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蓮華 ― 鬼神の血を継ぐ戦士は護るために戦う ―  作者: 釜瑪秋摩
第一章 疑念

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第48話 それぞれの距離

修治(しゅうじ)


 塚本(つかもと)の声に振り返ると、市原(いちはら)とシタラが車から降りてくるところだった。


「面倒をおかけしてすみませんでした」


「構わないさ、大したことじゃない。市原も婆さまが苦手なもんだから、今日はごねてひどかったぞ」


 市原に目を向けると、シタラに話を振られて苦笑いをしている。


「で、麻乃(あさの)は?」


「今日はもう出ているはずです。森の奥から川に沿って、こっち方面へ向かうと聞いています」


 うなずいた塚本は、シタラのそばへ行くと耳もとでなにかを話しかけている。

 目を閉じたまま顔をあげたシタラは聞き取れないほど小さな声でなにかを呟いている。


 視線を移すと、市原の苦虫を噛み潰したような顔が目に入り、修治はうつむいて笑いをこらえた。


 シタラから、奇妙な緊張感が伝わってくる。目を閉じたままで、なにが視えるというのだろう?

 見えないものを視るには閉じていようが開いていようが、距離さえも関係ないのだろうか?


 その存在は否定しない。現に亡くなった隊員たちと会うことはある。

 けれど、憑いている云々となると、どうしても疑問が湧く。

 それでも修治は今、なにか理由づけがほしかった。麻乃の不安定さに対する明確な答えが。


「どうですか? なにかわかりましたか?」


 塚本の問いかけに、シタラはゆっくりと首を横に振る。


「なにも変わりはないようじゃ。この演習場も不穏な気配は一つもない。心配するまでもないであろう」


 塚本はほっとしたように盛んに礼を言い、市原は修治に向かって大げさに肩をすくめてみせた。


(なにもない、か……)


 塚本と市原のシタラに対する温度差に笑いを噛み殺していると、ぼそりと放ったシタラの声が修治の耳に届いた。


「詮のないこと……」


 つと視線を向けると、シタラの瞳が変に光ったように見えた。薄ら笑いを浮かべているのか、その口もとが引きつっている。


 一瞬で、修治の全身に鳥肌が立った。


 淀んだ空気の中にいるみたいで気分が悪いのに、目を逸らしてはいけない気がしてシタラの姿を追い続けた。まるで、視線を外した瞬間になにか取り返しのつかないことが起こるような、そんな予感に囚われていた。


 塚本にうながされて車に戻っていくシタラは、これまで修治が何度も見ている姿とはまったく違うようにも思える。


(詮のないって……どういうことだ? 一体、なんだっていうんだ……?)


 シタラはなにを指してそう言ったのだろう。今回の件を詮のないことと言ったのか、それとも――。

 修治の中で漠然とした不安がより大きく膨らんでいく。


 車に乗り込んだシタラに市原とともに今日のお礼を言うと、塚本はシタラを送ったあと戻ってくると言い残して車を出した。


「まったく、本当に薄気味の悪い人だよ」


 すぐ後ろで市原がこぼした。


「そんなに嫌いですか?」


「嫌いって言うかなぁ、近ごろ、どうも怖いんだよ。今日だって気味悪さが増してないか?」


「そうですね。俺もさっきは鳥肌が立ちましたよ。これまで毎週、会議で会っていましたけど、久しぶりに見たらなんだか以前より雰囲気が――」


 そういえば、いつもは会議のあとで持ち回りの組み合わせを決めるのに、今回は一月分をまとめて知らせてきたらしい。

 先になるほど、ブレが生じるから週ごとが適切だと言っていたのに。


(このところ、会議には出ていないが、婆さまは出ているんだろうか? ほかのみんなは婆さまをどう見ているんだろう?)


