第28話 新たな刀
梁瀬からの最後の資料をもらい、修治と二人、毎日のように各詰所から訓練所を回り選別を続けた。少しでも時間の空いたときには道場へも顔を出し、塚本や市原と共に子どもたちへの指導にも精を出す。十二日目に選別のすべてが終わったときには、疲労がピークに達していた。
最初はもっと時間が掛かると思っていたけれど、梁瀬が付箋と一緒につけてくれたコメントのおかげで、思ったよりすんなりと選別ができた。顔合わせの日程だけを決め、全員に通知を出したあと、倒れるように眠りについたのは深夜二時過ぎだった。
(そういえば、もう修理に出していた紅華炎刀が仕上がってくる頃だっけ。取りに行ったついでに、新しい刀も買ってこないと、そろそろ高田先生が怒り出すな……)
寝入りばなに、そんなことを考えていた。
麻乃は夢を見ていた。誰かがすぐ近くにいてじっと麻乃を見ている。けれど、それが誰かを確かめようとしたとき、遠くで響く耳障りな音に気を取られ、夢から引き戻された。
目が覚めると、嫌な夢だったということ以外、すべてを忘れてしまった。
窓から射す光が眩しい。
そこで初めてドアをノックしている音に気づいた。
「誰……? 修治?」
寝ぼけたまま玄関を開けると立っていたのは鴇汰だった。鴇汰は一瞬、ぽかんとした顔になり、すぐに視線を逸らせて横を向いた。
「あぁ……なんだ、鴇汰か……どうしたのさ、こんなに早く……」
「俺、今日、休みで……飯、作ってやろうと思ってきたんだけど……ってか、おまえ、その格好!」
「うん……?」
自分の姿を見ると、タンクトップに下着姿だ。なるほど、それで視線を逸らしたのか。悪いことをした、と麻乃は思ったが、特に騒ぐことでもない。頭を掻きながら部屋の中に戻ると、椅子に掛けてあったシャツを羽織り、鴇汰に入るように勧めた。
「今、何時?」
「十時」
ずいぶんと眠ったはずなのに、しっかり眠れた感覚が薄い。嫌な夢のせいだろうか。ふと見ると、鴇汰はドアを開け放したまま、その横に立っている。
「ちょっと中に入って待ってて。支度するから、柳堀に行こうよ」
そう声をかけて、すぐにシャワーを浴びて着替えを済ませると、ようやく頭が冴えてきた。髪を乾かして部屋に戻ってくると、鴇汰は相変わらずドアの横に立ったままだ。
僅かに顔が赤く見えるのは、気のせいだろうか。気のせいかもしれない。ただ、それよりも——なにかのはずみで鴇汰が不機嫌になっているなら、それが心配だった。
「座って待ってればよかったのに。ドアまで開け放って、何してんのさ?」
「お……おまえ、不用心だぞ! 起き抜けに、あんな格好のままで出てくるなんてよ!」
「なに言ってんの? ここに来るのなんて身内くらいのもんだし、変なのが入ってくる心配もないよ。」
「そういうことを言ってるんじゃねーよ!」
鴇汰が何を怒っているのか理解できず、財布をポケットにしまうと、麻乃は鴇汰の背中を押して外へ出た。
「あたし、今日は直しに出してる紅華炎刀取りに行って、新しい刀も買わないといけないんだよね。せっかくの休みに悪いんだけど、ちょっと付き合ってよ」
まだ不機嫌な顔の鴇汰の前を、少し足を速めて歩く。
「そりゃあ構わねーけど……麻乃、確か二刀持ってただろ? もう一刀はどうしたのよ?」
「あれはちょっと問題があって、封印中」
「ふうん」
刀匠の周防の店は、柳堀の奥まった場所にある。古い街並みが残るこの一角は、職人たちの工房が軒を連ねる静かな通りだった。
声をかけて中に入ると、高田の言っていた爺さまの孫だろうか、まだ若い職人姿の男がカウンターの奥から顔を上げた。
「藤川です。紅華炎刀の受け取りに来ました」
「あぁ、仕上がってますよ。今、お持ちします」
そう言って店の奥へと入っていった。待っている間、麻乃は店内に置かれている刀を眺めて回った。入り口に近い場所に置かれているものは、良いものだけれど、どうも何か違う気がして手に取る気持ちが湧いてこない。
ぐるっと見て回り、店の奥まった場所まで来ると、一本、とても気になる刀があった。その前に立ち、じっと見つめて考え込んでいると、背後から紅華炎刀を持ってきた爺さまの孫に声をかけられた。
「よかったら、抜いてみてください」
「いいんですか?」
「ええ、もちろん」
「それじゃあ……」
手に取ってみると、柄の握り具合がとてもしっくりとする。
少し緊張して鞘から抜いた。
鋼の擦れる澄んだ音が僅かに響き、現れた刀身は反りが浅めの直刃、やや黒みがかった色で、麻乃の背後を綺麗に映し込み輝いている。
鍔には細工が凝っていて、蓮華の花が彫り込まれていた。思わず親指でその縁をなぞる。冷たい鉄の感触が、なぜか妙に馴染んだ。鞘は黒塗りに白い小さな粒が散りばめられ、陽に当たってきらきらと光る。
「へぇ、なんかいいな、それ」
隣にいた鴇汰も、しげしげと鞘に見入っている。
「うん、でもこんなに綺麗な鞘、あたしが使ったら、あっという間に駄目になっちゃうかも」
「造りがしっかりしているので、見た目より強いですよ、そいつ」
爺さまの孫がカウンターから声を掛けてくる。その言葉に頷くと、今度は目の高さまで上げ、角度や持ち方を変えて呟いた。
