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蓮華 ― 鬼神の血を継ぐ戦士は護るために戦う ―  作者: 釜瑪秋摩
第一章 修復

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第72話 ぬくもりの在処

柳堀(やなぎぼり)で俺、言ったよな? 俺は……」


 鴇汰(ときた)の言葉を遮って、麻乃(あさの)は手で鴇汰の口をふさいだ。

 そしてそのまま、唇に人差し指を当て、静かにするように鴇汰に指示をしてみせ、鴇汰がうなずいたのを確認してから出入口にそっと近づく。

 胸の鼓動が早くなっているのを自覚しながら、麻乃は息を潜めて廊下の様子を窺った。


 廊下に顔を出すと出入口の両脇に、塚本(つかもと)市原(いちはら)がおひつを抱えて立っていた。


「先生……二人とも揃って立ち聞きって……まったく、悪趣味にもほどがあるってもんですよ!」


 腕を組んで仁王立ちになり、麻乃は二人を睨みつけた。

 頬が熱くなっているのが自分でもわかる。どれだけ聞かれていたのだろうか。


「馬鹿、別に立ち聞きをしていたわけじゃないんだぞ、なぁ?」


「そうそう、なんていうか、入っていくタイミングが……な」


 二人の苦笑いが余計に恥ずかしさを増した。麻乃は少し強めの口調で言い放つ。


「食堂、今から片づけに行きますから、二人はどうぞ、子どもたちを連れて稽古に戻ってください!」


 苦笑いをしてみせる二人の手からおひつを引ったくると、蹴りを入れる真似をして二人を追いやり、調理場へ戻った。


「まったく、うちの先生たちってばホントに……」


 呆気に取られた顔をしていた鴇汰が、急に笑い出した。


「いいじゃんか。嫌いじゃないぜ、ああいうの。梁瀬(やなせ)さんを思い出すよ」


 くくっと笑いを噛み殺している。

 その姿を見て、麻乃はほっとしたのと同時に幸せな気分になった。緊張でこわばっていた肩の力が、ふっと抜けていく。


「じゃあ、あたしは片づけをしてくるよ」


「あ、あのな……」


 出ていこうとした麻乃の左手を、鴇汰がつかんだ。

 ふわりと温かい感覚が腕を伝わってくる。心臓が再び激しく鳴り始めた。


「柳堀で言ったこと、あれは本当だからな」


 かっと顔が熱くなる。

 麻乃は握られた手をじっと見た。

 いつになく真面目な雰囲気に、気持ちがまだ追いついていかない。頭の中が真っ白になりそうだった。


「……もしかして忘れてたりする?」


 そう問われて小さく首を振った。忘れるわけがない。あの時の言葉は、ずっと心の奥で響き続けている。


「今さら焦るつもりもないけどよ、それだけはちゃんとわかっていてほしいんだよな」


「あたし……今はいろんなことがあり過ぎて。考えなきゃいけないこともあり過ぎて。豊穣(ほうじょう)のことだって地理情報すら頭にないでしょ? だから……」


 ふっと鴇汰がまたため息を漏らした。


「わかってるよ。豊穣のことは、一人じゃなくて一緒に考えようぜ。ルートとかさ。俺、今週は休みだから、できるだけこっちに顔出すからよ」


 その声に、麻乃はふっと息を吐き出した。少しだけ肩の荷が軽くなる気がする。


「うん……そうだね、そのほうがいいよね」


「急がないから。全部片づいてからでいいから。ゆっくり考えてくれればそれで。な?」


「あのね、あたし、ずっと以前からあの人が鴇汰の彼女だって思ってた。今日、違うんだっていうことはわかったけど、そんなに急に納得できないっていうか、気持ちを切り替えられないし……」


