第57話 夜更けの告白
「寝てたかい?」
「いや。どうしたんだよ、こんな時間に」
鴇汰は髪を掻き上げながら、少しかすれた声で聞いた。普段なら気にならない穂高の訪問も、こんな夜更けとなると珍しい。
「うん、まぁ……ちょっとね」
「入れよ」
ため息をついて穂高を促すと、ドアを閉めた。
「相変わらず片付いた部屋だね」
ぐるりと部屋を見渡して、穂高が言う。
「悪いけど今、なにもねーのよ。コーヒーも切らしてるし」
「あぁ、いいんだ。これがある」
穂高は鞄から酒瓶を出して、机に置いた。
「トクさんに貰ったんだ。梅酒だから、少しくらい飲んだって明日に差し支えることもないだろう?」
穂高が腰を下ろすと、鴇汰はグラスと氷を出してきて、向かい側に腰かけた。
濃い琥珀色で、ほのかに甘い香りが広がる。
口をつけてみた。
きっとおいしいんだろうけれど、今の鴇汰には味がよくわからない。心のどこかで、明日からのことが気がかりになっているせいかもしれない。
「明日からだけどさ、鴇汰、大丈夫かい?」
「……どうにかなるだろ。できるだけ修治には、近寄らないようにするしよ」
そう答えながらも、狭い北詰所で修治と一緒の待機だと考えると、胃の奥が重くなる。
「そっか」
穂高は一息でグラスを空にすると、自分の分を注ぎ、鴇汰のグラスにも少し継ぎ足した。
「そんなことを言うために来たのかよ」
明日からの北詰所は修治とだから、気にかけてきてくれたんだろう。穂高らしいといえるけれど、こんな時間に訪ねてくるほどのことだろうか?
そう思うと、不自然な気がする。穂高の表情にも、いつもとは違う真剣さが見て取れた。
「だって今日のあれを見たら、さすがに気になるだろう? あんな修治さん、初めて見たしね」
「あいつ、いつもはホントにスカした野郎だもんな。でもまぁ、向こうに行ったら敵襲でもない限りは、話すこともねーと思うから」
昼間のことを思い出すと、苛立ちを感じるよりも胸が痛む。修治の怒りに満ちた表情が脳裏に浮かんで、鴇汰は思わず眉を寄せた。鴇汰は一口でグラスを空にすると、深く息をつき、継ぎ足してもう一度あおった。
「あの後、麻乃を追って行ったんだろう? 話はできたのか?」
空いたグラスに継ぎ足してくれながら、穂高が問いかけてきた。
「いや、急ぎの用じゃないならまたにしてくれ、って、こっちの返事も聞かずにさっさと帰っちまったよ」
あのときの麻乃の態度を思い出す。鴇汰を全く見ることなく、去ってしまった後ろ姿を。
「そうか……」
あまりアルコールに強くない穂高は、もう顔を赤くしている。揺らしていたグラスを置くと、両手で顔をこすり、よし、と言ってから、顔を上げて鴇汰を見た。
「鴇汰とはさ、子どものころからずっと一緒で、いろいろな話をしたり、互いのすることを見てきたりしたけど、わからないんだよね」
「なにがだよ?」
「十年以上経った今でも、本当にまだ、変わらず麻乃のことが好きなのか?」
穂高の言葉に、鴇汰は少し戸惑った。なぜ今更そんなことを聞くのだろう。
「なんだよ、突然。穂高、飲み過ぎなんじゃねーの?」
酔っているのかと思って、新しいグラスに水を汲んで穂高の前に置いた。
「ほかにもっと……いい人がいたりしないの?」
「いい人ねぇ……」
穂高の視線があまりにも真っ直ぐに鴇汰に向いていて、真剣に話しているのを感じる。
「そりゃあ一時はさ、穂高も知ってる通り散々遊んだよ。ほかに気持ちを向けようと思ったこともあった」
手にしたグラスの中で、からからと氷が鳴る。少しペースが早い気もしたけれど、ぐいと飲んで、また注いだ。
「でも駄目なのよ。どうしても麻乃と比べちまって違うと認識するだけなんだよ」
「そうか……」
「どれだけほかの子に触れてみても抱いてみても、そのたびにそれが求める相手じゃないって気付かされるだけなんだ」
穂高は黙って下を向いたまま、返事もしない。寝てしまったかと思って顔をのぞき見ると、目はちゃんと開いている。
「それに俺、言わなかったか? 気持ちを伝えた、って」
「聞いたよ」
「じゃあ、なんで今更、そんなことを聞くのよ」
「ちゃんと確認したかったんだよ。本当に今でも思っているのかどうかをね」
チビリとグラスに口をつけてから、穂高は身を乗り出した。
「単刀直入に聞くけど、そんなに麻乃を思っていながら、銀髪の女と時々逢い引きしてるのは、一体どういうわけなんだよ?」
驚いて穂高を見る。心臓が一瞬止まったような気がした。
「なんでそのことを……」
「何者なんだよ? この島の人間じゃないだろう? 目立つ容姿なのに、噂にも上らないからね」
鴇汰は答えに詰まった。グラスを持つ手が微かに震えているのがわかる。
