第89話 積み木の山
岱胡が上目遣いに修治を見て言った。
「そんなに心配しなくても、麻乃さんは大丈夫ですよ。凄く取り乱して震えてましたけど、鴇汰さんが手を握ってたら、すぐ落ち着きを取り戻しましたから」
「鴇汰が手を?」
巧が止める間もない勢いで、修治は岱胡の肩口をつかんで引き寄せると、口調は静かながらも憤りを隠せない表情を見せた。
「おい……なんだって鴇汰が西にいるんだよ? 手を握ってたってどういうことだ?」
「だ……だって鴇汰さんロマジェリカじゃないッスか……だから麻乃さんとルート決めとか、俺にも話を聞きに来たんスよ? 手だってあんまり麻乃さんが怯えて震えてるから握っただけだろうし……」
「ちょっとシュウちゃん、あんたなにをそんなに怒っているのよ? たかが手を握っただけでしょ? 麻乃が落ち着いたなら、それでいいじゃないの」
岱胡の肩をつかんだ手を巧が引き離すと、修治は舌打ちをして不機嫌なまま、椅子に腰かけた。
「さっさと地理、やるぞ」
いつもなら止めに入る徳丸は、苦虫を噛み潰したような顔で修治を見たまま、黙っている。
巧はため息をつくと、岱胡をうながして地図に向かった。
「あんた、鴇汰と会っているんなら少しは情報、もらっているんでしょ?」
「ええ、まぁ一応、使ってるルートのこととかは。でも、修治さんはどこを使うつもりなのかな? と思って」
顔色をうかがうように修治を見た岱胡は、おずおずとそう問いかけた。
「毎年、使われてるルートでいいだろう? 俺たちが渡ったときもそこを使った」
「でも俺は、ここよりこっちのほうが、通りやすいんじゃないかなって思うんスけど」
地図を指でたどりながら、岱胡は修治に訴えている。
確かに岱胡の指したルートは上陸ポイントから最短の距離で、城からも離れている。
「そこは駄目なのよ。城からヘイト国境へのルートと被ってたり交差してたりするの。こっちのルートなら城の後ろを回り込む形で奉納場所へ続いているから、敵兵に遭遇しにくいわ。今は特に国境で小競り合いが続いてるって言うでしょ? ここは一番避けなければならないわけよ」
「そうなんですか? それじゃあしょうがないッスね……てか、やたら細かいことがわかってるんスね?」
「まぁね。長く渡ってるんだもの。それなりに情報は得ているわよ」
「もしかして、植物の世話をしてくれてる、って人からですか?」
岱胡にはまだ説明していないのに、そのことを知っているとは。
「そのこと、鴇汰に聞いた?」
「ええ、実はそれを一番、聞きたかったんス。修治さんは会ったことはあるんですか?」
「いや……麻乃は会ってるんだが、俺は会ったことがないんだよ」
岱胡はひどく不安そうに、巧へ視線を向けてきた。
「巧さんが一緒ならともかく、もしも出くわしたとき、会ったことがない俺たちじゃあ怪しまれません? 危なくないッスかね?」
そう問われると、危なくない……とは言い難い。
(シュウちゃんはいいとして、岱胡はマズイかも……)
「そうね、ちょっとマズイことになる可能性もあるか……わかった。今年は私が行かれないから、奉納場所へは数日間、近づかないように頼んでおくわ」
「連絡取り合ってるんスか!?」
「人聞きの悪いことをいうんじゃないわよ! 取り合ってるんじゃなくて、万が一……たとえばこんなときのために、連絡の取れる方法だけは聞いてあるの!」
大声を上げた岱胡の頭を引っぱたき、巧は厳しい口調で答えた。
よほど痛かったのか盛んに頭をさする岱胡の姿に、やっと修治が表情を緩めている。
「なにか手があるなら、対応しておいてもらえると助かるな。俺が渡ったときから、だいぶ様子も変わっているだろうし……できるかぎり不安な要素は減らしたい」
こぶしを口もとに当てて考え込んだあと、そう訴えた修治に巧もうなずいて答えた。
「苗だけど、例年通り最低五株はお願いね。植える場所は奉納場所の周辺で、シュウちゃんはわかってるわよね?」
「ああ。二度やってるからな」
「空き地のほうはなにもしなくていいから。あっちは見通しもいいし、人に見られると面倒だからね」
「わかりました」
もう一度地図に向かい、あらためて赤ペンが引かれたあとを指でたどりながら修治と岱胡はルートを確定させた。
