19話 秘密
「どうしてご懐妊あそばされたのですか!」
責める侍女の言葉をエグランタインは黙って聞いていた。侍女が怒りたい気持ちもわかる。エグランタインは王位継承を目前としていた。
灰色の雲から涙が落ちた日、エグランタインは腹の中の我が子を産むことを決めた。父親については口を閉ざしたが、侍女はおおよそ相手はわかっているのだろう。
エグランタインの恋人は、女王の配偶者になる資格を持っていなかった。唯一の直系の後継者を貴賤結婚させるわけにはいかないと、周囲は反対した。エグランタイン以外にアルビノが遺伝した姉妹はいなかった。
「どうしても、証が欲しくなったのよ。彼がわたくしを愛しているっていう証を」
恋人は結ばれないことを苦にしてこの世から旅立った。腹の中に残るのは、彼の忘れ形見と言える。この子がアルビノだろうが、そうで無かろうが愛する覚悟があった。
「ほら、お腹を蹴っている。この子は生きたいのよ。わたくしはこの子を堕ろさないわ」
愛おしそうに腹を撫でるエグランタインを侍女はこの世の終わりだというように頭を抱えた。エグランタインの妊娠は隠されて、腹が目立つようになってきたら静養として白亜丘陵地方の離宮へ移った。
そこで娘を出産した。何時間と陣痛に耐え、赤子の雷鳴の如き泣き声を聞いた時は、安堵から涙が溢れた。
「抱っこさせて。わたくしの赤ちゃん」
湯で清められ、ふわふわのおくるみに包まれた赤子は雪のような白い肌をしていた。毛髪はわからないが、まつ毛は白い。大きな目が見開かれて、エグランタインを見つめた。
その瞳はまだよく見えないだろうが、紫の瞳がエグランタインとお揃いだった。エグランタインは赤子に頬を擦り寄せ、額にキスを落とした。小さな手は柔らかくてお日様のような匂いがした。
赤子の安らかな寝顔を見ていると、エグランタインは出産の疲れから眠ってしまった。何度、この時眠らなければと後悔したことか。目覚めた時、すでに赤子の姿はなかった。
エグランタインは呑気にも侍女の誰かがあの子をお湯に入れてくれているんだと考えていた。しかし、いつまで経っても赤子はエグランタインの元には帰ってこなかった。
「あの子はどこに行ったの」
「あの赤ん坊は安らかな場所に旅立ちました。数時間だけですが、エグランタイン様の元に来られてあの子も幸せでしたでしょう」
侍女は淡々と告げる。安らかな場所に旅立ったのならあの子の亡骸に会わせてと頼むも、それは許されずエグランタインの知らない場所で密やかに葬儀は済まされたと言われるばかりだ。
「嘘よ! お前は嘘をついているわ。どうして母親であるわたくしが、あの子の最後を一目も見れないのよ」
「エグランタイン様は産褥で弱っておられますから」
信じられなくて、エグランタインは何度も侍女を問い詰めた。何もかもが不自然だった。そしてとうとう侍女は吐いた。
「あの赤ん坊は、エグランタイン様にとっては死んだも同然です。あの子は生まれてはならなかったのですから」
アルビノを受け継いでいたことが事態を余計に複雑にした。王室はエグランタインが婚姻前に出産した汚点をなんとしてでも隠し通したかった。卑しい血を引いた王位継承者の誕生など望んでいなかった。だから、議会も王室もあの子を無かったことにした。
そして侍女からエグランタインは自身の手から離れた赤子は白亜丘陵地方の家に引き取られたと聞かされた。
「母だと名乗れなくてもいいから、せめてあの子に何かさせて。毎年、誕生日にプレゼントを贈るとか」
エグランタインは毎年、誕生日になるとプレゼントとメッセージカードを贈った。テディベアやビスクドールなど女の子が喜びそうなものを考えて贈った。
写真の一枚、葉書の一枚も送られては来なかったがそれでも健やかに成長していると信じていた。名前もつけられなかったあの子のことを片時も忘れたことはなかった。
「女王陛下。フィッツジェラルド家の娘、ソフィア・フィッツジェラルドにございます」
