第一章~改めて、旅に~
ラミアは、アルフと再び旅に出ていた。今回は、デニアスの首都、王都デニアスを目指す。旅費はまだあるが、それほど余裕はない。デニアスでは何かしら依頼を受けるか、短期バイトを探して滞在費を稼がなくてはならなさそうだった。
今は早朝。港町パルスまでのチケットは購入済みで、馬車の準備が整うまで暇を潰している状況である。
冒険者であれば、馬車の護衛を受けて移動すれば、依頼料を貰える上に移動もできるので一石二鳥なのだが、ラミアはそうしない。理由は、彼女は旅の情緒を楽しみたいためだ。
町で宿泊するときも、チケットがあれば宿が確保されているため悩む必要はないが、護衛の場合は宿を自分らで確保しなくてはならなく、それが面倒でもあるのだ。
アルフもその辺りはラミアに任せている。旅費が足りなくなれば、その地で働いてお金を稼げば良い。そんな行き当たりばったりな旅も、それはそれで楽しいと、彼はそう話すのだった。
ラミアは、改めて今回の旅装束を確認した。
ラミア・スナー。人龍の女性、十六歳。人龍の中でも小柄な方で、身長は一一〇フォーネルほど。髪は明るめの紫色で、目も同色。最初はショートボブで切りそろえていたが、そこから少しだけ伸びてきている。アルフが実は長髪好きということを知ったので、伸ばしている最中であるが、本人には内緒にしている。目は縦に長くその先は少し丸みを帯び、暗いところではまん丸になる。ネコのような目だが、これは人龍の特徴でもある。
いつものノースリーブで背中が大きく開いた真っ白なワンピースに、民族衣装でもあるカラフルな横皺模様の肩掛けで、空いている背中を覆い隠す。その上から灰色のローブを羽織り、体全体を覆い隠す。今回の旅で新調したのは、このローブだ。極寒地方生まれで寒さには強いが、これからの旅路がずっと風の冷たい海沿いということもあって、それなりの防寒装備にしたのだ。
手にはナップサック。以前はもう少ししっかりしたかたちのものだったが、嵩張る物が増えたこともあってより大きめの袋に変更した。以前同様、移動時はローブの下で背負うが、椅子に座るには邪魔になるので今は手荷物だ。この中に、スナー流で使う幅広の短剣カタールが二本、ファルアスタシア流の二つ名持ちジャマダハル≪雷帝≫、そして水の聖霊剣に、何故か手放せない壊れた短剣の柄部分を押し込んでいる。それら尖った物が袋を破らないよう、底面には鉄製の洗面器を入れている。洗面器の中に下着やタオル類、以前まで羽織っていたマントをまとめて押し込んである。
アルフに、柄だけになったものは置いていけ、と言われたのだが、結局こうして持ってきている。あとは細かい雑貨などが隙間を埋めていた。
相方、アルフ。本名アゼナルフ・テナイ=ユニス。ユニス王国の第一王子。身長一四〇フォーネル程度で、金髪碧眼。髪は短く切りそろえているが、少し天然パーマが入っているためバサバサになりがちである。目は龍眼。というのも、母が龍族でありその血を引いているためだ。体つきは筋肉質だが細めで、その身をバンディッドアーマーで守りを固める。武器はその辺りで普通に売っているロングソードを携行する。両手で構えることもあるので盾は装備していない。彼の荷物はナップザックなどといったものではなく、ずだ袋に適当に私物を押し込んでいる、至極簡単なものだった。なお王子としての身分を隠すため、道中ではアルフと名を騙るが、姓はテナイのままである。この名字はアクエイス方面では割と多く、アルフ・テナイなら、結構同姓同名もいるので、ごまかしが利くのだ。
「結局アルちゃんは何も新調していないよね?」
以前の戦いでロングソードを潰してしまったが、ほぼ同じものに買い換えただけなので、実質戦力増強には結びついていない。
「そういうラミアもだろ? まあ、この前の報酬はなるべく旅費の方に回さないとな」
二人は、先日のマンイーター討伐の折で活躍したため、通常報酬の他にボーナスが支給されていた。額としては計三千ルドーリア。安宿なら半月分程度であり、パルスからデニアスまでの馬車便にすれば、一番安いプランでの一人分の運賃に相当する。なお一番高いプランだと一万ルドーリアにもなる。格安運賃でも道中の食事代と宿代が含まれているので、他に出費がいらない分リーズナブルではあるが、それでも高いことに変わりはない。