「聞きたいことは山ほどあるよ。その相手とはどこで知り合ってどんな付き合いなのか、とかね」
「それは……」
「言い出したら切りがないから詳しい話は後でいい。で、その女は鴇汰の彼女?」
「違う!」
「だったらなんだよ? 人目を避けて会わなきゃならないような――俺にすら話せないような相手と、一体どんな関係だっていうのか説明してくれないか」
穂高の口調はいつもと変わらないけれど、その表情に怒りが見えた。逆の立場だったら、鴇汰も今の穂高と同じ顔をしただろう。
「――ったく、だから嫌だったんだ。あのオヤジめ!」
額に当てた手で、鴇汰はそのまま髪を掻き上げた。
「あれは叔父貴だよ。穂高も知ってるだろ? 俺の叔父貴」
「そりゃあ、子どものころはよく会ったし、最近もお世話になったけど、俺の知ってる鴇汰の叔父さんは、どこからどう見ても男だった」
嘘にもならない言い訳をしていると思ったのか、穂高の表情がさらに険しくなった。
「だからぁ、あれは叔父貴の式神なんだよ。叔父貴のやつ、人の来ないようなところで暮らしててさ、寂しくなったからって、自分好みの式神を作ってそばに置いてんだよ」
鴇汰はグラスに新しく氷と梅酒を継ぎ足して、今度はゆっくり飲んだ。
「そんで、時々そいつを使って俺の様子を見に来るのよ。人に見られたら誤解されて俺が困る、って言ったら、結界張ってるから人に見られる心配はないなんて言ってやがったのに……しっかり見られてるんじゃねーか!」
グラスを叩きつけるように、思い切りテーブルに置いた。
「それ、本当なんだろうね?」
「俺はな、おまえにだけは嘘をついたことねーぞ!」
まだ疑わしげな目をしている穂高に、口調を荒げて答える。穂高はグラスを包んだ手をじっと見つめ、数分ほど考え込んでから口を開いた。
「うん。わかった。信じるよ」
表情を緩めると、溶けた氷でだいぶ薄まった梅酒を口に含み、穂高が続ける。
「実はもし、その女が大陸の人間だったら諜報員かもしれないって疑ってたんだよ。とりあえず違うとわかってほっとした。けどね……」
途中まで言いかけて、言葉を探すように穂高は目を泳がせている。
「俺だってそんなに馬鹿じゃないって! そんな無防備に行動しねーよ。それより、その先はなんだよ?」
「うん……本当は見たのは俺じゃなくて岱胡なんだ。それから……麻乃にも見られてるぞ」
「――えっ?」
麻乃に見られていたと聞いて、鴇汰は心臓が止まるかと思った。血の気が一気に引いていくのがわかる。
「岱胡の話だと、あいつが蓮華になりたてのころ、南浜で麻乃と一緒に見たそうだよ。そのときにはもう、麻乃は知ってたようだったって。その後も何度か見かけたって言っていた」
急速に体が冷えていくのがわかる。指先の感覚がなくなったような気がして、グラスを強く握った。まさか麻乃に見られていたなんて。それも、ずっと前から。
「なぜか、あの二人だけが見ているんだよね。俺やほかのみんなが全然知らなかったのは、麻乃が岱胡に口止めしていたからだそうだよ。鴇汰が隠してるみたいだから、ってね」
「なんでよりによって麻乃に……」
鴇汰の声は掠れていた。
「彼女だと思っているんじゃないのかな。鴇汰の気持ちに答えなかったのも、そのせいじゃないかと思うんだけどね」
そういえば柳堀で鴇汰が、彼女はいたことがないと言ったとき、麻乃は訝しげな顔で見返してきた。あの時の表情の意味が、今になってようやく理解できた。
「駄目だ……勘違いだと説明したくても、麻乃のやつ、俺の顔も見やしない。しかも修治にあんな態度を取るほど様子がおかしいのに、謝るどころか話もできねーよ」
鴇汰は深くため息をついた。
「あの様子だと、無理に何かをしようとしても逆効果だろうしね。しばらくは落ち着くのを待ったほうがいいかもしれないな」
酒瓶を揺すると、まだ半分ほど入っているのがわかる。
そのまま口をつけて、鴇汰は一気に飲み干した。
「馬鹿! なにしてるんだよ? 全部飲んだらさすがに明日、きついだろう!」
「穂高さ……ほかに男がいる女に、なんの関係もない女とのことで、ごちゃごちゃ言われたら、どう思うよ?」
「え……? そうだなぁ……理不尽さを感じると思うな。その女のことは信用できなくなるかも」
「だよな、俺はそういうことをしたんだよな」
ドンと瓶を机に置いた。
「次の会議までに、どうしたらいいのか考えてみる。まずは話ができなきゃ、どうしようもないもんな」
「巧さんとトクさんが、交互に西に入っているから、様子を見てくれるって言うし、なにか聞けたら鴇汰にも伝えるよ」
「ああ。ありがとうな。穂高、明日は南だろ? もう戻って寝とけよ。俺は平気だから」
心配そうな目を向ける穂高に、鴇汰は笑ってみせた。




