第53話 紅葉池
訓練の中日に当たるころに突然、比佐子が顔を見せた。
出られなかった会議の資料を穂高から預かってきたと言う。ありがたいと思う反面、麻乃の様子を見にきただけじゃないかと邪推してしまう。
気を遣った隊員たちに背中を押され、東区の繁華街、紅葉池へと比佐子と出かけることになった。
柳堀が、柳の木をたたえた堀に沿って店が連なっているのとは違い、紅葉の木で囲われるようにたたずんでいる池を中心に、扇状に通った道沿いをさまざまな店と住居が、きれいに区分けされている。
中央から東区へ入り、真っすぐ向かうと、まず池に出るようになっていて、そこから右へ入ると居住地に、左へ入ると商業地になっていた。
中央から池に向かう途中の脇道を入ると、訓練所がある。万一攻め込まれるような事態になったときには、一本しかない道で食い止めることが可能なこの街と泉の森が最後の砦になる。
比佐子は一軒の甘味処に麻乃を案内してくれた。
「ここねぇ、おクマさんのところほどじゃないけど、結構イケるのよ」
よく冷えたヨーグルトムースにフルーツが数種類あしらわれていて、見た目もきれいだ。
「すごく綺麗だね」
「でしょ? 見た目もだけど、味もいいのよ」
「あたし、てっきりチャコの家に行くのかと思ってた」
「うちは今は駄目よ。最近、穂高のやつったらあんまり帰ってこないから散らかしちゃってて。ま、あんたの部屋ほどじゃないけどね」
「ねぇ、普通の暮らしってさ、普段はなにをやってるの?」
フルーツを口に運びながら、麻乃は話を逸らした。比佐子なりの気遣いで連れ出してもらったのはわかるけれど、どうしても素直になれない自分が情けなかった。
「なにって……掃除したり料理を作ったり、そんなこと?」
「掃除に料理……鍛えたりしないの? 道場に行くとか」
比佐子は思いっきり笑うと、逆に問いかけてきた。
「行かないよ。そりゃあ、たまには体を動かしたりするけどね。それよりなによ? このあいだといい、変なことを聞いてきてさ。誰かいい人でもできて引退しようなんて思ってるわけ?」
「そんなわけないじゃん。ただ、単純になにをやってるのか気になっただけだよ」
窓の外に広がる紅葉の葉が風で揺れるのを眺めた。
「ふうん」
比佐子が不意に黙ってしまい、次の言葉が探せず、麻乃も黙ったままでいた。
「ねぇ、ちょっとつき合ってよ」
十数分、そうしていたあと、比佐子は立ち上がると支払いを済ませて甘味処をあとにし、池から少し離れたこぢんまりとした店に入った。
「ここね、牙獣とか動物の皮を使っていろいろと作ってるんだけどさ、使い勝手のいいものが多いんだよ」
「へぇ」
店内は染料や、なめし革の独特な匂いが充満している。
麻乃は狭い店内を見回した。壁一面に並んだ革製品は、どれも実用性を重視した作りで、飾り気はないが丈夫そうだった。
「足、まだ完全じゃないでしょ? 復帰祝いってほどでもないんだけど、サポーター替わりにレッグウォーマー買ってあげる」
衝立てに無造作に掛けられた革のハーフコートが麻乃の目に入り、立ち止まった。
その瞬間、なぜだか胸の奥が締めつけられるような感覚に襲われた。懐かしいような、切ないような。
「なに? どうかした?」
「うん……これ、見覚えがある気がする」
「それはずいぶんと昔に流行ったんだよ。お得意さんがいてね、たくさん作ったんだ」
突然、声が降ってきて驚いて麻乃も比佐子も数歩、あとずさりをした。よく見ると衝立ての向こう側に人がいて、隙間から濃い茶色の瞳がのぞいている。
「なんだ店長じゃないのよ。脅かさないでよ」
比佐子が顔をしかめて文句を言うのを受け流し、ボソボソとこもった独特の口調で言った。
「あんたがうんと小さいころには、それを着た人がたくさんいたからね。もしかしたら身近な人も着ていたのかもね」
「両親が着ていたかもしれない」
声が、自然と小さくなっていた。
「あんたの両親は戦士だったのかい?」
「ええ」
「そんならこれを着ていたかもね。軽いし動きやすいし、強い革だから矢がかすったくらいなら傷もつかない。当時は戦士の子たちが一番着ていたよ」
衝立ての向こうから煙草の煙とともに、小さなため息が漏れてきた。麻乃は手を伸ばして上着の袖口に触れ、感触を確かめた。
思った以上に柔らかく、手に馴染む。
「それ、気に入ったの?」
「ん、なんだかすごく気になる」
比佐子はコートを手にすると、衝立ての向こう側に向かってそれを投げた。
「じゃ、これください」
「馬鹿! 結構、高かったよ?」
「いいの。復帰祝いって言ったでしょ」
やり取りが聞こえているのかいないのか、色はどうする?