なお、二人の財産だが、今回の旅からは共有することにした。
発着場には、ラミアたち以外にも客が集まりだし、馬車もそれに合わせて準備が進む。やがて時間となり、馬車へと乗り込めるようになると、皆チケットで指定された車両へと乗り込んでいった。
この馬車は、両側にロングシートがあり、真ん中にテーブルがある構造の十人乗りだった。このテーブルや座席の下に荷物を置く。テーブルでは飲み食いしても良いし、そこに突っ伏してもいい。
テーブル自体は床にがっちりと固定されているため、揺れで動く心配もない。ただそんな構造のため、乗り降りが非常に不便ではある。隣に座られては移動は無理だ。そんな内装を、大きめの幌が覆う構造だ。幌は前後で大きく開かれており、前後の景色を見ることができる。
二人の席は、一番前で向かい合う。他の客も乗り込み、あっという間に満員となった。早速テーブルの上にいろいろなものが置かれ、一気に賑やかになった。
しばらくして、馬車が出発した。
幌のせいで全貌は確認できないが、今回は十二台でキャラバンを編成し、パルスへと向かうらしい。道中休憩は八回。一時間近く走って十分程度の休憩だ。街の中では速度は制限しているが、街道に出ると少しだけ上がった。大体人が長距離走をするぐらいの速度だ。それでもこの馬車は揺れが少ない。乗り降りは確かに面倒な構造だが、しっかりと衝撃を吸収していて乗り心地は良かった。
ラミアは早起きだったということもあり、すぐに眠たくなってきていた。目の前のアルフは軽く頷き、ラミアも頷き返して目を閉じた。すぐ左の幌に身を預け、そのまま軽く寝ることにしたのだった。
以前は乗り物酔いの傾向はあったが、今は完全に平気そうだった。
およそ十時間後、馬車はパルスの街の門をくぐる。既に降車準備を整えていたアルフとラミアは、前側の乗降口から飛び出そうと構えていた。既に御者の人とも打ち合わせ済みだ。
この馬車の構造故に、到着ダッシュを行うのはやはり難しい。乗り心地は確かに良いが、このテーブルは正直邪魔だと思うラミアだった。
アルフが指定した場所で、二人は馬車から飛び降りる。丁度反対側となったラミアだが、後続の馬車の通過を待つ必要はない。ファルアスタシア流の空間を渡る技を使い、アルフの元へと跳躍した。そして合流した二人は、路地を駆け抜け、今晩の宿を探すのだった。
以前にも泊まった宿を確保した二人は、先にデニアス方面のチケットを購入しておくことにし、馬車の発着場へと足を運んだ。デニアス方面は出発する時間が早く、そして当日券では複数人の旅人には不利な条件も増えるためだ。例えば、馬車では別の車両、宿も別の宿になる可能性だ。なるべく一緒にはなるように販売側も工面してはくれるが、それでもどうしようもない場合はあるそうだ。
「ガイドブック様々だな」
「でしょ。貰っておいて正解」
これは、パルスからデニアスまでの馬車便とその周辺のガイドブック。前回はパルスからタルファームまでの一日しか乗車していないが、訳あって一番豪華な馬車に乗る機会があり、馬車の備え付けでお持ち帰り自由のガイドブックを貰ったのだ。
予想通り、発着場は結構な人でごった返していた。乗ってきた便が到着し、受け付けで早速翌日の便を予約している人が列を成しているのだ。
一便で乗れる人は最大およそ三百人まで。各街で、馬車便客用に用意されている宿の限界がそれぐらいとなっているためである。特に二人以上の団体で移動している人たちは離ればなれにならないようにと、皆考えることは同じなのだ。
二人は列に並び、順番を待つ。今回はアルフが便を予約し、馬車も部屋も同じものを取ることができた。できたのだが。
「悪い。一カ所だけダブルの部屋になるかもしれない」
「別に構わないわよ? 私たち、その、恋人同士だし、…そういうこと、しちゃってる仲だし」
そこまでは聞いてない、とアルフは内心ツッコミを入れるものの、事実だからしょうがない。むっつりラミアの承諾も得たので、このチケットで決定となった。
開けて早朝。
