第83話 不穏な朝
鴇汰は、岱胡と梁瀬に手伝わせ、一度、きちんと机の上を片づけてから、ジャセンベルの地図を広げた。
岱胡とやり取りを始めたときには、もう外は明るくなっていて、ドアの向こうでにぎやかな声が聞こえ始めた。
麻乃は相変わらずソファの上で毛布にくるまり、背もたれのほうへ体を向けて丸くなっている。
鴇汰のところから顔は見えないけれど、肩の上下で寝入ったのはわかる。
梁瀬も気になるのか、チラチラと目を向けていた。
何度目かのあと、おもむろに立ち上がると岱胡の隣に座り、声をひそめて話しかけてきた。
「さっきの続きなんだけどね」
「さっきのって、術とか暗示のことですか?」
「違う違う。シタラさまのことなんだけど」
「あぁ。婆さまな」
もう一度、麻乃のほうを振り返り、寝ていることを確認した。
「麻乃さんて、シタラさまのことを、あまりよく思っていないでしょ?」
「そうかもしれないッスね、会議のときとか、ほとんど視線を伏せたままですもん」
「それと、西浜のロマジェリカ戦のときに、自分の隊員の腕を落としてるよね?」
そうだ。
西浜へ向かっている途中、穂高の隊員に担がれた川上と出くわしたことを思い出した。
(肩に手をかけようとして、腕がないことに気づいたんだ。あれは麻乃がやったことだったのか……)
「穂高さんは、毒矢に当たってほかに手がなかったって言ってたけど、麻乃さんのことだもの、きっと僕らの想像以上に自分を責めたと思うのね」
「でもその判断で、命を落とさせずに済んだんですよね?」
「そうはいっても、結果、彼は引退するしかなかったでしょ? おまけにあの日は、多くの隊員を亡くしているじゃない?」
ひどく苦い顔をして梁瀬は言う。
西浜の凄惨な光景を、鴇汰も思い出す。
確かに、あんなに大きな葬儀は、鴇汰が蓮華になってから初めてのことだ。
あの日、そんなことは考えもせず、鴇汰は自分の思いだけで麻乃を誘ったりしたけれど、麻乃は処理しきれない思いを抱えていたのかもしれない。
罪悪感が鴇汰の心をちくりと刺した。
「僕はね、もしかしたらそれが原因で、自分の腕を落とされるような夢を見てるんじゃないかな、とも思うんだ」
「良心の呵責ってヤツですかね。けどそうしたら、婆さまのことはどうなるんスか?」
「そこなんだよね、持ち回りや豊穣や、納得のいかないことはたくさんあるけど、麻乃さんの意思を汲んで西区の常任に了解を出したのもシタラさま。いくらよく思っていないとはいえ、自分の腕を落とすような嫌な相手に、どうしてシタラさまが投影されているのか……」
「単純に嫌いだから、とは思えねー感じだよな」
いつもは温和でふざけてばかりの梁瀬が、神妙な面持ちなのが、鴇汰の不安をかき立てる。
「今は豊穣の前だしね、少しでも不安な要素があるなら、取り除いてあげたいじゃない?」
「俺、向こうに渡って、このあいだのようなことが起こったらと思うと、ちょっと怖い」
「あんなことは、そう滅多にないっしょ。それに不安な要素を取り除こうにも、もう豊穣まで一週間切ってますからね、下手になにかすると、逆効果になったときにヤバイんじゃないッスか?」
それもそうか、と梁瀬は呟く。
「どうもね……なにもかも、腑に落ちないことが多過ぎて……もっとも、みんながそう思っているんだろうけどね」
「俺は最近、占筮なんて当てになるのか? って思うこともあるぜ。だって、俺と修治の組み合わせのどこがいいんだよ? 婆さまもそろそろボケてきたんじゃねーか?」
苛立ちを紛らわすように、わざと毒づいてみた。
さすがに梁瀬がたしなめるように反論してくる。
「そこまではないでしょ。ボケたなんて……いくらなんでも、カサネさまやサツキさま、ほかの巫女たちが気づくよ」
「でも時々、演習場に来ていたりするだろ」
「そんなはずはないよ。だってカサネさまとお会いしたとき、最近のシタラさまは具合が良くなくて臥せっていることが多いって聞いたよ」
だんだんとお互いの口調がきつくなってきて、鴇汰も梁瀬も、つい声のトーンが上がったせいか、麻乃が小さくうなって体を動かした。
岱胡がシーッと唇に指を当て、三人とも黙り込むと麻乃の様子を見守った。
安定した寝息が聞こえ始め、寝ていることを確認してからまた続けた。
「けど俺、このあいだの演習で、あいつの後ろに婆さまがいるのを見てるぜ? あれは錯覚なんかじゃなかった」
「具合が悪くて臥せっているのに、西区まで来てるってのもおかしな話ッスね」