「……ああ。それもわかってる」


「でも、ちゃんと考えるから。時間はかかるかもしれないけど、ほんとにちゃんと考えるからさ」


 気恥ずかしくて、今すぐでもここから飛び出していってしまいたいのに、足がそれを拒否しているように動かない。

 ずっとそばにいたいという思いも胸の奥をかすめていた。この温かい手のぬくもりを、もう少しだけ感じていたい――。


 どうにかそれを抑え込み、鴇汰の手をそっと引き離す。


「片づけ、急いでやってきちゃうから、夕飯の支度、手伝うことがあれば用意しておいてよ」


歩きながら、麻乃は自分の頬がまだ熱いことに気づいて、思わず手で触れてみた。



----



 麻乃が調理場から出て食堂へ向かっていくのを、塚本は市原と一緒に廊下の陰から覗いていた。


「おいおい……突然、雰囲気が変わったな。ずっと棘のある感じだったのに」


高田(たかだ)先生が面白いものを見られると言ったのは、(あきら)のほうじゃなくて実はこっちか?」


「これはもしかすると豊穣が終わったら、この道場に目出たいことが一つ増えるかもしれないな」


 市原がにやりと笑って言い、二人で連れだって高田の部屋に向かった。


「失礼します」


「ああ、入れ」


 中に入ると、高田は机に向かい、手紙を手にお茶を飲んでいた。


「様子はどうだ?」


「驚くほど、険が取れていましたね」


 高田の問いに、市原が答える。


「そうか。多香子(たかこ)をあいだに入れて和らげるつもりだったのだが、具合を悪くしたからな。どうなることかと思ったが……」


「一体、どういうことですか?」


 含み笑いをしながら手紙を読み返している高田を、市原が不思議そうに眺めて問いかけると、その手紙を市原に手渡した。


「麻乃の様子がおかしかったのには、いくつか原因がありそうだが、そのうちの一つは彼が握っていたようだ」


「俺はてっきり、例の人の気配云々が原因かと思っていましたが……」


 市原はそう言い、読み終えた手紙を塚本にも回してくれた。


「あれはシタラさまに視ていただいて、なにもないと言われただろうが」


 その手紙に目を通しながら憮然としてそう言うと、高田は小さくうなずいた。


「ところがな、どうも麻乃に対して、なにかが働きかけているようではあるのだよ」


「なにかが、ですか?」


 思わず市原と顔を見合わせた。


「みんなを信用するな、そう言われたのだと麻乃は言っていた」


「誰がそんなことを……」


「それが、わからんらしい」


 ぶるっと体を震わせた市原が、真顔で呟く。


「なにかに憑かれている、そうお考えですか?」


「それは私には、どうにもわからん。が、しかし……先日の敵襲のことも、このところ麻乃の身の回りで起きていることも、なにかおかしいのはわかる」


「確かに、俺たちにもわかります……」


「本当なら、このまま大陸へやるのは賛成しかねるのだが、どうやら落ち着きを取り戻したようだからな。向こうへ渡っても修治(しゅうじ)といるかぎりは安心だろう」


「先生、麻乃は今年の豊穣は修治とではないようですが……」


「ええ。先ほど二人の様子をうかがっていたときに耳にしたのですが、今年は彼と一緒にロマジェリカへ渡るようです」


 高田は塚本と市原の顔を交互に見た。


「それは確かか!」


「ハッキリとは……ただ、豊穣があんな組み合わせになって、とか、自分のことは気に入らないだろうが、少し我慢してくれ、とか、そんなことを彼が言っていました」


 腕を組んで聞いていた高田の表情はひどく険しかった。

 窓にとどまっていた若草色の鳥が何度かさえずり、飛び去っていった。高田はしばらく、その行方に目を向けていた。


「急ぎ確認をしておいてくれ。だがくれぐれも自然にな。私は近所まで出かけてくるが、すぐに戻る」


 高田は立ちあがると羽織を手に支度を始めた。

 市原も高田の様子に不安を覚えたのか、塚本に視線を送ってくる。

 高田が道場を出ていくのを見送る塚本の耳に、小さなつぶやきが聞こえた。


「どちらかが揺れたらまずいことになる……」



----



 深夜になってから道場の前に、大型の幌付きトラックが数台用意された。

 麻乃は塚本と一緒に、子どもたちが荷物を積み込むのを手伝った。


 荷台に乗り込んでいく子どもたちの顔が、一様に暗くて思わず苦笑してしまう。

 幌のロープを締め直しながら、みんなを眺めた。


「あんたたちねぇ……まるで葬儀にでも向かうようじゃないのさ」