二人は発着場へと来ていた。既に馬車便が並んでおり、今回は乗用十五台、荷物専用が八台、用途不明の馬車一台という大所帯だった。十五台のうち、全木製の窓付き車両は二台。さすがに料金が高めなので数は少なかった。
事務所では出国手続きが始まっており、ごった返していた。ラミア達もそちらにならび、早速審査を受ける。
前回は、ジャマダハル≪漆黒≫を持っていたため、かなり面倒なことになった。母が叔母から取り上げ、母が亡くなったため遺品としてその叔母に返しに行くため所持していたのだが、それら全部が信じて貰えず、結局アルフがユニスの王室関係者として強引に押し通したのだ。今回はそうなってほしくないなあ、と二人は嘆息する。
やがて二人の審査となった。グループごとで行われるため、二人一緒だ。
ラミアの手荷物は、とにかく武器が多い。審査する係に訝しげな視線をぶつけられたが、ラミアはそれが何か、と開き直って微笑む。
アルフの審査はあっという間に終わったが、案の定ラミアの方でトラブルの予兆があった。そのため、アルフは懐に忍ばせている、ユニス王家の紋章をいつでも取り出せるように構えた。余り乱用はしたくないと考えてはいるのだが、こんなつまらないところで頓挫するよりはましだと考え直す。
「……」
「……」
無言で見つめ合うラミアと係だが、折れたのは係の方だった。
「はい、合格です。合格ですけど、こうも武器をたくさんお持ちですと、疑ってくださいと言っているようなものですからね?」
「はい、そこは重々承知していますが、先ほど説明したとおり理由があるのでご承知おきください」
いつもにまして慇懃なラミアに、アルフは苦笑する。これは内心、結構ご立腹だな、と。
審査が通った二人は、改めて今日から乗り込む馬車を見る。
ラミアたちが乗る幌馬車は、比較的最近になって開発されたものである。
車両の前部左右に階段があり、そこから乗降できる。
座席は左が一人掛け、右が二人掛けで四列十二人乗り。その直後に護衛者が乗り込むちょっとしたスペースがある。
先日乗った豪華車両と同じ構造で、これからはこの形式が主流となっていくらしい。木箱型と同じ部分が多く、客車としては共通設計なのだろう。木製の箱で隙間風が全くないか、幌で隙間風吹き荒れるかの違いはあるが。
座る椅子も全く同じだった。座面の下には空間があり、そこに荷物を放り込める。あるいは護衛が座る荷室に預けることもできる。
二人が座る席は、右側の一番後ろだった。ラミアは窓側、アルフは通路側の席に座った。道中窓側と廊下側は交代するつもりだ。
御者席は幌の上にはみ出すように組み付けられており、車内からは御者の足下が見える程度で視界は良好だった。車輪は小さめだが、衝撃を吸収するような機構が設けられており、乗り心地は案外良さそうだった。
嬉しいのは、座席横の幌が個別に開閉できるようになっており、そこから外が眺められるようになっている点だ。ラミアたち側の席は内陸側で、地域によって景色がどんどん変わる。それを楽しみにするラミアであった。
そんな馬車を引くのは、二頭の馬。ユニス王国原産の、馬車専用に品種改良されたもので、重いものを長い時間、比較的速い速度で引き続けられる、力強い馬だ。通常の馬に比べ倍近い力があることから、元々三頭引きの馬車はこの馬二頭に置き換えられ、運用コストをそれだけ下げられたと同時に速度アップにも貢献しているとか。
御者が手綱を握り、軽く振る。いよいよ出発の時間となった。
総計二十四台の馬車はゆっくりと発着場を出て、一路西へと向かう。ラミアは早速幌を開き、外を眺める。
パルスからタルファームは、ほぼ海岸線をひた走る。左側はずっと海の景色だが、右側は森の景色がしばらく続き、開けた場所に出る。パルスにほど近い場所では畑や田園風景だが、これも町から離れればただの草原となる。さすがに町から離れると魔獣等に警戒しなくてはならず、人はなかなか住めない環境なのだ。
キャラバンは、一時間毎に十分程度の休憩を挟みつつ、およそ一一時間かけてタルファームへと向かう。
