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蓮華 ― 鬼神の血を継ぐ戦士は護るために戦う ―  作者: 釜瑪秋摩
第一章 秘め事

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第95話 言えないこと

 待っていた市原(いちはら)が、麻乃(あさの)の顔を見るなり怪訝な表情を浮かべた。


「なんだおまえ? 突然どうした? しかもそんなに赤くなって」


 そう言ったのを聞こえない振りをして、車に乗り込んだ。多香子(たかこ)のところで言ってしまったことを、今さら後悔してもしかたがない。

 道場へ戻り、市原と二人で高田(たかだ)に多香子のことを報告すると、どうやら薄々は気づいていたようだった。


 修治(しゅうじ)には伝えない旨を話すと、黙っていることに対して渋い顔を見せた。

 高田が一言でも「修治に話せ」と言ったなら従うしかなかったけれど、市原が懇々と残される者の思いを告げると、高田は言わずにおくことに納得したようだ。


 以前にも、こういう場面で同じことを考えたことがあった――大陸へ渡る者の思いと、残される者の思い。

 市原や塚本(つかもと)、多香子の話を聞いていると、どう見ても自分たちよりもつらい思いを抱いているようだ。それだけ心配をしてくれているのだろう。


 麻乃はふと、稽古場でうたた寝をしている隊員たちに目を向けた。

 起きている何人かは、市原の言葉を聞いて同感だと言わんばかりの顔をしている。


 なんとなく気まずい思いで高田のほうを見ると、高田も当時のことを思い出していたのか、複雑そうな表情を浮かべている。

 今は高田も待つ身だから、どちらの思いもわかるのだろう。


 口にしなければ、言葉にしなければ伝わらないことがこんなにもたくさんあることを、麻乃はまた実感した。

 特に麻乃は言葉足らずだから、隊員たちにも想像以上に不安な思いをさせていることだろう。

 鴇汰(ときた)のことも、今度の多香子のことにしてもそうだ。


小坂(こさか)、ちょっと」


 手招きをして小坂を呼ぶと、今にも眠ってしまいそうな隊員たちを起こさせ、宿舎に戻ることにした。


「なんだ? これから帰るのか?」


「ええ、こいつらには今回、頑張ってもらったので……おかげで豊穣(ほうじょう)のほうも準備がちゃんとできましたし、戻って少しゆっくりさせてやりたいんです」


 塚本に問いかけられ、麻乃はそう答えた。

 塚本の向こうで、それを聞いていた高田が微笑んだ。


「麻乃、もう準備はすべて済んでいるのか?」


「はい、ただ、刀が……修繕に出してまだ戻ってなくて……」


「まさか手もとにあるのが、炎魔刀(えんまとう)だけだなどというのではないだろうな?」


「いえ、紅華炎刀(こうかえんとう)があります。間に合わなくても問題はありません」


 そう答えながらも、少しだけ不安が残った。

 それを高田に見透かされるのが怖くて、早々に道場をあとにした。

 詰所までの帰り道、運転をしている小坂に後部席から身を寄せた。


「あたしがいないあいだのことだけどさ、食事が一番心配なんだけど、面倒だろうけどほかのやつらのことをしっかりまとめて、うまくやってくれるかな?」


「なんです? 突然そんな話」


「だってさ、今年はこれまでと色々違うじゃない? 柳堀(やなぎぼり)も出禁になって長いし、ずっと西に詰めっぱなしだしね」


 ふふん、と小坂は鼻で笑うと、なにをいまさら……と、小さく呟いた。

 助手席の豊浦(とようら)が麻乃を振り返り、いつもと変わらない笑顔を向けてきた。


「食事のことなら大丈夫ですよ。このあいだの角猪(つのじし)の件があったせいか、近隣から狩りを何件か頼まれてますし、それに俺たち、交代でほかの区に息抜きに出たりしてますから」


