第73話 深夜の対話
一番後ろに停まっているトラックまで来たとき、鴇汰と洸の話し声が聞こえて、麻乃は荷台の陰で足を止めた。
「俺、基礎が大事なのはわかってたんですけど、最近はずっと焦ってて……」
「まぁ、そんな時期もあるよな。俺だって同じことをした時期があったし」
「俺……どうしても一矢報いたい相手がいる、っていうか……次にやったときは絶対に負けたくなくて……」
鴇汰は腕を組んで車に寄りかかっている。
黙っていられるのが不安なのか、いつもはあまり話さない洸が、いつになく饒舌になっているようだ。
(あたしには生意気な態度ばかりなのに、初めて会った鴇汰にはそんな話まで……。似たもの同士で気が合うのかねぇ?)
麻乃は荷台に身を寄せ、聞こえてくる会話に耳を澄ませた。
「技を身につけて挑めば勝てるって思ってました。大剣のことも……持ち替えたら刀相手なら絶対負けないって……」
「……勝ちたい相手って、もしかして麻乃?」
突然、麻乃の名前が出て驚いた。
心臓がどきりと跳ねる。まさか自分が話題に上がっているとは思わなかった。
洸は黙ったままうつむいている。
鴇汰は大きなため息をつき、前髪を掻きあげてから頭を掻いた。
「得物の問題じゃねーんだよな……そういうつもりで大剣を扱うんなら、やめといたほうがいいぜ」
「それだけ、っていう訳じゃありません。ずっと刀でやってきたんですけど、近ごろはなんだか物足りないっていうか、なにか違う気がして」
「どっちでも構わないんだけどな。目指す相手がいるってのも悪いことじゃねーし。でも、おまえじゃ無理だな。麻乃には勝てない」
洸は少しむっとした顔で鴇汰を見た。
技にこだわっていたのが麻乃のせいだったとは、まったく気づかなかったけれど、今の洸の表情は演習で見たときと同じだ。
でも、どこか悔しそうでもあり、それが演習のときとは違って見えた。洸なりに、真剣に自分自身のことを考えているのかもしれない。
「あいつの腕前はガキのころから、それこそ泣きながら鍛錬して、血反吐を吐いてまで身につけたものらしいからな。ちょっとくらい腕が立つってだけじゃ敵わねーよ」
思わず拳を握りしめる。幼い頃の辛い記憶が蘇り、息が詰まりそうになった。
「でも……もしかしたら……万が一ってこともないっていうんですか?」
「ねーな。ハッキリ言うけど、俺はおまえとなら、十回やって全部を楽に勝てる。けどな、麻乃とじゃ、十回を本気でやって三回勝てるかどうかだぜ? 俺でさえそれだけの差があるんだよ。それが偶然だろうが万が一だろうが、あっさり勝たれちゃ、こっちの立場がねーもんな。それになにより、麻乃相手に偶然はありえない」
蓮華衆で立ち合ったなら、修治以外となら勝ち越す自信はある。それでも、それだけの差と言われると、照れくさくて頬が熱くなった。
「初めはそんなに差があると思えませんでした。楽に勝てると思って……そしたら、あっさり負けて……俺、次は絶対に負けないって言ったんですけど……」
鴇汰が体を起こして洸をじっと見据え、表情を緩めた。
「……格が違うから無理だ、って言われたろ?」
洸が鴇汰のほうを見て大きくうなずいている。
「あいつなぁ……小せぇもんな。侮る気持ちもわかるよ。勝ちたいって思うのもな。でも、そんなことよりもっと大事なことがあるのよ。まぁ、そのうち、おまえにもわかるだろうけどさ」
「大事なこと、ですか?」
麻乃は息を呑んだ。大事なこと……確かに、誰かと対戦して勝つことよりも大事なことが、戦士にはある。
「あぁ。けど、まだ先の話だな。今はとにかく、明日からの地区別をしっかりやってこいよ。俺は東出身だから、建前として応援はできねーけどさ」
「今日、大剣を振るったとき、凄くしっくりきました。これからまた、基礎からしっかり鍛え直します。そうしたらまた、大剣、教えてもらえますか?」
「おまえ、デカイし力もあるから使い甲斐はあると思うよ。あんまり人に教えるのはうまくねーけど、それでもいいなら、またやろうぜ」
その言葉にほっとしたのか、嬉しかったのか、洸の表情は明るい。
お礼を言ってぺこりと頭を下げると、こちらに向かって歩き出した。
麻乃は慌てて荷台の後ろに回り、車体の反対側に身を隠した。心臓がどきどきと早鐘を打っている。
洸が戻ったとなると、本当にあと少しでみんな出発するだろう。
見送りに出なければ、そう思って戻りかけたとき、後ろから鴇汰の声が追ってきた。
「立ち聞きは悪趣味なんじゃなかったのかよ」
――なんだ、バレていたのか。
「気づいてたんだ? あたしの名前が出たから出にくくてさ」
荷台の陰から出ると、照れ隠しに笑ってみせた。
鴇汰は腕時計を見てから麻乃に目を向けてきた。
