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22話 重荷

 ランドルフにとってヴァイオレットは重荷だったのだろうか。人を育てるというのは容易なことではないとヴァイオレットもわかっている。


 ランドルフがヴァイオレットの前では尊敬するに値する人間でなくてはと気を張っていて、それに疲れてしまったということにショックを受けた。


 彼が娼館に通っていたのは、アンジェリカやガブリエラの前では安心できたからなのだろうか。ショックを受けてはいたが、ようやく眼帯に隠されたランドルフの素顔に触れられたような気がした。


 「ランドルフ様は今、どこにいますか?」

 

 ヴァイオレットはガーデンチェアから立ち上がった。


 「軍法会議に呼び出されて、話が終われば家に帰ってもいい…はず。謹慎とかで済むなら…」


 エイドリアンは懐中時計を確認しながら、答えた。ランドルフは昨日から呼び出されているから、もう解放されていてもいい時刻だ。


 「グレイ家のタウンハウスに帰ります!」


 ヴァイオレットはこうしてはいられないと走り出そうとした。軍服でよかった。ドレスだったら走るのに苦労しただろうから。


 「ちょっと待て! 今のお前は権力者なんだから、ランドルフを呼び出せばいい!」


 エイドリアンはかなり慌てていたのか、すっかり敬語が取れていた。


 「あの場所はランドルフ様が与えてくれた、私の家なんです。私が自分の家に帰って何が悪いんですか!」


 「王宮がお前の家だ」


 エイドリアンは必死にヴァイオレットを説得しようとした。ランドルフに拾われるまでヴァイオレットに家はなかった。ヴァイオレットにとって家とは雨風しのげる場所のことではなく、心が帰る場所だ。ランドルフがいるなら、路地裏だろうと掃き溜めだろうと、ヴァイオレットの家になる。


 「ここは家じゃありません。私はここに住んだことなんてありません」


 エグランタインが歩み寄ってくれていることはわかる。しかし彼女はヴァイオレットが逃げられないように、「汝、女王たれ」と王冠という名の首輪をつけた。ヴァイオレットはその首輪を噛みちぎってやるつもりだ。


 ヴァイオレットの叫びが、突如知らぬ場所に放り込まれた迷子のように見えたのか、エイドリアンの瞳が揺れた。彼は護衛としての任務を果たすことと、可哀想な少女を王宮に閉じ込めていていいのか迷っている。


 「今すぐランドルフ様に会いたいんです。すぐに戻ってきます」


 ヴァイオレットがそう言うエイドリアンはしばらく頭を抱えたままだった。


 「本当に、すぐ戻ってくるんだな」


 エイドリアンは最終確認をしているようだった。ヴァイオレットが頷くと、エイドリアンも護衛として着いていくと言った。そして目立つ白い髪を軍帽の中に全て隠すように指示した。外出許可など取っていないのに、エイドリアンは正面から堂々と出ていくことにした。


 「大丈夫なんですか」


 ヴァイオレットは軍帽がずれないか何度も確認しながら尋ねた。


 「入るより出る方が警戒されない。さも、外出許可取ってますよって顔して『お疲れ様』とでも言っておけばいいさ。近衛兵たちもまさか、王女とその護衛が堂々と出てくるなんて思わない」


 ヴァイオレットは緊張しながらもまるでエイドリアンの同僚であるかのように大股で軍人らしく歩いた。前までは王女ではなく、本当に軍人で同僚だったのだから、何だか不思議な気分だった。


 門が近づいてくる。近づけば近づくほど、心臓が痛いほど鳴り続け、不自然な動きになっていないか不安になった。


 「止まれ!」


 門の警備をしていた近衛兵に止められる。ヴァイオレットは心臓が跳ねた。しまった、ばれてしまったと思い深く被るように軍帽を引っ張る。しかし、エイドリアンは「まかせろ」というように片眉を上げた。


 「俺らは今から退勤するところだ。いちいち、止められなきゃならんのか。敬礼はどうした、軍曹!」


 「失礼いたしました。少佐」


 近衛兵は階級章を見て敬礼をしてヴァイオレットらを見送る。ヴァイオレットは近衛兵の姿が見えなくなるまで無意識に呼吸を止めていた。目立つ髪を隠して、肌は暗めのファンデーションを塗っていたからか、目を覗き込まれない限りアルビノだとはばれないようだった。


 近衛兵たちは王女が軍属だからといって、普段から軍服を着ているのではなく、エグランタインのように華やかなドレスを着ていると思っているのだろう。


 エイドリアンの車にたどり着いたとき、ヴァイオレットとエイドリアンは無意識に互いに目配せをして息を吐いた。


 「門の通過記録が残っちまったから、早く行って早く帰ろう」


 エイドリアンの車は煙草臭かった。急いでいるからスピードが出てしまうということを差し引いてもエイドリアンの運転は荒いので、普段どれだけランドルフが安全運転をしてくれていたのかを思い知った。


