第94話 打ち明けの夜
地区別演習の結果が西区の優勝で終わり、戻った子どもたちをまじえ、全員で祝杯を挙げた。
二十一時前に、麻乃は隊員の何人かに子どもたちを送らせ、日付が変わるころまで高田や師範が、今後のことを話し合っているのを聞いていた。
飲み過ぎている師範たちに、お茶を運んできた多香子が突然倒れ、麻乃は市原と一緒に医療所へ運んだ。
処置室に入ってしばらくすると、石川が中から出てきた。
「爺ちゃん先生、多香子姉さんの様子はどうなんですか?」
麻乃は立ちあがり、半ば詰め寄るように問いかけた。
「なんだ、高田のやつは来ていないのか?」
石川は麻乃と市原を見て、そうたずねてきた。
「え……高田師範がいらっしゃらないとまずいんですか? まさか、そんなに悪いんですか?」
「市原先生! なんてことを言うんですかっ!」
青ざめた市原に、麻乃は思いきり喰ってかかった。
「おまえたち少し落ち着け。どこも悪くはないわ。強いていうなら過労だろう、それから貧血か」
「そうですか……このところ、ずっと調子がよくなかったようなので、心配していたんです」
麻乃と市原がほっとして顔を見合わせると、石川は渋い顔をした。
「おまえたちに伝言させるのもなんだがなぁ……まぁ、めでたいことだからな。高田にしっかり伝えておけ。今、三カ月だ」
頭の中で意味を整理するのに、少しだけ時間がかかった。
「……お、おめでたですか!」
市原があげた大声が、廊下中に響いて、石川にぎろりと睨まれた。
「たまには多香子を手伝って、少しは楽をさせてやれ。これから先は特にな」
「はい」
「今夜はここで休ませて、明日の昼過ぎにでも迎えをよこせばいい」
「わかりました」
浮足立った市原が説明を聞いている横から、麻乃は石川に問いかけた。
「爺ちゃん先生、多香子姉さんの顔を見てきてもいいですか?」
「ああ、奥で横になっているから、行ってやるといい」
そう言われ、廊下の奥にある部屋へ入る。
最初から起きていたのか、市原の大声で起きてしまったのかはわからないけれど、多香子の目が麻乃に向いた。
目が合うと、麻乃はなんとなく照れ臭くて、視線を外してベッドの脇の椅子に腰をおろした。
鴇汰の言っていたことが当たってたんだ、と、ぼんやり思った。
「こんな夜中に面倒をかけちゃって、本当にごめんね」
「ううん。大丈夫だよ。それより多香子姉さんこそ、急に倒れたから……どこか痛んだりしない?」
「私は平気よ」
「そっか……でも無理しないでね? 大事な……体なんだしさ」
へへっ、と照れ笑いがこぼれてしまう。
「そうだぞ。石川先生は、体を動かすのはいいことだけれど、無理をさせるなって仰っていたしな」
あとから市原も入ってきて麻乃の後ろに立った。
「二人とも、本当に迷惑をかけてごめんなさいね」
「馬鹿、迷惑なわけがないだろう? なぁ?」
「うん、いつも迷惑をかけてるのは、あたしたちのほうだもん」
市原と顔を合わせてそう言うと、多香子がわずかに微笑んだ。
「ねぇ、それより修治、呼ばなきゃいけないよね? 明日にでも誰かに迎えに行ってもらおうか?」
麻乃が言った途端、多香子は顔をこわばらせた。
「駄目。麻乃ちゃん、それは駄目よ。シュウちゃんには絶対に内緒にしてちょうだい」
静かでありながらも、多香子の口調は厳しい。
思わず市原のほうを振り返ると、市原も首をかしげている。
「多香ちゃん、そうは言っても黙ってるわけにはいかないだろう? 大事なことなんだぞ?」
「そうだよ、修治、絶対に喜ぶよ?」
多香子は体を起こし、麻乃と市原を交互に見つめた。
「それはもちろんわかってるんだけど……でもね、もうあと数日で大陸に渡るでしょう? 今、余計なことで気持ちを乱したくないの」
「余計なことって……そんなこと、ないよ。余計なわけがないじゃない」
「本当は麻乃ちゃんにも、知られたくなかったのよ……ここに気持ちを残していってほしくないの。だた豊穣の儀だけに集中してほしかった……」
シーツを握っている多香子の手が、かすかに震えている。
どこから来る不安なのか、麻乃には測ることができなかった。
「一日も早く二人に無事に帰ってきてほしいのよ。こんな話は、それからでも十分なの。だってね、向こうに行っているあいだのことは、なにもわからないのよ? 私にはなにもできないの。心配なのよ。だからね、無事に帰ってくることだけを考えていてほしいの」
ふっと市原のため息が聞こえ、麻乃は振り返った。
目が合うと、市原は少しだけ肩をすくめてみせた。
確かに大陸に渡っているあいだは、無事に奉納を済ませてさっさと引き上げる、そのことが頭のほとんどを占めている。
けれど、常にそればかりを考えているわけじゃなく、泉翔に残っているみんなのことや大陸で見かけたちょっと珍しいもののこと、ここにいるときと考えていることはなんら変わりやしないのに。
