21話 覚悟
エグランタインの紫の瞳は光の反射で薄く輝いていた。小鳥の囀りがやけに響くのは、皆が黙っているからだろうか。
「あの男はだめよ」
エグランタインは怒りを抑えて、努めて冷静に話そうとしているようだった。
「あの男は、あなたを育ててくれたけど…。そのことに関しては感謝してもしきれないくらいだけど…」
ヴァイオレットは先程、エグランタインは怒りを抑えているのだと思ったが、もしかすると涙を抑えているのかもしれない。怒りも確かにあるが、涙もあるのだろう。悲しみと怒りが混在して、エグランタイン自身もどれが本当の感情なのか整理ができていないようだった。
「ランドルフ・グレイはあなたを普通の女の子には育てなかった。あなたを軍人として使役した」
それの何が悪いのかヴァイオレットには理解できなかった。ランドルフはヴァイオレットを普通の女の子として可愛がるために拾ったわけじゃない。
使えるから拾ったのだ。利用価値を証明し続けることがヴァイオレットの存在証明だった。エグランタインはヴァイオレットに護衛させたがらなかった。実の娘だと知っていたからだろうが、普通の女の子らしく扱いたかったのかもしれない。
真珠のように大切に守っていくのが愛なのだと信じているようだ。ランドルフはヴァイオレットに自分やその他を守る術を教えてくれた。暴力に支配された時代を生きて来たランドルフには奪われるより前に奪わなければならないという価値観を持っていた。
ランドルフは彼なりの生きる術をヴァイオレットに授けてくれた。それが彼の育て方であり、愛し方なのだと思っている。
ヴァイオレットがランドルフに「愛してください」と求めた時、彼は「親になれるほどできた人間じゃない」と言った。彼は最初は親になろうとしたのかもしれない。そしてできなかった。
「わたくしはね、あなたが実の娘だから王女だったから、ランドルフを非難しているわけじゃないの。子供を兵士にしたことに怒っているのよ!」
エグランタインは頭痛に悩むように眉間を揉んだ。
「たしかに先の大戦で、必ずこの道徳が守られたわけじゃないわ。わたくしは国民の息子たちを戦地に向かわせた」
エグランタインがランドルフを非難するのは、間違っているとヴァイオレットは思った。ランドルフという狂犬を作り上げたのは、戦場に向かわせ、心を病ませ、酒や女に逃げさせたのは、エグランタインだ。
「あなたにはもっと他に良い人がいるわ。歳の近い令息たちとデビュタントで踊ればいいのよ。ランドルフは歳が離れ過ぎているわ」
エグランタインは善意でそう言うのだろう。だからなのかわからないが、ヴァイオレットはずっとエグランタインを母親というより女王陛下だと思ってしまった。
「愛に理由が要るのですか」
ヴァイオレットは素直に自分の内から湧き上がる思いを口にした。身分差で結ばれることがないとわかっていたのに、恋人との愛の証を欲しがったらエグランタインにこの言葉は響くと思った。
エグランタインはハッとして言葉に詰まった。親としての感情と女としての感情がせめぎ合っているのだろう。
「あなたは女王になる。全ては手に入れられない。愛は捨てなくてはならない」
エグランタインがそうであったように。エグランタインはヴァイオレットに言い聞かせるというよりは、自分に言い聞かせているようだった。
「私は強欲だからすべてを手に入れたい」
ランドルフからの愛を、視線を、温もりを、全て。ランドルフという人物の全てを手に入れたい。ヴァイオレットがランドルフが世界の全てであるように、彼にとっての唯一、世界の全てになりたい。
ランドルフは王女の婿として最適な人物に思えた。家柄がよく、女王の忠臣で、戦功がある。だから次期女王候補だったソフィアの婚約者候補に上がっていたのだろう。ソフィアの婚約者になるのは良くて、ヴァイオレットのものになるのは駄目な理由がわからない。
