第51話 信じるべき者
ついに演習が終わった。
これまでは、張り詰めていたことで蓄積された疲労が感じにくかった。
それが一気に噴き出す瞬間でもある。
麻乃自身も、初めてのサバイバル演習が終わったときには倒れたクチだ。このあとは、体調を整えるために三日間の休みを挟んでから通常の訓練に移る。
休みのあいだにリストバンドを集計しながら、参加してくれた師範と一緒に隊員たちの強い部分や弱い部分、苦手としている部分を突き合わせた。
それを基に、訓練で重点的に伸ばしたり克服させたりしなければならない。麻乃の部隊は集計をするまでもなく、なにが苦手なのかわかっていた。
(新人のやつら、中距離、遠距離戦には滅法弱いな……)
銃や弓を相手には潜む場所を探しきれず、ともすれば槍にさえも、その懐に入り込めずに倒されている。幸い反射神経はいいようで撃たれても弾くのは上手い。
けれど倒せなければ、なんの意味もない。その部分を集中的に強くしていかなければ。師範のかたがたが効率のよい訓練メニューを組んでくれているあいだ、修治が小声で聞いてきた。
「麻乃、俺のところはここの訓練所を使うんだが、おまえはどうする? このあとも一緒に続ければ仕上がりが早いと思うんだがな」
「そうかもしれないけど、あたしはこのあとの訓練、東でやるよ」
「東? なんでまた……ここや北、せめて南のほうが使い慣れていていいんじゃないのか?」
「いや、今回は東が都合がいいんだよ。広さも環境もね」
修治は当分のあいだ、俺の側にいろと言った。麻乃も最初はそのつもりだった。
東よりも、ほかの地域の訓練所を修治が勧めてくるのは、側にいられなくても、詰所の誰かが様子を見に来られると思ったからだろう。
(だけど、いつまでもそれじゃ駄目なんだ――)
東区は海岸線が切り立った高い崖になっている。
敵国からの攻撃がないため、演習場、訓練所と簡易宿舎があるだけで、詰所はない。誰からも干渉されずに過ごせる。
それに、修治の庇護下にいるあいだは、本当の意味で成長することはできないだろう。修治は腰に手を当てて俯いたまま、軽くため息をついた。
「まぁ……おまえが使いやすいっていうんなら、それもいいかもしれないな。無茶なことだけはするなよ」
いつもと違う。
もっと強引にほかの訓練所を勧めてくるかと思っていた。
いつもなら、麻乃が離れて行動しようとすると、もっと問い詰められるのに。
修治が諦めたような表情を見せるのは珍しい。見放されてしまったのか、と一瞬、思った。
「もう怪我はこりごりだからね。無茶はしないよ」
そう答えて修治の顔を見上げた。
目が合うと、修治は複雑そうな表情を見せて笑い、資料を受け取って拠点の片付けに行ってしまった。こんなときには優しげな目で笑いながら、頭を撫でてくるのに。
隊員たちとともにテントを畳んでいる修治の姿を見つめて、涙がにじみそうになったのをぐっと堪え、麻乃も荷物の積み込みを手伝った。
「麻乃!」
振り返ると比佐子が荷物を手に駆け寄ってきた。
「チャコ、荷物はもうまとめたの?」
「うん、あんた、まだ片付け残ってるんだ?」
「積み込みは終わりそうだから、あとは詰所で荷解きしないとね」
「そう」
風に揺れる葉から木漏れ日が、きらきらとその影を落としている。
比佐子は目を細めて森を眺めながら、懐かしそうに微笑んだ。
「なんだかさ、久しぶりだったからきつかったけど、楽しかったわ」
「四年もブランクがあったようには思えなかったよ、最後の方はね」
「もう戦士として出ることはないから、その分、気が楽だったしね」
比佐子の横に並び、その視線の先を見た。広がる森の中は、今はとても静かだ。
「チャコ、このあとはどうするの?」
「私は修治さんのところの子に送ってもらうの。東区だからここから真逆でちょっと遠いしね」
「あぁ、そう言えばチャコは東区にいるんだったね」
しまった、と麻乃は思った。
親しくしている人はいないと思い込んでいたけれど、東には比佐子がいた。それでも、みんなと顔を合わせずに済む分、まだよしと思うか。
「今回は本当にありがとうね。チャコが来てくれなかったら、あたし今もまだ医療所にいたかもしれない」
「私はなにもしていないわよ」
「ううん、手も借りられたし、引き継ぎもできたからさ、すごく助かった」
照れた表情を見せた比佐子は、照れ隠しに、また麻乃の髪をわしわしと撫で回してきた。
「だから! それ、やめてって!」
「たまにはさ、私のところにも遊びに来なよ。昔みたいに夜中まで話しでもしたいし。ね?」
両手で髪を整える麻乃に笑いかけると、比佐子は手を振って演習場を出ていった。
演習の全てが終わったあと、隊員たちは全員が一度、中央に戻った。麻乃も同乗して軍部にある部屋へ向かった。長く留守にしていたせいで空気が籠っている。窓を開けて空気の入れ替えをした。
引き出しから数枚の書類を出すと考えながら書き込みをし、一部を上層部に提出してから、もう一部をシタラに提出するため、急ぎ神殿へと向かった。
夜が近付いている。
神官や巫女たちの夜は早い。
麻乃は駆け足で向かった。
城の裏手から泉の森に通じる道の途中に神殿がある。
陽が傾きかけて森の影を映した神殿は、表の松明に火が灯されて幻想的な雰囲気を漂わせていた。
すれ違う巫女たちと挨拶を交わしながら中へ入ると、二番巫女のカサネが出てきた。
「おや、麻乃じゃあありませんか。このような時間にどうしたのですか?」
「カサネさま、ご無沙汰しています。遅い時間に申し訳ないとは思ったのですが、今日は巫女ばあ……シタラさまに書類を提出しに参りました」
カサネは麻乃をジッと見詰めてきた。
(やっぱり明日まで待った方がよかったかな? 巫女婆さまって言いかけたのがまずかった?)
