【番外編02】 ここでキスして
《水~。水をおくれ~。枯れる~!》
「はいはいはい。うるせぇな。今やるよっ」
水差しの取っ手を掴み、泊まっている宿の裏庭に出る。
ぼやっとした塊だった精霊が、最近半透明ながらもはっきりと視えるようになってきていた。
ファンタジーゲームとかに出てくる元素精霊っぽいのもいるが、生き物一つ一つの意識体もいて形も色も様々だ。
姿が視えるにつれて何を言っているのかもわかるようになってきたんだが、思考が単純らしく、己の欲望欲求のみをひたすら繰り返してぶつぶつ言っているからうるさいったらない。無視すればいいんだろうが、本当にその願いが叶うまで延々訴えるので、無視する方が疲れる。
「あ」
《ぎゃー!》
傾けてから、それがポットだと気がついた。
「ま、水は水だろ」
《酷い! 酷い! 熱い~!》
たぶん大丈夫なので無視。枯れそうになったら考えることにする。
セッダは砂漠や荒野を含む、広大な領土を持つ国で、ザンナ砂漠はその端も端、最南端にあったらしく、まず帝都に着くのに結構かかった。
行かなければならないのは帝都の中心にあり、陛下のおわす宮殿だ。
だが、お祭り騒ぎみたいな歓迎を受けつつ外門から帝都に入ってから、既に一週間が経っている。旅隊の解体やら荷の引き渡しやらの手続きで、いまだ帝都の外郭にある区画に留まっているのだ。
アリヤは婚儀の準備があるからと少数精鋭の護衛をつれて先に帝宮に向かってしまったので、俺はファリスが仕事をしている時間を持て余していた。
俺の立場もやはり色々と問題があるらしく、混乱を避けるためとかお前の安全のためとか言いくるめられて、街に遊びに行くこともできない。
せめてリドがいれば違っただろうが、リドは皇太子じきじきに任命されたアリヤ付きの従者なので、一緒に行かざるを得なかったのだ。
外側だからか帝都だからか、ともかく商人の出入りが盛んで、この様子なら中心街はもっと賑わっているのだろう。
想像していたよりもずっと発展していて、活気のある国のようだった。
しかも今回はシェラディアが成功していることもあり、常より輪をかけて賑やかになっているらしい。
貸し切られた宿の一室にいても、人々が喜びと期待に心を躍らせていることが、噂好きらしい風精霊によって伝わってきていた。
もちろん、ジャダスの襲撃と撃退の事実も、シェラディアの終わりを彩っている。俺にとって嬉しいのは、それがファリスの手柄になるってことだ。
《いやー痛いっ、死ぬ~! 虫ー! 虫があたいの体を囓ってるぅうう!》
「うおっ、うるせえな、もう」
思考を引き裂いた悲鳴に、ポットを取り落としそうになる。とりあえずそれを置いて、俺は目の前で半べそをかいている精霊の後についていった。葉をかき分けると、芋虫がむっしゃむっしゃと葉を食べていた。
少し考えて、俺はその虫を捕るのをやめる。
悪戯に毟ってるならともかく、生きるために食ってるんだし、そもそもそれくらいで枯れるような植物じゃないことは見ればわかる。
最初は精霊の言っていることがわかるのが面白くて、請われるまま言うことを聞いてやっていたんだが、段々と調子に乗ってきたのだ。隣の根っこが邪魔だとか葉が邪魔だとか、今のままでも充分立派に育っているのに、他の種類の植物を淘汰しようとする意見がでてきてしまった。
良くも悪くも、自らが確実に生き残ることに貪欲らしい。
これは拙いと考えを改めて、今は適当にあしらうようになったってわけだ。大袈裟に騒いで、俺の気を引こうとする浅知恵を持つ奴もいたりするので、油断ならない。
退屈しないのはいいが、植物に弄ばれる俺ってどうよ?
虫を捕らない俺に対し、真っ赤になって怒り狂う精霊を手で押しやって、嘆息する。どうでもいいが、他の植物の実をちぎって投げつけるのはやめたほうがいいと思う。
小さな実だから全然ダメージにならないし、後ろでその植物の精霊がすごい形相で睨んでいらっしゃいますよ?
