第60話 高田師範の来訪
「中村隊長、お客様がいらっしゃってるんですけど……」
「私に客? ……誰かしら?」
「今、会議室でお待ちいただいています」
西詰所の三番の部屋で本を読んでいたところを、巧は隊員に呼ばれて会議室へ向かった。中には徳丸と同じくらい大柄の、年配の男性の姿があった。
柔和な表情をしているけれど、隙がなく目が鋭い。武人特有の、身に染み付いた威厳のようなものを感じる。
巧に気づくと、男性は椅子に腰を下ろしたまま目礼をした。
「腰をかけたままで申し訳ない。少々、背を患っていましてね」
「いえ、どうぞそのままで……お待たせして申し訳ありませんでした。中村と申します」
「私は高田と申します。今日は藤川を訪ねて来たんですけれどね、どうも逃げられてしまったようで……もし居どころに心当たりがおありなら教えていただけないかと思い、声をかけさせていただきました」
「ええ、それは構いませんが、失礼ですが藤川とは?」
不審に思いながらも、巧は表にいる隊員を呼び、残っている隊員たちに麻乃の居どころを知っている者がいないか、聞きに行かせた。麻乃に客とは、一体どんな関係の人なのだろう。
「門弟でしてね。あれの通った道場で師範をしております」
「あぁ、それじゃあ、あなたが元蓮華の方ですか」
歳は巧の父親と変わらなく見えるのに、その体躯は今でも現役で通用しそうで、なによりその隙のなさと威圧感が凄い。まるで静かに佇む猛獣のような、そんな印象を受ける。
もう蓮華として十六年もやってきているけれど、今、立ち合っても敵う気がしない。
なるほど……これなら前に、麻乃がうろたえながら道場へ戻って行ったのもわかる。
「以前、安倍からお噂を伺いました」
「そうですか……あれも一体どんな噂をしてくれているのやら」
高田は豪快に笑った。
「まぁ、そんな関係なものですから、先だっての柳堀のことで呼び出しましたら、すっかり逃げに回られてしまって」
それもわかる。そりゃあ、さすがに麻乃も逃げるだろうと思った。つい、口元が緩む。
こんな恐ろしい相手に、修治や麻乃は一体どんなふうに鍛えられてきたのか。あの歳であの腕前、相当厳しく鍛えられたことだろう。
ノックが聞こえ、使いにやった隊員が顔を見せた。
「ちょっと失礼します」
巧は断ってから立ち上がり、いったん会議室の外に出た。
「今日は七番のやつらは海の方へ行っているようです。砦とは逆の、岩場あたりに行くと言っていたのを聞いた者がいます」
「海へ? なんだってそんなところに」
「食材調達じゃないですか?」
「あぁ、そうか。ま、山じゃなかっただけマシかしらね。あんた、ちょっと表に車を用意してちょうだいよ」
指示をしてまた会議室へ戻ると、高田は眉を寄せ、なにか考え込んでいた。腰の調子がよくないのか、時折顔をしかめている。
「お待たせしました。藤川は今、海岸にいるようです。居場所の見当はついているので、ご案内します」
「そうですか」
そう返事をして、また何かを考えるように目を閉じてから、ひどく重そうに腰を上げた。やはり相当に背中が辛そうだ。
「では、お言葉に甘えさせていただきます」
表に出て車に乗ると、すぐに海岸へ向かわせる。
「そう遠くないところにいるようなので、すぐに着きますけど、見つけたらまず声をかけますか?」
「いや、とりあえず様子を見てからにしましょう。隊員たちと一緒なら、普段の様子も見てみたいので」
巧は頷いてから、運転を任せている隔員に、少し離れた場所で止めるよう指示を出した。
「そういえば蓮華の長田くん……彼は最近、どんな様子ですか?」
「長田……ですか? そうですね、以前に比べて落ち着きがない感じですけど、元気にやっていますよ」
「落ち着きがないというのは、感情がですか? それとも行動という意味で?」
「どちらにも通ずると思います。感情が動いて行動が伴う、その逆もしかり……長田の場合はまず行動でしょうか」
「そうですか」
高田はそう返事をしたきり、黙ってしまった。
(どうしてここで、鴇汰の名前が?)
鴇汰は東区の出身で、西区の道場には関わりがないだろう。それとも麻乃絡みで修治から何か聞いていて、単に気になっただけだろうか?