「えっ? そうなの?」


「ええ。それにどちらかっていうと、柳堀じゃないほうが都合いいやつもいますしね」


「柳堀のほうが近いのに、ほかの区がいいんだ?」


「そりゃあ、ねぇ? 松恵まつえ姐さんのところに隊長が出入りしてるとなりゃあ、ほかに行くしかないでしょう?」


 豊浦が小坂に同意を求めるように言った。


「あぁ、そういやあ以前、杉山すぎやまたちと会ったねぇ。あんなの、たまたまなんだから気にすることなんてないのに」


「その、たまたまに当たるから怖いんですよ」


 松恵のところで杉山や石場(いしば)と鉢合わせたときの、みんなの驚きようを思い出し、麻乃は吹き出してしまう。


「まぁ、ここへ来てから、本当に色々とありましたしね。ほかの区への移動に時間がかかるのが少しばかり不自由ですけど、それ以外はなんの問題もないですよ」


「本当に、なにも心配するようなことはありませんからね。あんたはさっさと奉納を済ませて、一日でも早く帰ってきてくれりゃあいいんですよ」


 麻乃はシートに背をあずけて二人を眺めた。


「うん、そうだね……あたしも今回ばかりは早いとこ全部済ませて、戻ってこようと思ってる」


「例年通り、安倍(あべ)隊長と一緒なら、そう気にするもんでもないんですけどね……」


 ミラー越しに小坂と目が合う。

 そんなことまでも気にかけてくれているのかと思うと、少しだけ切ない。


「まぁね……正直、こんなに長いこと、修治と離れた経験がないから不安もあるけどさ、あれで鴇汰もかなりの腕前だし、そう心配するもんでもないと思うよ」


「とにかく、こっちのことは任せておいてください。こっちを心配してる暇があるなら、早く帰ってくる、それにかぎりますから」


「わかったよ。じゃあ、今日は一日ゆっくりしてって、みんなにも伝えておいてよね」


 詰所に着いて、全員が中に入るのを確認してから麻乃は部屋に向かった。

 シャワーを使い、着替えを済ませて椅子に腰かけてくつろぐ。

 綺麗に片づいた部屋が、なんとなく落ち着かない。


(そういえば……鴇汰は中央に戻ったのかな……?)


 あの日……。

 西浜の防衛戦のあの日から、もうだいぶ経った。

 以来、これまでと違うことがたくさんあった。

 気がつけばもう豊穣の儀が目前だ。


 部屋の壁に据え付けてある刀置きから、紅華炎を手にした。

 鬼灯(ほおずき)夜光(やこう)が戻ってこないときは、紅華炎だけで出ないといけない。


 ふと思い立って、炎魔刀に手をかけた。

 静かに呼吸を整え、柄を握る手に力を込める。

 くっと動かした手首が、そのまま伸びることを拒まれた。


(……やっぱり抜けないか。これが抜ければなんの問題もないのに)


 覚醒していないと抜けないと、高田は言う。

 けれど、父も母も炎魔刀の(えん)(ごく)を普通に使っていた。

 父は鬼神(きしん)の血筋ではあっても、その能力は持っていなかったというのに。


 二人が亡くなった日、確かに麻乃も修治も、二刀を抜き放っている。

 それが、その日以降は一度も刀身を見ていない。

 手入れに出してはいるから、刀匠には抜けるのに……。


『抜けない刀を後生大事に帯びていてどうする』


 嫌でも高田の言葉を思い出す。

 いざというときに使えないんじゃ、たとえば紅華炎が弾かれてしまったとき、なにもできなくなってしまう。


 そうしたら……。


 修治なら、月影(つきかげ)、あるいは紫炎(しえん)のどちらかを託してくれるだろう。

 扱う武器の違う鴇汰とは、絶対にできない話だ。


(……怖い。もしものことを考えると、どうしようもなく怖い)


 このまま起きていても悪いことばかりを考えてしまいそうで、ベッドに潜り込むと眠ってしまうことにした。

 横になったとき、黒玉(こくぎょく)が衿もとからはみ出した。


(そうだ。これもかばんにしまうつもりが、すっかり忘れていた)


