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蓮華 ― 鬼神の血を継ぐ戦士は護るために戦う ―  作者: 釜瑪秋摩
第一章 物憂い

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第44話 心の軌跡

 麻乃(あさの)が十六になった年、蓮華(れんげ)の一人が戦死した。

 その年の洗礼で麻乃に蓮華の印が現れた。


 二年前、修治(しゅうじ)が蓮華の印を受けたときには、それが当たり前に思えたけれど、まさか自分も、とは思ってもみなかった。

 三日月の印を受ける自信はあった。

 そのときは、修治の部隊で一緒に戦うんだと強い思いを抱いていた。


 かつて両親と暮らした家で、一人の夜に鏡であらためて印を見て、その責任の重さに押し潰されそうになった。

 玄関が開き、修治の声が響く。


「麻乃、いるか? お袋がお祝いにうまいもんを作るって張りきってるぞ。おまえに、食いたいものがあるか聞いてこいってよ。なにかあるか?」


 寝室から出てきた麻乃の姿を見ると、修治は笑顔で近づいてきて頭をくしゃくしゃとなでてくれた。


「やっぱりおまえが蓮華の印だったな。おめでとう」


 黙ったままの麻乃を、修治は怪訝そうに見つめている。


「なんだ? どうした?」


「あたし……荷が重いよ……あたしが蓮華だなんて、なんでこんなことになったんだろう」


 修治の手が肩に触れる。


「震えてるのか?」


 その手にぎゅっと力がこもり、そのまま修治の腕の中に引き寄せられた。

 数分、抱きしめられていても震えが止まらない。


「駄目だな」


 そう言って修治は体を離すと、そばにあった椅子に麻乃を座らせて言った。


「そんな顔でこんなに震えているんじゃ、お祝いもなにもないだろう? 今日のところは適当にごまかして明日にしてくれるよう、お袋に断ってくる。そこでちょっと待ってろ」


 部屋を出ていき、数十分後に戻ってきた修治は、なにも言わずにそのまま調理場へ立ち、うんと濃いコーヒーを淹れてくれた。


「親父とお袋には、蓮華の人たちに祝いだと食事に誘われて、今日は出かけてくるって言ってきた。あとでなにか聞かれたときは、話を合わせておけよ」


「うん。わかった」


 受け取ったカップがかちゃかちゃと変に音を立てる。


「まだ震えが止まらないか……おまえもしかして、怖気づいてるのか?」


「あたし、戦士になるって思いはあったよ。国を守るためなら、この命を懸ける覚悟だってできている。そのつもりで、これまでつらい訓練も耐えてきたんだもん」


 そう言って残ったコーヒーを一口で飲みきった。


「でも蓮華になるってことは、あたしの下に五十人もの命をあずかるでしょ? あたしの判断次第でその人たちの命を亡くすことになったらと思うと、凄く怖いよ。たまらなく怖い」


 焦りと不安を一息ではき出した。

 指先まで冷えきったように体が強ばっている気がする。麻乃は自分の手を見つめながら、その震えを止めようと必死に握り締めた。しかし、どれだけ力を込めても、震えは一向に収まる気配を見せない。

 ふっ、と修治がため息をついた。


「俺も最初に自分の受けた印を見たときは、同じことを思った。同じように怖かったよ。けれど受けちまったもんはどうしようもない。それに蓮華にしろ三日月にしろ、印を受けたものたちは、みんなが同じ気持ちでいるんだよ。全員が命を懸ける覚悟でいるんだ」


「みんなが半端な気持ちでないことは、わかってるよ……」


「俺たちがやらなければいけないことは、その思いをまとめ上げて、大陸からこの国を守るために戦うことなんだ。それぞれの命の責任は、それぞれにある。だからと言って、俺たちが背負う目に見えない責任は大きくて重いことに変わりはないけどな」


 膝の上で両手を握り締め、なんとか震えを止めようとしても、麻乃の体はまったくいうことを聞いてくれない。


 昔から、自分ではどうにもできない感情の動きに、時々振り回される。

 今もそうだ。


 しっかりしようと思っているのに抑えきれない不安があふれ出して止まらない。頭では理解していても、心がついてこない。そんな自分がもどかしくて、麻乃はさらに唇を噛みしめた。


「今の蓮華の連中は、本当にいい人ばかりだ。俺たちは一人じゃない。自分のほかに七人も同じ立場の人がいて、みんなが手助けをしてくれる。防衛戦では二部隊で一組だ。古参の部隊はさすがだぞ。動き一つを取っても、とても敵わないと思うよ。おかげで新人ばかりだった俺の部隊も、いまだに無傷だからな」


 修治は立ちあがって隣に腰をかけると、まだ震える肩を抱いてくれた。


「おまえはこれから顔合わせや部隊の選別、部隊ができれば訓練もしなきゃならない。震えていられるのも泣いていられるのも、今のうちだけだ。俺も三年目に入る。そこそこに動ける部隊になった。おまえを支える自信はあるつもりだ。それでもまだ不安か?」


