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16話 地獄

 エグランタインは自身が暗殺の危機に瀕しているとしても、いつも通りに女王としての公務を続けた。エグランタインが劇場の桟敷席に現れると、客たちは女王がいることに気づいて総立ちになった。


 「女王陛下、万歳!」


 十分も拍手が鳴り止まなかった。実際はもっと長かったかもしれない。劇場は熱気に包まれた。エグランタインは「国と結婚した」「国民すべてが私の子供」と公言する女王だった。


 皆から愛されていた。ヴァイオレットはそのエグランタインの姿をそばで眺めながら、この人の凄さと肩にかかる重責を思った。


 エグランタインに着飾らせられたから、ヴァイオレットはお付きの侍女に見られているかもしれなかった。


 「気を遣わなくていいのに」


 照れながらも、優雅に手を振りかえすエグランタインは女王の風格があった。初対面の時の印象は若々しく、まるで少女のようだと思ったのに、今はすっかり母のように見えた。この人は処女王の異名の通り、伴侶も子供もいないはずなのに。


 「ヴァイオレット、あなたも楽しみなさい」


 エグランタインは席に座りながら、オペラグラスを構える。この桟敷席盧の座席は特別で、通常の座席より幅があり足を置くこともできる。エグランタインは自身の隣の座席を指差して、座るように促した。


 「任務中ですので」


 ヴァイオレットは断るが、エグランタインはそれを見越していたかのように笑った。


 「その格好ではまともに動けないでしょう。銃などという物騒なものはここでは出さないでね」


 エグランタインが軍人としてのヴァイオレットの翼を折ったのだと気づいた。もしかしたら、エグランタインはヴァイオレットに女が軍人なんて務まるわけがないと言いたいのかもしれない。ヴァイオレットに護衛の任務をさせたくないようだった。


 しかしエグランタインこそが、戦時中に准大尉として活躍している。彼女自身が、女も軍人として務まることを証明していた。


 エグランタインもソフィアも、善意でヴァイオレットからヴァイオレットたらしめるものを取り上げていく。軍人としてのヴァイオレットはランドルフに作られた。ランドルフ由来のものを否定されているように感じる。


 「いざとなればスカートを破いて、走ります」


 ヴァイオレットは意地でも座席には座らなかった。証明が暗くなり、舞台の幕が上がる。暗闇──しかも舞台に皆が注目している間、客席に目を向ける人は少ないだろう。暗い方がヴァイオレットには見やすかった。


 頭の中で劇場の地図を思い浮かべ、非常口への最短ルートを計算する。劇場にいる警備たちの人数とその位置。すべてが頭に入っていた。


 ヴァイオレットは緊張が途切れなかったが、劇場にいる間、移動時、そして王宮に帰ってからも特に襲撃などはなかった。


 「クライマックスのシーンの演出が良かったわね」


 エグランタインはヴァイオレットに感想を求めてきたが、ヴァイオレットは護衛任務に集中していて観劇を楽しんでいる余裕なんてなかった。


 「…私は任務中ですので…」


 言葉を濁すとエグランタインは拗ねたように唇を尖らせた。そういった仕草は少女のようだ。この人は少女性と母性が同時に存在している人なのだろう。


 「わたくしは無辜の民を肉の盾にする気はないわ。あなたはわたくしの娘。娘を盾にする親がどこにいるのですか」


 エグランタインはまっすぐヴァイオレットを見つめた。自分と似た紫の瞳と目が合う。きっと同情しているのだろう。路上の孤児とは国が救済できず、取りこぼしたものの象徴。エグランタインはヴァイオレットの境遇に同情しているのかもしれない。


 国民を、薄汚い孤児を、自分の娘同然に扱う。慈愛の心に触れたことのなかったヴァイオレットは動揺した。護衛対象に護衛を拒まれるということ自体も初めてだった。


 もしエグランタインは身の危険が迫ったらヴァイオレットに守られることを良しとせず、女王として気高く自分に向けられた悪意に立ち向かうのかもしれない。だからといって彼女の意思を尊重してエグランタインが凶弾に倒れることなどあってはならない。


 「必ずわたくしの傍についていて、離れないでね」


 エグランタインは念を押すように初めて会ったときの言葉を繰り返した。若者を自分のために死なせるようなことはしないという意思表示だろう。その心がけは立派かもしれないが、護衛する立場からすれば頭を抱えなくてはならなかった。




