第47話 消えない不安
翌日の昼過ぎ、修治は穂高とともに拠点で比佐子を待った。
木々のあいだに見つけた比佐子は、こちらへ近づくのをためらっているのか、妙に遅い。焦れた様子の穂高が呼びかけた。
「比佐子!」
「ちょうど二人が一緒にいるなんて、いいタイミングじゃない」
苦笑いで穂高に応えるように近寄ってきた比佐子に、修治はすかさず問いかけた。
「麻乃はどうだ?」
「うん、今日も特に変わったところはないみたい。様子は、ね」
そして戸惑い気味に、修治と穂高におずおずとたずねてきた。
「あのさ、私ら戦士は、女神さまの加護印のおかげもあって、傷が治りやすいのよね?」
修治は比佐子の問いに、思わず穂高と顔を見合わせた。いつもの比佐子らしからぬ、どこか探るような口調だ。
「なんだ? 今さら」
「そりゃあ、普通の人よりは治りが早いよ。でもそれは一カ月かかるところが二十日で済むとか、一週間のところが五日で済むとか、そんな話だろう?」
比佐子は頬に手を当てて首をかしげると、あとを続けた。
「そうよね……? 術師の回復術にしても、軽いすり傷をふさぐとか高めの熱を下げるとか、そんなレベルよね? 怪我を治したり病気を治したりするのは無理なのよね?」
「当たり前だ。そんなことができるなら、医療所の先生がたは商売にならないだろうが」
修治の答えに、比佐子の表情がさらに曇った。
「じゃあ、麻乃の怪我は、一体、誰が治したの?」
不安そうな顔をみせた比佐子の長い髪を、風が巻きあげた。
やけに冷たい風に三人とも背筋を震わせた。まるで嫌なことを運んでくるような、冷たい風だった。
「治った――?」
比佐子は修治の言葉に黙ってうなずく。
「な……なにを言ってるんだよ、あれだけの傷が、昨日今日で治るはずがないだろう?」
「そりゃあ、完全に治ってるっていうわけじゃあないのよ。でも、もう松葉杖なしで歩くし背中も足もかさぶたが残っているだけで――」
「それだっておかしいだろう? いくらなんでも早すぎる」
穂高と比佐子のやり取りを聞きながら、修治はじっと考えた。
「比佐子、そのことで麻乃はなんて言っていた?」
「わからない、の一点張りよ。目が覚めたらこうなっていた、って」
「そうか……」
「そんな状態だから麻乃は出るって聞かないし……せめて今日は、大人しくしているように説得したんだけどね。明日からはもう止められないわよ」
ため息まじりに比佐子が訴えてくる。
「一体、なんなんだろう? 体質の問題、ってあるんだろうか?」
穂高が修治に視線を向けてくる。
体質という意味が、鬼神の家系に関係していると言いたいのだろうことは、よくわかる。修治自身、その可能性を考えないわけではなかった。だが――。
「そうだとしたら、西浜でのロマジェリカ戦で負った肩の傷や火傷は、もっと早くに治ったはずだ」
「ああ、そういえばそうか……」
このところ、麻乃の周りで起こることはどうもおかしい。なにがどうと問われると答えようがないのだけれど、腑に落ちないことが多いと思うのは、気のせいだろうか?
昔のように四六時中、一緒にいるわけではないけれど、自分のことにかまけて放ったらかしにした覚えもない。ほかの誰よりも、麻乃のことはわかっているつもりだ。
それとも、それが間違っているんだろうか?
実は麻乃のことをなにもわかっていないのだろうか。
隠しごとのこともそうだ。
修治は拳を握りしめた。
「もしも誰かがなにかをしたんだとしたら、やっぱり術師しか考えられないよなぁ」
「そりゃあね……ほかに傷を治せるような人はいないけど、でも、じゃあ誰が……?」
そう。
一体、誰が――?