あまりにも見詰められてたじろぐ。不意にカサネの手が麻乃に伸びてきて、何度か背中を擦った。擦られたのは背中なのに、お腹の辺りが暖かくなり、それがやけに心地良い。
「シタラさまはこのところ、あまり具合が良くないようで臥せっていらっしゃることが多いんですよ。今日も、もう部屋に戻られてしまいました。とはいえ、こんな時間に来るほどですから急ぎなのでしょう? 書類は私が預かり、今日中にお渡ししてお答えをいただいておきましょう」
「はい、よろしくお願いいたします。明日、午前中にまた伺うようにします」
書類を渡して帰ろうとしたところを呼び止められ、返事をして振り返った。
「ああ、麻乃」
「はい」
「一人でいる時間を、あまり長く持たないようになさい」
そう言われた。
「わかりました」
これから一人の時間を作ろうと思っていた矢先のことで戸惑いながらもそう答えておいた。
その足で宿舎に戻り、麻乃は荷物の整理を始めた。
西区に戻るときに衣服はある程度運び出したとはいえ、まだ、たくさんのものが置いてある。仕分けるのも面倒で、端から順番に箱詰めをしていった。
ノックが聞こえ、ドアが開き、杉山と大石が顔を出す。
「隊長、車の用意ができましたけど」
「ああ、疲れてるのに面倒ばかりかけて、本当に悪いね」
「これ全部、運ぶんですか?」
「いや、取り急ぎ半分ほどでいいよ。明日は豊浦と石場に車を出してもらうことにしてあるから」
「じゃ、適当に積み込んじまいますよ」
「しかし……まるで夜逃げみたいですね」
杉山と大石が荷物を抱えて笑い、麻乃も苦笑した。
「あたしも実はそう思った。くれぐれも誰かに見られないように、こっそりと積み込みをしてよね」
古株の隊員たちには大まかに話を通してある。極力静かに運び出すと、西区に向かって車を走らせた。
その夜はあまり眠れないまま、翌朝、麻乃は早い時間に神殿へ出かけた。出てきたのはシタラで、足を引きずるようにして歩いている。中はひっそりとしていて、ほかには誰もいないようだ。
シタラは提出した書類を出してきた。
「これについては、よい卦が出た。私の方からはよい返事が出せるであろう。軍のほうは……よい顔をせぬかもしれん」
「承知の上です」
「ならば私の方からも口添えしておこう」
「ありがとうございます」
麻乃はできる限り、シタラと目を合わせないようにしてお礼を言うと差し出された書類に手を伸ばした。
その手首をぐっと掴まれて視線が合う。
小声で何かを呟いているようで耳障りな音が頭の奥に届く。
麻乃は寒気に鳥肌が立ち、ふらりと目眩を覚えた。シタラの小さな黒い瞳が光の影響か青く光って見える。まるで違う人のような、冷たい気配に包まれた。
「できるだけ一人の時間を持つがよい。ほかの蓮華を信用するでない。一人きりにおなり。くれぐれも蓮華たちの言葉に耳をかたむけるでないぞ」
にたりと笑うシタラの口もとが吊り上がった。
麻乃の手首を掴んでいるシタラの体温はひどく冷たい。
その場の空気さえも冷たく感じた。
カサネは、一人になるな、と言った。
シタラは、一人になれ、と言う。
しかも……みんなを信用するなというのは、どういうことなんだろう?
麻乃の口から言葉がこぼれた。
「わかりました」
シタラは満足そうに頷き、手を離した。
麻乃は慌てて書類を受け取ると、一礼して神殿を後にした。外に出てから、ようやく自分の身体が震えていることに気付いた。
『くれぐれも蓮華たちの言葉に耳をかたむけるでないぞ』
念を押すように放たれた言葉が麻乃の頭の奥に響く。
もう一度、頭をさげて神殿を出た。
泉の森から風に乗って唱和が響いてくる。
振り返った頬に風が触れ、髪をなびかせた。
葬儀でもあったのだろうか。
だから神殿の中には誰もいなかったのか?
カサネに触れられたときの温かさとシタラが残した手首の冷たさの差に、胸がざわめく。
(一人でいる時間を、あまり長く持たないようになさい)
(ほかの蓮華を信用するでない。一人きりにおなり)
二つの言葉が麻乃の頭の中を占めて離れず、ふらふらとその場を離れた。




