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蓮華 ― 鬼神の血を継ぐ戦士は護るために戦う ―  作者: 釜瑪秋摩
第一章 物憂い

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第43話 六年の重み

 修治(しゅうじ)は部屋を出て看護係を呼び、麻乃(あさの)が着替えを済ませてからあらためて部屋に入った。扉を開けると、先ほどまでの疲労の色は薄れ、麻乃の頬には健康的な紅潮が戻っていた。


「今日ね、明日、熱が下がっていたら戻っていいって、爺ちゃん先生に約束を取りつけたんだ。今朝までのだるさが嘘みたい。体が軽いから、あと一眠りしたら朝には熱が下がっていそうな気がする」


 嬉しそうな麻乃を見て、ひとつため息をついた。だが、あの泣き腫らした目が脳裏をよぎる。多香子から聞いた断片的な情報。なにかがあったのは間違いない。躊躇することなく単刀直入に聞いた。


「おまえ、昨日、なにがあった?」


 途端に麻乃の顔が強張る。修治はその変化を見逃さなかった。


「別に……なにもないよ」


「嘘をつくな。多香子(たかこ)から聞いた。泣いたんだろうが。なにかあったら俺に言えって言ってあるはずだぞ」


「そのことと、このことは違うもん」


「そのことに、このことか。やっぱりなにかあったんじゃないか」


 麻乃はさっと顔をそむけた。その仕草に、修治は既視感を覚える。いつもこうだ。なにか困ったことがあると、麻乃は一人で抱え込もうとする。


 また、黙るだろうか?


 ちらりと腕時計を見た。時間はかけられない。

 麻乃の異変、鴇汰(ときた)の不在、穂高(ほだか)の動き。おおよその見当はついている。


 はっきり聞いたほうが面倒がなくていい。

 修治はそう判断した。


「鴇汰となにがあったんだ?」


「なんでよ! どうしてそこで鴇汰の名前が出てくるのさ!」


 当たりだ。


 いつになく反応が早い。それだけ動揺しているということは、つまり——。

 奥歯を噛んだ。


「演習場を出ていくときの勢いからして、真っすぐここへ来たに違いない。おまえのこんな状態を見たら放っておくはずもない。泊まり込むまではしないだろうが、いられる限りここに残るだろうさ。それがまるで姿を見ない。代わりに盛んに動いているのが穂高だ。鴇汰となにかあっただろうなんてのは、容易に想像できる。喧嘩でもしたのか?」


 麻乃はうなだれたまま、じっと一点を見つめている。その横顔を、修治は黙ったまま見ていた。


「あたしが修治に甘えてるって。見ていて、いらいらするんだって。やりにくくてしょうがないんだってさ」


「なんなんだそれは? たったそれだけのことか?」


 修治は思わず声を荒げそうになった。大ごとかと思ったのが、たったそれだけのことらしい。が、修治が肩透かしを食らった気分でいるのとは逆に、麻乃は勢いを増した。


「それだけ? あいつ、あたしたちがつき合ってると思ってるんだよ? 馬鹿馬鹿しい……だいたい、あれから何年よ? もう六年もたってるってのに、なんで今さらそんなことを責められなきゃならないのさ! あいつには、そんな筋合いもありやしないのに」


 ――六年。


 修治の胸の奥で、古い記憶がざわめいた。


「そんなもん構いやしないだろう? 思いたい奴には勝手に思わせておけばいいじゃないか。本当のことも大切なことも、俺たちがわかっていればそれでいいだろう? 誤解されたところでなにも問題はないだろうが。違うか?」


 両手で髪を掻き上げながら、修治を睨んだ麻乃は泣いていた。思わず目を伏せた。


「そうだよ。問題ないよ。なのになんで……自分だって好き放題やってる癖に、どうしていつも、あたしばかりが責められるようなことを言われなきゃならないの? 柳堀でも昨日も……気に入らないなら構わないでくれりゃいいのに」


 麻乃は声を詰まらせて鼻をすすっている。


柳堀(やなぎぼり)? なんのことだ? 柳堀でもなにかあったのか?)


