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蓮華 ― 鬼神の血を継ぐ戦士は護るために戦う ―  作者: 釜瑪秋摩
第一章 暴挙

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第58話 変わりゆく信頼

麻乃(あさの)はいるか?」


 詰所の談話室でくつろいでいた麻乃と徳丸(とくまる)の隊員たちの会話が止まり、一斉に立ち上がった。


「今日は、ここには顔を出していません」


 麻乃の隊の豊浦(とようら)が答える。


「そうか……あいつが使っているのは五番だったか?」


「いえ、一番です」


「わかった。麻乃が顔を見せたら、俺が探していたと伝えてくれ」


 全員が返事をしたのを確認してから、徳丸は一番の部屋へ向かった。


 西詰所は以前に比べ、様変わりしていた。

 設備が増え、宿舎も三部隊が収容できるほどだ。


 予備隊が詰めると宿舎に入りきらず、会議室や談話室で雑魚寝をしていたことが嘘のように思える。あの頃は毛布一枚すら足りず、隊員たちが肩を寄せ合って寒さを凌いでいた光景を、徳丸はよく覚えていた。今では個室まで用意されている。


 突貫とは言え、これだけ充実させたとなると、(たくみ)が「常任は麻乃が自分で申し入れたんだ」と言っていたのは間違いではなさそうだ。


 申し入れが通ると踏んで、前もって増設も頼んでおいたに違いない。


 これほど大規模な工事を独断で進めていたとなると、以前の麻乃なら必ず事前に相談してきたはずなのに。


 ノックをしても返事はない。

 ノブを回すと鍵はかかっておらず、部屋の中はいくつもの資料の山があるだけだ。机の上には地図や報告書が乱雑に積まれ、片づけが苦手な麻乃らしい有様だった。

 徳丸は部屋の中を軽く見回したが、麻乃がどこに向かったのかを示すような手がかりは見当たらない。


(――まったく、どこに行きやがったんだか)


 思い当たるのは、あとは麻乃の自宅だけだ。

 さすがに戻っていることはないだろうと思いながらも、徳丸は念のため向かってみることにした。最近の麻乃は、誰にも行き先を告げずに姿を消すことが多くなっていた。


 詰所を出るところで呼び止められて振り返ると、麻乃の隊の岡山(おかやま)が駆け寄ってきた。


「なんだ? どうした?」


「うちの隊長を探しているって聞いて……」


「おまえ、おとといの晩は麻乃と一緒だったのか?」


 徳丸は、息を切らしている岡山の襟元をつかんで引き寄せると、そう聞いた。

 岡山の表情が曇るのを見て、徳丸は直感した。この様子では、相当な騒ぎになったに違いない。


「ええ、まぁ……」


「ほかに誰がいた?」


石場(いしば)高尾(たかお)大石(おおいし)山口(やまぐち)矢萩(やはぎ)……後は富井(とみい)住谷(すみたに)と、ほかに若いのが五、六人です」


「馬鹿野郎が。おまえら古株がそれだけ雁首揃えていて、なんだって止めに入らなかった」


 岡山が考えながらそう答えたのを聞くと、その頭に拳骨を振り下ろし、厳しい口調で叱りつけた。


「そうは言ってもですね、あの人を止めることなんて俺たちじゃ難しいですよ。しかもあれは、隊長はなにも悪くないんですから」


「悪い悪くないの問題じゃねぇんだよ。とりあえず、細かい話は麻乃を見つけてからだ」


「それなんですけど、隊長は多分、砦の辺りにいます」


「砦?」


 驚いて聞き返すと、岡山は頭をさすりながらうなずいた。


「最近はあの辺りにいることが多いですから。銀杏の大木にいなかったら、周辺の高い木にいます」


「登ってやがるのか……まぁいい。わかった」

 

 徳丸は岡山と別れると、馬屋で適当な馬に鞍を着け、砦に向かって走らせた。

 道中、麻乃のここ最近の様子を思い返していた。確かに以前とは、なにかが違っていた。笑うことも少なくなり、どこか上の空のような、心ここにあらずといった印象を受けることがあった。

 常任になったプレッシャーだろうと思っていたが、もしかするともっと根深いなにかがあるのかもしれない。

 

 砦の手前にある大木に麻乃の馬が繋がれているのを見て、当たりだと思った。わずかに麻乃の気配も感じる。相変わらず気配を隠すのが上手い。昔から麻乃は木登りが得意だったが、最近は特に高いところにいることを好むようになった気がする。


 徳丸もその横に馬を繋ぎ、坂を上った。

 銀杏の木は目に入ったけれど、葉が茂って上の方はあまりよく見えない。遠目で見てもわかるほど大きな木で、根元まで来ると一息ついた。徳丸に気づいたのか、少し前に麻乃の気配も消えていた。


「おい。いるのはわかっているんだ。降りてこい」


 目を凝らして見上げても、木漏れ日に邪魔されて影も見えない。

 眩しくて、つい目を細める。


「登ってきたら? いい眺めだよ」


 抑揚のない声が降ってきた。

 徳丸は腰に手を当ててため息をつき、小声でそれに答えた。


「――高いところは苦手なんだよ」

 