視線を合わせるのが怖くて逸らしてしまうのに、その動きは気になって、気づくと鴇汰の仕草一つ一つを目で追っている。
「そろそろ出る時間か」
「うん。洸が車に乗ってなかったから呼びに来たんだけど……」
「おまえ、あいつと手合わせでもしたのかよ?」
「手合わせっていうか演習でちょっとね」
鴇汰はふっと笑って洸の後ろ姿を眺めた。
「なんだ。俺のときと同じか」
「鴇汰のときと、まったく同じことを言うからさ、なんだか凄く懐かしかったよ」
あのときはなぁ、と呟いた鴇汰も、昔を思い出しているのか懐かしそうな顔を見せる。
麻乃は鴇汰の横顔をしばらく見つめてから、口を開いた。
「それより今日は本当にありがとうね。一日潰させちゃったけど、多香子姉さんのことも、洸のこともさ、凄く助かったよ」
「別に……俺はああいうの好きだし苦じゃねーから。洸のやつも、俺がここの人間じゃないから素直に話が聞けたんだろうし」
鴇汰は前髪を払って額を掻いた。
指先に巻かれた絆創膏が目について、じっと見つめていたのに気づいたのか、鴇汰が笑う。
「もう全然平気だって。血だって止まってるよ」
「そっか、なら良かった」
本当にほっとする。怪我に対して過敏になり過ぎているんだろうか。血を見た瞬間、息が止まりそうになった——大切な人が傷つくのを見るのが、これほど怖いとは思わなかった。
「それより、俺、明日は穂高のところに行ってロマジェリカの地理情報を貰ってくるよ。麻乃は地区別終わるまで、ここにいるのか?」
「うん、そう。先生も二人しか残らないし、チビたちの様子見とか、手伝いをしないといけないから」
「それなら明日の夜かあさってには、またこっちに来るよ。時間も残り少ないから、できるだけ多くの情報を頭に詰め込まないとな」
また会える。麻乃はそっと息を吐き出した。
「わかった。そういえば岱胡も毎年ロマジェリカだよね。今は西にいるから詰所で話せば、鴇汰もジャセンベルの情報を教えてあげられるんじゃないの?」
「そっか、じゃあ詰所のほうが都合がいいな」
「中央まではみんなと一緒だとはいえ、運転には十分、気をつけて帰ってよね」
麻乃を呼ぶ市原の声が聞こえる。
振り返って返事をすると、鴇汰に軽く手を振り、その場を離れた。
もっと話していたかった。そんな気持ちを胸に秘めながら、先頭のトラックへ戻り、市原とともに高田のもとへ向かった。
「留守中のこと、しっかり頼むぞ」
高田の声に被せるように、低く響くエンジン音が深夜の空に広がる。
前方のトラックで、ほかの師範たちになにか指示をしている市原を見てから、高田は助手席に乗り込み、麻乃に向かって手招きをした。
「なんですか?」
近寄って背伸びをしながら、麻乃は耳を傾けた。
「不安や不満、疑問に思うことがあるならば、胸に秘めずに常に言葉に出すようにな。相手は誰でも構わん。話されたほうも真摯に受け止めて答えを探してくれるだろう」
「……はい」
「おまえが自分で言葉を発することで、自ずと見えてくるものが必ずある。口にしなければ見えるはずのものも見えなくなる。見極めろ。おまえ自身で判断するのだぞ」
恐らくこのあいだ、『誰も信用するなと言われた』そう話したことへの答えだろう。
言葉足らずなところがあるのは自覚している。それでも昨日までの自分なら、きっと素直には聞けなかっただろう。高田の言葉が、じわりと胸に沁みた。
「はい、わかりました」
しっかりと目を見て答えると、高田は満足そうに笑い、塚本に指示を出して車を走らせた。
幌の中から元気に手を振る子どもたちに、市原と手を振り返す。
最後に鴇汰の車が出ていくとき、窓越しにこちらに向かって頭を下げた。
麻乃はつい、半歩前に出て手を振った。鴇汰の車が見えなくなるまで、ずっと手を振り続けた。
車がすべて出ていったあとの道場は、それまでのざわめきが嘘のように静寂に包まれている。
「さて、もう一時になるか。そろそろ休まないと、朝が早いからつらいぞ」
「そうですね」
「多香ちゃんの様子はどうなんだ?」
「そんなにひどくはないみたいでしたけど……無理はしてほしくないですよね」
市原は困った様子で額を掻いている。
その姿を見てなんとなく察しはついた。
「朝ご飯の心配ならいりませんよ」
「なんでだ? 俺が作るからか?」
「違いますよ。もう、用意がしてありますから。多香子姉さんの分も」
市原が驚いてなにか言いかけたその前に、麻乃はきっぱりと言い切った。
「言っときますけど、あたしが作ったんじゃないから、なんの心配もいりませんよ」
市原が塚本と同じようにほっとした顔を見せた。
麻乃は苦笑いしながら、静まり返った道場の廊下を歩いた。




