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蓮華 ― 鬼神の血を継ぐ戦士は護るために戦う ―  作者: 釜瑪秋摩
第一章 不覚

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第38話 誰かの視線

 他の班は、まだ何が起きたのかを知らないけれど、信号弾が打ち上げられたことで、何かあったと気付いているだろう。


 休憩を取る予定だった師範たちが全員でフェンスのチェックをすると、一部に穴が確認された。恐らくガルバスは、そこから入り込んだという結論に達した。

 速やかに中央に連絡を取り、すぐに修繕作業の手配がされた。拠点に戻り、師範たちと話し合った結果、今は他の班には何も知らせずに、演習を続行することになった。


塚本(つかもと)先生、このまま続行なのに、俺がここを離れるわけにはいかないので、すみませんが麻乃(あさの)の奴を医療所に連れて……」


 言い終わらないうちに、修治(しゅうじ)は塚本に引っ張られ、テントの陰に身を寄せた。塚本は周囲を見渡し、人がいないことを確認すると、声をひそめた。


「おまえも見ただろう? 麻乃のあの髪と瞳を。紅味が増している。それに、大した武器も持たないで、あんな大きさのガルバスを一人で倒しやがった」


「そりゃあ、あの姿は気になりますが、あいつの腕前なら有り得ないことじゃないですよ」


「そうじゃない。今は冷静じゃないはずだ。そんな時に俺や他の人間がそばにいても、麻乃は落ち着かないだろう? もしかすると、このまま覚醒するかもしれない。おまえが付いて、様子を見てやれ。こっちはどうとでもなる」


 修治は拳を口許に当て、今後のことを考えた。

 確かに塚本の言う通りかもしれない。


「そう……ですね。わかりました。塚本先生、すみませんが、こっちのことはお願いします」


「なにかあったら、高田(たかだ)先生にすぐに連絡を入れろ。それから市原(いちはら)が、麻乃から妙な話を聞いているらしいから、そっちも後で聞いてみると良い。出血が酷いようだから、早く行け」


「ええ、そうします。それじゃあ、後をよろしくお願いします」


 礼をして急いで車へ戻り、乗り込むとすぐに医療所へ向かった。

 麻乃を抱えて中に入ると、石川(いしかわ)の第一声が廊下中に響いた。


「この間、あれだけ血を流して、まだ流し足りないか! この馬鹿者がっ!」


 麻乃は看護係の女性に支えられて、傷を念入りに洗われ、ボロボロになった服を着替えている。鮮血で汚れた衣服は、彼女がどれほど激しい戦いを繰り広げたかを物語っていた。

 一旦部屋を出ると、麻乃が治療している間に、受付の横で傷薬や包帯を補充用に用意してもらった。

 その間にも、後ろから石川と麻乃の会話が漏れて聞こえてくる。


『今度は一体、何をしおった?』


『大演習場にガルバスが出て……』


『逃げ損なったのか?』


『というか逃げられなくて。気を失わせちゃった隊員がいたから』


『全く……どうも最近、大きな怪我が多過ぎる。おまえ、今、()()()()()ようだな』


 ――ツイテイル。


 薬の袋を持つ手が、一瞬止まった。

 西浜での戦争からこっち、色々なことがあった上に、麻乃の様子がおかしいことを思い、修治は背筋がぞくっと震えた。悪いことが続く時期もあるけれど、それにしても起こる出来事が大きすぎる。


『これだけの傷だからな、今日、明日はここで様子を見ないとならんぞ』


『えっ? このまま帰っちゃ駄目なんですか?』


 薬の入った鞄を受け取った時、石川の怒鳴り声が派手に聞こえてきて、看護係たちがくすくすと笑い出した。


「石川先生、随分と怒っていらっしゃるみたいですね」


「あいつ一体、なにをしやがったんだ……」


 修治は鞄を肩に掛け、溜息を吐く。

 ドアが開き振り返ると、痛みのせいなのか疲れているのか、麻乃は力の抜け切った姿で、看護係に車椅子に乗せられて出てきた。顔色は青白く、普段の活発さは微塵も感じられない。


「ろくに歩けもせんで、戻るなんぞできるか。大人しく寝ておけ!」


 麻乃に向かって、石川は真っ赤になって怒っている。


「長引きそうですか?」


 病室に入っていく麻乃の姿を見送りながら、修治が石川に尋ねると、怒る口調とは裏腹に、麻乃を心配する表情が垣間見えた。


「本当なら当分は、絶対安静だ。背中の傷は浅かったが、足がいかん」


「かなりの出血をしていたんですけど、それはどうですか?」


「どうもこうも、おまえたちの部隊の事情がなければ、一ヶ月は縛り付けてでも大人しくさせておくところだ。今日、明日は点滴と薬で様子を見ないことには分からん。このまま帰る気でいるから驚いたわ」