 セシル侯爵家のタウンハウスは大きな天窓とがあるロココ調の建物で、首都の西側の地区に位置している。エイドリアンはタウンハウスが見える位置に車を停めた。堂々と邸宅の目の前に停めるのは目立ちすぎた。


 「本当に、すぐ帰ってくるんだぞ。どうしても必要な私物を取りに帰っていたとか、それらしい言い訳を考えとくから」


 エイドリアンは何度もすぐに帰ると念押しして、ヴァイオレットを送り出してくれた。しかし一つ問題があった。このまま玄関から乗り込んでしまうと、間違いなく優秀な執事が気を利かせて王宮に電話してしまうだろう。


 ヴァイオレットはこそこそと塀を越えて、庭に回った。ランドルフの部屋からは庭が見下ろせるようになっており、木を登ればランドルフの部屋のバルコニーに乗り移ることが可能だ。


 庭に植えられた梔子の若々しい緑の葉を、風が揺らした。木の葉が擦れる音が響いている。ヴァイオレットは幹にしがみ付いて、ちょっとの凹凸に足を掛けて、あとは腕力で登った。


 木に登って、ランドルフの部屋の明かりがついていることを確認する。そのまま勢いをつけてバルコニーに飛び移った。着地の音がかなり大きく響き、窓から見える人影がうごいた。


 「ヴァイオレット…?」


 窓が開かれ、中から驚いたようにランドルフが見つめていた。その瞳はまるで幽霊を見たかのようだ。確かにヴァイオレットがここにいるはずないと考えるのは当然なので、幽霊みたいなものだろう。


 ランドルフはヴァイオレットを部屋に入れた。バルコニーからやって来たのを他の人間に見られたら、面倒臭いことになるからだろう。


 ランドルフは軍服の上着を脱いでいて、整髪料を使っていないのか髪は垂れ下がっていて、少年みたいだった。エリザベスとともに写っていた写真の頃のランドルフみたいだ。


 ランドルフは前髪を下ろすと、少し幼く見える。いつもは整髪料でかっちり後ろに撫でつけるように固めてしまうので、隙のできたランドルフを見るのはちょっと嬉しかった。


 「木を伝ってきたのか。お転婆だな」


 バルコニーから見える背の高い木を見て、ランドルフはヴァイオレットがどうやってバルコニーに登ってきたのか見当がついたようだ。木登りなんて貴族令嬢らしさからかけ離れていたが、ランドルフが責めることはなかった。


 そのことがもう期待をかけられていないようで、ヴァイオレットは寂しかった。はしたない、危ないと叱って欲しかった。


 「…怒らないんですか?」


 ヴァイオレットは叱られるのに怯える子供みたいに恐る恐る尋ねた。


 「木から落ちるようなヘマはしないだろう」


 怒らなかったのが、ヴァイオレットの身体能力への信頼だとわかって少し安堵した。見捨てられたわけではないのだろう。ランドルフはヴァイオレットを、自身が作り上げた最高傑作を信頼している。


 「どうしてここに来た。王宮で保護されているだろう」


 「ランドルフ様に会いたかったからです」


 ヴァイオレットは言葉を発してから前にもこのようなことがあったと思い出した。あの時のランドルフは部屋に入れてくれなかったが、今は部屋に入れてくれている。そうするしかなかったからかもしれないが。


 ヴァイオレットから会いに来なければ、ランドルフはヴァイオレットから離れていくような気がした。現にランドルフは上層部から解放され後、ヴァイオレットには会いに来ずに家に帰っている。楽な格好になっているから、これから外出する予定もないのだろう。


 「私はランドルフ様にとって重荷でしたか…?」


ヴァイオレットは感情を抑えきれずに、涙を浮かべた。今まで、ヴァイオレットがランドルフを離したくないと思っていたのは、少なからずランドルフがヴァイオレットに感情を向けていたからだ。


 愛でも、怒りでも、憎しみでも、贖罪でもいい。ランドルフの頭の中にヴァイオレットがいるならそれでよかった。だが、ヴァイオレットがランドルフにとって重荷だったら。


 いつか彼は耐えられなくなってその荷物を捨てるかもしれない。手ぶらで軽くなった腕を動かしながらどこか遠くへ行ってしまうかもしれない。ヴァイオレットを忘れて。


 「どうして、そんなことを」


 ランドルフはヴァイオレットが落ち着くのを待って、静かに尋ねた。少しでも大きな声を出せばヴァイオレットが怯えると思っているようだった。


 「ランドルフ様が、私の尊敬に値する人間でいなくてはならないことに疲れたと仰っていたと聞いたから」


 ついに聞いてしまったとヴァイオレットは緊張に包まれた。ランドルフの顔は今まで見たことがないほど、衝撃を受けているようだった。絶望しているようにも見えた。


 「重荷だなんて、そんな…ことはなかった」


 ランドルフはヴァイオレットを安心させるためというよりは、自分の気持ちを確認しているようだった。そしてその言葉が考える間もなく、すぐに出たことに安堵しているようだった。

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