「はあ。暇だぁ」
襲いかかられたらしい精霊の悲鳴を耳から追い出して、空を見上げる。目眩がしそうな程の強い陽射しと、抜けるような青が恨めしい。
そろそろゾラかディンが俺の所在を確認しに来る頃合いなので、部屋に戻らないとだろう。裏庭とはいえ、抜け出しているのがばれたら面倒だ。
《ああいい感じ。そろそろ根っこを煮込んで毒抜きしてほしい感じぃ》
「は?」
《毒抜き! 毒抜き! そしたら陰干し。カラッカラにしてぇ》
「ええ?」
《うるせぇ! そのまま絞られて毒薬にでもなっちまえ!》
《ひどい! このチビ! あたいはバナンの油と混ざって万能薬になるのよ!》
《何が万能薬だ。ただの軟膏だろうが!》
《気付けにしかならない実が騒ぐんじゃないよ!》
「ちょ、ちょ、何、なに?」
《あたいを煮て》
《暑い~》
《どけよ! 俺様が影になってんだろうが!》
《実が重いのう。腰が痛い痛い》
「だぁあああ! う、る、せぇええ! 枯らすぞ!」
俺が脅すと、ピタとざわめきがとまった。
それでも怒る俺が面白いのかくすくすと小声で笑っているやつがいて、睨んで黙らせる。部屋の奥からノックが聞こえ、俺は慌てて窓枠に足をかけた。あぁん待ってぇとわざとらしい声がしたが、無視して室内に戻る。
さっと椅子に腰掛けたところで、ドアが開けられた。
「オトヤ?」
予想外の登場人物に、俺は椅子を蹴倒す勢いで立ち上がり、飛びついた。
「ファリス!」
「なんだ。いるならちゃんと返事をしろ」
多少は驚いたようだが、よろめきもせずに俺を受け止めてくれる。逞しい。格好いい!
「何か用か?」
「さっき呼んだ仕立て屋が来たんでな。別室で待たせている。陛下に謁見するにあたり、お前も正装せねばならないし、他にも何着か欲しいだろう?」
「今あるので充分だけど?」
「あれは殆ど、俺の服を仕立て直したものだろう」
「アリヤにももらったぜ?」
「女物だろうが」
「ああ、そっか」
「まったく、慣れてどうするんだ」
「でも似合うだろう?」
今日着ているのも、アリヤの物を女官が仕立て直してくれたものだ。腰紐がほんの少しだけだが緩くて、アリヤに首を絞められた。
「似合わない、とは、言わないが」
「ならいいじゃん」
「いや、女物は露出が多すぎる。お前は女神の使徒なのだからもっと――」
「触りやすいだろ?」
腰に回されているファリスの腕を撫でると、複雑そうな顔をされた。
「他の者達にもな」
お?
「なに? 心配?」
「するなというのか? リドより非力なくせに」
「な、なんでそれを……!」
情けなさ過ぎて恥ずかしいから隠してたのに!
「本人が心配して、俺に報告にきたんだ」
「う、裏切り者~」
そう、そうなのだ。俺より背も低いし、細身に見えるのに、ああみえてリドは結構力があった。
事の始まりはアリヤだ。シュナとファリスに、どちらが腕力があるのかと絡んで、腕相撲をやらせたのだ。当然といえば当然だが、腕力では体格のいいファリスが勝った。
それからちょっとだけ道中で流行って、女官を巻き込んでアリヤの輿でも流行り、なぜか俺は餌食になった。
アリヤを始め、女官たちにまで悉く負けたのだ。
いくら女も大柄で逞しい種族とはいえ、俺にも男としてのプライドってもんがあったのかなかったのか。
悔し紛れに子どもになら勝てるだろうとリドを引っぱり出したんだが……いや、止めよう。あのときの笑いを堪えたアリヤの同情顔を思い出すと、ムカつくし普通にへこむ。
「まぁ、うん。心配なら、あまり俺を放置するなよな」
「仕事が終われば、こうしてお前と過ごしているだろう」
「一緒にいるだけじゃん。シェラディアは終わったのに」
この話を持ち出すと、ファリスの眉間に皺が寄る。
「なんだよ。何が嫌なわけ?」
「嫌なわけではない。ただ、俺は陛下に報告をするまでがシェラディアだと」
「遠足かよ!」
お家に帰るまでってか!?
「エンソク?」
「なんでもねぇよ!」
「怒るな」
怒るに決まってる。真面目なのも大概にしやがれっ!
なんだよ、あやすみたいに腰を撫でるんじゃねぇよ。
「触んな、離せっ」
「こっちを向け、オトヤ」
「仕事に戻れよ」
「言っただろう、お前を呼びにきたんだ」
拗ねた俺が、そうすぐに機嫌を直さないことなどもうわかっているんだろう。ファリスは嘆息して肩を落としたが、その視線が俺を離れて周囲を泳ぐ気配がした。
機嫌を取るためのネタでも探しているんだろう。そしてその視線は、俺にとっては非常に不利なものを発見したようだった。
「……オトヤ。なんで外にポットが置いてあるんだ?」
「あっ」
思わずファリスを見上げてしまったら、ものすごく近くに琥珀色があってビビる。唇が重ねられたのはほんの一瞬で、俺は目を閉じることもできなかった。
「嘘、それだけ!? もうちょっと」
まんまと機嫌を損ねた経緯を吹き飛ばされてしまったが、この際それはどうでもいい。顔を引き留めようとしたが、それは両手を掴まれることで阻まれてしまった。
「退屈なのはわかるが、本当に外には出ないでくれ」
「別に裏庭ぐらいいいじゃん。高い塀に囲まれてるし、誰にも見えないって」
「だめだ。わかってくれ。お前は色々な意味で、とても微妙な立場にいるんだ。帝都に着いて、お前を迎え入れ、護る準備がきちんと整うまでは、我慢してくれ」
真剣な顔で見つめられたら、それ以上食い下がることなんかできない。それにこの世界のこともセッダのこともよく知らない俺が、大丈夫だと言い切れる確証もない。
だから従うべきなんだと、頭ではわかっている。
だけど……だけど!