見たことのない土地に渡った自分たちが、なにをして、どう過ごしているのかを残った者たちは麻乃が思う以上に心配してくれているのか……。
「それに今度は、シュウちゃんと麻乃ちゃんは別々の国に行くんでしょう? 二人一緒なら、もう少し安心できるんだけど……」
「わかった。そうまで言うなら、戻ってくるまで修治には黙っているよ」
身重の多香子に、そんなにも心配をかけさせるわけにはいかない。
少しだけ考えてからそう答えると、多香子はほっと表情を緩めた。
「よし、じゃあ多香ちゃん、昼過ぎには迎えに来るから、それまでゆっくり休んでいるといい。麻乃、帰るぞ」
「はい。じゃ、姉さん、またね」
「あ……麻乃ちゃん」
立ちあがり、出ていこうとしたところを、多香子の声が追ってきた。
振り返ると迷ったように視線を泳がせてから、もう一度、麻乃を見つめた。
「なに?」
「うん、あのね……このこと、麻乃ちゃんは喜んでくれる?」
「えっ?」
聞かれた意味がよくわからず、じっと多香子を見た。なぜか不安そうな表情をしている。
「なに言ってるの? 当たり前じゃない。凄く嬉しいよ。だってあたしにとって、甥っ子や姪っ子同然だと思ってるもん。あたし、もっともっと強くなって、姉さんたちがなんの不安もなく暮らせるように、全力で戦って守るからね」
ぐっと握りこぶしを掲げてみせると、後ろから市原に頭を小突かれた。
「馬鹿か。それ以上、強くなってどうする。さぁ、もう行くぞ」
多香子が小さくありがとう、と言ったのが聞こえ、手を振って部屋を出た。
廊下を歩きながら、市原がぽつりと呟いた。
「本当に修治に知らせなくていいのか?」
「だって、姉さんがあそこまでいうんですよ? ここは聞いてあげたほうがいいですよ。なんだか不安そうだし、あたしにもおかしなことを聞いてくるし」
「あぁ、あれなぁ……」
「喜んでくれる? なんて、あんな当たり前のこと、どうして聞いてきたんだろう?」
隣を歩いていた市原が、麻乃を見つめ、困った表情をした。
「そりゃあなぁ、おまえ、あれだ。多香ちゃんだって、おまえと修治のことは知ってるだろう?」
「ええっ! だって……そんなもう何年も前のこと……」
「おまえにしてみりゃあ、そうかもしれないが、未だにおまえは独りだろう? 少しは気持ちを残してるんじゃないかって、思っているんじゃないのか?」
「そんな……」
思わず足を止めた。心臓のあたりが、妙にざわつく。
独りだって言ったって、それは単に縁がなかっただけの話で、修治のこととはまったく関係などないのに。
「先生、ちょっとそこで待っててください!」
玄関を出ていこうとしている市原の後姿にそう叫ぶと、多香子のところへ駆け戻った。
勢いよくドアを開けると、まだ起きたままで窓の外を見ていた多香子が驚いて振り返った。
「どうしたの?」
そう聞かれたものの、どう話していいのかわからない。
麻乃は指先で爪を弾いてもじもじしながら、なんでもいいから自分の気持ちを伝えることにした。
「あのね……あたし、ずっと……もう何年も前から、とても大切に思ってる人がいるんだ。でもね、そいつは年下だし、それに凄く奇麗な彼女がいてさ、ずっとなにも言えなかったんだよね」
「……そう」
多香子がうつむいた。
「それが、ちょっと前にさ、あたし……そいつに……こっ……告白されたみたいで」
余りの恥ずかしさに声が裏返ってしまい、顔が熱くなった。
思わず口もとを手で覆い、多香子から顔をそむけた。
「彼女がいる癖に、なにを馬鹿なことを言ってるんだろうと思って、なにも答えなかったんだけど、最近、勘違いだったのがわかってね……その相手はそいつの親戚だったんだって」
ちらっと多香子の顔に視線を向けると、目を見張って麻乃を見ている。
「い、今はさ、豊穣の事もあるから……帰ってから、全部終わってから、ゆっくり考えてくれればいいって、そいつは言ってくれたんだけど、あたし……そういうの全然わかんないし……戻ったらさ、もっとちゃんと、話を聞いてもらってもいいかな? 相談に乗ってくれると嬉しいんだけど……」
多香子の口もとが緩み、麻乃も照れ臭さが薄れる。
「当たり前じゃないの、私は麻乃ちゃんの姉なんですからね、そういう話くらい、いくらでも聞くわよ」
「ほんと?」
問いかけると、大きくうなずいてくれた。
もし、本当に誤解されていたんだとしたら、その誤解は解けたと思う。
「ありがと……じゃあ、あたし帰るね。急にこんな話をしてごめんなさい……戻ってから話しを聞いてもらって、ちゃんと考えて……それで、もしもうまくいったときは、そのときはちゃんと多香子姉さんにも紹介するから……それまでは、この話は内緒にしてね」
麻乃はそっとドアを閉め、部屋を出ると玄関まで駆け戻った。