と奥から声がした。
「染められるよ。四、五日かかるけどね。昔よく出たのは赤だけど、あんたは髪の色がねぇ……濃紺なんかどうだい?」
比佐子は腕を組んで麻乃に目を向け、なにかを考えるふうに首をかしげた。
「……そうね。じゃ、濃紺にして。上がったころを見計らって取りに来るから」
支払いを済ませた比佐子に、麻乃は背を押されて店を出た。
「散財させちゃったよね、半分、持つからさ」
「いいって言ったでしょ。そのぶん、穂高にしっかり稼いでもらうから」
前を歩いている比佐子は、笑いながら麻乃を振り返る。
「だって悪いよ」
「そう思うんならさ、ちゃんと答えてくれないかな。あんた、なにか隠してるでしょ?」
足を止め、麻乃は黙ったまま比佐子を睨んだ。
「私はねぇ、別になにを隠してるのか、なんて野暮なことは聞かないよ。誰にだってなにかしらあるものだしね」
(これだから……だから誰もいないところへ……)
「みんなはさ、心配して探ろうとしてるみたいだけど」
「それが嫌なんだよ。放っておいてほしいのに。だいたい、言いたくないことを黙っててなにが悪いのさ! 誰に迷惑をかけるわけでもないのに!」
半ばキレ気味に声を上げた瞬間、麻乃の耳に乾いた音が響き、頬に衝撃を感じた。
痛みと熱のこもった痺れが広がり、呆然とする。
「そんなに興奮するから、私ごときの平手打ちさえも避けられないんだよ。言ったでしょ? 私は隠しごとの中身なんかどうでもいいの」
比佐子も手が痛むのか、軽く手首を振っている。
「ただ、どうしても話せないことがあるなら、そう言いなって。それがわかってればなにも聞かないし、誰にも話さないのに」
「え……」
「黙ってて、って言えばいいじゃない。私ら、そんなことも言えないような間柄じゃないでしょ?」
やっと比佐子がなにを言わんとしているのか、わかった気がした。
「あたし……確かに今、隠しておきたいことがいくつかあるよ。それを話すことで傷ついたり困ったりするかもしれない人がいるから」
「そう……」
「言えないことも、話したくないってより、どう話したらいいのかが、わからないんだ。なのにみんなであれこれ問い詰めてきて、どうしていいのかわからなくて……いらいらするんだよ」
頬をさすって顔を上げると、比佐子は仁王立ちで麻乃を睨んでいる。
「それにもういい加減、修治やみんなに頼りたくない。一人でなんでもできるようになりたい。でも、そう思ってることは知られたくなくて……」
「それでここの訓練所に来たんだ? ここなら誰も来ないもんね」
「うん、だから比佐子、絶対、みんなには言わないでほしい」
「いいよ、わかった。あんたがそういうんなら、穂高にもほかのみんなにも、聞かれても話さない。まったく……このチビちゃんは本当に不器用だよ」
比佐子にいつも以上に頭をなで回された。
その手の温かさに、麻乃の目頭が熱くなる。
「もう、あたしチャコのせいで絶対に縮んでると思う」
苦笑いを浮かべると、麻乃は乱れた髪を手櫛で梳いた。比佐子がなにを頼まれてきたのかは想像がつく。麻乃の様子がおかしくないかをみてほしい。
そんなところだろう。
それに対して、どう答えたのかはわからないけれど、比佐子以外の誰もここへ訪ねてこないのは、うまくはぐらかしてくれたからに違いない。
最終日――。
後片づけをしているところに、また比佐子が顔を出した。
手には大きめの包みを持っている。
「ギリギリだったね。出来上がったよ、アレ。復帰おめでとう」
受け取った包みが、やけに大きく重い。
「開けてみていい? 着てみたいんだけど」
「ん……うん、そうだね、着たところは見てみたいかな」
渋ってる様子の比佐子に疑問を感じながらも、丁寧に包みを開けると、上着が二着入っていた。
「あっ! なんで?」
「だってねぇ……替えがあったほうがいいでしょ? そこはさ、素直に喜んでよ」
「うん、本当にありがとう」
一着はもう一度包み直し、後ろに立っていた杉山に持たせると、早速、麻乃は上着に袖を通した。普通の泉翔人が着たなら、ちょうどいいサイズなのだろう。
本来、太腿の丈が、麻乃には膝にかかる長さだ。
長めの袖は折り返す。
武器があるからボタンはかけられず、風が吹くと裾がなびく。
それでも、妙にしっくり体になじんだ。
「いいじゃん、なんだか引き締まった感じよ」
「ええ。『隊長』って感じがしますね」
「そんじゃ普段はどんな感じだっていうのさ」
杉山を一睨みしてから比佐子に向き直った。
「ありがとう。大切に着るから」
襟を正してあらためてお礼を言うと、帰り支度を済ませた隊員たちとともに東区をあとにした。
コートの重みが肩に心地よく、歩くたびに裾が軽やかに揺れる。
(ごめん、チャコ……こんなに良くしてもらってるのに、あたしは……)
麻乃は東区へ続く道を振り返った。