二回目の休憩地は、小さな集落だった。道中立ち寄る小さな町や集落では、馬車客に対して商売を行っていることが多い。例えば、集落特産の果実を搾ったジュースや、軽く食べられるお菓子などが代表例だろう。ラミアはここで絞りたて果汁ジュースを購入し、飲み始めた。想像していたよりもずっと甘くて美味しかったため、そのまま一気飲みした。何気に量が多いので大丈夫か、とアルフは声をかけるも、ラミアは大丈夫、と笑っていた。
そしてしばらく時間がたつ。
ラミアは少し青い顔をして冷や汗を流していた。馬車に酔ったのではなく、水分を取り過ぎた故の生理現象だ。心配したとおりの展開にアルフは溜息をついて、もうすぐ休憩だから、となんとか励ます。ここで驚かせたら決壊することは分かっているので、とにかく刺激しないように気をつけていた。一度ファルアスタシアの道場で驚きの余りすこし、という事があったので尚更だ。
それから数十分後。いろいろな意味での事故は起こらず、馬車は無事に休憩所に到着した。ラミアは到着するやいなや、キャラバンの一番後ろまで飛んでいく。文字通り飛んで。そして最後尾の車両に一番乗りし、やや乱暴に扉を閉めるのだった。
最後尾の、最初用途不明と考えていた車両は、女性には嬉しいトイレ車両だった。これにより休憩できる場所が問われなくなり、キャラバンが停まれるスペースさえあればどこででも休憩が取れるようになったのである。この車両のおかげで、休憩箇所を一つ増やすことができた。これで馬にも乗員にも、客にも負担が軽減できることで、画期的な発明とまでいわれていた。
今回の休憩地点はただ広いだけの広場で何もなく、過去の便であれば素通りしている場所だった。
しばらくして、ラミアは幸せそうに弛緩した顔をして馬車に戻ってきた。
「あまり飲むなよ?」
「……うっさい」
アルフのツッコみに、途端に赤面するラミアであった。
休憩する回数と時間は増えても、タルファームへの到着時刻は変わらない。馬が強力になったこと、車体自体が改良された事でより速度が出せるようになったためだ。今の速度は、人がそれなりの力で走るぐらいの速度が出ており、しかし揺れはあまりない。
ラミアは車窓からの眺めを楽しみ、いつしかうとうととし始め、重くなったまぶたをそっと閉じるのであった。
ガタン、という振動で、ラミアは目を覚ます。
「…ふぇ? 今揺れた?」
「ああ、タルファーム前の大橋にさしかかったところだ」
ラミアが目覚めたときは、真正面からの西日が眩しい状況だった。窓の外を見れば、大きな川を石造りの橋を通って渡っている最中だった。
昔は、この川沿いにタルファームの町があったのだが、度重なる洪水から逃れるため、西へと町を移設した。しかしその場所では真水の確保が難しいから水道橋という大規模建設を行った、という歴史がある。
橋を過ぎれば、間もなくして現在のタルファームである。今回の旅では、到着ダッシュを決める必要はなく、このまま町の発着場へと向かえば良い。宿はそのすぐ近くに用意されているからだ。
左手前方、町の城郭が見えてきた。到着まで、もう間もなくだった。
馬車から降りる頃には、日も暮れていた。青から紫にかけての空のグラデーション。街灯に呪文を唱え、点灯させてゆく魔道士。町の人だろうか、食材を藁で編んだ籠に詰めて帰って行く姿。威勢のいい声の露店。色々雑多で賑やかな町だった。
泊まる宿は本当に目の前だった。一階は食堂兼酒場という典型的な作りで、既に酒盛りが始まって賑やかだった。以前泊まった温泉宿も捨てがたいが、別料金となる。せっかく宿が確保されているのだから、金戒はそちらを利用する。
馬車のチケット裏側に、各町で泊まる宿の名称と部屋番号が書かれており、それをカウンターで見せるだけで中に通される。部屋へは案内されない。
そうこうしているうちに次の客が入ってきて、同じようにチケットを見せていた。ラミアたちは邪魔にならないように奥へと進み、自分たちの部屋を見つけ、中に入った。
ベッドは二つ。スペースは少し余裕があり、小さなテーブルと椅子が備え付けられていた。ここに食事を持ってきて食べても良いし、一階の食堂酒場で食べても良いそうだ。どちらも賑やかな環境で食べることには慣れているが、相談した結果部屋で食べることにした。