 疑問を感じながらも、そこにはあえて触れなかった。ティッシュを取ると、麻乃の顔をのぞき込んだ。


「泣くな」


 優しくそう言いながら、麻乃の頬を拭ってやった。

 考えたくはないけれど、この麻乃の様子を察するに、答えは一つだ。


「おまえ、いつからだ?」


「いつからって、なにが?」


「いつから鴇汰に惚れていたんだよ」


 間近で麻乃としっかりと目が合った。息を飲み、短くため息をついた。やっぱりそうか。


「よりによって鴇汰とはな。まさか六年前のあのときからか?」


 数秒、見つめ合ってから麻乃は目を閉じた。


「ねぇ、どうして人は、どうにもならない相手にも気持ちを寄せてしまうんだろうね。どうして思い合える人だけに、気持ちが向いてくれないんだろう? わざわざ苦い思いをしてまでも、なんでその人じゃないと駄目なんだろうね」


「どうにもならない? 鴇汰がか? そんなことはないだろう。あいつは――」


 言いかけの言葉をさえぎって麻乃は首を振る。


「駄目なんだよ。あたしが自分の気持ちに気づいたときには終わってたんだ」


「終わってたって? 俺から見たら、あいつはおまえに向いているぞ。ほかのみんなも同じように思ってる。どうして確かめない?」


「そんな必要もないからだよ」


「前にも聞いたが、どうしてそう思うんだ?」


 麻乃はそれには答えずに、目をこすって窓の外を見た。


「五年前さ、庸儀(ようぎ)との戦争で怪我をして取り残された人を世話したこと、覚えてる?」


「ああ、覚えてる」


 修治の記憶の中で、あの頃の麻乃の姿がよみがえった。


「あたし、あの人を好きになれたら、って思ったんだよね。まぁ、結果あの人は諜報員であっさり裏切られたけどさ」


「そうだったな……」


 あの時の麻乃の落ち込みようは、修治にも印象深く残っている。ただ、その原因については今まで詳しく聞いたことがなかった。


「みんなは、あたしが好いた相手に裏切られて捨てられたことが原因で、傷ついたんだろうって思ってたみたいだけど、そうじゃないんだ」


 昔の思い出を手繰り寄せるかのように、ぎゅっとシーツを握り締めている。


「あたしは、好きになりきれなかった……ううん、ちっとも好きだなんて思えなかった。鴇汰以外の人に気持ちを向けることができなかった自分自身に傷ついたんだよ。いっそ、あの人を愛して捨てられて傷ついたほうがよかった、って思った」


 修治は言葉を失った。そんなにも、麻乃が鴇汰を想っていようとは、さすがに考えてもみなかった。


 そんなにも思っていながら、なにも確かめず、なにも言わないのはどういうわけなんだ。


「あたし、なんだかどうにもならないことが多過ぎて。このこともそうだけど、今の状態もそう。やらなきゃならないことは、いっぱいあるのにさ、なんでこんなところで寝てなきゃならないんだろう、ってね」


「……ああ」


「今は、部隊のことだけを考えていたいんだよ。だから、もうこの話はやめようよ」


 そう言われると、それ以上はなにも言えなかった。ただ一言「わかった」と返した。

 時間はもう九時になろうとしている。


「修治、もう戻ってよ。サボり過ぎ」


 麻乃も時計を見ると、小さく笑ってそう言った。


「そうだな。うっかり寝ちまったことは内緒にしろよ」


「わかってる……修治、これまでありがとうね。あたし、本当に心からそう思ってるんだよ。いつもいろいろと、本当にありがとう」


 立ち上がって部屋を出ようとドアを開けた後ろから、やけにしおらしい声でそう言うと、麻乃はベッドに横になって頭から布団を被ってしまった。


 修治は廊下に出てから、そっとドアを閉めた。そして、しばらくその場に立ち尽くしていた。


 麻乃の想い人が鴇汰だと知った今、修治の心の中は複雑だった。

 修治は 首を振った。今は部隊のことだけを考えていたい、という麻乃の言葉を思い出しながら、自分の持ち場へと向かった。

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