今は、この演習場には術師はいない。
どうしても嫌な感じが拭いきれない。
「俺は次の会議のときに、梁瀬さんに心当たりがないか聞いてみるよ。傷を治すことが可能かどうかね」
「ああ。頼む。そのときは俺もいるようにする」
「麻乃のほうはどうするの? 明日から出してもいい?」
「仕方ないだろう。明日はまず、拠点に連れてきてくれないか? 麻乃がなにを言おうと引きずってでもだ」
うなずいて出ていった比佐子を見送ると、穂高も詰所へ戻っていった。
一人、残った修治は空を仰ぐと、テントに戻った。
翌日――。
「急に呼び出してなに?」
比佐子に連れられてきた麻乃は、明らかに不機嫌そうだ。
「なに? じゃないだろう。傷がもういいってのは本当か?」
どこにいたのかは知らないけれど、この森の中を松葉杖も必要とせずに歩いてきているのだから、大丈夫だということはわかる。それでも修治はあえて聞いてみた。本当に回復しているのか、この目で確かめたかった。
「見てわかるでしょ? もう歩けるし、多少の引きつれはあるけど問題ないよ」
幸いにも師範のかたがたは、交代で戻ってきて既にそれぞれのテントで休んでいる。比佐子に少しのあいだ席を外してくれるよう頼むと、麻乃の腕を引き寄せ声をひそめた。
「あれだけの怪我がいきなり良くなってるっていうのは、どういうことだ?」
「どうって……聞かれてもわかんない。チャコにも言ったけど、朝、起きたら痛みが弱くなっていた。立つのも歩くのも全然苦じゃない」
「おまえ――」
(なにもなくて、そんな傷が治ることがあると、本気で思うのか?)
修治はそう言いかけてやめた。
視線を逸らせている麻乃の姿に、なにかあると確信した。
また隠しごとか。なぜ素直に話してくれないのか。奥歯を噛んで、視線を逸らせている麻乃の横顔を見た。
「今から医療所に行くぞ。支度しろ」
「なんでよ? 悪くなったらともかく良くなったのになんで?」
むきになって喰ってかかってくる。どうして麻乃はこんなに苛立っているのか。
「だからこそ見てもらうんだろうが。爺ちゃん先生は相当心配していたんだぞ。良くなっちまったら、もう関係ないか? 報告する気も起きないのか?」
諭すようにして問いかけると、麻乃は視線を泳がせて考え込んでいる。
「そっか……そうだよね。心配してた。あたし無理しないって約束もしてたんだ。もう大丈夫だって行って伝えなくちゃ駄目だよね」
まるで手のひらを返したように、今度は不安そうに落ち着かない様子を見せる。
「車を出すから、すぐに行くぞ」
静かにそう言って、いつものようにそっと頭をなでた修治の手を、麻乃は勢いよく払いのけた。
「車なんか必要ないよ、一人で行ける。あたしはもう、子どもじゃないんだから」
キッと修治を見すえた麻乃は、勇んでそう言う。 払いのけられた手が、空中で止まった。
「今から行ってくる。すぐに戻ってくるから、そしたらそのまま演習に出ても構わないでしょ?」
「もちろんだ」
答えたものの、感情の起伏がこれまでよりも激し過ぎるのを感じた。
飛び出していった麻乃のうしろ姿を見送って、修治はそばにあった木を殴りつけた。樹皮が手に食い込む。
「くそっ! あの馬鹿、なんだって隠しやがるんだ」
やり場のない苛立ちに思わずつぶやいたとき、比佐子が顔をのぞかせた。
「ねぇ、今、麻乃が飛び出していったけど、なにかあった?」
「いや、なんでもない。念のため、医療所でちゃんと見てもらうように言って聞かせたところだ」
大きなため息をついて比佐子に答えた。本当は心配で仕方がないのだが、それを表に出すわけにはいかなかった。
(やっぱり一度、シタラさまに視てもらったほうがいいのかもしれない。高田先生にも……きちんと話をするべきだな)
今日、参加している市原に相談するため、探しに出る準備を始めた。一人で抱え込んでいても仕方がない。できるなら、塚本に頼んでシタラを呼んでもらおう。
「あいつ、戻ったらそのまま出るつもりでいやがる。おまえには面倒をかけるが、そばにいてやってほしい。それから、今、いるところをそのまま拠点の替わりに使うのか、そこを引き上げてここへ戻るのか、それも決めてあとで知らせてくれ」
「うん、わかった」
「すぐに戻ってくると思う。すまないがもう少し待ってやってくれ」
「大丈夫。せっかくだからのんびりさせてもらうわ」
修治は深く息を吐いた。
ふとした瞬間、ため息がこぼれる。
「俺がいると、どうも良くないみたいだ。なにも言いやしない。おまえにもそうかもしれないが、もしもなにかを聞いたときは――」
「わかってる、知らせに来るわよ。穂高も西詰所にいるのは明日までだけど、気にしてるだろうしね」
「頼む」
比佐子の肩を軽くたたき、修治は森へ入った。木々に囲まれた薄暗い道を歩きながら、修治はまた深いため息をついた。




