第92話 深夜の帰還
南詰所を出たところで岱胡は巧に捕まり、焦って帰ろうとするなと、また頭を引っぱたかれた。
北に行くから途中まで並走していこうと言われ、スピードを出すわけにもいかずジレンマを感じていると、不意に巧が別れ道で車をとめた。
岱胡もあわててブレーキを踏む。
「なんスか? 急に止まって」
「急ぐ気持もわかるんだけどね、今、事故を起こすわけにはいかないでしょう? とりあえず私のいうことを聞いて、焦らないで帰りなさい」
巧は岱胡の肩を軽く叩くと車に戻り、そのまま北へ向かっていった。
山道を走ることを考えると、暗い中、動物が飛び出してこないとも限らない。
確かに巧のいうように、焦るのはよくないだろう。
岱胡はいつもどおりのスピードで西区まで帰ってきた。
西詰所の前で車をおりて会議室の窓を見ると、明かりは消えている。
もう三時を過ぎているせいで、宿舎のほうも明かりの点いている部屋は少ない。
真っ暗な中に浮かび上がる詰所と宿舎が不気味な雰囲気に見えて、岱胡は急ぎ足で会議室に向かった。
中には鴇汰の地図と買い置きした食べ物しかない。
ぐるりと見渡して机の上にメモを見つけた。
『宿舎の麻乃の部屋にいる。戻ったら来てくれ』
それしか書いてない。
取り急ぎ宿舎に向かおうと歩き始めたところで、まだ談話室に残っていた隊員の岸本が顔を出し、岱胡は呼び止められた。
「なにか変わったこととか、あった?」
「いえ、特には……長田隊長が、四階の一番手前を使ってるから、そこに来てくれって言っていましたけど」
「四階? あ、そう」
(メモと違うな……?)
そう思ったとき、岸本の後ろから茂木が口を挟んできた。
「違う違う。藤川隊長の部屋にいるって言ってくれ、って言っていましたよ」
「え~? なんだよ、どっちが最新情報~?」
隊員たちは顔を寄せて情報をつき合わせ、藤川隊長のところですね、と言った。
「夕飯どきに、なにか揉めていたみたいで、階段のところで大騒ぎしてましたよ」
「揉めてた? なにそれ!」
岸本の話では、玄関口で鴇汰が大声でなにか文句を言ってるのが聞こえたあと、廊下に大きな物音が響いた。
数人で様子を見にいったところ、階段の途中で鴇汰が麻乃を肩に担ぎ上げ、落ちた荷物を拾っていたという。
なんでもないから気にするな、と言い残して、そのまま宿舎の部屋に向かったようだけれど、担がれた麻乃のほうは、大暴れしていたうえにひどく悪態をついていたらしい。
(なんてこった……来いと言われて部屋に行ったら、修羅場だったり血の海になってたりしないだろうな……?)
う~ん、と唸ったあと、岱胡はがりがりとと頭を掻いた。
「まぁ、いいや。とりあえず行ってみるよ。ありがとうな」
重い足取りで麻乃の部屋の前に立ち、外から様子をうかがう。
明かりは点いているけれど、中からはなんの物音もしない。
こうなると岱胡の頭には、もう嫌な想像しか浮かんでこない。
鴇汰の血まみれになった姿が……。
ここでためらっていても仕方ないと、思いきってそっとドアを開けた。
「……失礼しまーす」
半分開けたドアから中をのぞくと、部屋は綺麗に片づいていて、惨劇が繰り広げられた様子はない。
ほっとして中に入った。二人の姿は見えない。
部屋の中はやけに暖かく、なにを作ったのかおいしそうな匂いがしている。
そっと机に荷物を置いた。
(出かけてるのか? それともやっぱり四階のほうか?)
つと視線を奥に移すと、ベッドに麻乃が、その横で椅子に座った鴇汰がぐっすり眠っている。
しかも、また手を繋いで……。
もしも、ここに修治がいたら、問答無用で目を覚ます間もなく、鴇汰は斬られてしまうんじゃないかと思った。
(なんなんだ? この状況……揉めてたんじゃなかったのか?)
