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蓮華 ― 鬼神の血を継ぐ戦士は護るために戦う ―  作者: 釜瑪秋摩
第一章 中央から南へ

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第90話 黙ってる時間

 鴇汰(ときた)は会議室で、ぼんやりと地図を眺めていた。

 何度ほかのルートと比べてみても、恐らく岱胡(だいご)が勧めるルートが一番いいんだろうとは思う。


 時計が十時を回ったころ、ようやく起きた麻乃(あさの)は寝坊したと言ってあわてて飛び起き、道場へ戻っていった。

 昼過ぎには梁瀬(やなせ)も戻ってきて、三人で昼食を済ませると、岱胡は梁瀬を送るために北と南へ向かった。


 本来は休みなのに、鴇汰は一人ぽつんと西詰所に残されて、することもない。

 どうせ襲撃もないだろうと思い、夕飯の買い出しに柳堀(やなぎぼり)へ向かった。


 頭の中で献立を組み立てながらいろいろと食材を選んでいると、松恵(まつえ)と行きあい、強引に店へ連れていかれそうになった。

 なにをする気も、なにもする気もないのに、女のことで変な噂を流されでもしたら今は困るだけだ。


 鴇汰はどうにか松恵を振り切って、詰所に戻ってきた。

 宿舎の空き部屋を一室、使うことにして、荷物も会議室から移してきた。

 下ごしらえを済ませ、のんびり風呂に入って小一時間ほど仮眠をとり、時計を見るともう五時だ。鴇汰は急いで調理に取りかかった。


(……帰ってこないな)


 宿舎に来る前に、岱胡の隊員に鴇汰の居場所は知らせておいた。

 麻乃にしろ岱胡にしろ、戻ってくればすぐにここがわかる。

 北を回って南へ寄ってくる岱胡はともかく、麻乃が戻ってこないのは……。


(まさか夕飯、道場で食ってくるのか?)


 ちゃんと予定を聞いておかなかったのは、鴇汰の失敗だったけれど、なんの連絡もよこさないなんて。

 まだ鴇汰がこっちに残ってることを、麻乃は知ってるはずなのに。

 七時を過ぎたころには、だんだんと腹が立ってきた。


 苛立ちを抑えようと部屋の窓を開けて空気の入れ替えをしたとき、かすかに蹄の音が聞こえた気がして、部屋を飛び出して詰所の入り口に走った。

 下におりると、ちょうど麻乃が帰ってきたところだった。


「あれ? どっか出かけるの?」


 また……的外れなことを……。


「麻乃も岱胡もいねーのに、出かけられねーだろ! 遅いからどうしたかと思ったんだよ」


「あ、そっか」


 そのまま会議室へ向かった麻乃は、自分の荷物をまとめている。


「もしかして飯、向こうで食ってきたのか?」


「あ、うん。少しだけど。それで……」


「なんだよ! そんなら連絡ぐらい入れてくれよ! 俺、飯の支度して待ってたんだぜ!」


 感情が抑え切れていないところにすっとぼけたことを言われ、言うまいと思っていた言葉が止まらなかった。


「俺一人、休みだってのにいそいそと飯の準備して、こんなところで馬鹿みてーに待ちぼうけ喰らわされて……おまえのそういう神経、俺、本当に理解できねーよ!」


 そこまで一息で怒鳴ったあと、鴇汰を見つめている麻乃の瞳が沈んで見えて、ハッとした。


(しまった! 揉めないようにしようと思ってたのに、自分から突っかかっていくなんて――)


 一瞬の沈黙のあと、つと目線を反らした麻乃が肩からかばんをおろして言った。


「ごめん……そうだよね、連絡ぐらい入れられたのに。あたし、考えもしなくて……早く帰ってこようとは思ったんだけど、ホントにごめん」


 そのかばんを鴇汰の手もとに押しつけるように渡してきて、麻乃は小さな声で呟いた。


「あのね、ちょっといい肉が捕れたから、鴇汰の分も貰ってきたんだ。一緒に食べようかと思ったんだけど……あたし調理とか関わってないから、普通においしいと思うよ。ご飯……用意してあるなら要らないだろうけど、よかったら明日にでも食べてやって」