「いやだ」
「オトヤ」
「いやだ。暇で死ぬ」
「わかってくれ」
「せめて裏庭だけ。な? 精霊もいるし、変なのが来たらすぐ部屋に逃げるから。ちゃんとローブも着るし」
「……オトヤ」
あ、困った。ファリスの困った顔はちょっと可愛い。目尻が下がるからか、普段よりずっと目元が甘くなる。
「俺はすんごく甘やかされて育ったんだ。他人に押さえつけられるのが一番嫌いだ!」
「威張ることか?」
「俺は威張るっ」
俺が強く言い放つと、ファリスは顰め面で押し黙った。
「………………とにかく、だめだ」
「朴念仁ッ」
「何?」
「どうして兵士は統率できるくせに、俺を大人しく従えさせられないんだ?」
「兵士とお前じゃ違う」
「当たり前だ! 一緒にすんなっ」
「なぜ怒る。わけがわからん」
だめだ。ファリスに色恋沙汰での駆け引きは無理だ。ていうか、巧かったらムカつく。
「あーわかった。うん。俺が間違ってた」
「では大人しく部屋にいてくれるか?」
「いいぜ。ただし、毎日キスしてくれるなら」
「何故」
俺はファリスのつま先を、思い切り踏みつけた。不意打ちだったからか結構痛かったらしく、息を詰めて身を屈めている。ばーか。ばーか。いい気味だ。
俺の恋心の敵め!
「オトヤ。さっきも言ったが、陛下に会うまでが……」
「キス!」
「……わかった、わかったから。お前がそれで納得できるなら、ここは俺が引こう」
「当然だ。あ、言っておくが、さっきみたいなのじゃねぇぞ。ちゃんと濃厚なのを、愛を込めて! だからな!」
「ああ、わかった」
なんだその、子どもの微笑ましい悪戯を見つけた父親みたいな顔は。俺はお前の子どもじゃなくて恋人だぞ!
「俺からは言わないし、しないからな。一日でも忘れてみろ、代わりにゾラかディンの唇を吸うからな!」
「……肝に銘じておこう。しかしなぜ、そんなに拘るんだ? こうして触れ合えればいいだろう?」
とか言いながら抱き寄せられるのは正直嬉しいが、そこで満足すんのは残念ながらあんただけだ。でもそれがファリスらしいといえば、らしいけど――。
ファリスはきっと、精神的な部分が満たされれば満足なんだろう。むしろ精神的に満たされてるからこそ、肉体的な繋がりに拘らないのかもしれない。
だが、別に俺みたいに肉欲に拘るのだって悪いことじゃないはずだ。むしろ好きな相手に触りたい繋がりたいと思うのは、当然の欲求で本能だ。
恋人なんだから、俺がここで遠慮する必要はない。絶対。
「ファリス、今日の分」
「自分からはねだらないんじゃなかったのか?」
「ゾふぁ」
ゾラを呼ぼうとしたら、意外なほど素早く手で口を塞がれた。
「わかった。俺が悪かったから呼ぶな。お前はやると言ったことは、本当に実行するから恐ろしい」
難問を前に途方に暮れているような顰め顔で、俺の腕を自分の首に回させる。
表情と行動がちぐはぐで、なんだかおかしかった。
首に抱きつきながら微笑すると、何か言いたげな腕が腰を引き寄せてくる。踵が浮いて、唇の距離が近づいた。
目を伏せながら薄く唇を開くファリスは、最高に色っぽい。思わず熱の籠もった吐息が洩れて、触れ合う寸前の唇が少し湿る。
「誤魔化すなよ? ちゃんと」
「わかったから、黙れ」
「――ぅんっ」
重ねられた唇の隙間に、ぬるりと舌が忍び込む。
シュナの呼びかけを三度もノックだけであしらい、ファリスは俺の唇と舌を貪った。
何をするにも、真面目な性格が出るのが恐ろしい。
へにゃりと腰が抜けた俺を、ファリスの腕が慌てて抱え直すのと、シュナが踏みこんできたのは同時だった。
ここまでお付き合いくださりありがとうございました。
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