パンとホワイトシチュー、そして小さなサラダ。そしてお酒。
ガドネア大陸諸国では、十六歳で成人となる。飲酒もできれば結婚もできる。今回思い切って、お酒を注文してみたのだ。
透明な液体で独特な匂いがある。二人は小さなグラスを取り、軽くふれあう程度に乾杯した。
「……ん~、……辛い」
それが、初めてのお酒の感想だった。
「だな。大人はどうしてこんなものを飲みたがるのか」
といいつつも、二人は少しずつ飲み、グラスを空にした。
二人笑い合い、食事を食べる。食べ終わった頃には、ラミアも大分酔いが回ってきている様子だった。
「……ふぃ~、あはは、なんだかクラクラする」
「俺も」
ラミアは椅子からベッドに移動し、そのままベッドへと倒れ込んだ。あまりクッションの効いていないベッドは、がたんっと大きな音を立てた。アルフからは、顔をもんどり打ったように見えたため、声をかける。
「……大丈夫か?」
「大丈夫よ~」
もぞもぞとベッドの真ん中に移動し、体を起こしてアルフを見る。顔は真っ赤で、完全に酔っている、という表情だった。特に心配するようなことはなかったが、これは大分酔っているな、と違う心配をする。
「人生初酔い。えへへー」
「だな」
そのまま、ラミアは少し目をうるうるとさせていた。そして半目になり、大あくびをする。
「ふわふわ。きもちいぃ。……このまま寝ちゃっても、いい?」
「ああ。明日はそんなに早くはないけど、疲れてるんならな?」
「ん」
ラミアは短く返事をして、頤を逸らす。しばらく何の真似だ、と考えていたアルフに、ラミアは更に顎を突き出し、んっ、と唸る。
酔って、少し大胆になっているようだった。
アルフは苦笑して立ち上がり、ラミアの唇に自分の唇を重ねた。
「……えへへー。…おやすみ」
そう言って、ラミアはパタリ、と力尽きたかのようにベッドに突っ伏した。そして間を開けず、小さく寝息を立て始めるのだった。
「……ホント寝付き良いよな。さて、食器を返したら俺も寝よう」
アルフはなるべく音を立てないように、空にした食器を重ね、食器を返却すべく部屋を後にするのだった。
翌早朝。ラミアは目覚める。窓の外はまだ暗く、日の出の時刻まで大分ありそうだった。
馬車の出発は、およそ八時頃。早起きが癖というわけではないが、昨日は昼から寝っぱなしだったし、夜もかなり早い時間に寝てしまったため、変に早い時間に目覚めてしまった。
しっかり睡眠がとれたこともあって、体は軽い。体を起こし、ベッド脇に立つ。吐く息は白い。海沿いの町ということもあり、かなり冷え込んでいる様子だった。
彼女が生まれ育った島はこれよりも遙かに寒いため、この程度は問題無かった。
昨夜はすぐに寝てしまったため、体を拭くどころか下着さえ替えていない。ほとんど汗の出ない冬のためそれほど不快感は感じないが、やはり清潔にはしておきたいと思うラミアである。
ラミアは明かりの魔法を、なるべく光量を抑えて使用する。この辺りの生活魔法も、大分慣れてきた。この明かりを頼りに、ガイドブックを開いて近くに温泉がないかを探してみた。
正確な時間は分からないが、空の状況から見れば六時前だろう。この時間でも開いていそうな温泉はないか探してみたところ、意外に二十四時間営業しているところは多かった。
俄然温泉に行きたくなったラミアは、アルフはどうするか気になったため、一度起こして聞いてみることにした。しかし、ラミアはアルフの顔をのぞき込み、起こすのをすぐに忘れてしばらくそのまま見つめてしまう。単純に、見蕩れてしまったためだ。
「……アルちゃんの寝顔、かわいい」
思ったことをそのまま口にし、うっすらと目を開けたアルフと目が合い、そのまま赤面硬直した。
「…どうした?」
アルフは頭を回し、窓の外を見る。
「ずいぶん早い時間だけど、……何かあったか?」
アルフは寝起きはかなりよい。体を起こし、周りの様子を見渡す。特に何事も無かったことを確認し、再びラミアに視線を向けた。ラミアは、先ほどのつぶやきが聞こえていなかったことに安堵する。さすがにあれは恥ずかしかった。
「えっとね、単純に目が覚めちゃって。……夕べお風呂とか何もできずに寝ちゃったから、これから温泉で朝風呂なんかどうかなって」
