17話 母親
「今日は何を着せて楽しもうかしらね」
「女王陛下、私の目の前で企まないでください」
カウチにゆったりと腰掛けるエグランタインに、ヴァイオレットは噛み付くように抗議した。今日こそは、エグランタインのお人形になってやるものか。護衛として立派に任務を果たしたいのに。
もちろん、変装が必要な場合はあるだろうが、その場合は動きやすさを確保するものだ。何度も何度も着替える必要はない。エグランタインはヴァイオレットから動きやすさという自由を奪いたいのだ。
エグランタインは信念と自分の命を比べて、信念を選び取れる人なのかもしれない。しかし、護衛として着任したヴァイオレットは、エグランタインを死なせてはならないことが使命だ。
「わたくしの娘時代のものはあらかた着せてしまったし、今日はわたくしのものを着てみましょう」
エグランタインはヴァイオレットが可愛い子犬が吠えているだけとでもいうように同時なかった。そしてエグランタインが若い娘時代から今に至るまで体型が変わっていないことも、彼女が魔女であるのを裏付けているような気がしなくもなかった。
「女王陛下、私は護衛です。女王陛下の愛玩人形になるのが仕事ではありません」
「では、変装の予習としましょう。あなたがわたくしの身代わりを務められるか、確認するのよ」
うまく言いくるめられてしまったようで、ヴァイオレットは奥歯を噛み締めた。ソフィアの身代わりとして変装した時は厚底靴を履いて、胸を詰めた。エグランタインの場合も確認しなければいけないのは確かだった。
ヴァイオレットはじりじりとメイドたちに囲まれて、エグランタインの命令するままに着替えさせられた。一着だけ着てエグランタインに似せられるか、確認したらすぐに脱ぐという決意を固めながらも、重い衣装と締め付けられるコルセットに、声にならない悲鳴を漏らした。
ドレスは純白で繊細なレースが重ねられまろやかな白盧パールと薄いピンクのパールが縫い付けられていた。スカート部分は大輪の薔薇のようにふわりと広がり、花弁のように見えるように布が工夫されていた。光の当たり方で布の表情が変わるように絹糸で刺繍が施されている。
きっとエグランタインの純白の髪やまつ毛、肌に純白のドレスはよく合うだろう。同じアルビノの容姿であるヴァイオレットにもよく似合った。
「よく似合うじゃない。ランドルフにも見せてあげなくてはね」
エグランタインは着飾ったヴァイオレットを満足そうに眺めて、また部屋から追い出していたランドルフを呼び寄せた。似合うのではなく、エグランタインに似せられるかを確認するはずではなかったのだろうか。
部屋に入ってきたランドルフはヴァイオレットの姿を見て、息を呑んだ。だが、その瞳は見惚れているというよりは何か信じられないものを見たように揺れていた。
エグランタインはヴァイオレットに近づき肩を抱き寄せる。そしてランドルフの方を見た。
「わたくしたち、そっくりでしょう」
顔は見えないが、エグランタインが妖しげに微笑んだような気がした。エグランタインは可憐な少女と妖しげな魔女を行ったり来たりする人だから。
ちくりと肌が痛む。コルセットを絞めすぎたのだろうかと、少し緩めようと手を動かそうとした時だった。視界がぐらりと歪む。手は震えていて、指先は真っ白になっていた。
「あ…れ…?」
身体中が痺れる。舌が上手く回らない。鏡に映った自分の顔は真っ青になっていた。その場に倒れ込んで視界は暗転した。
「ヴァイオレット!」
ランドルフの声がやけに鮮明に聞こえた。
***
目が覚めると、ヴァイオレットに割り当てられた客室のベッドの上だった。そばにはエグランタインが付いていて、目覚めて一番最初に見るのが女王の顔だったことにヴァイオレットは心臓が飛び出すかというほど驚いた。
「目が覚めたようね。本当によかったわ」
エグランタインは張り詰めていた息を吐くと、ヴァイオレットの手を両手で包み込むように握った。
「ドレスに毒針が仕込まれていたの。衣装係が拘束されたわ」
衣装係は尋問すると反王党派の人間であることを吐いたという。出自を擬装して、女王に近づいたそうだ。エグランタインは何度もヴァイオレットに「ごめんなさい、ごめんなさい」と許しを乞うた。ヴァイオレットは女王に頭を下げられるのは、恐ろしかった。
「わたくしの血が流されるべきだったのに、あなたを盾にしてしまった」
エグランタインは自分がドレスを着せなければ…と後悔しているようだった。しかし、今回は幸運だった。もし、ヴァイオレットが先にドレスを着なければ毒針に刺されていたのはエグランタインだったのだから。これで護衛としての任務を果たせた気がした。
エグランタインに握られている手と反対の手は点滴で繋がれている。毒の処置は成功したから、ヴァイオレットはまだ生きているのだろう。
「…ランドルフ様はどこですか。ずっと名前を呼ばれていた気がしたのですが」
ランドルフの名前を聞くとエグランタインは悲痛な面持ちながらもくすりと笑った。
「あなたが一命を取り留めて、目覚めない間ランドルフはずっとそばを離れなかったけれど、あなたが目覚めると外に出てしまったわ」
きっとエグランタインもヴァイオレットのそばにいたから護衛のついでだとは思うが、それでもランドルフがずっとそばにいてくれたことが嬉しかった。ヴァイオレットが目覚めたことを確認してから任務に戻ったのだろう。
「女王陛下、謝らないでください。むしろ護衛の役目を果たせて良かったです」
ヴァイオレットはやんわりとエグランタインの手を解いた。女王と自分の命が対等なわけがない。それなのにエグランタインはヴァイオレットを犠牲にしたことを悔やんでいる。
「私、女王陛下の盾になれて嬉しかったです」
ヴァイオレットは自分の記憶を辿った。瞬間記憶を持つヴァイオレットはおそらく幼児期健忘が起きていない。ヴァイオレットの原初の記憶は、自分に落ちる大きな影。
可愛らしいモビールが吊るされている。自分を見下ろしている影の主は、ぼんやりとしていてかろうじて笑っているのがわかるくらいだ。ぼんやりとしか記憶にないのは、忘れたわけではなく、ヴァイオレットが生まれたばかりで視力がよくなかったからだろう。
髪も肌も真っ白。甘いミルクの匂いがした。きっと母乳の匂いであり、覗き込んでいるのは母親だろう。きっとヴァイオレットのアルビノは母から引き継いだ。
しかし、その母親らしい女の人の記憶はほんの少ししかない。気づけばヴァイオレットが孤児として路上で生活している記憶になる。きっと母親はヴァイオレットを捨てたのだろう。
ヴァイオレットは捨てた母親を恨んでいない。きっとランドルフに拾われたからそう思えるのだろう。何か捨てなくてはならない重大な事情があったのだと信じたいだけかもしれないが。
ヴァイオレットはそのことをエグランタインに話した。
「だから、私は勝手ながら女王陛下を母親のように思っていました。今日、私は大好きなお母様を守れたような気がします」
ヴァイオレットは少しでもエグランタインの罪悪感が軽くなるように願った。しかし、エグランタインは傷ついたような表情になった。
「…そう。私は私を慕う娘を盾にしてしまったのね」
エグランタインの手は僅かに震えていた。ヴァイオレットは自分がエグランタインの身代わりになったことはむしろ望んでいたことで、エグランタインが気に病む必要はないと言いたかったのに、まるで真逆の結果になってしまった。
「女王陛下…!」
ヴァイオレットは何か言わなくてはと口を開いたが、エグランタインは静かに部屋から出て行った。




