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蓮華 ― 鬼神の血を継ぐ戦士は護るために戦う ―  作者: 釜瑪秋摩
第一章 修復

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第74話 打ち明ける夜

 稽古場へ続く廊下を歩きながら、麻乃(あさの)はぶつぶつと文句を言い続けた。


「そりゃあ、あたしが作ると料理って呼べるものじゃなくなるのは、自分でもわかってますけど。塚本(つかもと)先生といい、そうあからさまにほっとされると、若干、いらっときますね」


「そうはいってもおまえ、あれは本当にひどいぞ? 俺はもう懲りたからな」


 不貞腐れて呟いた麻乃の背中を、市原(いちはら)が叩いて笑った。そして鴇汰(ときた)を褒める。


「昼飯に夕飯とあれだけの量を作って、そのうえ、朝飯まで準備してあるってのは凄いもんだな。うちの連中も料理ぐらいはするが、そこまでは無理だぞ」


「なんだか、好きらしいですよ。料理」


「珍しい趣味だな」


 稽古場の奥から、布団を出してきて敷いている市原を手伝いながら、麻乃は遠慮がちに声をかけた。


「明日なんですけど、うちのやつらがここに来るから、人手は十分だと思うんですよね」


「ああ、そうだろうな」


「それであたし、午前中と夜に少し、詰所に戻ってきたいんですけど……」


 市原は布団にシーツを被せながら、麻乃に視線だけを向けた。


「そうだな……大丈夫だと思うが、なにかあったのか?」


「実は豊穣(ほうじょう)の準備が全然できていなくて……」


「おまえは飄々(ひょうひょう)としてるから、こっちもうっかりしてたが、全然準備ができていないってのは一体どういうことだ?」


 出発まで、もう日も迫っていることを知っている市原は、さすがに驚いて大きな声を出した。

  

「先生、あたし今度の豊穣で、初めてロマジェリカに行くんです」


「初めての国ならなおさら、早くに情報を詰め込まないとまずいだろうが」


「そうなんですけど……これまではずっとヘイトで……一度だけジャセンベルになったことがあるけど、いつも一緒にいたのが修治(しゅうじ)だったから、特になんの不安もなくて……今回も当然、修治とヘイトだと思っていて、それでなにも……」


「なんだ? 今回は修治とは一緒じゃないのか?」


 小さくうなずくと、思い切って自分の中にあった不安をはき出してみようと思った。

 一番、話をしやすい市原が相手で、二人だけじゃなければ言えなかっただろう。


「それが今回に限って、みんないつもと違う組み合わせや、初めての土地に当たったんです」


「全員がか? シタラさまの占筮(せんぜい)がそう示したっていうのか?」


「はい。それであたし、今回は鴇……長田(おさだ)と一緒なんですけど、ついこのあいだまで大喧嘩していたんですよね」


「その割に、今日は普通に話しをしていたじゃないか」


 市原は敷いた布団の上に胡坐をかき、窓の外へ視線を移すと、そう言った。


「今日は手伝いをしながらで、冷静に話しができたから……でも、少し前から、なんだか自分が自分でないみたいな、憤りや苛立ちが抑えきれなくて……このあいだは、言い合いをしながら無意識のうちに柄に手をかけていたし……」


「抜刀したのか?」


「そこまでは……柳堀(やなぎぼり)でのこともあったし……でも、もし勢いで抜いてしまったら思うと、怖くて仕方がないんです。全然知らない土地に行って、万が一にも、あいつを斬ってしまうようなことになったら……」


「どう言ったもんかなぁ。こればかりは、おまえ以外の人間がどうにかできる問題じゃないからな」


「……はい」


「とは言え、自分の思いばかりを先行させて、豊穣をおろそかにするわけにもいかないだろう? 今はまず、準備をしっかりしておくしかないんじゃないのか?」


「そうなんですけど……」


「不安に思う要素を一つでも潰しておけば、残りの問題も、いいほうに流れていくことは多いぞ」


 気持ちが沈んだぶんだけ丸まった背中を、市原がまた、ばんと大きく叩いた。


「行く前から悪いほうにばかり考えるな。まぁ、大事なことだからな。しかも初めての土地ともなれば不安にもなるだろうが……なにしろ昔は、あの高田たかだ先生でさえ、豊穣が近づくとぴりぴりしてたもんだ」