「それは良いけど、こんな時間にやってるところあるのか?」
「うん、意外にも。二十四時間営業の温泉が近場にいくつかあるの」
アルフはしばし考え、ぐっと拳を握った。
「でかした。どうする、身一つで行くか、それともチェックアウトして行くか?」
「チェックアウトして行けば、そのまま停留所に行けるわよね?」
「オッケーだ」
アルフは何故か急に嬉しそうになり、ベッドから跳ね起きた。そしてささっと準備を済ませ、もたついているラミアを急かす始末だった。
「待ってアルちゃん、何でそんな乗り気なの?」
「なんとなく? でもさっぱりしたいしな。八時が出発だから七時半までには発着場に行けるようにするぞ。さあ急げ」
「わ、分かったからちょっと待って」
と、朝から賑やかな二人だった。
受け付けでは、余りにも早いチェックアウトに怪訝な表情をされた。
「朝食はどうされます? まだ仕込みの途中なので何も出せませんが……」
「一度温泉に行って、戻ってきてから食べても大丈夫?」
「時間さえ気にしていただければ大丈夫ですよ。六時から七時までが受け付けで、七時半までに食べ終えていただければ、馬車便に十分間に合いますよ」
「じゃ、温泉から戻ってきてから食べるわね」
チェックアウトを済ませた二人は、ラミアの案内で近場の温泉宿を訪れた。カウンターでは係が受け付けを行っており、二人はすぐに温泉へと案内された。
男女どちらも誰もおらず、二人はだだっ広い温泉を満喫する。東の空が明るくなり、いよいよ日の出だった。温泉から見る日の出。なんとも贅沢な時間を過ごし、体もさっぱりしたところで二人は温泉を後にするのだった。
「ふうっ、堪能した」
「とは言っても、アルちゃんあまり長い時間浸かってないよね、いつも」
「温泉自体は好きなんだけど、あまり熱いのは苦手でね」
意外、とラミアは思ってしまった。
食事は、予定通り元の宿で食べる。バイキング形式で、パンと、昨夜の残りのシチュー、その他いろいろなサラダが並べられていた。夕べ食べたシチューがことのほか美味しかったので、朝食もパンとシチュー、そして適当にサラダを見繕って食べることにした。
七時過ぎ。二人は既に発着場を訪れていた。指定席なので、急ぐ必要は無かったのだが、朝が早すぎたせいもあって、なんとなく移動していたのである。当然ながら時間もあり余っているため、二人はベンチに座って時間が来るのを待っていた。ラミアはガイドブックを開き、この先について色々確認していた。
「次はね、コルペッツァが宿泊地。その先の予定としては、セントバレイ、ヴォルフカイン、ホルフェイス、で、デニアス王都。まだまだ先は長いわね」
「デニアスの闘技大会は八月中頃から開始だったよな? 到着は七月中にはなるけど、そこからまだ二週間ほどありそうか。何にせよ慌てる旅でもないし、ゆっくりと観光しながら行こう」
「そうね。……とはいえ二週間か。宿泊費用がかさむし。……働かなかんか~」
今更ながら、二人は出発が早すぎたかな、と考えてしまう。
アクエイスからユニスに戻ったとき、しばらくは親元で世話になってしまった。
一六歳修行の意義としては、親元を離れて独立を促す、という意味もあるのだが、そこまで厳しいものでもない。しかし二人はどこか生真面目なところがあるので、用事が済み次第出発したのである。
ただ、ラミアが話したとおり、早く到着すればそれだけ現地での滞在費用が必要となる。冒険者の仕事を受けるにしても、他にバイトを探すにしても。働いて稼ぐ必要はあった。
ラミアは腕を組み、考え込む。
彼女は、聖龍島から出てきたときは、スニラフスキーの宿で住み込みで働くという事前約束があったため、スムーズに職にありつけた。しかし今回は、そういった約束もツテもない。一応知り合いに宿の人間がいるが、突然訪問してすぐに働くことができるかといえば、分からない。
冒険者の依頼なら尽きることはまずないので、そちらで滞在費を稼ぐのもありだろうか、と色々模索して見るも、なかなか良い考えは浮かばなかった。