 石川の渋い顔に思わず苦笑すると、石川は修治をぎろりと睨み、厳しい声で続けた。


「馬鹿者、笑い事じゃない。帰したらまた無理をするんだろうが。次にこの間のようなことになったら、麻酔抜きで縫合してやると、よく言って聞かせておけ。まあ、数日は歩くのもままならないだろうがな」


「そんなに酷かったんですか?」


「骨は無事だから化膿さえしなければ、大事にはならん。安心しろ。他に怪我人はおらんのか?」


「二人程。擦り傷程度ですが」


「念の為に診ておいた方が良さそうだな。一度ここへ連れてこい。おまえたちの言う擦り傷は当てにならんからな」


 頷いてそれに答え、病室へ向かった。背中の傷のせいで、うつ伏せに寝ている麻乃は、変に弱々しく見える。白いシーツに深みを増した赤茶の髪が目立っていた。塚本が言うように、このまま覚醒するのだろうか?


 今の状態ならば、きっとこのまま何も変わらずに済みそうだけれど、修治の中の何かが不安を掻き立てる。

 ベッドの横に椅子を引き、腰を掛けた。


「今日は随分と盛大に怒鳴られていたな」


「だって、この間はすぐに帰してくれたから、今日もすぐ帰れるかと思ってさ。そう聞いただけなのにカンカンに怒られたよ」


「この間は自分で歩けない程の怪我じゃなかったからだろうよ」


「そりゃあ、そうだろうけどさ」


 麻乃は、ふーっ、と大きな溜息を吐いた。


「痛むか?」


「うん、少しね。うつ伏せが嫌だよ。せめて座りたい」


「大人しく寝ておけ。今度、この間のように傷が開いたら、麻酔は無しで縫うって言っていたぞ」


「それは……嫌だな。でもあたし、少しでも動けるなら戻らないと……女の子たちのことが気になるし」


 痛みを思い出したように、顔を顰めて苦笑いしながら麻乃は言った。


「今夜にでも俺が様子を見て、明日の朝、知らせに来てやるから心配するな」


「明日だって中央の会議があるのに、それも出られないよ。そろそろ諜報の報告が届くんじゃないかな?」


「それも明後日になれば、資料が届くだろうよ。おまえ、そんなことより、もっと気にすることがあるんじゃないか?」


 びくっと麻乃の肩が動いた。まるで図星を突かれた子供のような反応だった。


「あたし、どこかか変?」


「髪に紅味が増している」


「そっか……だから修治も塚本先生も、あたしを見た時に変な顔をしたんだ」


「また、抑え込んだのか?」


「なんで……それを?」


「なんとなく、な。そんな気がすることが何度かあった」


「…………」


 うつ伏せになっているから表情は見えない。何も言わないのは、言葉を探しているからだろう。


(長丁場になるな)


 話し出すのを待つしかないと思い、腕を組んで目を閉じた時、意外にもあっさりと麻乃は話を始めた。


「あたしが弾き飛ばされたのを見た二人が飛び出してきたとき、ヤバイって思った。喰われちゃうかもしれない、って思った瞬間、来るのがわかった。いつもはそこで抑えようと思うんだけど――」


 伏せたままの格好では話し辛いのか、もぞもぞと体を動かして、また続けた。


「今日は大丈夫な気がした……って言うか、そうしないとみんな、殺られちゃうと思ったんだ。凄く強い感覚があった。変わる、って思った。だけどね……」


 首を動かして、視線をこちらに向けた麻乃は、何か迷っているような目をしている。


「誰かに……止められた」


「誰かに? ……なんだって?」


 突拍子もない物言いに、思わず前屈みに身を寄せ聞き返した。


「耳元で声がしたんだ。まだ早いでしょう? って……」


「錯覚じゃないのか?」


 言いながら、視線を一瞬、床に落とした。


「だって息遣いがわかるくらい、すぐそばで聞こえたんだよ! それに、時々、誰かに見られているような、誰かがすぐ後ろにいるような、そんな感覚があるんだよ! 錯覚でも気のせいでもない。絶対違う! 市原先生は気負い過ぎとか疲れているんじゃないか、って言ったけど――」


 麻乃は声を荒げて(まく)し立てた。興奮で頬が紅潮し、普段の冷静さはどこかへ消えていた。小さな肩が呼吸で大きく上下している。椅子を引いて枕元に寄ると、落ち着かせるように頭を軽く撫でた。


「その声に、聞き覚えは無かったのか?」


「うん、男の声だったけど、聞き覚えは無い」


「いつからそういうことがあったんだ?」


「気配を感じたのは少し前からだけど、声を聞いたのは今日が初めてだよ」


「そうか……」


 沈黙が重く圧し掛かる。

 誰かの声がしたって言うが、どう考えても気のせいだとしか思えない。そうでなけりゃ、なにかに取り憑かれているとでも?

