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15話 女王

 忘れ物はなかったとランドルフには伝えた。ガブリエラがランドルフに本気になっているとは一言も漏らさなかった。そんなことでランドルフがヴァイオレットへの贖罪を諦め、ガブリエラとの陳腐な恋愛に心変わりするとは思わなかったが、不安の芽は潰しておくに限る。


 第二課は女王の暗殺阻止の作戦へと移行した。


 広大な薔薇園を設えた前庭はむせかえるような芳香に包まれていた。いばらを模したアーチをくぐり、砂利の道を進んだ先で待ち受けるのは、黒鉄くろがねの骨に支えられた漆黒の王城。


 この国でもっとも高貴なひとがおわす場所、ペンドラゴン宮殿である。一部の庭園は観光名所として一般に解放されている場所もあるが、情勢を鑑みて今は閉鎖されている。


 ヴァイオレットは仕事でも観光でも宮殿を訪れたことはなかった。荘厳な宮殿を前に、緊張で足がすくむ。


 「どうした」


 隣にいるランドルフは慣れているのか緊張している様子はない。


 「これから、女王陛下にお会いするから緊張しているんです」


 ずいぶんと遠いところまで来てしまった。路上の孤児だった頃からは考えられないことだった。女王とヴァイオレットの生まれた環境は天と地ほどの差がある。


 ソフィアと会ったときは同じアルビノなのにどうしてここまで違うのだろうと、ショックを受けたこともある。しかし、女王と自分を比べようとしても、そもそも比べること自体が烏滸がましいと感じ、何も湧き上がらなかった。


 女王の執務室へ通される。廊下は絨毯を敷き詰められていて、足音は吸い込まれるように消えた。女王エグランタインはヴァイオレットたちが入ってくると、書類から顔を上げ、眼鏡を外した。


 「あら、ごきげんよう。ランドルフ」


 エグランタインは柔らかく微笑んだ。口ではランドルフの名前を呼んでいたが、視線はずっとヴァイオレットに向いていた。きっと彼女もソフィアと同じく自分と同じアルビノが珍しいのだろう。


 「本日より、陸軍情報部第二課も女王陛下の護衛に加わらせていただきます」


 ランドルフが敬礼するのに倣ってヴァイオレットも敬礼した。ソフィアら令嬢たちはデビュタントの際に女王にカーテシーをするらしいが、ヴァイオレットはそれが敬礼なのだろう。もう恥ずかしいという気持ちは薄まっていて、誇りを感じる。


 「ランドルフ、そちらの方を紹介して」


 エグランタインのラベンダーの瞳がまっすぐヴァイオレットを射抜いていた。まるで心臓の裏まで見透かされているかのようだった。エグランタインはたしか、四十代のはずだが、まるで老いを感じさせず少女のような愛らしさを残していた。


 比較的年齢が近かったソフィアの身代わりとしてヴァイオレットが抜擢されたのは納得することができたが、歳が離れているエグランタインの身代わりなど務まるだろうかと心配していた。

 

 しかし、エグランタインの若々しさはまるで魔女のようだった。エグランタインも小柄なので、ヴァイオレットが厚底靴を履いて背丈を誤魔化せば充分に身代わりは可能だ。


 「部下のヴァイオレットです。いざとなれば彼女が身代わりとして肉の盾になります」


 ランドルフの説明にエグランタインはしばらく黙っていた。沈黙は重く、その間エグランタインの視線はずっとヴァイオレットに固定されていた。そのせいでヴァイオレットは居心地の悪さを覚えた。


 「ソフィアを守ってくれた方ね。あの子はわたくしも可愛がっていたから。どうもありがとう」


 エグランタインの言葉に改めてソフィアの高貴さを実感した。ソフィアの継承順位は三位だが、他の継承者はエグランタインがこのまま末永く統治した後崩御した場合、かなりの高齢になるため、次代の女王はソフィアであるという見方が強かった。


 「ヴァイオレットのファミリーネームは何かしら。どの家のご出身なの?」


 エグランタインもソフィアと同じことを尋ねた。市井でもアルビノが発現することはあるが、やはり珍しい。貴族は女王家系の血を引き継いでいる者が多く、アルビノが発現しなくともアルビノの遺伝子の保因者であることが多い。ランドルフも妹にアルビノが発現したのなら、女王家系の血を引いており保因者なのだろう。


 「孤児ですのでファミリーネームはありません。必要な時は、ランドルフ様のグレイを名乗らせてもらっています」


 書類などに必要な場合、ランドルフからは名前を使っていいと言われていた。ヴァイオレットはグレイと名乗る時、ランドルフと結婚したように感じて嬉しくなる。それと同時にアンジェリカから養女みたいと揶揄われたことも思い出して苦い気持ちになるのだが。

 