クルクルと地図を丸めて帰り支度をはじめた岱胡に、それまで黙って様子を見ていた徳丸が声をかけた。
「なんだ、おまえ、今から戻る気か?」
「ええ。だって夜中までには戻ってくれ、って言われてますから」
「だって向こうには今、鴇汰もいるんでしょ? 人手はあるんじゃないの?」
岱胡は何度か首をひねると、一度、ちらりと修治に視線を移した。
修治は椅子に腰かけたまま、腕を組んでうつむいている。
「人手はあるっていっても、麻乃さんのところの隊員は今、道場の手伝いとかで全員そっちへお邪魔してるんですよ」
「じゃあ、麻乃もそっちへ戻ってるの?」
「いや、道場のほうで豊穣の準備をしっかりやれ、って言われたみたいで、追い出されてきて詰所にいますけど」
「そんなら、こんな時間に暗闇ん中を走るより、泊まって明るくなってから帰りゃあいいじゃねぇか。事故でも起こしたらことだぞ?」
う~ん、と唸って岱胡は頭をがりがりと掻いた。
「俺はそれでも構わないんスけど、鴇汰さんがちょっと不安そうなんですよね。また揉めたりしないかって。麻乃さん、変な夢を見たあとですし」
巧は徳丸と顔を見合わせた。
確かに、今、揉めたら手の施しようがない。
「岱胡。その夢で、麻乃が斬られたのはどっちの腕か、聞いているか?」
不意に修治がそう問いかけた。
「え……っと、左腕って言ってました」
「左か……そのあと腕が痛むようなことは言ってなかったか?」
「鴇汰さんが痛むか、って聞いたら、痛みはないって言ってましたけど」
「そうか」
よく見ると、修治は難しい顔をしている。
いつものようにこぶしを口もとに当てている姿を見ると、なにか思い当ることがあるのだろう。
「左腕だとなにかあるの?」
巧は思い切って聞いてみた。
修治は暗くなってなにも見えない窓の外へ目を向けたまま、静かに話し出した。
「あいつ……ロマジェリカ戦のあと、よく左腕を気にしてやがったんだよ。火傷の痕がちりちり痛むってな。それから忙しかったり演習で大怪我したりで、すっかり忘れていたが、今、その火傷の痕とやらはどうしたかと思っただけだ」
――左腕。
まくりあげられた袖の下に、そういえば青黒い痣のようなものが見えていた気もする。
「だけど、あんなのだったかしら? 火傷の痕っていうより痣って感じだったけど……」
「おまえ、そいつを見たのか?」
「はっきりと見たわけじゃないけど、袖口から見えたのよ。ちょうど手首と肘のあいだくらいかしら、青黒い痣がね」
「そりゃあ火傷の痕じゃないんじゃねぇのか? 色もそうだが、皮膚が引きつれたりするだろう?」
「程度にも寄るんじゃないですかね?」
「そりゃまぁ、そうだろうけど……」
しっかり見たんじゃないから、それが絶対に火傷の痕だとも違うとも巧には言いきれない。
「なんだかさ……こう……なんていうのかしら……土台ばかりをあちこちに建てて、ちっとも積みあがらない積み木の山を作ってるみたいで、いらいらするわね」
「引っかかることばかりだが、なにがどうと問われると答えようもないしな」
この数カ月、こんなことばかりだ。
モヤモヤと気持ちのどこかで疑問を感じながらも、答えが見つからない。
「どれもこれも、繋がっているのかまったく別なものなのか、それさえもよくわからない。ただ、わかってるのは……どれもたどった先は一つだ」
修治は相変わらず窓の外へ目を向けたまま、けれど最後の言葉だけは言いにくかったのか、濁したことがわかる。巧の背中に悪寒が走った。
(行き着く先は全部、麻乃だ)
ガタンと椅子の動く音がして、巧は飛びあがりそうなほど驚いた。
音のしたほうを振り返ると、岱胡がかばんを肩にかけ、荷物をまとめているところだった。
「俺、やっぱ今から戻ります。なにもないでしょうけど、鴇汰さん一人で持てあましててもなんですから」
ドアを開けると、なにかあったら連絡します、と言い残して速足で出ていった。
「あの子、変にスピードを出しても怖いから、私、途中まで一緒に行って、そのままヤッちゃんのところへ行くことにするわ」
「あぁ、そうしてやってくれ」
「じゃ、次は会議のときにね」
心配そうな顔を見せた徳丸と修治を残し、岱胡のあとを追って詰所を出た。




