第66話 最悪の組み合わせ
「ヤッちゃん!」
会議前日、軍部へと戻ったとき、入り口に見えた梁瀬を巧は呼び止めた。
「ちょうど良かった。ねぇ、夕飯でも食べに花丘に行かない?」
「それは構わないけど、なにかあった?」
「ちょっとね」
梁瀬と連れ立って、花丘の比較的静かな店へ向かう。
食事が済むまで雑談しかしないのを、訝しげな目で見ていた梁瀬は、待ちきれないといった様子で問いかけてきた。
「一体、どうしたっていうの? なにか話があるんでしょ?」
空いた器を下げてもらい、お茶をもらってゆっくり飲むと、テーブルを挟んで額を寄せた。
「シュウちゃんから聞いたんだけどね、麻乃が術にかかりにくいって本当?」
「なんでまた突然、そんな話を……」
梁瀬は体を反らせて椅子の背にもたれ、巧を観察するように見つめてから、もう一度テーブルに身を寄せてきた。
「なにかあったんだ?」
「うん。このあいだ、庸儀の襲撃があったのよ。兵数は五千程度で、大したことはなかったんだけどさ」
巧は慎重に言葉を選んだ。
「もしかして、麻乃さんの部隊は初陣だったんじゃないの?」
「そう。でも麻乃が選んだ奴らだからね、よく動いてくれたのよ。ただ……」
頬杖をついていた手をうなじに移し、巧は後頭部を掻いた。
「麻乃が狙われてたようで、変に敵兵が集中してね」
「狙われた?」
「ちょっと、大声を出すんじゃないわよ」
驚いて声を上げた梁瀬の頭を引っぱたいて睨みつける。
「あの赤髪の女がいてね、それからホラ、何年か前に諜報で潜り込んでたアイツもいてさ、麻乃と打ち合ってたのよね」
「ははぁ……その二人はつるんでた、って訳ね? ってことは、あの赤髪の女は偽物ってところかな?」
「さすが、鋭いわね。それでね、あの男を相手にしていた麻乃の様子が急におかしくなって、倒れちゃったの」
巧は梁瀬の表情を注意深く観察しながら続けた。
「倒れたって、交戦中にでしょ? それって凄く危険じゃない? まさか、また大きな怪我を負ったんじゃないよね?」
梁瀬はまた大きな声を上げそうになり、それを抑えて身を乗り出し、巧に小声で聞いてきた。
「頬に斬り傷が一つよ。ちょうど西区に来ていたシュウちゃんが加勢してくれたのと、岱胡が気を利かせて援護に出てくれたから、大事には至らなかったのよね」
「へぇ、二人がねぇ」
「撤退したあと詰所に運んだんだけど、目が覚めたとき、麻乃は私に抱きついてきて、本物か、生きてるのか、って聞いてきたのよ。あの男と打ち合いながら、斬り倒した敵兵が、私や隊員たちに見えてたっていうの」
目を覚ましたときの麻乃の怯えた表情を思い出した。
梁瀬は腕を組んで唸りながら首をひねっている。
「その感じだと、術中にはまったか暗示をかけられてるんだろうけど……でもなぁ……ただでさえかかりにくいのに戦ってる最中じゃ、もっとかけにくいと思うんだけど」
「覚醒しかけて、状態が変わってるとは思えない?」
そう問いかけると、ヒラヒラと手を振ってみせてからあらたまった表情で梁瀬が答えた。
「余計にかかりにくくなるならわかるけどね。かかりやすくなるとは思えないよ」
親指でこめかみの辺りを揉み解しながら、修治と同じ答えか、と巧は思った。
「それにね、ちょっと前の演習に僕の道場からも師範が出ていたんだけど、麻乃さんのいる範囲で金縛りをかけたけど、やっぱり麻乃さんに術は効かなかった、って言っていたよ」
「そう……」
「でもなぁ……今の話は凄く気になるね。麻乃さん、このあいだもちょっと危ない感じだったし。手を出すと逆効果だろうから様子を見守るしかないんだけどね」
梁瀬は仲居を呼ぶと、お茶のお代わりを頼んでいる。その間に巧は、明日の会議でやってみようと思っていることを改めて整理した。
「様子がおかしいのは、私も考えがあってさ、ちょっと試そうと思ってることがあるのよね。それがうまくいけば、私ら大嫌いから少しは格上げされるかもしれないわよ」
「そういえば僕たちのこと大っ嫌いなんだっけね」
窓枠に乗って振り返り、叫んだ麻乃の姿を思い出して、二人でくすくすと笑った。
「明日の会議、麻乃さんはちゃんと来るよね?」
熱いお茶をすすりながら、梁瀬はなにかを考えている。
「そりゃあ、報告があるもの。ちゃんと報告書もまとめてたし、さすがに明日はさぼらないわよ」
「僕もちょっと試してみようかな」
組んだ手に顎を乗せ、梁瀬にしてはやけに真面目な目つきで、テーブルに置かれた湯飲みを見つめていた。巧は少し安心した。梁瀬も同じことを考えているらしい。