ベッドで一緒に寝てるところに遭遇しても困るけれど、こんな十二、三の子どもの恋愛みたいな……背中がむず痒くなるような、こっ恥ずかしい場面に遭遇しても本当に困る。
(まぁ、前みたいな勢いで喧嘩をされているよりは、マシかもしれないけどね)
夕飯もろくに食べていなかったせいで、腹の虫が鳴った。
調理場の隅に食べ物を見つけ、なるべく静かに温めて食べながら地図を広げると、もう一度、修治と決めてきたルートをさらった。
できるだけ静かにしているつもりだった。
気をつけていたのに、岱胡の腕時計からセットしておいたアラームが鳴り響いた。
鴇汰がぴくりと動いて椅子から肘を落とし、目を覚ましてしまった。
時計はいつの間にか五時を指している。
「あ、目、覚めちゃいました?」
「ん……なんだ、戻ってたのかよ」
「ええ、三時過ぎッスかね。夕飯、食い損ねて腹が減っちゃって。ここにあったの食べちゃいましたけど、いいッスよね?」
繋いだ手を名残惜しそうに離し、立ちあがって伸びをした鴇汰は、椅子を持って静かにこちらへ移動してきてから台所をのぞいた。
「どれ食った?」
「さっき、こっちにあるやつを食ったんスけど、なんか物足りなくて」
「あぁ、そんじゃあ机の上を片づけて、ちょっと待ってろよ」
岱胡はうながされて机に広げた地図をしまった。
「ところで……なんだかずいぶんと大騒ぎしたみたいッスね?」
鴇汰の後ろに立ち、温められたおかずを受け取りながらたずねてみる。
鴇汰は首の凝りをほぐしながら苦笑した。
「まぁな。気をつけようと思ってたのに、俺のほうから突っかかっちまって、ちょっとヤバかった」
「ここに来る前に、うちのやつらから聞いて焦りましたよ。麻乃さん、かなり悪態をついてたって言うし」
「あぁ、結構な力で背中をたたかれてさ。馬鹿だなんだと言われて参ったよ。こっちが悪いから言い返せねーしな」
「まぁ、大ごとにならずに済んだようでなによりッスけど。部屋に入って血の海だったらどうしようかと思ってたのに、なんだかやけに、仲良さそうに寝てましたもんねぇ」
コーヒーを淹れている鴇汰の耳が赤くなったことに気づき、こっちまで恥ずかしくなってしまう。
「それより北と南のほうはどうだったのよ?」
目を伏せたまま向かい側に腰をかけた鴇汰は、コーヒーを飲みながらそう聞いてきた。
「北には梁瀬さんをおろしただけで寄ってこなかったんスけど、南には巧さんが来てましたよ」
「へぇ、そんならちょうどよかったじゃん」
「ええ、例のジャセンベル人のことも、念のため、どうにかしてもらうことになりました」
「どうにか……って、そんなもん、どうにかなるもんなのかよ? だって相手は大陸の人間だろ?」
鴇汰が驚くのも尤もだと思う。
岱胡自身も驚いて、巧に思いっきり引っぱたかれたわけだし。
「なにかあったときのために、連絡の取れる方法を聞いてあるらしいッスよ。なにしろ、巧さんのほかには麻乃さんが一度会ってるだけで、修治さんもその相手のことは見てないそうッスからね」
「麻乃が?」
「そうなんですよ。けど、ジャセンベル人のほうも麻乃さんのあの外見で、子どもが植林の手伝いに来ているんだと思ったらしくて。遭遇しても特に怪しまれなかったみたいッス」
言いながら思い出すと、おかしくて笑ってしまう。
七年前と言っていたから、まだ麻乃は十七歳のころで、今より幼く見えて当然だろう。
翌年に巧がまたジャセンベルに豊穣の儀へ出たときに、そのジャセンベル人が『幼いのに頑張っていた』と感心していたらしい。
他愛のない世間話をしたらしいけれど、会話をしても年相応に見られなかったとは。
ただ、もしも腕前のほどが知れていたら、黙って帰されはしなかったかもしれない。
そう考えれば、それで良かったのだろう。
「小さいのが幸いしたってことか」
「泉翔人を巧さん基準で考えていたら、子どもにしか見えなくても仕方ないでしょうね」
「ロマジェリカでもそれが通用すりゃあ、少しは安心なんだけどな」
そう言って鴇汰は麻乃に目を向けた。
まだぐっすり眠っていて起きる気配はない。
「あの国じゃ、子どもだろうが女だろうが、異人って時点でアウトですからね」
「まぁ、おまえのいうとおり左側にルートを決めたから、慎重に行けば何事もなく済むだろうけどな」
食事を済ませ、おなかも一杯になると、さすがに眠気が襲ってくる。
鴇汰は立ちあがると、麻乃を起こした。
「おい、今日も早いんだろ? そろそろ起きて飯食っていけよ」
聞くと今日は地区別演習から、道場の師範や子どもたちが戻ってくるから、迎える準備で忙しいらしい。
目を覚まさせるために、シャワーへ追い立て、着替えを済ませるまでのあいだ、廊下で待った。