 麻乃は毛布を肩にかけ直し、地図を両手に抱いた。

 小さいせいでうつむかれると表情は見えない。

 また、このあいだのようなことになってしまうかと思ったのに、怒り出す様子はまったくない。


「今日は嫌な思いをさせて本当にごめん。あたし明日も早いから、もう寝るね。おやすみ」


 鴇汰が受け取ったかばんはずっしりと重い。

 一緒に食べようと思ったと言うけれど、中に入っているのが食べ物だけだとしたら、二人分どころの量じゃないだろう。

 背を向けて歩き出した麻乃をあわてて追った。


「麻乃、本当に飯、食ってきたのか?」


 階段をのぼりながら、麻乃はこくりとうなずく。

 口をきかないつもりなのか、黙っていることにまた少し苛立つ。

 深く息をはいてどうにか鎮めると、麻乃の足を止めさせようと後ろから肘を取った。


 触れた瞬間、ばちっと静電気が流れたように、鴇汰の指先に痛みが走った。

 麻乃も驚いたのか、こちらを振り返った。

 階段の上下が逆だったら、きっと気づかなかっただろう。


(――泣いてる)


 こぼれ落ちた涙から、視線が外せない。

 口をきかないんじゃなくて、きけなかったのか。


(今、そんなにひどいことを言ったか?)


 六年以上前には揚げ足を取って言いがかりをつけたり、もっとひどいことを散々言って責めたりもした。

 言い返されたり無視されたり、喧嘩にはなったけれど、そのときでさえ、一度だって泣きはしなかったのに……。


 目が合った途端、麻乃は顔を背けて、また急ぎ足で階段をのぼり始めた。


「ちょっと待てよ!」


 今、離れたら、二度と近づけなくなりそうな気がして、鴇汰は麻乃の腕を引き寄せると、バランスを崩して倒れ込んできた麻乃の体を抱きとめた。

 足もとに地図の束が転がり落ちる。

 あわてて拾いに行こうとした麻乃の腰に手を回し、有無を言わさず肩に担ぎあげた。


「なにすんのさ!」


 驚いて叫び、暴れ出した麻乃を抱えたまま、落ちた地図を拾うと毛布でくるんで脇に抱えた。


 麻乃が戻ってきてから、大声をあげたり地図を落とした音が何度も響いたせいで、談話室や食堂から岱胡の隊員が何人か顔を出し、なにごとだと言わんばかりに階段を見上げている。


「なんでもねーよ、気にすんな。岱胡が戻ってきたら、四階の俺が使ってる部屋にいるって伝えてくれよ」


 苦笑いでそう言うと、鴇汰は階段を上がり、部屋へ向かった。

 背中をバンバンとたたいて吠える麻乃の声が階段中に響く。


 足をバタつかせるのには閉口したけれど小さいから大した被害はなく、悪態をつかれても全部無視した。

 これだけ騒げれば上等だ。


「なんでもなくないでしょ! この……馬鹿っ! もうおろしてよっ!」


「ギャンギャンうるせーよ。ったく、どこまでも面倒な女だな。大人しくしてねーと落ちるぞ」


「だからっ! 面倒だと思うなら……気に入らないなら、あたしに構わないでよ!」


「またそこから蒸し返すのかよ……」


 自分のせいでこうなっただけに、鴇汰はなにも言い返せずにため息をついた。


「ごめん。俺、最近あんまり考えずに感情そのまま言葉にしちまって、さっきも、連絡を入れてほしかったのはホントだけど、あんないいかたをするつもりじゃなかったんだよな」


 麻乃の動きがぴたりと止まった。

 そのことにほっとして、鴇汰はそのまま階段をのぼる。


「なんつーかさ、せっかくこっちにいるんだし、どうせなら一緒に飯を食いたいって思ってたのよ」


「…………」


「夕飯をどうするのか聞かなかったのは俺のほうなのに、待ってるあいだにイライラしちまって、八つ当たりしてさ……俺のほうこそ、いつもおまえに嫌な思いをさせてるよな。ホントにごめん」


 深く、ゆっくりとした息づかいが聞こえるだけで、麻乃はなにも言わない。

 そういえば……麻乃は時々、突然黙る。


 言いたい言葉を手繰っているんだと気づいたのは、もう何年も前のことで、急かすとますます黙るうえにわずらわしそうにするから、いつもなにか言い出すまで待っていた。


 黙ってる時間が長いほど、それだけ近くにいられると思えばなんの苦でもない。


 結局、なにも答えないままに終わってしまっても、麻乃なりに考えていて、日がたってから不意にその答えを言い出すことがあったから、それはそれで構わないと、鴇汰は思っていた。


(それがなんだ?)