そうこうしているうちに、操車場から出てきた馬車が、停留所に並び始めた。車内の清掃と点検が行われ、客が乗車できるのはその後である。ラミアたちの周りにも客が集まりだしており、もうすぐかな、と二人は考えるのだった。
タルファームより西は、馬車が数台合流する。ほとんどが荷馬車で、様々な荷物が載せられているようだった。車体も馬も、ラミアたちが乗ってきた乗用馬車と同じく改良されたものであり、荷物が壊れたりする確率もぐっと減っていそうだった。もっとも、キャラバン隊の移動速度について行けるぐらいでないと、編成に加わることもできないが。
「昨日の馬車も結構乗り心地良かったけど、ユニスにもこれぐらいの馬車が導入されないものかしら?」
パルスから王都ユニスまでを往復する馬車便は、お世辞にも良い馬車は使われていない。
今回の旅路では、テーブルが邪魔な車両は確かに乗り心地は良かったが、その他の馬車は痛みがある車両が多かった。それに鞭を入れて速度を出していた状況だった。
道中は、以前の旅路で放置され、そのまま朽ち果ててしまった馬車も垣間見た。もう少し程度の良い馬車であれば、あのように故障して放置、とはならなかったのだろう、とラミアは考える。
「……だな」
アルフは腕を組み、語る。
ユニスの馬は、とても品種が良い。これまでの馬と比べると一回り程度大きいが、それ以上に力強く、そして速い速度を長時間維持して走ることができる。そのおかげで馬車便全体の速度向上とコスト削減に役立っている。
その反面、ユニスには馬車の車体を製造する工房が非常に少ない。
車体は、昔からバース王国製品が主流だったこともある。沢山の工房がしのぎを削っていたため、その品質も非常に高かった。しかし一三年前にバース王都が魔軍に占領されて以来、バース王国製の馬車の供給が途絶えている。
今現在の主流は、デニアス王国製品。ユニス王国に工房が無いのは相変わらずだが、それでも細かな部品に特許があるなど、要所を押さえており、この部品がないとまともな馬車が出来ない、というものまである。
アルフは、一通り話し終えると、ラミアの反応を待つ。
「……ふうん、なるほど」
アルフは、いろいろな分野で結構物知りでもある。本人は広く浅く、とは話すが、分野によっては結構深いところまで知っている様子だ。わりと饒舌に語ったアルフに対し、しかしラミアの反応はいまいち乏しかった。こうした工業関連の話は、女性はあまり興味を示さないことが多いが、そこは仕方ないだろう。
そんなラミアに対し、アルフはとっておきの情報を開示する。
「因みに、馬車の衝撃を和らげる機構部分。これホリーが開発して特許持ってるからな?」
「……うそっ!?」
弟の偉業にすっ頓狂な声を上げるラミアに、アルフはよし食いついたと、したり顔で話を続けた。
「マジで本当だぞ。本来ならあいつ、特許料だけでも大金持ちだ。収益はユニスの復興に全額廻しているから、本人全く儲けていないけどな?」
久々にラミアの驚く顔を見られて、アルフは大満足だった。
その後、ラミアは馬車に乗る前、車輪周りの機構部を何度も確認していた。詳しくは分からなくても、弟が開発したものということもあって、それなりに興味が出たのだろう。人が乗ると、その重みや振動で馬車が揺れ、機構部が音も立てずスムーズに動作する。
「ラミアー、そろそろ出発だから乗れよー?」
アルフは窓から顔を出し、声をかけた。
「うん、わかったー」
名残惜しそうにしていたが、ラミアはすぐに乗車し、アルフの隣に座った。
この日は、アルフが窓側、ラミアが廊下側となった。
馬車は満席で、前の方から談笑の声が聞こえてきた。よく見れば、乗っている人たちは昨日とは顔ぶれがまったく違う。若々しく、自分らと同じ年代なのだろう。どうやら四人でパーティを組んでいるようで、前二列で会話をしていた。うち一人が幌の一部がめくれることに気づき、早速開けていた。そして窓から顔を出し、外の大人と話し始めた。
やがて、馬車がゆっくりと進み始める。
彼らは、外の大人達に行ってきまーす、と声を上げながら手を振り、外の大人達も元気で、と返答して大きく手を振っていた。
おそらくは、今まさに一六歳修行に出発したのだろう。どこか感慨深げに、ラミアとアルフは、その光景を見守るのだった。