デビュタントでカーテシーをするソフィアを玉座から眺めていた。きっと娘も彼女のように育っているはず。ソフィアと会うと、娘のことを思い出した。そろそろ娘も成人しているはずである。
「お願い、遠くから眺めるだけでいいの」
エグランタインは初めて娘を見に行くことにした。その頃には当時結婚を反対した保守派たちは皆、亡くなっているか現役を退いていた。自身が最高権力者になったことで、ようやく娘に会いに行ける。
しかし、娘が引き取られたと聞いていた夫婦は何年も前に死んでおり、部下に頼み近所の人間に聞き込みをしたところ、その夫婦に子供がいたところを見たものは誰もいなかった。
「どういうこと! 私が贈っていたプレゼントはあの子に届いているはずじゃないの」
エグランタインは毎年プレゼントを贈ったと報告していた侍女に詰め寄った。侍女はもう隠せなくなったとわかると顔を歪ませた。
「女王陛下は富と権力を持っていらっしゃる。それなのに女としての幸せまで手に入れるなんておかしいじゃありませんか。全てなんて手に入らないのですよ」
侍女は自身が不妊であることを理由に離縁された恨みをエグランタインに向けていたのだと知った。女王として生きるには全てを手に入れることはできないと。
赤子は孤児院に引き取られたようだが、孤児院の経営が破綻して、孤児たちが離散してからの足取りは掴めていないらしい。
「あの赤ん坊はどこかで野垂れ死んでいるはずですよ」
怒りに身を任せて侍女の頬を叩いた。赤子のことは隠されていたから何も法的に罰することはできず、解雇するしかできなかった。
ずっと悲嘆に暮れていた。ソフィアと会う時だけは、彼女に娘を重ねて、彼女のように美しく聡明に育ったのではないかと娘に思いを馳せた。
ソフィアを見ていると娘を思い出す。ソフィアに優しくすれば、娘に優しくしているのだと勘違いし思い出に浸ることができた。娘にもソフィアにも悪いことをしたと思っている。娘は直接、母親からの愛情をもらいたかっただろうし、ソフィアは娘を思い出す道具にされたくなかったはずなのに。
自分のやることなすこと全てが薄っぺらい自己満足なのだとしても、ソフィアに優しくできると娘を愛せなかった罪悪感が少し軽くなる。
女王になったのに、自身に付随する権力は愛するものを何一つ守れない。毎夜、娘を思って泣き明かした。
そんな時だった。ヴァイオレットが現れた。
娘だ。この子はわたくしの娘だ。そう直感した。ヴァイオレットの姿は若き日のエグランタインに瓜二つだった。アルビノという特徴を差し引いても、目の形から鼻の形、耳の形、唇の形、全てがエグランタインの生き写しだった。
「ご出身は白亜丘陵地方ではないの?」
「物心ついた頃から、首都にいたと思いますが…」
孤児院が経営破綻し、離散したのちヴァイオレットは首都に流れ着いたらしい。ずっと近くにいたのにどうして気づかなかったのだろう。エグランタインは悔しさで身が焼けそうなほどの苛烈に自身に怒りが湧いた。
「ヴァイオレット、必ずわたくしの傍についていて。離れないで」
この子を盾にするわけにはいかない。着飾らせて動きを封じて、エグランタインのそばから離れさせなければ結果的に他の護衛がエグランタインと一緒にヴァイオレットも守る形になる。
そう思っていたのに。まさかドレスに毒針が仕込まれていたなんて。エグランタインがヴァイオレットにドレスを着せなければ、ヴァイオレットは毒で苦しむことはなかったのに。
ヴァイオレットの治療に同席して、肌を見た。あの子には胸に星型に見える特徴的な痣があったはずだから。もうその痣がなくとも、ヴァイオレットを娘と切り離して考えることなどできなくなっていたが。
毒針が刺さっていた胸の箇所の衣服が剥がされる。そこにはやはり、星型の字があった。エグランタインは歓喜に震えた。やはり、やはり娘だった。喜ぶのと同時に自分の浅慮からヴァイオレットを危険に晒してしまったことを悔やむ。
あの日、手から離れた温もりをもう二度と失いたくない。