会議の始まる三十分ほど前。
巧をはじめ、みんなは既に集まっていて、あとは上層が来るのを待つだけだった。
「麻乃さん、来ないねぇ」
隣に腰をかけた梁瀬がささやいてきた。
修治も気になるのか、窓と扉にばかり目を向けている。巧も内心では心配していた。
しばらくして、急に表から賑やかな声が響き、みんなで窓の外を見下ろした。
軍部の入り口に近い辺りに、大きめの幌付きトラックが停まった。
助手席から飛び降りた麻乃が、幌から顔を出した隊員たちに、なにか指示を出している。建物に向かって歩き出したところを呼び止められたのか、慌てて駆け戻ると、助手席の窓から伸びた手が、麻乃に資料を渡している。
「今、資料を忘れてこようとしたよね?」
梁瀬がぷぷっと吹き出している。
いつもの麻乃らしい慌てぶりだった。巧は少しほっとした。
「前ほど嫌な雰囲気を出しちゃいないが、ここへ入ってきたら、またしかめっ面してんだろうな」
「それよりなんだい? みんなで同じ濃紺の上着を着てるよ」
徳丸と穂高が、身を乗り出して入り口を覗き込んだ。
「なんだかね、麻乃が着ているのを見て、みんな揃いで仕立てたそうよ」
席に戻ると、鴇汰一人だけが、憮然とした表情で机に頬づえをついてうつむいていた。
前回の会議のときに言い聞かせたからか関わらないようにしているふうにも見える。
パタパタと足音が聞こえ、麻乃が入ってきたすぐあとに上層部も着き、今日はシタラも一緒だった。
会議が始まるとすぐ、巧は麻乃と庸儀襲撃の報告を始めた。
わざと麻乃が倒れたことと修治が加勢に入ったことを省いて話した。
それでも、久しぶりに規模の大きい襲撃を大した被害も出さずに撤退させたことで、上層からはなんの咎めもなかった。
ほっとした顔の麻乃からは、今日は棘のある感じが消えている。それでも、まだなにかこだわりがあるのか、誰とも目を合わそうとはしない。
絆創膏を外した頬の傷が少しだけ目立つ。
ほかの浜には侵攻がなかったようで、報告もそれだけで終わると、上層部の一人に促されたシタラが立ち上がった。
「豊穣の儀まで、あと一週間となった。今年の大陸各国への組み合わせが決まったので発表する。各自準備を怠らぬよう」
全員がそれに頷く。巧も身を正して聞いた。
「まずは庸儀へ中村と上田、ヘイトへ野本と笠原……」
ゆっくりとシタラの声が響く中、だんだんとみんなの顔が険しくなっていった。巧も嫌な予感がしてきた。
「ジャセンベルに安倍と長谷川、そしてロマジェリカに藤川と長田、以上、しかと務めてくるように」
それだけを言うと、シタラはそのまま会議室から出ていってしまった。
上層部はシタラの突然の行動に慌てて会議を終了させると、あとを追っていった。
巧は愕然とした。
視線を巡らせると、麻乃は机に両肘をついて口を手で覆い隠してうつむいている。
修治はいつものように口もとへ拳を持っていき、シタラが出ていった扉を見つめて黙り込んでいた。
鴇汰は鴇汰で驚いた表情のまま、椅子の背にもたれて動かない。
そのまま視線を移すと、徳丸と目が合った。
(とんでもねぇことになったな)
その目が、そう言っているように見え、巧は顔をしかめてみせるしかなかった。
あんなに不安定な麻乃を修治以外が面倒を見切れるとは、誰も思っていないだろう。
しかも、よりによって鴇汰が相手とは。
巧の考えた手がうまくいけば問題ないけれど失敗したときは本当に最悪だ、と思う。胃が痛くなってきた。
「なんつーか、ずいぶんと思い切った組み合わせッスよね。俺、ジャセンベルなんて初めてッスよ」
会議室に充満した重苦しい空気を破るように、岱胡の間の抜けた声が響く。
「まぁ、私もこれまでほとんどがジャセンベルで、考えてみると庸儀は初めてだけどねぇ」
「今回の組み合わせじゃ、みんなが同じようなもんだろう。まあ、奉納を疎かにしないように、それぞれがしっかりと準備するしかないだろうな」
シタラの組み合わせは絶対だ。不審に思っても受けるしかない。巧は深くため息をついた。
「あたし……みんなが迎えに来るから、先に帰らせてもらうよ」
「あ、俺も今日は出かけなきゃならないんで、先に失礼しますね」
麻乃と岱胡が立ち上がって席を離れた。
あとを追おうとしたのか修治が立ち上がり、徳丸、穂高とともに、巧も腰を上げたその瞬間――。
「みんな、ちょっとごめんね」
早口で梁瀬が言い、持っていた杖で机を数回打った。




