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13話 贖罪

 車窓の景色は街の明かりが前から後ろに流れていく。


 「ランドルフ様は女王陛下にお会いしたことがあるんですか」


 この国でもっとも高貴な女性。女王エグランタイン。ヴァイオレットはこの人のことを新聞の写真でしか知らなかった。


 「片手で数えられる程度しか会ったことはない」


 ハンドルを握るランドルフの手はいつも通り手袋がしてあった。横顔は物憂げで、少し髪が乱れている。コートの下はラフなシャツで、ヴァイオレットが帰って来ないのに気づいて、慌ててコートを引っ掛けたように見えなくもなかった。


 もし、ランドルフがヴァイオレットがいなくなって焦ってくれていたらどれだけ嬉しいだろうか。


 「女王陛下はどんなお方ですか」


 ソフィア、女王、そしてランドルフの妹。ランドルフにまつわるアルビノ女性を紐解けば、彼に近づける女性になれるかもしれなかった。彼から他の女に向ける「苦手」という感情を奪い、ヴァイオレットだけのものにできるかもしれないと淡く期待していた。


 「紅茶好きの海賊を統べるじゃじゃ馬だ」


 「…そんな言い方して不敬にならないんですか。仮にもランドルフ様は女王陛下の狂犬って呼ばれているのに」


 ランドルフが女王陛下の狂犬という呼び名をあまり気に入っていないことを知りながら、揶揄うように言った。


 「その異名は、俺や前線の兵士たちを好きなように使うためのプロパガンダだ」


 ランドルフは片手でハンドルを操作しながら、眼帯に触れた。たったそれだけのわずかな行動で、ヴァイオレットはランドルフの目の古傷が傷んだことがわかった。


 その傷に触れたいと思った。ヴァイオレットが目の代わりに役に立ちたいと。ヴァイオレットだってアルビノだから視力が格別に良いというわけではないが、それでも何かしたかった。


 「ランドルフ様は、女王陛下が嫌いなんですか?」


 どうして嫌いなのかが分かれば、その感情を取り除き、ヴァイオレットに向ける方法の手がかりが掴めるかもしれない。先程の「好きなように使うためのプロパガンダ」と言った声には苦々しい響きがあった。


 この人は戦場から帰って来られないのかもしれない──そんな予感がした。だから死にたがりなのだろう。ヴァイオレットは車内に染み付いた煙草の臭いと、灰皿に積まれた灰の残骸を見て納得した。


 「好きではないな」


 愛国的な英雄として持ち上げられたこともあるランドルフの裏の顔が見れたのかもしれなかった。女王陛下の臣民としてはあるまじきことだが、それを見せてくれるほどには信頼されているのだとわかって口元がにやけるのを必死で抑えた。


 「それは…アルビノだからですか」


 ランドルフのアルビノ嫌いには死んだ妹の存在だけではなく、この国の王統への疑問も含んでいるのではないか。ランドルフは戦争で傷ついた。それが目の傷であり、アルコール中毒であり、戦闘ストレス障害なのではないか。


 「そうかもしれないな」


 車は夜道を走り、やがては屋敷のガレージへたどり着いた。もうそれ以上会話は続かなかった。




***



 

 ヴァイオレットは鏡の前で長い髪をおさげに結った。仕上げに大きなリボンで飾る。服はフリルやレースがふんだんにあしらわれた可愛らしいものを着た。ランドルフからは与えられていないものだ。


 鏡の中に映るヴァイオレットの姿は、写真の中のランドルフの妹に似ていた。ヴァイオレットは満足げに微笑む。スキップしながら、重厚なカーテンや甲冑、そして歴代の肖像画が並ぶ廊下を進んだ。


 ランドルフの部屋の前で立ち止まる。深呼吸をしてノックした。


 「ヴァイオレットか。入っていいぞ」


 ランドルフはまだドアも開けていないのに、足音でヴァイオレットだとわかったようだ。ヴァイオレットが足音やエンジン音でランドルフだとわかるのと一緒だ。


 「失礼します」


 ヴァイオレットは弾む声を抑えながら、ドアを開いた。ランドルフは机の書類に向かっていて、ヴァイオレットが入ってくると視線を上げた。そしてヴァイオレットの姿を確認して息を呑む。


 「エリザベス…?」


 ランドルフは茫然としたように呟いた。ランドルフの妹はエリザベスという名前なのか。ヴァイオレットは情報を頭に入れながらも、胸が締め付けられた。顔を顰めてしまわないように、笑顔を張り付けた。


 「いや…ヴァイオレットか。何の真似だ」


 ランドルフは頭を押さえて、頭痛を堪えるように眉間を顰めた。


 「お部屋のクローゼットからお借りしました。どうですか、ランドルフ様。妹さんとそっくりですか」


 ヴァイオレットはスカートを掴んでカーテシーをしてみる。そしてその場でくるりと軽やかに回る。スカートがふわりと膨らんで、まるで花が咲いたかのようだった。


 「もっと賢い子だと思っていたが、そんな猿真似をして喜ぶと思ったのか」


 ランドルフの声は冷たい。だが、いつものように感情を動かさず淡々と告げているのではなく、血を吐くような苦しさが滲んでいた。


 「私のこと、大嫌いになってくれましたか」


 アンジェリカにもソフィアにも、エリザベスにだって勝ちたい。ランドルフの一生消えない傷になりたい。ずっとじくじくと痛みを発していて、無視できないような。ランドルフに認識されるためには、彼の傷が塞がらないように傷口を抉り続けなくてはならなかった。


