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蓮華 ― 鬼神の血を継ぐ戦士は護るために戦う ―  作者: 釜瑪秋摩
第一章 シタラの眼

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第82話 震える手

「もう。なんスか~! 素直な感想を言っただけなのに」


 叩いた頭をさすりながら、岱胡(だいご)が訴えてくる。


「そういうことは、思っても口に出さなくていいんだよ!」


 鴇汰(ときた)は動揺した気持ちを抑えようと組んだ足の爪先を盛んに揺らした。岱胡の何気ない一言が、妙に心に引っかかっていた。


「はいはい。わかりましたよ……って、梁瀬(やなせ)さん、どうかしました?」


「うん……なんかちょっと……」


 ふてくされて答えた岱胡が、梁瀬に声をかけた。

 振り返って梁瀬を見ると眠っている麻乃(あさの)を覗き込んでいる。


「いやあぁーっ!」


 突然、悲鳴が部屋中に響き、なにか大きな音がした。

 驚いたのか、梁瀬の背中がびくっと揺れ、岱胡が立ち上がった。

 鴇汰は反射的に席を立ち、急いで駆け寄った。麻乃がソファから落ちていて、梁瀬がその横で膝をつき、背中をさすっていた。


「どうしたの? うなされていたよ。なにか嫌な夢でも見た?」


「腕……腕が……」


 小さな体をさらに縮めるように、麻乃は右手で左の二の腕を押さえている。

 以前、腕が痛いと酷く苦しそうにしていたのを鴇汰は思い出した。

 麻乃の目の前にしゃがみ込むと、迷わず左手を取ってぎゅっと握った。


 一瞬、その手を振りほどこうとして引いたのを、鴇汰は離さずに、さらに力強く握り締めた。指先まで震えているのが、はっきりと伝わってくる。

 動揺して泳いでいた麻乃の視線が、握られた手に焦点を定め、確かめるように何度も肘と繋いだ手を行き来した。


「……あれ?」


 少し落ち着いてきたようで、周囲を見回してもう一度、腕を見つめている。


「どうしたんだよ、腕、痛むのか?」


「ううん、痛みはない」


 麻乃は、はーっと大きく息を吐いた。

 ひどく手が震えている。鴇汰は麻乃の手をさらに強く握った。


「怖い夢でも見た? 急に悲鳴をあげたから驚いたよ。ソファからも落ちたし、どこか痛んだりしない?」


 梁瀬は麻乃の背中を軽くぽんぽんと叩いて、心配そうに顔を覗き込んでいる。


「婆さまが……巫女婆みこばあさまが……あたしを追いかけてきたんだ。なぜか左腕を狙ってて……逃げきれなくて、あたしの左腕が……」


「ただの夢ッスよ、俺には麻乃さんの腕、なんの変わりもなく見えますよ」


「いつもと違って、今度こそ斬られたと思ったのに……」


 鴇汰は思わず梁瀬と岱胡を見た。

 二人も怪訝な表情でそれぞれに視線を移す。


(いつもと……? こいつ、こんなに震える程の嫌な夢を何度も見てるのか?)


 胸の奥に、ざわりとした不安が広がった。


「ねぇ。婆さまって、シタラさまのことだよね?」


 梁瀬がそう問いかけると、麻乃はこくりと頷いた。


「嫌かも知れないけど、どんな夢なのか聞かせてよ。ホラ、悪い夢は正夢にならないように人に話した方がいい、って言うでしょ」


「……そうだっけ?」


 上目遣いに鴇汰を見た麻乃に頷いてやると、麻乃は目を閉じて空いた右手で額を掻き、話し始めた。


「多分……西浜のあの戦争の後からだと思うんだけど、婆さまに追われる夢を見るんだよね」


「それって頻繁に見るんスか?」


「ううん、最初はそうでもなかった。もしかしたら忘れてるだけかもしれないけど……」


 麻乃は時折、離そうとして手を引く。

 その度に、強く握り締めて離さないでいた。


 鴇汰はあぐらをかいて座り直すと、麻乃がまた手を離そうとするのを強引に引き寄せて指を絡めて握った。

 諦めたように麻乃は少し肩を落とし、また話し始める。


「でも毎回必ず、あたしの左腕を狙ってるってことだけは、ちゃんとわかるんだ。いつも振り切って逃げるか……立ち向かうんだけど、今日は……追いつかれて肘の辺りから斬り落とされて……」


