第63話 悪夢から覚めて
堤防に岱胡の部隊が立ち並び、遠距離から一弾一弾、確実に敵兵に当てている。
リュを撃ったのは恐らく岱胡だろう。
長距離でこの混乱の中、剣を弾いてくれるとは……さすがの腕前だ。
ジェの笑いが止まり、落ちた剣を拾いあげると麻乃に向かって走った。
修治はそれを追い抜き、麻乃の体をかばうように抱えると、紫炎で剣を受け止めた。
剣戟の衝撃が腕に響く。この女の剣は重い。
「残念だったな。俺がそばにいるかぎり、こいつには指一本も触れさせやしない。これ以上、仕掛けてくるなら額の傷くらいじゃ済まないと思え!」
そう低くつぶやき、ジェに向けて思いきり殺気を放つと、ジェは怨みがましい目で、また修治を舐めるように見回してきた。
「覚えてなさい! この私の顔に傷をつけた落し前は必ずつけてやる。あんたのことは絶対に忘れないわ!」
怯んで後ずさりをしながらも、口だけはよく動く。
(――薄気味の悪い女だ)
側近らしき大柄の男が数人、駆け寄ってジェを抱きかかえて下がり、その周囲を残った兵で固めさせると、撤退を始めた。
リュの姿もいつの間にか消えている。
「深追いするんじゃないよ! 怪我をしたものには手を貸して、堤防まで下がるように!」
巧の指示が海岸に響く。
麻乃をそっと砂浜に横たえ、立ちあがって紫炎を鞘に納めてから、修治はあらためて砂浜を見渡した。
倒した敵は三分の二以上だろうか。
亡骸の数はかなりのものだ。
大陸でもジャセンベルを相手にしているはずなのに、まだ泉翔に、これだけの数を送り込めるほどの兵力があるということか。
修治は麻乃の顔をそっと見下ろした。頬の傷は思ったより浅く、命に別状はない。あと少し深ければ――考えるだけで背筋が寒くなる。
麻乃を抱き上げた修治は、堤防へ向かった。
いったんは下がった麻乃の隊員たちが駆け寄ってきた。
「安倍隊長! うちの隊長は?」
「大丈夫だ。頬に切り傷があるだけだ」
全員がほっとため息をついている。
詰所に麻乃を運ぶように指示を出し、大石に麻乃の体をあずけた。
それを見送っている修治の後ろから、巧が龍牙刀を納めながらやって来た。
「シュウちゃん、助かったわ。ありがとう」
「いや、俺のほうこそ、あんたにも岱胡の部隊にも助けられたよ。麻乃を殺そうとしたやつを撃ったのは岱胡だろう?」
巧が、堤防に腰をおろしている岱胡を振り返った。
「そうよ、あんた、どうしてここへ?」
「俺、今日は休みで中央にいたんス。そうしたら敵襲の情報が入ってきて。数も数だしロマジェリカ戦のことがあったし、念のために援護にと思ってきたんスよ」
「気が利くじゃないの。ありがとうね」
「ちょうど麻乃さんが斬られそうなのが見えて……焦って撃ったんスけど、間に合ってホントによかった」
巧が岱胡の背中をぽんぽんとたたくと、照れくさそうに頭を掻いてから、嫌なものを見るような顔で問いかけてきた。
「赤髪の女がいましたよね?」
「あぁ、なんのことはない、とんだ偽物だ」
吐き捨てるように言った修治の言葉に、巧が鼻で笑う。
「戦いにもおりてきやしない、魅せるためだけのようなあの格好、麻乃もあんなのを相手にしなくて良かったわよ」
「うちに諜報で入り込んだリュとか言ったか、あの野郎がいやがった。そこから情報が流れたんだろう、取って代わろうと麻乃を始末しにきやがったんだ」
腕を組んだ巧は、遠ざかっていく敵艦に視線を向ける。
「だから、あんなに麻乃に兵が集中したのね」
「なにをされたのかわからないが、ひどく動揺していた。倒れたのもそのせいだろう」
岱胡は隊員たちに、後処理の手伝いをするように指示を出してから振り返った。
「取って代わってなんの得があるってんでしょうね? 偽物じゃ、麻乃さんほどの力もないッスよね? 役に立つとは思えませんけど」
「あの女はイカレてやがる。なにを考えてるかわかりやしない」
思い出すと嫌な後味が胸に広がる。
また攻め込まれたときに同じようなことにでもなったら……そのときも今日のように割って入れるとは限らない。
「俺は高田先生を岩場に待たせたままなんだ。すまないが、これで戻らせてもらう」
「あぁ、そうね。構わないわよ。でも、麻乃のことはいいの?」
「俺がいると、なにがあったかも話さないかもしれない。なにか聞けたらあとで教えてくれ」
苦笑いを浮かべ、巧の肩をたたくと、修治はそのまま岩場へ戻った。
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麻乃が使っている詰所の部屋は、中央での部屋がそのまま越してきたようになっていた。