 このところは黙られると苛つくし、少しでも答えがずれると腹が立つ。

 こんなふうに揉めてからやっと、ただ感情に振り回され、そのせいで昔みたいに何度も麻乃を傷つけていることに気づくなんて。


「もう……おろしてくれないかな」


 四階に近づいたところで、麻乃は消え入りそうな声を出した。


「やだね。うっかりおろして殴られても嫌だからな」


「そんなことするわけないでしょ!」


 おりようとして麻乃がもがく。

 鴇汰は落とさないように抱える手にぐっと力を入れた。


「そんならおろした途端、自分の部屋に逃げる気だろ?」


 ぴたっと動きが止まり、また黙る。


(図星か。わかりやすいやつだ)


 なんとなく、麻乃が次に考えていることがわかる。

 おろしたら逃げ出して、部屋に立てこもったあと、寝る前に空きっ腹を静めるために、会議室に残ってる食い物を取りに出るに違いない。


「飯、食ってきたにしちゃ、持って帰ってきた量が多いよな? ホントはそんなに食ってないんだろ?」


「そんなことない」


 麻乃の言葉に反して腹の虫が声をあげたのが、鴇汰の肩に伝わってきて思わず吹き出した。

 体温が上がったのが手に伝わり、赤くなったんだろうことがわかる。


「どーせまだ食えるんだろ? いいじゃんか、一緒に食おうぜ」


 迷ってる思いも手に取るようにわかった。


「麻乃が嫌じゃなければだけどさ。どうしても嫌だってんなら、おまえのぶんをわけて渡すから、とりあえず俺んトコに来いよ」


「別に……嫌って訳じゃないけど……」


「そっか」


 想像通りの答えだ。

 このあいだのときと違って、問答無用でなにも聞き入れない様子じゃない。

 怒っているのとも違う。


 どちらかを選ばせるような聞きかたをしなければ、今の麻乃はそばに置いておける。一人にしたら、きっと食堂や談話室、あるいは起きている誰かの部屋を渡り歩いて眠ることもしないだろう。


 岱胡の隊には麻乃に一目置いているやつが多い。

 そんなところに野放しになんかしておけるか。


「ちょっと、もう本当におろしてよ」


「もう着いたよ」


 四階の廊下に出ると、鴇汰は一番手前の部屋のドアを開けた。

 まずは地図をドアの横に立てかけて、それからかばんを机に置く。


「さて……と。そんじゃあおろすけど、いきなり殴りつけてくるのはなしにしろよ?」


「だから、そんなことはしないってば!」


「逃げるのも止めてくれよな? 嫌ならすぐに帰すから、ちゃんと言葉で言ってくれよ?」


「……うん」


 麻乃の返事を聞いてから、ゆっくりおろした。

 ずっと頭を下にして、暴れたり大声を出したりしていたからか、麻乃は足を着いた瞬間、ふらっとよろけた。


「今日はホントにごめんな」


 鴇汰は支えるふりをして麻乃をぎゅっと抱き締め、もう一度、小声で謝ってから椅子に座らせた。


 かばんの中は、やっぱり食べ物だけで、大きな入れものが四つあり、それぞれに違うおかずが詰められている。

 量も二人分より多い。


「どうする? こっち先に食うか?」


 振り返ると、麻乃は疲れきった様子で椅子の背にもたれていた。

 あれだけ暴れたんだから当然だろう。


「どっちでも……任せるよ」


「そんなら、こっちでいいよな。俺の飯のほうは、岱胡が戻ってから夜食にでもするか」


 作り置いてあった料理を台所の端によけて、麻乃の持って帰ってきたぶんを温め直した。

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