 力が抜けて緩んだ麻乃の手は、震えが止まっている。

 それでも動揺しているだろう思いが、鴇汰に伝わってきた。


 そりゃあそうだろう。

 たとえ夢だったとしても、自分の腕が斬り落とされるなんて尋常じゃない。しかも相手は敵兵でも得体の知れないものでもなく味方であり身近である巫女のシタラだ。


「本当に怖かった……だって腕を落とされるなんて……そんなことになったら、あたしもう生きていけない」


 ずっと軽く麻乃の背中をさすっていた梁瀬の手が、突然力強くその背を叩いた。

 それと同時に頭の後ろで指を鳴らすと、麻乃の目をじっと見た。


「ねぇ、麻乃さん、アイス、食べたくない?」


 麻乃の視線がまず鴇汰を向き、岱胡へ移り、最後に梁瀬を見つめると、首をかしげた。


「なんだか冷えるから、アイスはいらないかな……」


「そう……」


 梁瀬の表情が、あからさまにがっかりして見える。


「ごめんね、痛かった? ちょっとした厄払いだからね、悪い夢を見ないように」


「うん、平気。ありがとう」


 時計を見ると、もう六時近い。

 外が薄っすらと明るくなっていた。


「シチュー、まだ少しだけ残ってるから食う? 多少は温まるだろ?」


「うん、じゃあ温め直してくる」


 立ち上がった麻乃が、そっと右手で鴇汰の手を引き離した。

 鍋を持って出ていく姿を見送り、ドアが閉まったのを確認すると、梁瀬に尋ねる。


「あんたさっき、なにをしようとしたのよ?」


「ん……麻乃さんさ、最近ずっと変でしょ? ちょっと気になることがあったから、このあいだも術を試したけど、駄目だったじゃない?」


「ああ、あのとき。そうだったな」


「それでもしかしたら、どこかで暗示でもかけられてるのかと思って試してみたんだけど、こっちも駄目だった」


「どこかで、って、あいつ島から出ないのに、暗示なんかどこでかけられるってのよ?」


 梁瀬は妙に神妙な面持ちで首をひねった。


「それはそうなんだけど、なんか引っかかるんだよね。とても大事なことを見落としているって言うか……だいたい、夢の内容にしたって追ってくるのがシタラさまだなんて妙な話だもの」


 それまで黙って聞いていた岱胡が、痺れを切らしたように聞いてきた。


「このあいだの術とか暗示とか、一体、なんの話なんですか?」


 そういえば岱胡も、梁瀬の金縛りの中、動いていたっけ。

 梁瀬は面倒くさそうに手を振った。


「いいの、いいの。岱胡さんも難しいクチだから」


「全然、意味がわかんないから凄く気になるじゃないッスか。あ、気になるといえば、あの人、一人でやって平気ッスかね? 焦がすんじゃないですか?」


「それ、冗談じゃなくホントにヤバいぞ!」


 鴇汰は慌ててドアを開けて走った。

 調理場へ飛び込むと、ぼんやり鍋を見つめている麻乃の横から手を伸ばして、火を消した。


「どうしたのさ?」


「少ししか残ってないんだから、そんな強火でかけると焦げるだろ」


 新しい皿を取り出して盛ると、麻乃に手渡してやる。


「早く食っちゃえよ、そろそろ賄いのおばさんたちが来るころだよな? 俺、これ片づけちまうからさ」


「ありがとう」


 鍋の底がほんの少し茶色くなっていたのを見て、危なかった、と鴇汰は思った。

 洗い物をどんどん片づけていきながら、後ろにいる麻乃を見た。

 もう、すっかり落ち着いたようだ。


「俺さ、これから岱胡と情報交換するけど、まだ時間がかかると思うから部屋に戻って、もう少し寝たらどうよ?」


「やだよ……部屋に戻ったら一人じゃん。みんながいる会議室でいい」


「麻乃がいいなら構わないけどよ。もう明るくなるぜ。あんなソファじゃ狭くて寝苦しくないか?」


 黙ってうつむいた後姿が、やけに弱々しく見える。


「平気。でも邪魔だったら、人がいるほかの部屋に行く」


 うつむいたまま、麻乃は食べ終わった皿を洗い始めた。

 ほかの部屋……っていったって、人がいるのは談話室くらいだろう。

 でなければ、誰か隊員の部屋か?


(だめだめ。こいつ、こんな格好だぞ?)


「そんなの駄目。全然邪魔なんかじゃねーし、心配だから、俺の目の届くところにいてくれないと絶対に嫌だ。いいな? 会議室に戻れよ?」


 洗った皿を麻乃から受け取り、拭いて棚にしまった。

 麻乃があっけに取られた表情で鴇汰を見つめている。


「うん……わかった」


 一言だけ言い、調理場の入り口に手をかけた麻乃は足を止め、振り返った。


「どうしたんだよ?」


「ん……さっきはさ、手を握っててくれて……なんか凄く安心できたんだよね。ありがとうね」


 消え入りそうな声でそう言うと、ドアを開けて出ていった。

 鴇汰は一人残された調理場で、最後の片づけを終えた。

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