 疑問ばかりが、次々に湧いてくる。


「同じ巫女でも、二番巫女のカサネさまとは雰囲気が大違いだ。あのかたも、いい歳になられたけれど、遠目で見ても温かさが伝わってくるだろう?」


 考え込む修治の隣で、市原がつぶやいた。

 確かにシタラ以外の巫女たちは、葬送や収穫祭のときに目にするくらいだけれど、誰もが一様に温かい雰囲気をまとっている。

 シタラも以前は同じような雰囲気だったけれど、今のようになったのはいつごろからだったか――。


「まぁ、なんにしても、麻乃におかしなことがなくてよかったよ。もしも、なにかがどうとか言われたら、俺はこのあとの演習は全部、塚本に押しつけるつもりだった」


 その言葉に、修治はいい加減、こらえ切れずに吹き出してしまった。


「本当になにもなくてよかった。そうは思うんですけど……あの不安定さがなんなのか、どうしても引っかかるんですよね」


「おまえは過保護過ぎるんじゃないのか? 麻乃ももう二十四だろう? 独り立ちしていてもおかしくない歳だ。おまえの手を離れようとでもしているんじゃないのか?」


 はっとして市原の顔を見た。

 そう言われて思い返すと、このあいだ、医療所で変にあらたまったことを言っていた気がする。


 麻乃が生まれたときから、ずっと一緒にいた。いつでも泣きながら修治の後ろをついて回っていた、幼い日の麻乃の姿……。

 今でも意識して麻乃の前を歩く修治のあとを、追いついてこようと喰らいついてくる。


 この先もずっと振り返れば麻乃がいるだろうと、なんの疑いもなく思っていたけれど――。

 いつの間にか、お互い別のものを見始めているのかもしれない。

 胸の奥が妙に締めつけられるような感覚に襲われた。


 修治はただ、ぼんやりと演習場の森を眺めた。



-----



 山道の緩やかなカーブを、鴇汰(ときた)はスピードを落として車を走らせた。

 西詰所の持ち回りも、今日が最後だ。


 一カ月もいたのに、なにもしていない気がする。

 敵襲も数える程度にあっただけだ。しかもこのところは、ずっと少数だけで、大した交戦もないままに、あっという間に撤退していく。緊張感と疲労ばかりが高まって、気持ちが荒んでいくようだ。


(この一カ月……一体、俺はなにをして過ごしていたんだろう?)


 もっと麻乃(あさの)といる時間があると思っていた。

 蓋を開ければほんの数回、会っただけだ。

 しかも最後に会ったときには、次に合わせる顔もないくらい馬鹿なことを言ってしまった。自分でもなぜあんなことを口にしたのかわからない。意地になって、素直になれなくて。


 片手でハンドルを捌きながら、バックミラー越しに穂高(ほだか)を見た。窓に肘を乗せて外を眺めている。

 あの日から、ろくに口も聞いていないし、穂高はちょくちょくどこかへ出かけていて、顔を合わせることも少なかった。

  多分、医療所と演習場だとは思うけれど、変に意地になって聞くことができない。曲がりきった先の森の中にちらりと赤っぽい色が見えて、どきっとした。


 さらにスピードを緩め、鴇汰はもう一度その方向を確認してみた。流れていく木々の間に麻乃の姿が見える。なにか指示を出すように片手をあげて合図している先には、穂高の妻、比佐子(ひさこ)の姿もあった。


(あいつ……あんな怪我をしていたのに、もう戻ってるのか?)


 数日前には歩けなかったのが、嘘のように動いている。麻乃の後ろを数十メートルほど離れたところに、シタラの姿が見えた。

 鴇汰ははっとしてブレーキを踏み、車を停めた。


(……なんで婆さまが?)


 シタラが演習に立ち会うなんて、これまで聞いたことがない。なにか特別な理由でもあるのだろうか。それとも、麻乃の件と関係が――。


「どうしたんだよ?」


 急に車をとめたせいで、穂高が問いかけてきた。

 麻乃が演習に戻ってるのはなぜなのか、シタラが演習場にいるのはどうしてなのか、なにから聞けばいいのかわからず、鴇汰は黙ったまま麻乃の姿を目で追った。


「ああ、なんだ、比佐子と麻乃か。あの二人、こんなところまで来ていたのか」


 鴇汰の視線の先を追った穂高が呟いた。


「穂高、麻乃が演習に戻ったの、知ってたのか?」


「まあね」


「歩けないほどの傷だったのに、もう出られるのかよ?」


「そうみたいだね。ああやって動き回っているくらいだし」


「みたいだね、って……穂高、毎日あいつの様子を見に行ってたんじゃねーの?」


「そんな訳ないだろう。比佐子の様子は見に行ったから、そのときに少しは麻乃の話も聞いたけどね」


 矢継ぎ早に鴇汰が問いかけると、穂高は表情も変えずに答え、また頬杖をついて外を向いた。


「それに……動けなくなったならともかく、動けるようになったんだからよかったじゃないか。気にするほどのことでもないよ」


 穂高の言葉が、鴇汰を一瞬で苛立たせた。どうしてそんなに他人事のように言えるんだ。麻乃が心配じゃないのか。

 そっぽを向いた穂高の肩をつかんで引き寄せると、思わず大きな声を出した。


「気にするほどのことでもないって? おまえ……それ、本気で言ってるのかよ!」


「なにを怒っているんだよ? 麻乃のことなんか知らないって言ったのは鴇汰じゃないか」


 鴇汰がつかんだ手を振りほどいて、穂高が睨みつけてくる。

 狭い車内に険悪なムードが満ちた。

 ぐうの音も出なかった。確かに自分が言った言葉だ。


「わかった。もういい」


 車を急発進させ、山道を曲がりきるところで、もう一度、麻乃の姿を探した。緑の茂った森の中でもくっきりと映える赤茶の色が、遠目でもその姿だとわかるのは、単に色のせいじゃなく、鴇汰の目が意識して探すからだろうか?


 麻乃のことなんか心配したって無駄なんだと思っても、いつでも頭のどこかで考えていてどうしようもない。いらいらするのに近くにいたくて、顔を見たくて――。


 ドアミラーを流れて消えた森から目を外し、中央へ続く道を向いた。

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