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蓮華 ― 鬼神の血を継ぐ戦士は護るために戦う ―  作者: 釜瑪秋摩
第一章 稼働

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第35話 演習中の苛立ち

 枝から飛び降り、先頭にいた隊員の背後に着地すると、片膝を着いたまま武器を抜き、右足を軸に回転して一人目の脛を打ち据えた。ばちっと乾いた音がして隊員が倒れたのを尻目に、麻乃(あさの)の姿を確認して向かってくる隊員たちを、次々に打ち倒していく。


 初日で甘さが残っていたのか、相手が麻乃だとわかって怯んだのか、あまりにも呆気なく倒れたことに戸惑いを覚えた。リーダーの矢萩(やはぎ)からリストバンドを奪うと、その頬に触れて、意識の有無を確認してみる。

 まぶたが動き、矢萩はわずかに目を開いた。


「馬鹿。あっさりやられすぎだよ。久しぶりだから感覚が鈍ってるのかもしれないけど、もっと食らいついてこなきゃ駄目だ。次はもう少し、こっちを手こずらせてよね」


 返事をするように、薄く開いていたまぶたが再び閉じた。


「十五分もすれば、体、動くから。じゃあ、あたしは行くね」


 倒れた矢萩の背を軽く叩き、木に飛び乗ると、川のほうへ向かって木々を飛び移った。川岸に着くと麻乃は喉の渇きを潤してから、周囲を見回す。この辺りには、今は誰もいないようだ。


 大きな岩に腰をかけると、川面を眺めながら一息ついて、左腕の調子を確かめるように動かしてみた。今のところは痛みもない。動かしてみても違和感はなく、順調に回復しているようで安心する。


(さて……どっちに行こうか)


 立ち上がりかけたそのとき、背後に強い殺気を感じ、岩から飛び降りて振り向きざまに武器を抜いた。周囲には誰もいない。驚きのあまり心臓が激しく鳴り、血が勢い良く全身を駆け巡っている。


 構えたまま数分待ったけれど、人の姿はまったく見えないし、気配ももうなにも感じない。気のせいにしては生々しい気がしたけれど、誰もいない以上は何のしようもない。嫌な感覚だけが残り、消えないまま、麻乃はその場から急いで立ち去った。


 この演習場で、あんなにも強い殺気を感じさせるものの正体は、何だったんだろうか。隊員たちや師範ではないだろう。演習場の中には危険な動物もいないはず……。

 見えない何かの正体が、麻乃の胸に湧く奇妙な感覚と不安を大きくしているようで苛立つ。


 そんな思いを抱えたまま、闇雲に森の中を駆け抜け、途中で気配を追ってきたいくつかの班を打ち倒した。リストバンドを奪いながら、麻乃一人さえも苦戦させることができずに倒れ伏してしまう姿を眺め、麻乃は髪を掻きむしった。相手になるどころか、まともに立ち向かうことすらできない状況に、思わずため息が漏れる。


 その時、背後で統ざっと大きく木が揺れ、麻乃は振り向くと刀を構えた。


「派手にやっているな」


 目の前に現れたのは、高田(たかだ)の道場から参加してくれている市原(いちはら)だ。知った姿に麻乃は緊張が解けた。


「市原先生……」


「ここら辺のやつらを全滅させる気か? 俺たちのやることがなくなってしまうじゃないか」


「でも先生、あたし、こいつらが、こんなにできないとは思わなかったんです。もっと食らいついてこなきゃいけないってのに、こんなにあっさり倒れるなんて」


「おいおい、まだ初日だぞ。しかも二部隊とも、実戦に不慣れなやつも多いんだろう?」


「それにしたって——」


「おまえ、自分と同じレベルで考えているんじゃないだろうな?」


「あたしと同じレベル?」


「俺もいくつかの班を倒してきたけどな、そう悲観したものでもないぞ。全員しっかり向かってくる。まだ動きにぎこちなさが残っているが、すぐに馴染んでくるだろうさ」


 確かに市原が言うとおり、初日だから多少は仕方ないのはわかっている。今日と三日後では、驚くほどに変わることも。ただ……今はなにか気が急いていて、納得がいかなかった。どこかで焦りを感じている自分がいるのは間違いない。


 市原との会話が途切れ、風がやんだ瞬間、耳に弓をつがう音が聞こえた。

 麻乃だけでなく市原も当然気づいている。

 顔を見合わせると、すぐ横の木に飛び乗った。


 上から周囲を見ると、右手側の少し離れた木の枝に、弓を使う師範の姿が見えた。そこからさらに数十メートルほど離れた場所に、どこかの班の姿を確認した。気配を追ってきてその姿を探しているようだけれど、やっぱり木の上にまでは意識が向いていない。


「あんな場所にいて、弓をつがう音にさえ気づかないなんて……」


 麻乃がいらいらしながら、その様子を見て言うと、市原がたしなめるような視線を向けてきた。


「目的はまだ、そこまでのレベル上げじゃないだろうが。あそこまで追ってこられたのは上等だろう。なあ、麻乃。おまえはなにに対して、そんなに苛立っているんだ?」


(苛立っている……? なにに……?)