 枝が揺れて大きな音を立て、銀杏の葉が落ちてくるのを手をかざして見上げる。

 その葉が落ちるよりも早く、徳丸の後ろに麻乃が飛び降りてきた。

 着地音すらほとんどしない軽やかさは、さすがと言うべきか。


「泳げないのは知ってたけど、高いところも駄目だったんだ?」


 手を払って軽く笑いながら、こちらを振り返った。


「まぁな。それよりおまえ、おとといはとんでもねぇことをしでかしたな」


 徳丸が麻乃の目を睨むと、しっかり見返してくる。

 その瞳に宿る光に、徳丸は言葉にできない違和感を覚えた。この変化は一体なんなのだろうか。


「あれは、あいつらが悪いんだよ。前にも同じことがあって、そのときは見逃したんだ。また同じことを繰り返しやがって、痛い目に遭わなきゃわからないんだよ、あの馬鹿は」


 上着の汚れを払い、襟を正しながら、麻乃は吐き捨てるように言い切った。


「おまえはそれでいいかもしれないがな、困るのはおクマや松恵姐さん、それにおまえの隊員たちだ」


「なんでさ?」


「おまえのところは当分の間、柳堀(やなぎぼり)を出入り禁止だそうだ。おクマたちのところは修繕で五日ほど休むらしい」


 麻乃が眉を寄せてうつむいた。

 徳丸は続けた。


「やっちまったのは、あの辺りの地主の息子だって言うじゃねぇか」


「あのクソ親子……」


「絡まれた姐さんたちを助けるのは悪いことじゃねぇ。だからってな、抜刀はやり過ぎだ。幸い大きな怪我はなかったからよかったものの、刀傷でも負わせていたら大事(おおごと)になったぞ」

 

 忌々しそうにつぶやく麻乃の様子を見ながら、徳丸は諭すように話した。

 麻乃はしかめっ面のままだ。

 今の麻乃は明らかに心を閉ざしている。


「おクマが止めに入らなかったら、おまえ、斬りつけていたんじゃねぇのか?」


「あそこは親子揃って酒癖が悪すぎる。偉ぶってやがって。周りの連中も、なにも言えやしない。だから締めてやったんだ。あれだけやられた以上、あたしが西区にいる限りは二度と同じ真似はできないさ」


 そのときのことを思い出して怒りが湧いたのか、麻乃の瞳に赤みが差した気がした。


「みんなが迷惑するようなことが減るんだったら、出禁になるくらい、どうということはない」


「それがいいことだとは思わないが、言いたいことはわかる。けどな、俺たちは戦士なんだ。一般人に刀を向けるのだけは感心しないな。それがどんなにくだらない野郎でも、だ」


 こんなことは言われるまでもなく、麻乃もわかっているだろうはずなのに。

 なんだって今度に限って、たかが一般人相手の揉め事に抜刀したのかが、徳丸にはわからない。


「現に体術だけで十分相手を痛めつけているじゃないか。いいか、もう二度と簡単に抜いたりするな」


 肩に置こうと手を伸ばした瞬間、麻乃は飛び退いてそれを避け、その姿に怯んで徳丸は手を引いた。

 麻乃がこれほど明確に距離を取ったのは初めてのことで、なにがそこまで変えてしまったのか。


「どうした?」


「いや、なんでもない。驚かせてごめんなさい……」


 麻乃はバツが悪そうにつぶやくと、歩き出す。

 

「隊のやつらには、俺から話を通しておくか?」


「ううん。うちの隊のことだからね、ちゃんと自分で説明するよ」


「そうか。おまえ、常任なんてことになって、気負い過ぎてるんじゃねぇだろうな?」


「そんなことはないよ」


 若干、苛立ち気味に返してくる。

その口調に、徳丸は更なる違和感を覚えた。


「おまえ、一体ここで、なにをする……いや、なにがしたいんだ?」


 前を歩いていた麻乃の足が止まった。

 数歩離れて徳丸も足を止めた。

 徳丸は麻乃の背中を見つめながら、答えを待った。


「あたしはただ、ここの人たちを……この島を守りたいだけだよ」


 麻乃は速足で歩き出し、手綱を解いてまたがると、「寄るところがあるから」と言い残して、詰所とは逆に駆けて行ってしまった。

 

 徳丸は見送りながら飛び退いたときの麻乃の表情を思い出していた。反応の仕方が修治に対して向けたものと同じだったようだ。殺気こそ放っていなかったものの、様子がおかしいのは明らかだ。

 独り立ち云々なんてことや鴇汰(ときた)とやり合ったことだけじゃなく、実はもっとほかに、なにかがあるんじゃないだろうか?

 

(あいつ……もしかすると俺たちを信用していないのかもしれない)


 漠然とそう感じた。長い付き合いの中で築いてきた信頼関係が、なにかによって揺らいでいるとしたら――。


 徳丸は重いため息をつくと、自分の馬に歩み寄った。

 馬に跨りながら、徳丸は麻乃が向かった方角を見つめた。

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