「紅華炎より少しだけ長い……か。馴染むまで間合いに気を取られるかな……? でも何だろう……妙に落ち着く気がする」
重みも紅華炎刀に比べると、やや重い。けれど、その分安定感があるようにも感じられる。
「夜光と言います。揃いで誂えた脇差しもありますよ」
「これはあなたが?」
「はい」
鞘に戻してもう一度、柄をぎゅっと握ってみる。手に馴染む感触に、思わず小さく息を吐いた。高田が『爺さまのお孫さんが、結構な得物を打つらしい』と言っていたのを思い出す。確かにとても良いものだと感じるし、麻乃とも相性が良さそうだ。
「決めた。これ、いただいていきます。それともう一本、紅華炎刀と同じ尺のものを……」
そう言った麻乃の目の前に、朱塗りの鞘に納められた刀が差し出された。
「あなたが夜光を選んだら、こいつを一緒に持っていってもらうように と、爺さまから言われています」
「あたしに? 抜いてみても……」
「ぜひどうぞ」
受け取ると麻乃は柄を握った。
軽い力で驚くほどすんなりと抜けた刀身は、やや赤みを帯び、綺麗な波型の刃文が浮かんでいた。
夜光に比べると僅かに反りが深い。長さや重みは紅華炎刀と同じくらいに感じる。握り込むと柄から温かみが伝わってきて、夜光とは違った感覚で手に馴染み、変に頭が冴えたような気がした。
「なんだかこれ、やる気に溢れるっていうか……使いやすそうでいて、そうでないような、変な雰囲気がある気がする」
ぽつりと呟くと、お孫さんがそれに答えた。
「癖があるようで、持て余していたんですよね。そうしたら爺さまが、きっとあなたなら扱えるだろうと……」
「……うん。嫌な感じはしない」
むしろ、どこか懐かしいような、心地よい感触すらあった。
「どうです? 扱えそうですか?」
「……そうですね。夜光と対で持ったら、すごく使えそうな気がします」
「それはよかった。そいつは、その外観から、鬼灯と言います」
朱色の鞘には深い緑と白で、葉と小さな花が彫り込まれている。どうやらホオズキの絵が描かれているらしい。
(鬼灯……死者を導く提灯――か)
なるほど、敵の命を奪うあたしには、お似合いなのかもしれない。それにしても鬼に朱とは、一体どんな符合なんだか。
「夜光が静なら、鬼灯は動。この二本は対立しているようで、実は一番近い場所にあって、まるで対のようなんです。だから、もしも夜光を選んだときには鬼灯も、ということのようですよ」
「どちらも気に入りました。もらっていきます。でも、さすがに今、三本は持てないので、あとで届けていただけますか?」
「わかりました」
手渡してから、僅かに俯いて考え込むと、思い直して顔を上げた。
「やっぱり鬼灯だけ、今、持っていきます」
この刀を今は手放したくない、という衝動に駆られ、紅華炎刀と夜光をお孫さんに預けた。支払いを済ませ、腰に差すと、店内で大剣を眺めていた鴇汰を促し、店を後にした。
ここ最近、丸腰だったことが多かったせいで、久しぶりに帯びていると、バランスが狂ったような気分になる。特に今は馴染みのない新しい刀だから、余計にそう思うのか。それでもやっぱりあれば落ち着くし、どうやら鬼灯との相性は良いように感じる。
「付き合わせてごめん。なにか食べに行こうか」
柳堀を食堂の連なる方に足を向けると、鴇汰に腕を掴まれて引き止められた。鴇汰は市場のある方へ目を向けている。
「それより、なんか食材を買っていこうぜ。俺が作るって」
「だってあんた、せっかくの休みでしょ? わざわざ手間をかけないで、たまには のんびりしたら?」
「いいんだよ。俺がそうしたいんだから」
また、少し鴇汰の表情が曇る。
「でも……」
「あらァ、麻乃ちゃんじゃないのォ!」
鴇汰の向こう側から、小走りに近づいてくる人影が声をかけてきた。
「あ……おクマさん」
「ちょっとアンタったら西区に帰ってきてる癖に、ちっともウチの店に来やしないで! どういうコトよォ!」
ぎゅっと抱き締められ、麻乃は頭をわしわしと撫で回された。鍛えられた筋肉で覆われた胸と、おクマ特有の甘い香水の匂いに包まれる。
おクマは今度は隣の鴇汰へ目を向けた。
「おや! 鴇汰ちゃんまで一緒なの?」
鴇汰の肩を引き寄せ、その頬に思いっきりキスをした。いきなりの攻撃に麻乃も鴇汰も抵抗できず、ただ立ち尽くすしかなかった。
「なァに? アンタたち、これからご飯なの?」
「うん。ちょうど今、何か食べに行こうかって話していたところなの」
癖毛なので掻き回されると収拾がつかなくなる。麻乃はぐしゃぐしゃにされた髪を手で直しながら答えた。
「だったらウチで食べていけばいいわ。ちょうど仕込みも終わったところだから、すぐに出せるわよ」
「いや、ちょっと待ってよ。俺たち買い物が――」
鴇汰が軽い抵抗を見せても、おクマの手が力強くがっちりと麻乃と鴇汰の肩を掴む。通りの向かいから咎めるような低めの女性の声がした。
「二人とも、そんなヤツについて行くと、変な病気が移るわよ」
「あっ、松恵姐さん」
おクマは柳堀の歓楽街で昼間は食堂、夜は酒場を営んでいて、松恵はその斜め向かいで妓楼を営んでいる。仲が良いのか悪いのか、この二人は顔を合わせるといつも諍い合ってばかりだ。