「だろ? このあいだの会議のときだって、どっか悪いようには見えなかったと思わねぇ?」
う~ん、と低く小さくうなった梁瀬も、否定をしながらも、なにか思うところがあるようだ。
「それでも僕らにとっては、シタラさまの占筮は絶対だよ。受け入れないわけにはいかない。これまでに間違ったことなんて、一度だってないんだからね」
もうすっかり明るくなった外を見ながら、梁瀬は最後の言葉を、自身にも言い聞かせるような表情で言った。
ほかのやつらはどう思っているんだろう。
穂高も巧もトクさんも、修治にしても。
特に修治は鴇汰と同じで、絶対に納得はしていないと思う。
「ま、みんなも変だとは感じてるわけだし、なにか起こると思って準備したほうが、逆に安心かもしれないッスよ」
鴇汰は思わず梁瀬と二人で顔を見合わせた。
岱胡はあっけらかんとした顔で、一人ジャセンベルの地図と向き合っている。
「おまえ……いきなり大胆なことを言うよな?」
「僕も思わず、そうかもしれない、って思っちゃったよ」
鴇汰が呆れたように言うと、梁瀬も苦笑して、そう言った。
「だって慣れない土地ですからね、最初から敵兵に遭遇すると思っていったほうが気楽ッスよ。出遭ったらどうしようなんてビクビクしてたら、身動き取れなくなりそうですもん」
褒めたわけでもないのに、岱胡が得意気にしているのがおかしい。
雑談をまじえながら、地理情報の続きをしていると、ノックが聞こえて岱胡の隊員が顔を出した。
「岱胡隊長、おもてにシタラさまがいらしているんですけど」
「シタラさまが? なにをしに?」
「なんでも、蓮華の方々に渡すものがあるとか……」
さっと三人で視線を巡らせた。
急に張り詰めた空気が満ちたことに、岱胡の隊員も表情をこわばらせた。
「どうします?」
岱胡は隊員を引っ張って中に入れ、ドアを閉めた。
「まずいだろ? 麻乃はあんな夢を見たあとだ」
「鴇汰さん、荷物、今すぐにまとめて。それからキミも、この荷物を全部、二つ手前の会議室へ移すから手伝って」
梁瀬は岱胡の隊員に、荷物を持てるだけ持たせて手伝わせた。
「岱胡さん、玄関に向かって。そこで帰ってもらえなかったら、二つ手前の会議室ね、ここへは入れない。麻乃さんが今、会議室にいることは秘密。キミも、いいね?」
「わかりました。ほかのやつらにも伝えますか?」
「いや、今ここに麻乃さんが来てるって、見たおまえしか知らないだろ? おまえが黙っててくれればいいよ」
岱胡は会議室を出ると、玄関へ走っていった。
麻乃のいる会議室へは鍵をかけ、新しい部屋の机に地図を無造作に並べて広げ、食べ物の袋を少しだけ広げた。
まるで、今までここで作業していたように見える。
麻乃を残してきてしまったのが気になったけれど、よく眠っていたようだから大丈夫だろう。
いざともなれば帰るふりをして向こうの部屋へ行けばいい。
数分すると、岱胡がシタラを連れて会議室へ入ってきた。
慌てて立ち上がって、挨拶をした。
「今日はどうされたのですか?」
梁瀬が前に進み出ると、シタラは手を掲げてみせた。
その手には、四つのペンダントが握られている。
「今回の豊穣は、それぞれ慣れない土地で大変だろうと思い、巫女の祈りを捧げた黒玉を渡しにきたのだよ」
「黒玉……ですか」
黒玉は泉の周辺でしか採れず、しかもとても珍しい石で、お守りとして大切にされる価値のあるものだ。
「これを守として、大陸では常に身につけているといい」
シタラは鴇汰と梁瀬、岱胡の手にそれを握らせた。
手の中の黒玉が、ひんやりと冷たかった。なぜこのタイミングで、わざわざ自ら足を運んでこんなものを?
「麻乃の姿が見えないが……?」
「あ……藤川は道場のお嬢さんの具合が悪いそうで、外出をしています」
梁瀬がそう答えると、シタラは三人に視線を向けてから、会議室の中をぐるりと見回した。
(俺たちの言葉を疑っているんだろうか?)
シタラの目が青く光った気がして、鴇汰はその姿から目を逸らさずにいた。
鴇汰の視線に気づき、こちらを向いたシタラと真っすぐに目が合った瞬間、驚きで心臓が跳ね上がった。
シタラの瞳が青い。
けれど、そう感じた次の瞬間、幕がおりたように瞳の色は黒に変わった。
(梁瀬さんも岱胡も気づいてないのか!)
「藤川のぶんは私があずかり、責任を持って渡しておきます。近ごろ、お体がよろしくないと聞いております。神殿までお送りいたしましょうか?」
梁瀬は下手に出ているような言葉遣いの割に、毅然とした態度でこれ以上は踏み込ませないところをみせている。