 初めて自分が震えてるだけでなく泣いてることに気づいた。

 焦って目をこすると、修治が手のひらで頬を包むようにして、その涙を拭ってくれた。

 次の瞬間、修治の唇が軽く麻乃の唇に触れ、麻乃の体が硬直して震えが止まった。


「まったく、おまえは本当に昔からよく泣くやつだな」


 優しげな瞳が麻乃を見つめ、ぎゅっと抱き締められると、今度はしっかりと唇が重ねられた。

 修治に聞こえてしまうんじゃないかと思うほど鼓動が激しく鳴った。


 子どものころから大好きだった。

 大きくなったら修治のお嫁さんになる。

 ずっとそう思っていた。


 修治の背中に手を回しながら、麻乃はそのことを思い出していた。

 この日、初めて二人きりの夜を過ごした。


 麻乃が蓮華の七番部隊隊長として稼働を始めて数カ月後、八番部隊の蓮華が病で亡くなった。

 それからさらに数カ月後には、五番部隊の蓮華が戦争で片足を失い、引退することになった。


 このころには、麻乃はもう落ち着きを取り戻し、持ち前の腕で十分な戦績をあげ、古参の部隊にも引けを取らないほどに動いていた。


 それでも頼ってきた古株の蓮華が二人もいなくなると、不安を覚える。

 一番下でいることができたぶん、ほんの少しだけ甘えていられたのが、今度は麻乃の下に二人も新しい蓮華が増えてしまう。

 頼られるほどの自信が、麻乃にはまだなかった。


 翌年の洗礼で蓮華の印を受けたのは、鴇汰(ときた)穂高(ほだか)だった。

 二人と面識がある麻乃は少しほっとした。

 最後の地区別演習でやり合った相手だったけれど、知らないよりは知った顔のほうがいい。


 歳が一歳違いで近かったからか、すぐに打ち解けられたつもりでいたのに、あるときから急に鴇汰が麻乃にきつく当たるようになってきた。


 顔を合わせれば、鴇汰は必ずと言っていいほど噛みついてくる。修治もどうやら馬が合わないらしくやり合っているところを何度も見た。


 しばらくすると今度は、持ち回りでどこの詰所に行っても繁華街の妓楼で鴇汰の名前を聞くようになり、顔をしかめた。


 修治も時々、つき合いがどうと言っては妓楼へ出入りしていた。

 なぜかそれは許せても、鴇汰の名前を聞くたびに、胸の奥がざわついた。


 鴇汰とだけうまくいかないまま、半年が過ぎたころ、鴇汰の部隊と南詰所の持ち回りで一緒になった。

 隊員たちと南区の繁華街である銀杏坂(いちょうざか)へ夕飯を食べに行った帰り道、南浜に続く林の木陰にとても綺麗な女性を見かけた。


 一緒にいたのは鴇汰だ。


 人目を避けるようにして、浜のほうへ歩いていく姿を遠目で見送りながら、なぜだか胸が締めつけられた。


(鴇汰が夜遅くに人けのない場所で、意味ありげな雰囲気で女性と一緒にいた)


 という事実に、息が苦しくなるほど胸が痛んだ。

 修治がほかの誰かと一緒にいるところを見ても、こんなふうに胸が痛むようなことはなかったのに。


 最初はどうしてそんな気持ちになるのか、麻乃にはまったくわからなかった。

 それが、ふとした瞬間、気づいた。無意識に鴇汰の姿を目で追っていること。言い合うたびに、苛立ちよりもひどく悲しくなること。鴇汰が笑っているとき、幸せな気持ちになること。


 どんな感情が生じても湧いてくる苦しい胸の痛みにも。


 そのとき初めて、本当に心から誰かを好きになるという感情を知った。

 修治に対する思いとは明らかに違うなにかが、そこにはあった。


 その夜、宿舎に戻った麻乃は修治の部屋のドアの前で何度も立ち止まった。言おうとして引き返し、また戻り、やっとノックしたとき、手が震えていた。


「ねぇ、修治。あたし修治のこと、大好きだよ。でも……好きの意味が違う気がするんだ。あたしこれまで、本当に人を好きになる気持ちを知らなかったんだと思う」


 言い終えてから、顔が上げられなかった。床の木目をじっと見つめたまま、修治の次の言葉を待った。沈黙が、ひどく長かった。


「おまえが言いだすのが先か、俺がいうのが先か、って思ってはいたんだ。近すぎて気づかなかったな、俺たち……」


 責める声ではなかった。静かな、諦めに似た柔らかさがあった。

 麻乃は顔を上げた。ずっと胸の底に沈んでいたものが、すうっと溶けていくような気がした。同時に、鼻の奥がつんとした。


 初めてお互いを異性として意識してから、二年近くも一緒に過ごして、体を重ねたのは簡単に数えられるほどだった。

 重ねるたびに違和感を覚え、意識して避けていた気がする。


 お互いがお互いを好きと思う気持ちは本当だし、抱き締められれば安心する。

 修治にはなんの躊躇(ためら)いもなく寄り添える。

 そばにいるだけで落ち着くことも、すぐそこにお互いの姿があることも当たり前のように思うのに――。


 ただ、それは恋人としての愛情ではなく、兄妹として、家族としての愛情だったと、今ごろになって麻乃も修治も気づいてしまった。


 それに加えて、ある夜、修治の脇腹に残る刀傷にふと触れたとき——。


(――修治を傷つけたのはあたしだった)


 覚醒するときに、麻乃はまた誰かを傷つけてしまうかもしれない。

 今度は傷つけるだけでなく殺めてしまうかもしれないという恐怖。

 それが心の奥底にこびりついて、どうしても拭い去れなかった。

 夜中に目が覚めて、暗がりの中で自分の手を見つめながら震えることも度々あった。この手が、もう一度誰かを傷つけるのではないかと。


 高田(たかだ)に覚醒についていろいろと説明をされても、素直に受け入れることができずにいたのも、そのせいだ。

 何度か覚醒しそうになるたびに、麻乃はそれを無理に抑え込んだ。


 過去の記憶と、鴇汰への思いだけは、修治にさえも話すことができなかった。

 生まれて初めて、修治に隠しごとができた。

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