「高田先生が? なんだか想像がつかないですけど」


「だろう? だから、おまえが全然準備できていないっていうのには驚いたが、不安になるのはよくわかるつもりだ」


 そう言えば戦士たちは、蓮華(れんげ)が大陸へ渡っているあいだ、どんな思いで過ごし、待っているんだろう。


 高田は大陸へ渡っているあいだ、泉翔(せんしょう)に残した隊員たちをどう思っていたんだろう。

 これまで、気にもしていなかったけれど……。

 塚本を含め、三人はそれぞれその思いを知っているんだ。


「先生、前になにか見たら俺にも教えろ、って言ったこと、覚えてますか?」


 そう言った瞬間、市原の顔がこわばって見えた。


「おまえ……こんな時間にそういう話をするか?」


「大丈夫ですよ、別になにも見てませんから。ただ、あの演習で怪我をしたとき……」


「ちょっと待て!」


 麻乃の言葉をさえぎって、市原はそのまま稽古場を出ていき、十分ほどしてから戻ってきた。

 そしてそのまま、稽古場のすべての窓を閉めて鍵をかけると、布団の上にどっかりと腰をおろした。


「よし! いいぞ、なんでも言え。戸締りも火の確認も全部済ませてきた。朝までここから出ないからな」


 市原の膝頭が揺れているのが目に入り、麻乃はくっと吹き出したあと、思いっきり笑ってしまった。

 そういえば、この手の話は怖いと言っていたっけ。


「先生。アレには鍵や壁なんて意味をなさないじゃないですか。そんなにきっちり閉め切ったら、なにか出たときに、逆に逃げられなくなりますよ」


 麻乃がそう言うと、市原は黙ったまま、廊下への出入口の鍵を開けに行った。

 笑い過ぎて涙がにじんだ目をこすりながら、ふーっと息を吐いて呼吸を整える。


「実は、あの演習で怪我をしたとき、誰かの声を聞いたんです」


「立てないほどの怪我が治ったっていう、あれか?」


 市原の問いかけに黙ってうなずいた。


「そいつは人を嘲笑うような口調で、治してやろうか、そんな傷も治せないなんて不自由だ、って言ってきて」


「おまえが怪我していたのを知ってたのか……?」


「ええ。それで、こんな傷が簡単に治るわけがないって反論したら、不意に目眩がして、そのまま寝てしまったのか、気づいたら朝になっていました」


 腕を組んで目を閉じたまま、考え込んでいる市原を上目遣いに見ると、一呼吸置いて、麻乃は自分の膝に視線を落とした。


「目が覚めて、変に体が楽になっていると思ったら、傷口が全部、ふさがってたんです」


「その声の主がなにかしたと思うのか?」


「わかりません。なんの証拠もないですし、姿も見てない……こんなこと、自分でも理解できないのに他人にわかってもらえるわけがないって思ったから、今まで誰にも言えませんでした」


 低い唸り声を上げ、市原は何度か手のひらで顔をなでた。


「まぁ、そりゃあ言えないだろうな、そんな話……」


「それに、あのときは、どうやって傷が治ったかっていうことよりも、治った事実のほうが大事に思えて、深く考えないようにしていたんです」


 今になって考えてみれば、おかしいということがよくわかる。


「思い返すとあの少し前から、なにかを忘れているような気がしたり、なにをしていたのか思いだせない時間があったりするんですよね」


「それは今も続いているのか?」


「はい。それに、おかしなことばかりで落ち着かなくてイライラするし、人の思いがわずらわしくて……」


「柳堀のあと、ここへ来たおまえはひどく刺々しかったからな。どこの悪党が来たかと思ったぞ」


 荒い言葉とは裏腹に、市原の目は優しげに麻乃を見ている。

 修治や高田、塚本も——こうやっていつも見守ってくれていることを知っていたのに、問われるのがうとましくてみんなを遠ざけていた。なにもかも手放してどうするつもりだったんだろう。


「おまえには黙っていたんだが……」


 いつもは言い澱むことの少ない市原が、少しうつむき加減で言葉を濁している。

 なにを聞かされるのかと思い、麻乃は身構えた。


「婆さまに頼んで、遠目からおまえの様子を視てもらったんだよ」


 婆さまと聞いた途端に、ぎくりとした。

 ひどく緊張したときのように、鼓動が速くなり手に汗がにじむ。


「おまえ、誰かに見られている気がするとか、怪我をする直前に誰かの声を聞いたとか言ったろう?」


「いつの間にそんなことを……」


「婆さまに言わせると、なにも心配することはないそうだ。けどなぁ……塚本はああいうやつだから、すっかり安心しきっているが、俺はどうも気になるんだよ。だからおまえ、なにかおかしなことがあったときは俺にも教えろ、な?」


 真面目に考えようと、頭を働かせているところに割って入るように言葉を浴びせてくる。

 そんな市原に半ば閉口しながらも笑いが込みあげた。


「別に構いませんけど……そのかわり聞いた以上は、最後まで責任を持って聞いてもらいますよ」


「そのつもりがなけりゃ、そんな話を聞きたいわけがないだろう? 聞いてなにかしてやれるのか、それはわからんが、一緒に考えてやるくらいはできる。一人で考えるよりはなにかいい案も浮かぶかもしれないしな。さ、ボチボチ寝るとするか」


 ぱこんと平手で頭をたたかれた。

 不思議と怒りは湧いてこない。

 返事をして布団に潜り込むと、なにを考える間もなく、麻乃は眠りに落ちていった。

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