それにしては、最近の様子が云々となると、以前の鴇汰を知っていなければわからないだろう。
巧は、ふと、修治が麻乃と鴇汰の感情の動きが似ていると言ったことを思い出した。もしかして、なにか関連があるのだろうか。
岩場に続く道の手前で止めさせると、車を降りて高田に声をかける。
「ここからは、数分歩きますけど気づかれずに様子を見られる場所が、近くにありますから」
そう言って、巧は先に立ち、岩場の見下ろせる茂みに高田を案内した。午後の陽光が海面を金色に染め、穏やかな波音が響いている。
隊員の聞いてきた通り、岩場に麻乃たちの姿が見えた。
釣れていないのか、隊員たちと並んで腰を下ろしてぼんやりとしている。
高田がついてくる気配を感じず振り返ると、巧のすぐ後ろに立っていて驚いた。
(さすが……まるで気配を感じないじゃないの)
麻乃の方はこちらに気づく様子もなく、隊員たちと何か話しては浮きを眺め、ため息をついている。
痺れを切らしたのか、数人の隊員が上着を脱いで海へ飛び込んだ。
「なにやってんだよ! ただでさえ釣れてないのに潜ったら、余計に逃げられちまうだろうが!」
誰かが叫んでいる。
麻乃は釣竿を握ると何度か揺らしてから引き上げた。
飛び込んだ隊員の一人の服に引っかかったらしく、水面から顔を出して怒鳴っている。
「なにすんですか! もう!」
「おおっ、大物がかかったよ!」
そんなことを言いながら、数人の隊員たちとふざけ合っている。
潜った一人が蛸を獲って上がってきた。
腕に巻きつかれた吸盤の痛みに、必死で引き剥がそうとしている姿を見て、麻乃は大笑いをしている。
その様子を、高田は目を細めて見つめていた。
(シュウちゃんが、麻乃にとっては親同然の人だって言っていたっけ)
元蓮華で師範、屈強な姿とは裏腹に優しげな目で、麻乃を心配している親心が垣間見える。
「なんだ。おまえも来たのか」
前を向いたまま不意に高田がつぶやき、なんのことだかわからずに首をかしげると、巧の背後から声がした。
「麻乃があんなに屈託なく笑うのを見たのは、ずいぶんと久しぶりのような気がしますよ」
驚いて振り返るといつからいたのか、修治が立っている。
「シュウちゃん、いつの間に来ていたのよ?」
「ついさっきな」
修治もまた、音もなく現れるとは。やはり高田の教えがあってのことか。
「ああやって、誰の目を気にするでもなく自然に笑えるのは、隊員たちとは、いい関係を築けているということだろうな」
「麻乃の隊は、気さくなやつばかりですから」
高田は背筋を伸ばして立ち上がると、腰を軽くたたいた。やはり腰の調子が良くないらしい。
「とりあえず、多少なりとも食材の調達はできたか」
そう言って高田は、真っすぐ麻乃を見据えている。
「これだけ揃うと、さすがに麻乃も気づくでしょうね」
修治の答えに高田が頷き、手で下がれと言うかのように合図をした。
「ちょっと……なに?」
問いかけたのを遮るように修治に引っ張られ、巧は茂みにしゃがみ込んだ。一体なにが起こるというのだろう。
その瞬間、麻乃がはっとこちらを向いたのが見えた。
枝の隙間からでも顔色が変わったのがわかる。さすがに蓮華としての勘は鋭い。
勢い良く立ち上がると、そのまま海へ飛び込もうとした。
あっ、と思って巧が腰を浮かしたときには、高田はもう岩場にいて、麻乃の襟首を掴んでいた。
「えっ? たった今、ここにいたのに――」
「うちの先生はスピードが尋常じゃないんだよ」
驚いた巧に修治が苦笑いでささやいた。これほどまでとは思わなかった。年齢を考えると信じられない身のこなしだ。
突然のことで、隊員たちも呆然としている。
「古株連中は、みんな高田先生のことを知っているからな。なんで麻乃があの状態なのかわかっているさ」
「私と対峙して逃げられると思ったか?」
高田の低い声がここまで響いてきた。中央では勇んでいたのに、今は借りてきた猫のように覇気をなくした麻乃の姿に、つい吹き出しそうになる。
「最初から素直に顔を出しておけば、ここまで乗り込まれることにはならなかったのに。馬鹿なやつだ」
「そうはいっても、あんたたちの先生は凄いじゃないの。あれじゃ、麻乃が逃げるのもわかるわよ」
「捕まったから、今夜はこってり絞られるだろうな。けどまぁ……隊のやつらとは、うまくやっているようで、ほっとした」
「シュウちゃんも心配性ねぇ……」
堪えきれず、くすりと笑ったとき、岩場が突然ざわついた。
「敵艦だ!」
誰かが叫ぶ。
立ち上がり、水平線の方を見ると、まだ遠いけれど確かに敵艦が数隻、確認できる。のどかな午後が一転、巧の中で指揮官としての本能が瞬時に目覚めた。
「まずい! 急いで戻らないと! シュウちゃん、あんた高田さんをお願い!」
巧は岩場に飛び出した。
「麻乃! あんたは先に私と戻るんだよ! あんたたちは残りの連中にすぐに知らせて急いで支度を!」
巧の指示に、隊員たちは弾かれたように自分たちの車に戻り、他の隊員たちを迎えに出た。
麻乃は手を離した高田に二言、三言なにかを言うと、すぐに巧の後を追って駆け出してきた。