 始まってまだ数時間、焦ってみたところで今すぐになにかが変わるわけもない。深呼吸をして気を落ち着けると、急に自分の取った態度が恥ずかしく思えた。

 今、やらなければいけないのは、出来が悪いと嘆くのではなく、わずかな気配をも感じさせて追わせ、戦うことで実戦の感覚を掴ませることだ。

 そう考えれば市原の言うことが尤もだ。


「先生の言うとおりですよね。すみません。あたし、なんだか最近、おかしくて……」


「まあ、気持ちは分からない訳じゃないがな。おまえも修治も、多くの隊員を亡くしているんだから」


 市原はそう言うけれど、それだけじゃない。時折感じる奇妙な感覚も、腕の痛みも、すべてが麻乃の内側を揺さぶる。

 ……市原なら話せるかもしれない、とふと思った。


「ねぇ、先生、時々ですけど、自分以外の誰かの視線を感じるのに、周りには誰もいないことって、ありますか?」


「なんだそりゃあ? まさかとは思うが、なにかに憑かれているかもしれない、とかそういう話か?」


「いえ……いや、そうなのかな? 観察されているような、明らかに誰かがいるような気配を感じたのに、周りには誰もいないとか」


「うーん、俺はそういったことはないな。その手の話なら、シタラ様が詳しいんじゃないか? シタラ様に聞いてみたらどうだ?」


「あたし、婆様、ちょっと苦手です」


 市原の答えに、麻乃は思わず本音を漏らした。

 麻乃の言葉を聞いた市原は苦笑すると「御祓いだ」と言って、麻乃の背中を埃を払うようにして、ばんばん叩いてきた。


「実は俺も最近、シタラさまが少し苦手なんだよ。ついでに言うなら、塚本(つかもと)とは違ってそういう話も怖い。あいつはそういう話が好きみたいだがな」


「怖いって……」


 麻乃は至って真面目に話をしているのに、市原が怪談でも聞いたかのような反応を見せるから、つい吹きだしてしまった。


「おまえは気負いすぎなところがあるからな。疲れのせいかもしれないぞ。こんなときだけれど休むときは、しっかり休まないと駄目だ」


(気負いすぎ、か。)


 そういえば最近、(たくみ)にも同じことを言われたっけ。確かに自分でも思い当たる節がある。

 市原は顔を上げて周囲を見回してから、もう一度、麻乃に視線を戻した。


「さて、あいつらみんな、倒されたな。俺たちも動かないと、やつらのためにならないだろう?」


「そうですね。じゃ、あたしはもう少し奥へ行ってみます」


「ああ、麻乃!」


 隣の木へ飛び移ると、市原に呼ばれ、振り返る。


「今度またなにかの気配を感じて、もしもなにか見たら俺にも教えろ! 気になって眠れない。それから愚痴があるならいつでも聞くぞ!」


 麻乃に向かって軽く手を振ると、市原は木を飛び降り、麻乃とは逆の方向へ走っていった。


(なにか見たら、って、なにを見るっていうんだか)


 怖いという割に、気になって眠れないとも言う市原に思わず笑ってしまう。愚痴も聞いてくれるというのなら、時間が空いたら話に行ってみよう。高田の道場の師範たちでは、確かに市原が一番、話をしやすい。


 木々を移動しながら、たった今、隊員たちを倒した師範に、すれ違いざま目礼をして麻乃はその場から離れた。そのあとは、いくつかの班がやり合っているところに遭遇し、それを観察するだけにとどまっている。


 同じ武器の刀や、槍、斧にはそれなりに応戦できているけれど、弓や銃を相手にすると途端に分が悪くなるようだ。気配を追えても場所を特定する前に撃たれ、見つけても間合いを詰められないままに倒されている。経験の違いが如実に現れていた。


(つがう音や装填の音に気づけるようになるまでは、師範たちのいい鴨だな)


 いっそ飛び出していって、あれこれ助言をしてやりたいところだけれど、それをしてしまうと、自分で考えるのをやめてしまう。そうなると伸びるだろうところを潰してしまう可能性があるから、それもできない。


 古株のやつらは、さすがに撃たれたときの反応が早く、相応の反撃を見せているから、その姿を見て新人が少しでもなにかを掴めば、師範たちからリストバンドを奪える日も、そう遠くないうちにやってくるだろう。


 麻乃は少し戦線を離れて食材の調達に出ることにした。腰に巻いた鞄の中から麻のリュックを出して背負い、果物や山菜を詰めて拠点に戻った。もう日が暮れ始める時間で、一陣で出ていた師範が、二陣の師範と交代を始めている。


 修治(しゅうじ)の姿は見えず、火が焚かれて食事の支度もできているところを見ると、いったん戻ってきてから、また出ていったようだ。荷を降ろし、いくつか果物を食べると、麻乃に割り当てられたテントに行き、横になった。疲れていたのだろう、気がつくと、うとうとしてしまっていた。


 しばらくして揺り起こされ、眠っていたことに気づく。

 すっかり陽が落ちて辺りは真っ暗だ。


「おまえ、飯はどうした? 家には戻ってきたのか?」


 修治にそう聞かれて飛び起きた。


「ご飯は果物を少しだけ食べたけど、まだ家には戻ってないや。ちょっと片づけしてゴミを捨ててくる」


「ついでに詰所から、いくつかテントを持ってきてくれ。それから演習用の銃弾を二十箱頼む」


「うん。わかった」


 馬を走らせ、まずは西詰所に向かい、倉庫からテントと銃弾を出して馬の背に積んだ。


 途中、梁瀬(やなせ)の隊員たちとすれ違い、挨拶を交わして近況を聞くと、今のところは変わったこともなく、敵襲もないと言う。

 少しほっとして、麻乃は詰所を出た。夜風が頬を撫でて気持ちよく、昼間の疲れが少し和らいだ。

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