエグランタインに挨拶をしにいくと覚悟をを決め、ヴァイオレットと共に王宮に戻ることにした。エイドリアンが待つ車に戻ると、エイドリアンは吸っていた煙草を灰皿に押し付けた。


 「おせぇよ、何してたんだよ」


 すぐ戻ると約束していたのに、思ったより時間がかかってしまった。ヴァイオレットは白いから照れて真っ赤になるとわかりやすいため、エイドリアンはヴァイオレットの真っ赤に染まった顔と不自然な挙動に何かを察したようだった。


 「…本当に、何してたんだよ」


 エイドリアンは少し血の気が引いた顔で、ランドルフを責めるように睨みつけていた。時間がかかりすぎたのでもう言い訳などは通用しないと諦めて、エイドリアンは怒られるのを覚悟して、正面から堂々と王宮に帰った。


 エグランタインに謁見の間に呼び出され、ヴァイオレットたち三人は女王の前に並ばされた。エグランタインもヴァイオレットの様子から何かを察したのだろう。


 「ランドルフ・グレイ、あなたの国家への献身を忘れません」


 エグランタインは穏やかに語ったが、目だけは獲物を狙う蛇のようだった。


 「ですが、一発殴らせなさい、このっ!」


 エグランタインは玉座から立ち上がるとカツカツとヒールを鳴らしてランドルフに近づいた。


 「一発と言わず何発でも」


 ランドルフは全てを受け入れたように、表情は凪いでいた。


 「これは、親としての分!これは、女王としての分! これは、女としての分! 最後は、ヴァイオレットの分よ!」


 ランドルフは抵抗することなく、殴られる程度でヴァイオレットを手に入れられるならと、エグランタインの拳を受け入れていた。ヴァイオレットはランドルフを殴って欲しいなんて思っていなかったので、最後のヴァイオレットの分というのは、「あなたのため」という建前のエグランタインの私怨だろう。


 エグランタインも若い頃、軍事教練を受けたとはいえ、筋肉の薄い細い女の腕から絞り出されるパンチは、ランドルフにはあまり効いていないようだった。


 その様子を見て、エイドリアンは不敬でもいい、怒られてもいいと全力で笑っていた。

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