散らかし魔だとは聞いていたけれど、なかなかのものだ。とりあえずベッドの周辺は片づいている。大石が横たえ、今は香織がついていた。
巧は部屋に入るなり、思わず苦笑した。本や書類が机の上に山のように積まれ、脱いだ服があちこちに掛けられている。それでも、どこか温かみのある空間だった。
「なんだか凄いことになってるわね」
「ええ、でも自宅に比べたら片づいているほうですよ」
「これで?」
呆れ果てて部屋を見渡した巧の後ろで、香織はくすくすと笑いながら洗い物を始めた。
「私たちはこの人のこんなところが、人間味を感じて好きですけど」
「ええっ! あんたたち、ちょっとおかしいんじゃないの? もっとちゃんとさせなさいよ」
「きっと、うちの隊長は剣術以外のことは、どこかに落っことしてきちゃったんですよ」
「まったく、よくできた隊員たちだこと」
机の上に散らばった本の山を本棚に納めながら、巧は釣られて笑った。唸り声が聞こえて振り返ると、麻乃がうなされている。斬られた頬に貼られたガーゼに、そっと指で触れた。
この程度で済んだのはよかった。
また大きな怪我でもしたら、相当に落ち込むだろう。
こうして眠っている姿を見ると、まだ若い女性なのだということを思い出す。
そのまま額にかかった前髪を払ってやった瞬間、目を覚ました麻乃が飛び起きた。
驚いて手を引いた巧に、麻乃はまっすぐ視線を向けてくる。
突然、痛いほど強く両腕をつかんできた麻乃は、巧の腕の感触を確かめるように何度か握り、今度は腰の辺りをさらに強い力で抱きしめてきた。
「ちょっと……なによ? どうしたっていうの?」
「巧さん……本物だよね? い……生きてるよね? 傷は……?」
腰に回された手をそっとほどき、こわばった麻乃の肩をなでた。
「あんた一体、なにを言ってるのよ? 生きてるかって、当たり前じゃないの。私は無傷よ」
「無傷……? そうだ、みんな……みんなは!」
両手で頭を抱え、うつむいていた麻乃は突然顔をあげ、怯えた声で叫んだ。
「あんたのところの隊員たちなら、今ごろは談話室じゃ――」
言い終わらないうちに布団を跳ねあげ、部屋を飛び出していく。
「ちょっと! お待ちよ!」
香織を残し、急いで麻乃のあとを追った。
大きな音を立てて談話室の扉を開き、肩で息をしながら震える声で隊員たちを次々に呼んだ。
「大石と高尾は?」
突然飛び込んできた麻乃の姿に、その場にいた隊員たちはみんな驚いて振り返ったまま、動かない。
「上野も今井も、それから里子――高橋は?」
叫ぶ麻乃に呼ばれた隊員たちは、唖然とした顔で立ちあがった。
「一体どうしたっていうんです?」
豊浦が怪訝な顔で麻乃にたずねた。
麻乃の背中が震えている。
巧がその背に触れると、腰から崩れ落ちて座り込み、両手で顔を覆った。
「みんな……無事だった……」
また麻乃が倒れたと勘違いした隊員たちが慌てて立ちあがり、周辺に集まる。
「あんた一体、なにがどうしたっていうのよ? 多少、怪我をしたやつもいるけど、みんなは無事よ?」
しゃがんだままの麻乃の腕を取ると、ゆっくり立ちあがらせ、そばにあった椅子に腰をかけさせた。
「誰か、コーヒーでも淹れてきてよ、うんと濃いやつをね」
「あ、じゃあ私が」
里子が立ちあがり、出ていった。
放心したままでいる麻乃の背中を撫で、巧は優しく話しかけた。
「今日はね、あんたの部隊の連中はよくやったよ。敵兵もかなりの数を倒した。何人かは腕や足に切り傷を負って医療所に行ってきたけど、みんなかすり傷程度よ」
「かすり傷……」
里子が戻ってきて巧と麻乃の前にコーヒーを置き、隊員たちにも順番に配っていくのを、麻乃は目で追っている。
「まずは一息つきなよ」
小さくうなずいてカップを手に、ため息をついた麻乃はやっと落ち着いたようだ。隊員たちも、それを見て安心したのか雑談を始め、部屋の中がにぎやかになる。
巧は麻乃の様子をそっと観察していた。コーヒーを飲む手は震えていないが、時々遠くを見るような目をする。
「今日……最後に相手した小隊に、庸儀の諜報だったやつがいたんだ」
「うん、私も気づいたわ」
「腕が劣るとは絶対に思えないのに、あたしの攻撃が全然当たらなかった……それに……」
背中に視線を感じて目線を移すと、小坂と目が合った。
雑談には混ざらずに黙ったままで椅子に腰をかけ、こちらを見ている。
じっと聞き入っていた小坂が、巧に対してうなずいたように見えた。
「それにあたし、敵兵を倒したつもりが、みんなを斬っていた……」
「えっ?」
小坂のほうに目を向けていたせいかよく聞き取れず、麻乃に目を戻して聞き返した。