 ヴァイオレットは自分がどこか壊れているのだろうと思った。


 「これが俺への罰か」


 ランドルフはヴァイオレットの言葉を信じられないようだった。こんなに動揺を露わにしたランドルフを見たのは初めてだった。心の奥深い、柔らかい部分に踏み入れているようでヴァイオレットは興奮と緊張でぞくぞくと震えた。


 「俺なりに心を砕いてきたつもりだったが、俺の生きる理由になると努力した結果が、俺に嫌われるということか」


 ランドルフの目には失望が滲んでいた。ヴァイオレットはこれで最高傑作から失敗作に転落したと確信した。


 「私に妹さんを重ねて楽しかったですか」


 ランドルフがなぜ舞踏会の時、ヴァイオレットが真紅の口紅をつけるのを嫌がったのかわかった。アンジェリカはヴァイオレットが急に大人っぽくなったからだと言っていた。それはおおよそ当たっているのだろう。


 エリザベスは死んだからもう歳を取ることはない。永遠の少女なのだ。ヴァイオレットにエリザベスを重ねているなら、ランドルフはヴァイオレットが貴族令嬢らしさから外れることを恐れたのではない。エリザベスらしさから外れることを恐れたのだ。


 ヴァイオレットに貴族令嬢の真似事をさせたのも、使えるという理由もあるが、エリザベスらしさを身につけさせるためだろう。もし、エリザベスが労働階級の娘だったらもっと違ったことを身につけさせられただろう。


 「私、ランドルフ様が望むようにエリザベスに成ってみせますから」

 

 こうしてエリザベスの形を壊す。記憶だけの朧げな輪郭のエリザベスと現実のヴァイオレットを混ぜていく。そしていつかランドルフがエリザベスとして思い出すのはヴァイオレットになる。


 ランドルフの中に眠る嫌いなアルビノの女の像を全てヴァイオレットに塗り替えたい。これが死者への冒涜なのだとしても。


 「違う!」


 ランドルフは音立てて椅子から立ち上がった。


 「確かにアルビノの容姿はエリザベスを想起させる。お前を拾ったのもエリザベスに似ていたから放って置けなかったんだ」


 ランドルフの言葉にヴァイオレットは胸が潰れそうだったが我慢して笑顔を保った。


 「だが、お前をエリザベスだと思ったことはない。お前は──ヴァイオレットだ」


 ランドルフは目頭を押さえて、崩れ落ちるように椅子に沈み込んだ。頭痛が酷いのか、それとも涙を堪えているのかわからなかった。


 「俺が…お前を壊してしまったんだな」


 聖域は壊された。


 「俺は、お前に背後から撃たれても仕方がないことをした」


 いつも余裕があるランドルフが焦っているのを見るのは、ヴァイオレットの嗜虐心を刺激した。ランドルフがヴァイオレットに罪悪感を抱いていたのだと知って、またランドルフの感情のうちの一つを独占できたのだと胸が高鳴った。


 「どうしてほしい。俺に償いをさせてくれ」


 ランドルフの「償い」という言葉はヴァイオレットの中で天啓のように輝いた。ランドルフが贖罪をしている間、ランドルフはヴァイオレットのことしか考えられず、ヴァイオレットから離れることはできない。そしてヴァイオレットが許さなければ、ランドルフの贖罪は終わらないのだ。


 ランドルフの時間を…それこそ、生涯を手に入れることができる。ヴァイオレットは歓喜に震え、にやけるのを抑えながら口を開いた。


 「私を愛してください」


 アンジェリカ、ソフィア、エリザベス、その他の人間。比べて一番ではなく、比べるまでもなく唯一になりたい。


 「…愛してきたつもりだが、お前には足りなかったんだな。だが、俺は親になれるほどできた人間じゃない」


 ランドルフは項垂れる。ヴァイオレットはランドルフの目の前まで駆け寄った。


 「そうじゃありません。愛用の銃を手入れするみたいなものじゃなくて、私を愛して、恋人にして、妻にして、私を唯一の特別にしてくれなきゃ嫌です」


 妹として見られるということは、ヴァイオレットがエリザベスから抜け出せないということになってしまう。


 「そうじゃないと、私は許せません」


 それがランドルフを傷つけ、贖罪に縛る言葉だと知っていた。しかしヴァイオレットは互いを傷つけることでしか相手の中に残れないと痛いほどわかっていた。


 「ああ。お前の望むままに」


 全てを諦めたような掠れた声でランドルフは返事をした。ヴァイオレットは手袋が外された手を自身の小さな手で包み込むように掴むと、それを頬に寄せた。頬をランドルフの手に擦り寄せながら、ヴァイオレットは春の木漏れ日のように心が暖かく満たされていくのを感じていた。

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