 「ご出身は白亜丘陵地方ではないの?」


 エグランタインからの問いに、ヴァイオレットは無意識に唇に触れていた。方言を感じ取り、出身地を当てようとしたのではないかと思ったからだ。しかし、ヴァイオレットはランドルフに上流階級の喋り方に矯正されている。気付かぬうちに下町訛り(コックニー)が出てしまったのだろうか。


 「物心ついた頃から、首都にいたと思いますが…」


 ヴァイオレットは首を傾げながら答えた。エグランタインは何が目的なのだろう。ヴァイオレットの出身地によってはそばに置きたくないと感じるのかもしれない。


 「…そう。わたくしの勘も鈍ったかしらね」


 エグランタインは口では自分の勘が鈍り、何の収穫もなかったというそぶりを見せたが、目だけは雄弁と「満足した」と発していた。どうやらエグランタインの出身地の篩にかけられて、無事に合格したらしい。


 「ヴァイオレット、必ずわたくしの傍についていて。離れないで」


 「必ずお守りいたします」


 エグランタインは怯えているのかもしれない。ソフィアは護衛に慣れてくると窮屈に感じ始め、ヴァイオレットたちを鬱陶しがっていた。エグランタインは緊張感をもっているらしい。


 ヴァイオレットは拳を握りしめ、任務の無事に終われるように覚悟を固めた。




***




 「女王陛下、これは一体…」


 ヴァイオレットは混乱していた。シュミーズ姿にひん剥かれ、メイドたちに囲まれて、コルセットを絞められドレスを着せられていた。クラシカルなバッスル・スタイルから流行りのミニ丈まで様々だ。


 その様子をエグランタインはカウチに座り紅茶とスミレの砂糖漬けを楽しみながら眺めていた。


 「やはり可愛い娘を着飾るのは楽しいものね」


 エグランタインは満足そうに呟き、隣に控えていた執事は「全くその通りです」と言わんばかりに頷き、空になったエグランタインのカップに紅茶を注いだ。


 エグランタインの指先は滑らかに動き、ミルクを入れる手つきでさえ、絵になる。


 「女王陛下、こんな格好では任務を遂行できません」


 ヴァイオレットが抗議するが、エグランタインは受け入れなかった。


 「これから公務よ。王立劇場で観劇しなくてはならないの」


 エグランタインの言葉は有無を言わさない圧力があった。護衛としてあなたもついてくるんだから、観劇に相応しい格好をしなさいと言われているようだった。


 しかし、わざわざドレスを着なくてもいいはずなのに。そこで、ヴァイオレットはエグランタインもソフィアと同じく孤児という境遇に同情しているのだと気付いた。ヴァイオレットを妹か娘のように慈しみ、飾り立ててお人形のように着せ替えて楽しむ。


 孤児の女の子に夢を見せてあげるという施し、慈善という認識なのだろう。


 ヴァイオレットはメイドたちに椅子に座らせられ、髪を結い上げられ、化粧を施された。淡いラベンダーのドレスはヴァイオレットの瞳と良く合っていた。エグランタインのセンスは良いかもしれないと認めなくてはならなかったが、なぜ護衛任務中に着せ替え人形にさせられるのだろう。


 着替え終わったヴァイオレットを見てエグランタインは良いことを思いついたように、にやりと笑った。まるで悪戯好きの子供のようだった。


 「ランドルフにも見せてあげましょう」


 エグランタインは部屋の外で護衛をしていたランドルフを呼び戻した。ヴァイオレットはまた舞踏会の口紅の時みたいにランドルフに拒絶されるのではないかと不安だった。それと同じくらい、見惚れて褒めてくれるのではないかと期待した。


 部屋に入ってきたランドルフはヴァイオレットの姿を見て驚いたように目を見開いた。きっと護衛任務中に何をしているんだ、と怒られるのだろう。


 「女王陛下、任務に支障が出ますので俺のヴァイオレットを着飾らせないでください」


 俺の──という響きにヴァイオレットは胸が高鳴って、胸の辺りを手で握りしめた。以前は部下、道具、物という意味合いが強かったが、今は一人の「人間」として見てくれているような気がした。ヴァイオレットがそう思いたいだけかもしれないが。


 「ランドルフ、レディに褒め言葉の一つもないの?」


 エグランタインの手からはカップが離されていて、ランドルフに扇子が指差すように向かっていた。


 「…ヴァイオレット、似合っているが今は着替えなさい」


 ヴァイオレットが「わかりました」と返事をしようとしたが、それより先にエグランタインが口を開いた。


 「このはこれからわたくしと観劇に行くの。命令よ」


 女王の命令には誰も逆らえなかった。エグランタインは最初から護衛など必要としていなかったのではないか。小娘のヴァイオレットなら、着飾らせておけば黙ると思ったのかもしれない。


 エグランタインやソフィア、高貴な女性たちの優しさはいつだってヴァイオレットには残酷だ。この人の優しさをまっすぐに受け取れない自分が、苦しかった。

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