 馬鹿馬鹿しい——そう一蹴してしまうのは、たやすい。


 けれど――。


「思い当たることは無いのか?」


「あの日……西浜の敵襲の時、誰かに見られているような視線を感じたんだ。その時からかな、そういう感覚があるのは」


 目を伏せて、麻乃は少しだけ考えてから呟くように言った。


「麻乃、当分の間、なるべく一人になるな。可能な限り俺のそばにいろ。一緒にいたからといって、なにができるってわけでもないだろうが、おかしいと思ったらすぐに言え。いいな?」


「うん……わかった」


「じゃあ、俺は一旦戻るが、夕方にまた来るからな」


「うちの奴らのこと、宜しく頼むよ」


「ああ。わかっている。おまえも、爺ちゃん先生をこれ以上怒らせないように大人しくしてろ」


 病室を出ると、まずは演習場へ戻るか、先に道場へ寄るかを考えて、まずは演習場へ戻ることにした。拠点には数人の師範が連絡係で残っている以外は全員、手分けして演習場内を調べに出ていると言う。


 修治は怪我をした隊員たちの班を探しに、森へ入った。師範の方々が大勢出ている割に人の気配を感じないのは、師範の方々が隊員たちに不安を与えないよう、配慮して動いてくれているからだろう。


 怪我をしている奴らはきっと、今日はそう大きく動かないと思い、川沿いを中心に探すとすぐにみつかった。酷い怪我には見えないが、一度、拠点に連れ帰り、石川の言った通り二人を医療所へ向かわせた。

 残りの班員たちには、このまま待機しているようにと指示を出し、今度は塚本を探しに出る。ちょうど演習場の中程で、他の師範たちと一緒の塚本をみつけ、声を掛けた。


「戻ったか。こっちも全員で森中を隈なく探ってみたが、他にはなにも入り込んでいないようだ。このまま続けても問題なさそうだぞ」


「ありがとうございます。手間を取らせて申し訳ありませんでした。休憩を取る暇もなかったでしょうから、少し休んでください。夜から仕切り直します」


 少しの間、師範たちが引き上げても、班同士で追い合っている以上、今はそれほどの影響はない。


「それにしても、おまえたちはこのところ、ついてないなぁ。ろくな目に遭ってないじゃないか」


 塚本が何気なく言った言葉に、修治は苦笑いをするしかなかった。思い返すと西浜のロマジェリカ戦以来、本当に調子が良くない。

 麻乃がこれまで以上に落ち着かなくなったのも、視線を感じると言っていたのもあれからだ。


(左腕が痛むと言っていたのは、どうなったんだ?)


「どうかしたのか?」


 自然と表情が険しくなったのか、塚本が問い掛けてきた。


「いえ、ちょっと……塚本先生、戻ってから少し話せますか?」


「ああ。構わないぞ」


 拠点に戻った修治は、先に食事の支度を済ませ、テントに戻った。ほどなくして塚本が顔を出した。


「麻乃の怪我はどうだったんだ?」


「背中は大したことは無いそうですけど、足が悪くて、今は歩くのも大変なようです」


「思ったより酷いな。まだ演習も始まったばかりだというのに」


「今日、明日は、様子を見るということですけど、麻乃抜きで続けることも、頭に入れておかないといけないですね」


「そうか。まあ、今回は師範連中も参加してるからな。困ることにはならないだろうさ。今はまず、最終日まで予定通り進めるしかないだろう」


 塚本は眠気を覚ますかのように、両手で顔を擦った。


「市原先生が、麻乃から何か聞いたらしいって言ってましたけど、どんな話だか聞いてますか?」


「ああ、何だかなぁ、誰かに見られてるとか、そばにいる気がするとか、そんなことを言っていたな」


「誰か……」


「おまえもなにか聞いたのか?」


 塚本の問い掛けに、修治は頷く。


「市原は、シタラ様に聞けと言ったらしいんだけどな。麻乃の奴は嫌がったみたいだ」


「あぁ、確かに苦手意識が強いですから……でも、そんな場合でも無いだろうに」


 修治が大きく溜息を吐くと、塚本は真顔になり、あぐらを掻いた膝を揺らした。


「そうは言っても、麻乃を無理に神殿へ連れていったところで、何も言わないだろうし、そもそも素直に行きもしないだろうさ」


「そうでしょうね」


「かと言って、放ってもおけないしな。シタラ様を呼んで、遠目からでも視てもらったらどうだ?」


「……ええ、そうですね」


「なんなら、市原と交代の時にでも、俺が神殿へ寄って頼んできてやるぞ」


 麻乃のことを言いながら、修治自身もシタラのところへ行くのを渋っている様子に気付いたのか、塚本はそう言って修治の肩を叩いた。


「俺がおまえの歳の頃には、もっと気楽にやっていたがな。ただの戦士と蓮華の違いもあるんだろうが、あまりことを難しく考え過ぎるな。麻乃同様、気負い過ぎのところがあるぞ。広く色々と見ているのは流石だが……おまえは変なところが、高田先生にそっくりだよ」


 塚本は苦笑してテントを出ていった。

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