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12話 嫌いなアルビノの女

 「ヴァイオレット、びしょ濡れじゃん。どうしたよ」


 第二課のオフィスでエイドリアンは驚いたようにヴァイオレットを迎えてくれた。オフィスには誰かしらいると思った。


 「今日は屋敷に帰りたくなかったんです」


 ヴァイオレットの様子にエイドリアンは深く詮索せずにタオルを投げて寄越した。エイドリアンは何となくランドルフ関連だとは気づいているだろう。


 湿った髪が肌に張り付くのを剥がしながら、タオルで髪を拭いた。


 エイドリアンは蜂蜜とシナモン入りのホットミルクを作ってくれた。ホットミルクというところが子供扱いされていると思ったが、夜だからコーヒーのカフェインは摂りたくなかったし、何より子供扱いに抗議する気力もなかった。


 「ランドルフが心配するから、それ飲んだら帰れよ」


 何でもないように優しく諭してくるエイドリアンの優しさが気楽だった。


 「ランドルフ様はたぶん心配しないと思います」


 ヴァイオレットはホットミルクをちびちび飲みながら答えた。


 「そんなわけないだろ。お前が思ってるより、ずっと大事に思ってるよ。同期たちは『嫁にするために育てているのか?』って揶揄うくらいにはな」


 本当にその言葉通りに嫁として育てられていた方が良かった。ランドルフの婚約者候補として上がっているソフィアの姿を思い出す。ティーカップを持つ指先から、ワルツを踊る足先まで、ソフィアは生粋の令嬢だった。


 ヴァイオレットのアルビノという容姿はあくまで高貴に見せるためだけにしか役に立たず、骨の髄までは高貴にはなれない。ヴァイオレットの爪にはいまだに靴磨きの黒に染まっている気がする。


 「でも、ランドルフ様は私を嫁にはしてくれないじゃないですか」


 ランドルフの隣に立てる人になりたかった。アンジェリカやソフィアのような。貴族の人たちは義務で結婚し、恋愛は外でするものと考えている。ソフィアはランドルフの妻になれるし、アンジェリカはランドルフの恋人になれる。


 カップを握る指先がミルクの温度と混ざり合って溶けていく。女として見られていたら、どれほど良かったか。アンジェリカに触れるようにヴァイオレットに触れてほしいのに、他の女に触れた手で触れて欲しくないという正反対な気持ちもある。


 「ランドルフにとってお前は壊してはいけない聖域みたいなものなんだよ」


 エイドリアンの説明にヴァイオレットは納得できなかった。それは庇護すべき弱い子供として扱っていることが透けて見えたから。ヴァイオレットは守ってほしいわけじゃない。隣に並び立ちたいのに。


 そのために、訓練を積んできた。言いつけ通り銃の手入れは怠らなかったし、的に百発百中になるまで帰ってくるなと言われたこともある。ずっとランドルフのためにヴァイオレットは己の刃を磨き続けた。


 ランドルフの武器であるために。背中を預けてくれるような相棒になるために。壊してはいけないと思われていたのだとしても、ヴァイオレットはランドルフに壊されたかった。


 いや、むしろヴァイオレットはすでにランドルフに壊されている。薄々わかっていたのだ。普通の女の子は銃なんて使わない。本当に大事に思っているならば、人殺しなんてさせない。


 ソフィアに出会わなければ、ヴァイオレットは自分の異常さや醜さを浮き彫りにされることはなかった。ソフィアの手にはガンたこなんて一つもなかった。


 「…イーグル少佐は、私以外でランドルフ様に関係があるアルビノ女性をご存知ですか」


 ヴァイオレットは跳ねる心の臓を押さえつけながら尋ねた。


 「ソフィア・フィッツジェラルドと婚約の話が出ていたって聞いたが…知りたいのはその話ではないんだろうな」


 エイドリアンは顎を撫でながら思案し、ヴァイオレットの表情を観察していた。いつもは自分が観察する側なのでむずむずする。


 「俺から言っていい話かはわからないが。あいつには確かアルビノの妹がいた。痛ましい事件だったから新聞に大きく騒がれてた」


 「事件?」


 ヴァイオレットが尋ねると、エイドリアンは発言する覚悟を決めるように唾を飲み込んだ。


 「グレイ一家爆破テロ事件だ。ランドルフ以外の家族が爆薬の餌食になった」


 犯人は属国独立を目論む過激派。主犯格は「英雄気取りの愚か者たちを肉片にして女王陛下にお返ししたい」と挑発めいた声明を残して、逮捕される前に自殺している。


 順位は低いが王位継承権を有する少女を含めた名門貴族一家を狙ったこの事件は当時は大きな話題になったらしい。その頃はヴァイオレットは文字が読めない孤児だったから、新聞で騒がれていたことを知らなかった。