エグランタインは静かにヴァイオレットを見つめていた。ランドルフを手に入れるためならば怪物になるのを厭わない、野心に満ちた少女の目に魅入られたのだろう。
「あなたの愛は危うすぎるわ。いつか、破滅を迎える」
エグランタインは女王としても、母親としても忠告した。
「破滅してもいい。この愛を手放すくらいなら」
その先は地獄だ。だが、ヴァイオレットはランドルフとなら地獄へ行ける。ヴァイオレットはこれから女王になる。必要とあらば戦争をするし、ランドルフのように傷つく人を大量に作る。ヴァイオレットは今までもこれからも、たくさん人を殺しすだろう。だから、地獄へ行く。ランドルフもずっと一緒だ。
「…そう、好きにしなさい。でもこれだけは忘れないで。彼を幸せにしてあげようだなんて考えないで。あなたが幸せになるのよ」
エグランタインは女として共感してしまったようだ。しかし、最後はやはり母親の顔をしていた。
***
「胃がねじ切れるかと思った! 何、周囲の人間どれだけ胃に穴開けられるかなチャレンジでもしてた!?」
エグランタインとの茶会が終わった後、ずっとひやひやしていたエイドリアンが我慢していたものを全て吐き出した。
「いえ、そんなものは開催していませんが」
ヴァイオレットが答えるとエイドリアンは頭を抱えた。きっとエイドリアンもアンジェリカのようにヴァイオレットの気持ちを幼いものだと思っていたのだろう。ヴァイオレットがエグランタインに打ち明けたランドルフへの愛を信じられていないようだった。
エグランタインが去った後のガゼボには涼しい風が吹き抜けていた。
「ヴァイ…いえ、殿下は本気でランドルフのことを囲うつもりでしょうか」
「はい。ずっと私のそばにいてもらいます。だって、私たちの絆は未来永劫断ち切れないんですから!」
絆は首輪を繋いでいる鎖のような響きだった。ヴァイオレットの澱みない返事に、エイドリアンは乾いた笑いを漏らし「そうか。そうかぁ…」と何度も自分に言い聞かせているように頷いた。
「前にランドルフが同期から王女殿下のことを『嫁にするために育てているのか』と揶揄われていたとお話ししたでしょう。俺は笑えなかった。ランドルフが半分本気に見えたから…」
エイドリアンは頭を抱えていた。「現実には嫁にするではなく、婿に行くとは」と信じられないように呟いた。エイドリアンはジョークにして笑い飛ばそうとしたが、うまく笑えず顔が引き攣った。
「ランドルフ様は、イーグル少佐から見て私のこと女として見ているように見えましたか?」
ヴァイオレットは弾む気持ちを抑えながら尋ねた。尋ねられたエイドリアンは困ったような表情になり、答えにくそうに口をもごもごと動かした。
「今までのランドルフは、王女殿下と一定の距離を置いているように見えました。教官と教え子の線を超えないように…」
エイドリアンはランドルフと酒を飲んでいるとき、「ヴァイオレットにもう少し優しくしてやれよ」と言ったらしい。ヴァイオレットがランドルフに愛情を抱いているのを何となく感じ取っていたから。それが、男女の愛情なのか養い親に向ける愛情なのかはわからなかったらしいが。
「でもランドルフがそれ以上に王女殿下を大切に思っていることは感じていましたから。『それができないなら、中途半端に優しくするより、いっそのこと突き離せばいいのに』と言いました」
ヴァイオレットは息を呑んだ。ランドルフはヴァイオレットへの愛情と理性で揺れていたのかもしれない。ランドルフの冷酷な顔とヴァイオレットにだけは優しい顔、まるで別人のような二つが一つに統合されていく。
「ランドルフ様はその時、何と仰いましたか」
ヴァイオレットははやる気持ちを抑えられなかった。エイドリアンはしばらく悩んだが、覚悟を決めたように口を開いた。
「ヴァイオレットの尊敬に値する人間でいなくてはならないことに疲れた、と」