 触れて眺めた。外してかばんにしまおうと思いながらも、また起きるのが面倒で、そのまま布団にくるまって目を閉じた。


 どのくらいの時間が経っただろうか。

 ゆらゆらと肩を揺すられて、薄目を開けると、岱胡(だいご)の顔が目の前にあった。


「麻乃さん、起きてくださいってば」


「……岱胡? なに?」


 全然眠った気がしなく、大欠伸をして聞いた。


「玄関に周防(すおう)さんが来てますよ。刀、戻ってきましたよ」


「ほんと?」


 岱胡の言葉に飛び起きると、着替えもせずにパジャマのまま部屋を飛び出した。

 階段を駆けおりて玄関まで来ると、周防の爺さまのお孫さんが鬼灯と夜光を抱くようにして、唖然としてこちらを見ていた。


「あ……っと、すみません、こんな格好で……」


 とりあえず服は着てるものの、足もとは裸足のままだ。

 せめて着替えくらいはしてくるべきだったと恥ずかしくなる。

 玄関のガラスに映った姿は、寝起きのままで癖毛が大変なことになっている。

 あわてて手で梳いて直した。


「いえ、こちらのほうこそ、すっかり遅くなってしまって……間に合わないんじゃないかと思ったのですが、なにせ鬼灯がひどく急かしたようで、どうにか間に合いましたね」


「……急かした?」


「ええ、本当にうるさいらしいですよ、こいつは。こうも早く戻りたがるんじゃ、よほどあなたのことが気に入ったんじゃないかと、爺さまも言っていました」


 とても柔らかな口調でそう言われ、ちょっと照れ臭さを感じながら差し出された鬼灯と夜光を受け取った。刀に気に入られるというのも、悪くない気がした。


「ありがとうございます。間に合わないんじゃないかと思って、本当は少しだけ不安だったんです。手もとには紅華炎しかなかったので……」


「戻られたら、今度は紅華炎と組ませる刀を見にいらしてください。相性の良さそうなものを用意しておきますから」


「はい、そうさせていただきます」


 ぺこりと頭を下げると、爺さまの孫は穏やかな笑顔を見せ、詰所を出ていった。

 車に乗り込むところでもう一度、頭を下げ、敷地を出ていくまで見送る。


「ずいぶんと感じのいい人ッスね」


 いつの間にか、岱胡が横に立っていた。


「うん、物腰が柔らかいよね。歳はトクさんか(たくみ)さんくらいなのかな? 刀に関しては頼りにできそうだし、ちょっとカッコイイよね? 泉翔(せんしょう)の男にしては小柄だから、あたしと並んでもそんなに変じゃない気がするし」


 鬼灯と夜光を抱えたままなんの気なしにそう言うと、岱胡は上から下まで麻乃を眺めてきた。


「そんなちょっとカッコイイ人の前に、そういうオシャレな格好で出てきちゃう麻乃さんのほうが、よっぽどカッコイイと思いますけどね」


「うっ……うるさいな! これはしょうがないの! もう間に合わないと思ってたのが戻ってきて嬉しかったんだからさ!」


 裸足のせいで、足が冷えてくしゃみが出た。


「でも良かったよ、これで安心して大陸に渡れる。そりゃあ、不安がまったくなくなるわけじゃないけどね」


「あと三日ですもんね、ホント、ギリギリでしたね」


 ぺたぺたと足音を立て、廊下を戻りながら、岱胡を見あげた。


「ねぇ、明日はこっちを何時に出るの?」


「さ~?」


「さぁ、って……」


「鴇汰さんにも聞いてみないと。あ、何時に出ます?」


 岱胡の視線が上に向き、釣られて視線を移すと、鴇汰が階段をおりてきたところだった。


(まだこっちに残ってたんだ……)


 欠伸をしてこちらを見ると、まず岱胡に答え、そのあと麻乃を見てあからさまに眉をひそめた。


「何時ってなにがよ? ってか……麻乃……なによ、その格好……あっ! 裸足!」


「今ちょっと……これから、もう少し寝るから」


 夜中に多香子と話した自分の言葉を思い出して、鴇汰の顔がまともに見られない。


「じゃあ、岱胡、出る時間を決めたら、あとで教えて」


 鴇汰の横をすり抜けて階段をあがり、急いで部屋へと戻った。

 冷えた廊下のせいで、すっかり足が冷たくなっている。


 鬼灯と夜光を置こうとしてふと思い立ち、一度抜いてみることにした。

 夜光の柄を握ると、ふっと一息ついてから静かに抜いた。

 安定した落ち着きを感じる。


 ただ、なにかをためらうような戸惑うような思いが伝わってくる。

 急に大陸へ渡る不安が増した気がして、そっと鞘に収めた。

 次に鬼灯を手にした。


『よほどあなたのことが気に入ったんじゃないか』


 そういわれたことを思い出す。

 癖があると言われ、高田はいい顔をしなかったけれど、気に入られているかもしれないだけあって、嫌な気はまったくしない。


 柄を握った途端、なにかみなぎるものを感じた。

 大陸で、やらなければいけない、なにか大切なことがあるような気がして落ち着かない。

 抜き放つと、突然、左腕に刺されたような激しい痛みを感じて、刀が麻乃の手から滑り落ちた。


「……っつ」


 しばらく忘れていた腕の痛みに、背筋が寒くなる。


「こんなときにまた……なんでまた今ごろ……」


 落とした鬼灯を鞘に収め、二刀とも刀置きにかけると、不安を拭い去るように布団に潜り込み、左腕を押さえてぎゅっと目を閉じた。

 もう痛みは引いて、なにも感じなくなった腕をさする。不意に修治のことが思い浮かんだ。


(言えない……誰にも言えない……明日の会議では、修治にだけは気取られちゃいけない)


 そう思った。

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