***



 

 エグランタインの護衛は彼女の就寝時間になると、交代となった。ヴァイオレットはようやく息苦しいコルセットから解放され、軍服に戻れた。体を引き締めるという意味ではネクタイもコルセットも同じかもしれないが、やはりネクタイの方が好みだ。


 ヴァイオレットら護衛は宮殿の職員用の客室が割り当て

られていた。ランドルフもきっと交代して部屋に戻っているだろう。ランドルフも護衛についていたが、エグランタインのそばに控えるヴァイオレットとは違い、第二課の護衛の全体を確認するために、必ずしもエグランタインの近くにいるわけではなかった。


 「…会いたいな…」


 思わず心に秘めておくはずだった本音が漏れていた。足は自然と自分に割り当てられた部屋ではなく、ランドルフの部屋に向かっていた。


 深呼吸をしてからドアをノックする。まるでヴァイオレットはエリザベスの格好をして部屋に訪れた時みたいだった。あの時は、ランドルフがヴァイオレットにエリザベスを求めるならそうするつもりだった。


 「ランドルフ様、ヴァイオレットです」


 中から物音がしてドアは開いたが、ランドルフは顔が半分見えるか見えないかくらいの隙間しか開けなかった。中にヴァイオレットが入ることを拒むように。


 「夜に男の部屋に来る意味をわかっているのか」


 「ランドルフ様に会いたかったんです」


 もう寝ろ、とランドルフは夜更かししたい子供を宥めるような声を出してドアを閉めようとした。ヴァイオレットはすかさず足をドアの隙間にねじ込み、ドアと軍靴の革が擦れ合う感触が脚に伝わった。


 「ヴァイオレット」


 ランドルフは無駄な悪あがきをするヴァイオレットを嗜めるように言った。呆れを含んではいたが、仕方がないなと許してしまうような愛おしさを含んでいるのかもしれない。今、ランドルフを困らせているんだという実感が気持ちを高揚させた。


 「私、女王陛下の命令に逆らえず今日は護衛として失格でした」


 叱られるでもいいから少しでも長くランドルフの声を聞いていたかった。


 「時には護衛として変装も必要だろうが、女王陛下には困ったものだ。女王のもっとも近くは女性の護衛ではなくてはならないのにな」


 エグランタインはヴァイオレットを着飾らせることで自らを守る盾、そして矛を削いでしまっている。それが、若者を犠牲にしたくないという気持ちであっても。ランドルフがヴァイオレットを肉の盾として紹介したことがエグランタインは気に入らなかったのかもしれなかった。


 「明日はもっと上手くやります。ですから、私をまだ見捨てないでください」


 いつか、ランドルフがヴァイオレットの贖罪よりも別のことを優先するかもしれない不安が過ぎる。真にランドルフの心を繋ぎ止められない気がする。ヴァイオレットがランドルフを縛っているのは罪悪感であり、深い愛情ではないことをよく知っているから。


 罪悪感は吹っ切れて仕舞えば何も感じなくなるかもしれない。ヴァイオレットへの贖罪など、どうでもいいと思われるかもしれない。ランドルフの心の隙につけ込んでいる自覚がある。


 「お前には、期待している」


 ランドルフはしばし逡巡したのち、ヴァイオレットが教え子として喜びそうな言葉をかけた。きっと最高傑作ヴァイオレットに向けてだろう。しかしヴァイオレットは最高傑作であり続けることより、失敗作になることを選んだ。


 「ランドルフ様の生きる理由になれると嬉しいですから」


 ヴァイオレットは背伸びをしてランドルフの頬を撫でた。ランドルフはヴァイオレットの手が伸びてくると、わかっていたかのように身を屈めてくれた。


 エリザベスがランドルフを死に誘う理由なのだとすれば、ヴァイオレットはランドルフを生に引き留める理由になりたい。


 ヴァイオレットたちはたくさん人を殺したから天国にはいけないだろう。ランドルフは妹と同じ天国には行けない。


 ずっと一緒に。ランドルフはヴァイオレットとともに地獄へ行く。どんな罰が待っているか、不安はあるがきっとランドルフとなら大丈夫だ。


 絶対に離さない。

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