第61話 血に染まった幻影
巧とともに西詰所に戻ると、もう監視隊からの連絡が入っていて、巧の六番部隊は出撃の準備を済ませていた。
「敵は?」
「敵は庸儀、五隻におそらく五千の兵とのことです」
「そう。まあ、大したことはないわね。とはいえ麻乃、あんたのところは初陣よね? 大丈夫?」
巧が支度をしながら振り返って麻乃に問いかけてきた。上着を羽織り、刀を確認して頷く。
「ねえ、巧さん……庸儀なら、あの女がいるかもしれないよね」
一瞬、巧の動きが止まった。
「そうね……うん、いるかもしれない」
「もしも……あの女がいたら、あたし……あたしに任せてくれないかな?」
巧は隊員たちに、先に詰所を出て堤防で待機するよう指示を出すと、麻乃を振り返った。
「だめよ。あんたは自分の部隊を動かさなきゃならないでしょ。あんな女にかまけて自分の隊をおろそかにしようって言うの?」
「違う……! そうじゃないよ、そうじゃないけど、だって……」
ぐっと麻乃の肩をつかんできた巧は、きっぱりと言った。
「サポートはする。あんたの選んだ隊員たちだ、そう心配するものじゃないとは思う。でもね、まずは雑魚が先だよ。あの女とやり合いたかったら雑魚を蹴散らしてからだよ」
麻乃の隊員たちも、支度を済ませて詰所に戻ってきた。
「あんたたち、その格好……麻乃と揃いの上着?」
麻乃と同じ濃紺の上着を、部隊全員がまとっている。
「実はこのあいだ、東に行って誂えてきました。引き締まって見えますかね?」
ぽかんと口を開けたまま、言葉も出ない麻乃に代わって、巧が感心したように言った。
「気合が入ってていいじゃない、七番らしいわよ。さ、行こうじゃないの」
巧が踵を返して出ていったあとを急いで追った。
全員が堤防に集まっている。
敵艦はもう、浜辺に近いところまで来ていた。迎え撃つ準備は万全だ。
「敵はおそらく五千、それに間違いがなければあんたたちは、一人あたり最低でも二十五倒すんだよ。残りは六番が持つ。いい? 一人でも多く倒してあんたたちの隊長の体を空けてやるんだ」
巧が麻乃の隊員たちにそう指示を出し、全員がそれに答えている。
麻乃は驚いて、巧の顔を見上げた。
「巧さん……」
「麻乃、二十五よ。それが済んだら、存分におやり」
にやりと笑ってそう言うと、巧は自分の隊員たちに指示を出した。
「ありがとう」
改めて隊員たちに向かい、対応の指示を出して堤防を駆け下りた。
敵艦を見据えて鬼灯の柄を握り締めてから、麻乃はさっきまでいた岩場を振り返った。
多分、高田と修治が残っている。
ぬるい戦いぶりを見せるわけにはいかない。あの二人の前で恥ずかしい姿を晒すなど、麻乃のプライドが許さなかった。胸の奥で燃える闘志に、否応なく気合がこもる。
浅瀬で揺らめく敵艦から一斉に兵が出てきた。
素早く目を走らせ、赤髪の女を探しながら、麻乃も砂浜を走った。
視界に濃紺の影がちらつく。
それが隊員たちのものだとすぐに分かるからか、緊迫した中でも安堵した。
所々で鋼のぶつかる音が響き始め、麻乃も鬼灯を抜き、目の前に迫る敵兵を斬り払った。
一人、また一人——。
気づくと麻乃を目がけて敵兵が集まってきている。
自然と隊員たちもその周囲に固まってくる。
(なんだ? ここに集中してる……?)
敵兵の隙間を縫うようにくぐり抜け、斬り倒しながら敵艦に目を向けた。
一番手前の戦艦に赤髪の女がいた。
(あんなところに!)
周囲に散るように指示を出しながら、少しずつ敵艦の方へ近づいた。
麻乃の行く手を阻むかのように敵兵が集まってくる。
なかなか近づけない上に、女は戦艦から降りてくる様子もない。
(なんとかして引きずり下ろさなければ、手を合わせることも叶わないじゃないか)
目の前に集中していて背後がおろそかになった隙をつかれ、肩口を斬りつけられたのを、辛くも身を屈めて避けた。
また、麻乃を中心に隊員たちも固まり始めている。
埒が明かない。
次々に振り下ろされる武器を避け、敵兵の間をすり抜けると波打ち際に向かって走った。
隊員たちが相手にしている敵兵以外、どういうわけか、麻乃を追ってくる。
(あたしが狙われている……?)