「変なことを言うなよ。俺たち、今はやる気十分なんだぜ」


「そうよ。ここまで来たら全力でやるだけだもんね」


 暗く見えている表情とは違い、目は力強く先を見ている。

 泣いても笑っても、これが最後の演習だ。


 力の足りない者や、家業を継ぐ意思の強い者以外は、その後の洗礼で印を受けることになるだろう。

 この道場に十六歳は十二人いるけれど、恐らく印を受けるのは(あきら)琴子(ことこ)たち、五人だけだと聞いている。

 自分たちでもそれがわかっているのか、緊張も気合も人一倍だ。


「先生たちはさ、あんたたちになんて言ってるか知らないけど……あたしはよく、気負い過ぎだって言われるんだけどね。別に気負ってもいいと思うんだよね」


 子どもたちが荷台の中から、一斉に麻乃に目を向けてきた。いつもとは違う、真面目な表情の麻乃を見て、みんな少し驚いているようだった。


「そりゃあ、それで落ち着きがなくなったり、判断が鈍ったりするのはマズイけど。でもさ、実際はそうしなきゃどうにもならないことが、多過ぎると思うんだよ。あたしなんか、特にさ」


 荷台のへりに手をかけながら、麻乃は子どもたちの顔を見回した。どの顔にも、じわりと汗が滲んでいる。

 ——みな、腹をくくった顔だ。


「それは麻乃ちゃんが、チビだからじゃないの~?」


 琴子のからかうような口調に、耕太(こうた)が吹き出した。


「チビって言うな! それに、そのほうがより力が入るし、踏ん張りがきいたりするんだよ」


「って言うか気負うってよりも、気合を入れるって感じじゃねぇ?」


「う~ん……似てるんだけど、ちょっと違うんだよ」


 みんな、よくわからないというように、首をかしげている。


「そのうちわかるよ。それより今年は北区が強いらしいじゃない」


「そうなんだよ。あっちは体もデカイやつが多いし、力も強いっていうんだよな」


 正次郎(しょうじろう)雅人(まさと)は、荷台から少し身を乗り出してきた。

 荷台に寄りかかると、麻乃は夜空を仰ぐ。満天の星が、まるで子どもたちを見守るように輝いている。

 荷台の縁をとんとんと叩きながら、比佐子(ひさこ)徳丸(とくまる)の戦いかたを思い出し、子どもたちを寄せ集めた。


「あっちは力でごり押ししてくる戦いかたが多いんだよね。まともに受けたら力負けするから、相手の動きをよく見て受け流すんだ。振りが大きいから隙も見つけやすい。だから、そこを衝く。あんたたちは基本を叩き込まれているから、簡単に見極められるよ」


「うん。わかった」


「それから、気配だけはしっかり抑えなよ。離れたところから馬鹿みたいに、殺気丸出しにしてたんじゃ、隙を見つけても踏み込めなくなるからね」


「それもわかってるって」


 かつての演習のときを思い出したのか、耕太がバツの悪そうな顔で答えた。


「まぁ、あんたたちが本領を発揮できなくても、ほかの道場の子もいるんだし、そんなに問題でもないか」


「あんた……本当にヤなやつだよな。激励にきたんじゃないのかよ?」


 くすりと笑って嫌みを言った麻乃に、雅人が口をへの字にして文句をつけてくる。


「あ、そうそう、今年、もしも優勝したら、あたしのとき以来だから、八年ぶりの快挙だよね」


 麻乃は少しだけ胸を張って言った。自分たちの代の記録を更新してもらえたら、先輩として鼻が高い。


「今度はプレッシャー攻撃かよ? 俺たちはやる気十分だから、あんたもう、あっち行けよ!」


 正次郎が追い返すように手を振って笑った。

 暗かった顔がいつの間にか、ずいぶんと明るくなっている。

 どうやら緊張はほぐれたようだ。麻乃は、ほっと胸をなでおろした。


「そういえば、洸がまたいないね?」


 荷台の中には姿が見えない。

 ほかのトラックには十四歳、十五歳の子どもたちが乗っていて一杯だろう。


「洸はさっき、長田(おさだ)さんに話があるって言って向こうに行ったよ」


 琴子の答えに、麻乃は腕時計を見た。

 そろそろ出発する時間だ。

 鴇汰の車へ目を向けると、二人が何か話しているのが見える。洸の表情が、いつもより真剣に見えた。


「誰か呼んできなよ」


「やだよ。メンドクサイもん。体力温存したいし、麻乃ちゃん自分で呼んできなよ」


(本当にああ言えばこう言う……)


 仕方なく、二人のほうへ足を向けた。夜風が頬を撫でて、少しだけ心が落ち着いた。

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