 女王もこの事件に声明を発表し、王位継承権を持つランドルフの妹の葬儀を国葬に準じるものにしたらしい。事件発生日でありグレイ一家の命日は「テロに屈しない人々の集い」として墓の前に蝋燭を持って集まるという。


 そういえば、以前ランドルフが執事と墓参りのことで揉めていたことを思い出した。あの時は誰の墓なのか分からなかったが、家族の墓のことだろう。


 ランドルフがろくに墓参りに行かないと執事は嘆いているようだった。きっと命日の日は「集い」として一般市民が集まってしまうから行けなかったのだろう。


 撃鉄が上がったピストル、散らばった錠剤、飲みかけの酒が目に焼き付いたまま離れない。こういう時は自分の瞬間記憶を恨めしく感じる。


 ランドルフはヴァイオレットと生きるより、妹の──家族の元へ行こうとしたのだ。「大切な人がいない世界で長生きしないためだ」と煙草を吸っていたランドルフの姿が思い出される。


 大切な人とは妹のことではないか?


 伏せられた写真──嫌いなアルビノの女も妹のことではないか?


 嫌いだけど大切という矛盾した愛情は一心に妹に向けられている。ヴァイオレットはランドルフの妹の存在を消したくなった。安心を手繰り寄せるように、ガーターベルトに隠したリボルバーに触れる。


 しかし、もう妹は死んでいてヴァイオレットにはどうすることもできない。死してなお、いや死んで永遠になったからこそランドルフの頭を占領する妹が憎いのと同時に羨ましかった。


 どうしてアルビノの女が嫌いなのにアルビノであるヴァイオレットを拾ってそばに置き続けたのか疑問だった。自分の気持ちを押し殺して、仕事に使えるからという理由だけでは、ヴァイオレットに与えた優しさに釣り合わない気がしていたから。


 ヴァイオレットは妹の代替品だったのではないか。その考えに達した時、胃の中に入れたホットミルクが急に生臭い臭いを発して気持ち悪くなったような気がした。


 アルビノであることは祝福などではない。これは呪いだ。呪いは荊のように体に絡みつく。今までランドルフの役に立てるのなら、容姿をいくらでも利用してやろうと思って訓練を頑張ってきたのに。


 今はこの容姿をずたずたに引き裂きたかった。ヴァイオレットがアルビノである限り、ランドルフは妹を重ねてみるだろう。それではいつまで経っても庇護すべき存在から抜け出せない。


 髪を切って、黒く染めて、肌は暗いファンデーションで隠そうか。しかし、この紫の瞳だけは変えられない。この瞳でアルビノだとばれてしまうかもしれない。


 その時、窓の外から車のエンジンの音が聞こえた。


 「ランドルフ様の車だ」


 飲み終わったカップを机に置き、ヴァイオレットは窓に張り付くように外を見た。雨粒がついた窓ガラス越しに夜の闇の中にテールランプがぼやけて光る。


 「家出少女を迎えにきたんだよ」


 エイドリアンが笑いながら煙草に火をつけた。まるでランドルフが迎えに来たことが「壊してはいけない聖域のように大事に思っている」という自分の発言を裏付けしたかのように。


 鉄の外階段をランドルフの革靴が音を立てながら上がってくるのがわかる。オフィスのドアが開いて、ランドルフが入ってきた。


 「やっぱりここにいたか。ヴァイオレット、帰るぞ」


 ランドルフの言葉にヴァイオレットは黙って頷いた。ヴァイオレットがランドルフが「太陽の娘」にいることをわかったように、ランドルフもヴァイオレットが行きそうな場所を把握していたことに胸が暖かくなる。


 自分で置いていったくせに、迎えに来てくれるなんて。きっとランドルフはいつも通りヴァイオレットがついてくると思っていたのだろう。ランドルフを困らせることができただろうかと、悪戯が成功したみたいに嬉しくなった。


 この人の不器用に漏れ出る優しさに、振り回されているけれど、この人を振り回すこともできるだろうか。アンジェリカの助言が背中を押した。

 

 車の助手席に乗り込みながらヴァイオレットは「車の運転を教えてください」と頼んだ。


 「お前にはまだ早いだろう」


 ランドルフはそう言ってエンジンをかける。


 「でも女王陛下は私くらいの歳にはすでに、王立婦人陸軍の准大尉として輸送トラックを運転していたそうですが」


 「あの女は無免許運転だ」


 女王の名の元に運転免許が発行されるためだという。女王を「あの女」と呼べてしまうランドルフの精神にヴァイオレットは舌を巻いた。叙勲式以外でもランドルフは女王のお茶会に招待されることがある。


 あの女と呼ぶということはランドルフは女王に苦手意識でもあるのだろうか。女王もアルビノであることをヴァイオレットはぼんやり考えていた。

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