振り返って構えた前に、巧が割って入った。
「ここは私が! あんたは前にお行き!」
頷いて走った。
まだ追って来ようとする敵兵は、巧の隊員たちが防いでくれた。
前方からは、新たに小隊が向かってきている。
それを突破すればあの女に確実に近づける。
鬼灯を構え直すと、麻乃は息を整えてから小隊を迎え撃った。
赤髪の女は、また白いドレスを身にまとい、麻乃を見つめて不敵な笑みを浮かべている。
焦れて仕方がないのをぐっと堪え、敵兵に斬りつけた。
ここまで相手にしてきた奴らとは違い、今度の相手は手応えを感じる。大柄の男ばかりで力も強く、何度も麻乃の刃は受け流された。
視界に濃紺の影が動き、視線を巡らせると、高尾と大石がそばにいた。部隊の中では特に大きく力も強い二人でさえ、圧され気味になっている。
まるで麻乃しか見ていないかのように、次々に集まってくる敵兵に混じって巧の隊員が数人、追ってきていることに気づいた。
ここを彼らに任せて、その場を抜けようとした麻乃の目の前を、敵兵に立ちふさがれた。
下から掬い上げて斬りつけると、ふわりと身をかわされて刃が空を斬った。
歯軋りをして敵兵に目を向けた。
「あんたは——!」
驚きに動きを止めた麻乃の隙をついて、目の前の敵兵が振るった剣が頬をかすめた。
「五年ぶり……だね」
突きかかってきた剣を払い、もう一度よく顔を確認した。かつて、泉翔に諜報として潜り込んできたリュだ。
言いようのない嫌な思いが麻乃の中で沸き立ち、手の甲で頬を伝う血を拭った。
「しばらく見ない間に、ずいぶんと大人びたじゃないか」
にやりと笑った顔を見て、背中がぞくりとする。
リュが斬りつけてくるのを避けながら、麻乃は動揺している自分に苛立ち、冷静になれないまま鬼灯を振りかざした。
力負けして鬼灯が弾き飛ばされ、素早く夜光の柄を握った手をリュに掴まれた。
顔が近づき、間近で視線がぶつかると、リュの唇がなにかを呟いた。
麻乃にはよく聞き取れず、耳障りな音だけが残る。だが、その音は頭の奥に染み付くように響き、まるで意識の深いところに何かを刻み込まれているような奇妙な感覚があった。
「——この!」
リュの手を振りほどくと、抜きざまに夜光で斬りつけた。
また、ふわりと避けられる。
劣るはずがないのに、なぜか麻乃の攻撃が届かない。
無意識に昔を思い出して戦いを避けているんだろうか? それとも、なにか別の理由があるのか?
「まだ覚醒していないんだね。腕も……鈍っているんじゃないのか?」
「よくもそんなことを!」
いちいち言葉をかけてくるリュに対して憤りを感じ、早く倒そうと気ばかりが急く。横から襲いかかってきた敵兵を打ち払い、背後から掛かってくる敵兵には、腰元から突き刺して倒した。
「そんなに不用意に刀を振るっていいのか? 足元をよく見た方がいい」
なにがそんなにおかしいのか、リュはいやらしい含み笑いを絶やさない。唇を噛み締めながらも、麻乃の視線はつい言われた通りに足元へ向いた。
――どくん、と心臓が鳴る。
そこに倒れ伏しているのは敵兵ではなく、大石と巧の隊員だった。
「そんな……馬鹿な!」
全身から冷や汗が吹き出し、小刻みに震え、麻乃の体が強張った。血の海に沈む仲間たちの姿が、まるで悪夢のように目に焼き付く。
そこに、なおも敵兵が襲いかかってくる。その剣を受けると打ち払い、退けると周りに視線を巡らせた。
雑兵はだいぶ減り、今は多くの隊員たちが、麻乃の周りに群がる敵兵を相手に戦い続けている。
リュの含み笑いが耳に響き、それを振り払うように夜光を振るった。敵兵を確認して倒しているのに、倒れ伏していくのは見覚えのある顔ばかりだ。
「さすが鬼神の血、見境がないな」
(なんで? どうしてあたしはみんなを——)
焦る思いに涙がにじみ、戦場の音がだんだんと遠のいていく。
リュの声だけが麻乃の頭に残った。
絡みつくような視線を感じ、それを手繰っていくと赤髪の女が目に入る。女の瞳が奇妙に光っているのに気づき、背筋に悪寒が走った。
ぐい、と涙を拭う。
「ジェ様が気になるか? あの方は、おまえが邪魔だそうだ。悪いがここで逝ってもらうよ」
「……このあたしが、おまえごときに、やすやすとやられたりするか!」
震えを誤魔化すように柄を握った手に力を込め、リュの剣を受け流し、そのまま横払いで斬りつけた。
また避けられ、夜光はリュの後ろにいた敵兵を裂いた。
ゆっくりと倒れていく敵兵の姿を見て、ぎくりとした。
砂浜に頬をうずめ、胸元を黒く染めていくその姿は——。
(巧さん……!)
夜光が手から滑り落ちた。
「そんな……なんで……あたしが……巧さんを……」
巧の血の匂いが鼻を突いた。
両手で顔を覆い、叫び声を上げると、そのまま意識が遠ざかった。




